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(今日のコトバ)
「正しい」は、
主語がなければ成立しない。
自分の「正しい」を信じている。
ワルいことではない。
誰もがそうだと思う。
ただ、自分の「正しい」が
世の中の、
他人の、「正しい」かというと、
そうとはいえない。
言葉にすると
わかる人ばかりなのに、
発言や行動では、
自分の「正しい」こそが、
正解の「正しい」と
主張する人が多い。
よく例えられるのが戦争。
正義は敵味方どちらにもある。
味方の視点に立てば、
正義は味方にある。
だが、敵には敵の正義もある。
どっちが正しいのか?
歴史を見ても
永遠に答えが出ないことばかりだ。
勝った者が正義のような歴史を
つくるが、
それさえ真実はわからない。
だからこそ、
自分の「正しい」は、
自分だけのものだと
理解していこう。
一歩間違えて、
自分の考えが、
世の中の「正しい」の
基準になると思うと、
大きな間違いを起こす。
忘れてはいけない。
(今日のコトバ)
年齢のせいにするな。
年齢のおかげにしろ。
人は年齢のせいにする。
「まだ若すぎるから、、」
「もう年を取り過ぎたから、、」
年齢は使い方自由だ。
数字でもあれば、
年輪でもある。
ただ、年齢を言い訳に使うと、
人生はつまらないものになる。
「この年齢だから、できない」
という限界線を
自分で引いてしまう。
それでは自分の可能性を
捨ててしまうことに
なりかねない。
だから、年齢での言い訳を
しないと決める。
できると思ったものは
どんどん挑戦する。
その意識を持って生きていく。
もちろん、どうしても年齢で
無理なものはある。
それは例外でいい。
自分のできるを信じて、
年齢に言い訳させない。
それが、
人生を楽しみながら
生きる秘訣だ。
(今日のコトバ)
「私」という人間には、
「あなた」という財産がある。
一人では生きていけない。
そんなことはわかっている。
だが、生きていると、
支えてくれる人のことを
忘れてしまうことがある。
特に、人生が好調の時、
すべてが
自力で上手くいっていると
勘違いしてしまう。
ほんとうは、
上手くいっている時ほど、
人の支えが大きいに
決まっている。
だからこそ、
自分には
支えてくれる人がいることを
常に肝に銘じて生きていきたい。
そのことを忘れると、
恩知らずになるし、
必ずどこかで痛い目にあう。
「私」には、
「あなた」という支えがある。
そのことを胸に刻むのだ。
(今日のコトバ)
過ちは、
早期発見・早期治療でいこう。
長く生きていれば、
自分の過ちだと思うことは
多々ある。
「明らかに自分がワルい。
相手を傷つけてしまった。
まわりの人に迷惑をかけた」
そう思うことは
何度もあったと思う。
だが、その時、
素直に謝ったかというと
そうでもない。
謝罪とはいいがたい態度で
軽く頭を下げたり、
うやむやにしていたり、
過ちを認めず、
逆ギレしてみたり、、。
そして、自分の心の中で
いつまでも後悔するのだ。
ただ、後悔をいつまでも
引きずるのは、
人生にとって
いいことではない。
できるだけ、
気持ちをリセットして、
前向きに歩いていきたい。
では、どうすればいいか。
それは、過ちがわかったら、
すぐに謝る。
謝る相手に直接、お詫びする。
過ちを早期発見する。
そして、どこがワルかったかを
早期治療する。
病気だけでなく、
過ちも
早期発見・早期治療でいこう。
(今日のコトバ)
体力は、
思いやりの礎になる。
なんだかんだいっても、
人に優しさを届けるには
体力がいる。
自分の体力がない時、
疲れている時、
イライラしている時に、
思いやりや優しさなどは
届けられない。
もちろん、できた人で
どんな時も思いやりを
届けられる人はいるだろう。
だが、それは少数だと思う。
だとすれば、
思いやりを届けるために、
体力をつける努力をする。
充分な体力があれば、
人に思いやりを届けられる。
仮に、自分が思いやりがないと
思う人も、体力をつければ、
少し人に優しくなれると思う。
思いやりには体力。
そのことを忘ずに
生きていきたい。
(今日のコトバ)
人は自分が思っているより、
ずっと強い。
だが、
人は自分が思っているより、
ずっと怠け者だ。
自分の力をどう判断するか。
意外に正しく判断できる人は
少ないと思う。
たいがいは自分が
あまりに弱くて、
強さが足りないと思っている。
だが、まわりから見ると、
全然弱くない。
むしろ、しっかりしているし、
しっかりしなくても、
図々しく生きる強さがあると思う。
つまり、
強い生きもののような気がする。
ただ、人は自分は頑張っていると
思いがちだったりもする。
何もしていなくて、
考えただけでも、
何かをした気分になっている。
行動に移さなければ、
頑張りは伝わらないのに、
その行動以前も行動に
ポイントしてしまう。
人間は難しい生きものだ。
だから、
少しだけ強く、
少しだけ怠け者だと
意識して生きる。
その心の設定を持つだけで、
人生がブレないで
生きていけるはずだ。
(今日のコトバ)
頭に蓄えたものは、
いくら散財しても
無くならない。
学習や勉学によって
習得したものは、
ほぼ失われない。
正しくいうと、
他人から奪われることはない。
自分だけのもので、
いくらでも使っていける。
また、学習を源にした
想像力も、
他人が盗むことはできない。
こんな有益な財産はない。
誰にも盗まれない、
使っても減ることのない
自分の財産を
みんな頭と体に持っている。
その有益な財産を
有効に使う。
人生は一瞬で過ぎていく。
自分の財産であれば、
一瞬でも使える可能性が高い。
だからこそ、
いつも頭と体に
財産があることを
念頭において生きる。
それだけで人生は、
素晴らしい世界を
構築できるはずだ。
(今日のコトバ)
人間は、
無知という知恵を持っている。
何も知らない時ほど、
最強であることはない。
知らないから、前進できる。
知らないから、反抗できる。
知らないから、質問できる。
「知らない」を武器に、
何でもできるという自由度を持つ。
人間は、賢いふりをする生きもの。
たいがいは知ったかぶりをして、
大きな顔をしようとする。
だが、一人の人間の知識など、
たかが知れている。
だからこそ、
「知らない」という意識を
常に持てば、
何でも学ぶことができる。
「知らない」は人間にとって、
進化するための武器。
そう信じて生きると、
人生を有意義な世界に
変えていけるはずだ。
(今日のコトバ)
笑いは、
不幸を殺菌する効果がある。
とにかく笑ってくれる人がいる。
よく笑っている人のいる空間は、
あたりまえだが陽気になる。
明るい雰囲気が醸成されている。
多少の嫌なことや
ちょっと辛いことがあっても、
みんなが笑っていると、
それほどしんどくならない気もする。
否、しんどくならない。
笑いによって
救われているといっていい。
笑い。
日々、どこかで笑っている。
毎日の中のルーティンでもある。
この笑いが多い人は、
基本的に不幸から遠ざかっている。
そして、まわりも楽しくしている。
そう考えると、
この笑いをつくる人に
自分がなれば、
自分が幸せの中心になれる。
だとしたら、
笑いを欠かさずつくる人になる。
つくれないなら、
ただただ笑っているだけでもいい。
笑いがあることによって
救われた人間は、
そこから幸せを感じる。
笑いは、
人を幸せにする効果があるのだ。
(今日のコトバ)
準備とは、チャンスを
通りしやすくするための
交通整理のことである。
準備というと、
何かを成就するために
用意周到に環境を
整えることだと思う。
正しい答えの一つだろう。
ただ、また別に大きな役目がある。
それは、
チャンスを捉えやすい環境を
つくること。
どれだけ実力があっても、
チャンスが到来した時、
チャンスを捉えられなければ、
人生の大きな損失になる。
人生はチャンスを捉えてこそ
劇的に変化する。
そのために準備する。
つまり環境を整える。
細心の注意を払い、
実力を思う存分発揮できる
状況に自分をおくのだ。
人生は短い。
チャンスの数も
そう多いとはいえない。
だからこそ、
チャンスのための
交通整理は大切なのだ。
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