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(今日のコトバ)
ありがとうは、
感謝を幸せで包んだ言葉です。
もし一つ最高の言葉を
決めるなら、
候補になるであろう
「ありがとう」。
言葉として書くことは
結構あるのに、
実生活ではなかなか
聞くことも、
いうこともない。
正しくいうと、
もっと実生活で
あるべき言葉なのに、
思ったほど言葉に
なっていない。
何ともったいないことだろう。
「ありがとう」という言葉は、
魔法を持っている言葉。
伝えた自分は気持ちいいし、
伝えられた相手も
気持ちいい。
どちらにも無駄なく
気持ちよくなれる言葉なのだ。
では、なぜ気持ちいいか。
それは、「ありがとう」は
感謝を幸せで包むから。
語源の話をすると、
有ることが難しいほど
貴重なことを
「ありがとう」という。
「ありがとう」という
言葉の礎には、
貴重な幸せがある。
だからこそ、
伝えるべき時は必ず伝える。
お互いが幸せになれる。
そんな素晴らしい言葉、
他にはないと思う。
(今日のコトバ)
泣いた後に、笑う。
怒った後に、笑う。
そして、笑った後に、笑う。
最後は笑って終わるのだ。
もめ事、困難、孤独、悲しみ、、。
人生には泣いたり、怒ったりする
場面はたくさんある。
だが、どんなに状況がワルくても、
最後は笑って終わる。
それが生き抜いていく知恵。
終わり良ければすべて良し。
ノーサイドなど、
最後には気持ちを
リセットする言葉もある。
その言葉の中には、
「笑って終わろう」という
気持ちが込められている気がする。
そして、笑って前を向く。
それこそが人生を
生きるということ。
長く生きてくると、
一つの答えとして、
笑って終わることの
素晴らしさを知る。
笑って終わる人間の知恵に
敬服するのだ。
(今日のコトバ)
後悔に未来のカタチを
変えられないために反省がある。
人生に後悔はつきもの。
小さなことから
大きなことまで、
人生には無限にあった。
ただ、
後悔だけで終わってしまうと、
人生の計画が変わってしまう。
「こうすれば良かった」と
思うことが、
たくさん出てきてしまう。
そんな状況しないために、
人間には
反省というカードがある。
後悔を省みて、
どうすれば同じ後悔をしないか、
もしくは、
前進・納得・満足するには
どうすればいいか。
次の動きを考える。
そこに、成長の礎がある。
「負けた。失敗した。後悔した。
では、次にどうするか?」
そこに賭ける人間のエネルギーは
想像を超えていく。
だからこそ、
反省を大切にする。
反省から
反転攻勢するぐらいの気持ちで
生きる。
人生は一度きり。
後悔しない人生を歩むために、
反省という機能を使って
生きるのだ。
(今日のコトバ)
人間は、
いつも他人の外面と
付き合っている。
どんなに相手のことを
知っているといっても、
結局は外面としか
付き合ってはいない。
相手の本心はわかるはずもない。
世の中を生きていく上では、
外面と付き合うのが前提だ。
ただ、その外面に対しても、
「いい人だ」「ワルい人だ」
「優しい人だ」「厳しい人だ」
と感じ方が千差万別。
だとしたら、
まずは外面と真摯に
向き合えばいいのではないか。
そこで相手のことを考える。
相手の言葉で考えるのか。
相手の行動で考えるのか。
相手の言葉のその先で
考えるのか。
相手の行動のその先で
考えるのか、等。
それは考える自分次第。
つまり、相手と付き合うのは
自分の考え方で決まる。
そう考えれると、
人との付き合いが
少し円滑になる。
そんな気持ちになるはずだ。
(今日のコトバ)
逃亡者には、
差しのべる手が届かない。
人生において、
逃げる、あるいは、
逃げ道を進んでいくことは、
絶対にありだ。
「逃げるなんて卑怯だ」
という人がいるが、
その人が逃げないとは限らない。
まわりを見ていても、
偉そうなことをいって
強がっている人ほど、
自分の逃げ道を
ちゃんと用意している。
そう考えると、
やはり逃げ道に逃げることは
ありだと思う。
ただ、こうもいえる。
逃げ道を逃げることは、
人生の場面によっては必要だが、
逃げ道へ進んでいく人に
救いの手は届かない。
届きにくくなるといった方が
いいかもしれないが、
前へ進む人だったり、
前線で戦っている人に比べて、
逃げている人に差しのべる手は、
最後の最後になる。
届かないこともあるのだ。
だからこそ、
逃げる意味を大切にしたい。
ただただ怠慢で
逃げるのではなく、
やむにやまれず
逃げることだけを
自分に許す。
挑戦すべき時は、
全力で前へ進む。
そんな気持ちで
生きていきたい。
(今日のコトバ)
勝って人生が苦しむこともある。
負けて人生が安らぐこともある。
「できれば勝ちたい」
「勝つために人生を懸けている」
勝負とはそういうものだ。
だが、とも思う。
勝ち続ける、あるいは、
勝ち過ぎると、重い荷物を
背負っている気持ちになる。
何か得体の知れない疲れに
襲われることもある。
勝ちから解放されたいとも思う。
勝ち続けることは、
概ねいいことが多い。
だが、精神状態を考えると、
しんどいことも増えていく。
だからこそ、
自分のペース配分というか、
生き方配分を
考えなければいけない。
勝ちも大切だが、
負けることも
大切なのではないか。
「勝ちがすべてではない」
そう考えると、
苦しまないで生きることが
できるかもしれない。
勝っても、負けても
人生は続いていく。
生きるために大切なのは何か。
その答えから
生き方の配分を
考えればいいと思う。
(今日のコトバ)
希望は、歳をとらない。
いくつになっても希望はある。
きっと、命果てるまで希望が
枯渇することはない。
それが人間という生きものだ。
そう考えると、
生きていく上で
希望がいつも
側にいるともいえる。
孤独とか、
寂しいとか思うこともあるが、
まず、その前に
希望があることを
忘れてはいけない。
自分がどんなペースで
生きていても
希望はいてくれる。
そのことを忘れないだけで、
人生は少し幸せになる。
いつも
希望が伴走してくれる人生。
そう思って生きていくのだ。
(今日のコトバ)
愛を最強にするために、
二人は共犯者になる。
何かの目的のために
愛で結びついていると、
強固なものになる。
反対にいうと、
何かの目的のために
強固に結びつくものには、
愛がある。
同じ方向の目的を
目指していると、
そこに愛が
生まれることもある。
何かが強固に
結びつく過程で
必ず必要なもの。
それが愛なのだ。
だとすれば、
自分の愛、
相手の愛、
仲間の愛があるか
たしかめてみる。
そこに愛があれば、
強固に結びつくことができる。
その意識を忘れずに
大願成就を目指していく。
生きていく上において、
意識していいことだと思う。
(今日のコトバ)
人生で大切なことは、
決して倒れないことではない。
倒れても立ち上がることである。
ただし、
一人で立ち上がることはない。
誰かの手を握りしめて
立ち上がってもいいのだ。
人が生きていければ、
何度も何度も
倒れることがある。
その度に
立ち上がってきたから、
今がある。
ただ、倒れた時に、なかなか
立ち上がれない時がある。
その時は
どんな状態だっただろう。
一人で孤立して、
孤独になって立ち上がる時間が
かかったのではないか。
その時、どうしたら
早く立ち上がれるか。
一番は誰かに
手を引いてもらうこと。
もっといえば、
誰かに支えてもらうこと。
何も一人で
立ち上がらなくていいのだ。
まわりの人を見ても
立ち上がる時に、
誰の手も借りないで
立ち上がる人はいない。
倒れて孤独な人も、
結局、誰かの手を借りている。
だからこそ、
倒れた時は誰かの力を探す。
そこから、
立ち上がるきっかけをつくり
復活する。
人は、
人に支えられて生きているのだ。
(今日のコトバ)
時間を黒字にして生きる。
「時間を有効に使え」
子供の頃から先人たちに
いわれてきたし、
今も「時間を有効に使おう」と
自分でも指示したりしている。
時間。
確かに、有効に使えば
大きな力を発揮する。
なまけていると、
何の役にも立たないこともある。
だからこそ、
出版社も不変的に
時間管理術のような
書籍を出す。
では、
時間とどう取り組めばいいか。
それは、時間が自分にとって
メリットであることを
考えればいいのではないか。
例えば、時間を有効に使えば、
人生にとってプラスになる。
具体的にいえば、
人生に利益を与える。
利益があれば
人生は豊かになる。
有意義なものになる。
そんな気持ちで生きてみる。
時間が進んでいくことが
惜しくなったらしめたもの。
時間を愛しく思って付き合う。
大切にしたい気持ちだ。
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