追い込まれてわかる本音・本心

 

(今日のコトバ)

 

弱音に本音あり。

失言に本心あり。

 

 

本音を聞きたいとか、

本心が知りたいとか。

相手の気持ちがわからない時、

考えてしまうことがある。

対面しているのだが、

どうも本音・本心が

わからない。

もっというと、

言葉と行動が伴わない。

実は、気持ちは違うことを

考えているのではないかと

思ってしまう。

そんな時、

本音・本心を知る方法がある。

それは、

どこかで弱音を吐かせてみる。

あるいは、

怒らせて吐く言葉を拾う。

怒りの言葉には

たいがい本心があり、

失言になることも多い。

人間には、

普段は隠している

本音・本心を、

追い込まれると

吐き出す習性がある。

あまり人を追い込むのは

いかがなものかと思うが、

どうしても本音・本心を

知りたければ、

弱音や失言を吐いてしまう

状況をつくる。

本音・本心は、そこで聞ける。

 

引き算の正解

 

(今日のコトバ)

 

人生は、

引き算ができようになって

傑作になる。

 

 

足す。増やす。積み上げる。

何も銀行の資産運用の話ではない。

特に、人生の前半において、

心のどこかにあった

意識とでもいおうか。

とにかく、

プラス、プラス、プラス、、。

プラスすることが良いことだと

思っていた。

だが、年齢も後半戦になり

衰えも気になると、

プラスだけではない人生も

考える。

例えば、ちょうどいい。

このぐらいがベターだと思う。

それが最高でなくても、

人生にプラスにならなくても、

いまの自分に合っている。

ちょうどいいと思う。

さらにいうと、

無駄なものは捨てる。

生き方をシンプルにする。

あえていえば引き算の美学。

そんなことを考える時間が

増えてくる。

つまり、

人生はプラスぱかりではない。

減らしてく引き算も必要。

そう感じてならない。

そして、

人生は引き算をできてこそ

有意義なものになる。

人生の後半戦は引き算の

正解も探していきたい。

イケてないアラート

 

(今日のコトバ)

 

自分の姿を見たくない時、

他人の不幸を探している。

 

 

どうも自分はイケてない。

上手くいっていない。

かっこわるい。

不運が続ている、、。

そう思うと、

人はなぜだか

他人の不幸を探し始める。

最終的には誰でもいいのだが、

できるだけ自分の近くの人間の

不幸を探す。

探した上で、陰口、

わる口をいいふらす。

何の解決にもならないのだが、

どこかで留飲を下げている。

きっと、

誰でも経験はあると思うし、

経験はなくても

気持ちはわかると思う。

人間のどこかに、

自分がイケてないと、

誰かの不幸を探すという機能が

ある気もする。

だが、他人の不幸を探して、

陰口、わる口をいうのも

人としていかがなものか。

本当にかっこわるくなってしまう。

だからこそ、

他人の不幸を探し始めたら、

自分のイケてないアラートが

鳴っていると考える。

そこで自分を戒める。

他人の不幸探しは、

自分のイケてなさの証だと。

それだけで、

少しかっこいい生き方が

できるはずだ。

言い訳は、結局、損をする

 

(今日のコトバ)

 

言い訳は、

成功の花道を茨の道にする。

 

 

とにかく言い訳をする人がいる。

条件反射的に言い訳を

身に着けている人もいる。

ある案件に対して弁明する。

もちろん、正当な理由があって

弁明することは正しい。

だが、とにもかくにも

言い訳してしまう人がいる。

自分から面倒を避けるために、

逃げの一手を打つ。

そんな人は、

意外に言い訳が上手くいかない。

言い訳して、一端難を逃れるが、

逃れきれずに結局、

損な役回りが巡ってくる。

言い訳が防御にならない。

反対に、言い訳せずに

肯定的に物事を受け入れる人は、

結構、得をすることが多い。

すべてがすべてではないが、

言い訳は行動する時に

邪魔になる。

そう考えて、

日々出会うことを

一つ一つ感謝して

受け入れてみると、

自分の世界が広がる。

新しいチャンスが生まれる。

人生においての良い事が

続いてくる。

言い訳派より肯定派で

生きるのも、

人生を有意義にする

方法だ。

最善に次ぐ最善

 

(今日のコトバ)

 

最高になるために、

最善を積み上げる。

 

 

「最高を目指す」

目標とはそういうものだ。

常に掲げた目標を更新し、

最高を記録する。

それが永遠に続けば

いいのかもしれない。

だが、

最高を更新し続けることなど

ありえない。

必ずどこかで結果が出なくなり、

挫折を味わうことになる。

それも人生。

それが人生ともいえる。

では、最高という目標に対して、

どう挑んでいけばいいのだろう。

それは、常に最善を尽くすこと。

状況が良い時もワルい時も、

最善の方法を選び、

最善を尽くす。

この連続が、最高を生む。

失敗して挫折しても、

また、最善を尽くせば、

結果を出せる。

「最善に次ぐ最善」

それが最高への

ロードマップになる。

最高を目指す上で、

そのことを絶対に

忘れてはいけない。

絶対的人生の宝物

 

(今日のコトバ)

 

背中を押してくれる人と、

背中をさすってくれる人は、

あなたの背中を

見守ってくれる同じ人だ。

 

 

「いつも見ていてくれる人」

子供の頃は

親や先生だったり、

大人になっても、

上司だったり、妻や夫だったり、

恋人だったり、、。

いろいろな人が

見つめてくれている。

その人たちの支えは、

人生にとって

途轍もなく大きい。

いつも見守ってくれる

ということは、

いつも力になってくれる

ということ。

その人たちを

大事にすることが大切。

自分の人生がどう転んでも

支えてくれる。

そんな人は

人生でそれほど出会わない。

そして、その人は

絶対的人生の宝物。

人生を安心して生きるために、

とても大切な人なのだ。

みんなの声よりじぶんの声

 

(今日のコトバ)

 

みんなの声に一票入れると、

じぶんの声が無効になる。

 

 

みんなの声というものがある。

国民の声。

大勢の意見。

世論。

まわりの人たちの主張。

いろいろある。

だいたいそんな意見だろうと思う

みんなの声。

ただ、みんなの声というものが

本当にみんなの総意の声かというと、

そうでもない。

一人の大声の意見に、

考えもなく

従っていることもある。

関わりたくないから、

自分の意志を反映しない

意見に賛成する人もいる。

いちばん困るのは、

みんなの声に自分の声が

どこにもないこと。

自分ではみんなの声と

違っていると思っているのに、

みんなの声の中で

自分の声が

かき消されてしまう。

大きな問題でない時は

それでもいい。

だが、生きることに

密接に関わる時、

自分の声が

どこにも届かなかったら

大変なことになる。

だからこそ、

自分の声を大切にしたい。

小さな声でも、

みんなの声と違っても、

自分の声を上げる。

生きていくために、

備えておきたい意志だ。

セルフセキュリティ

 

(今日のコトバ)

 

無数にある嘘を見破り、

人の数だけある真実を見極め、

たった一つしかない

事実を見定める。

世の中、結構、しんどいものだ。

 

 

世の中という組織で

生きていると、

いつも嘘と背中合わせになる。

人からの嘘、SNSからの嘘、

ネットからの嘘、

システムからの嘘、、。

その中で、

生きてきたキャリアで

嘘と事実を見定める。

きちんと見定めないと罪に

なってしまうこともある。

世の中、正しく生きることは、

結構、しんどいことだ。

だが、

それが生きるためルールなら、

従って生きるしかない。

そう思うと、

嘘と距離置く生き方が

大切になる。

悪い人、悪い物、

悪い場所には接触しない。

それがセルフセキュリティとなる。

一昔前は、善と悪のきわきわが

面白いとされた時代もあった。

だが、時代は変わった。

悪と距離を置く。

そのことを意識して

生きていく必要がある。