夢に近づくと、夢中になる

 

(今日のコトバ)

 

夢を目の前にすると、

全速力がマイペースになる。

 

 

夢中になる。

没頭する。

一心不乱になる、、。

夢に近づいていることがわかると、

全人生が全集中して邁進していく。

余計なことを考えないで、

人生の時間を無駄なく使い切れる。

誰しも一度は

そんな状況になったことがあるはずだ。

「夢に近づくと、夢中になる」

だとしたら、

いつでも夢の近くにいた方がいい。

自分の目指す方向の夢をつくり

前進していく。

夢が現実に近づけば近づくほど、

やりがいを感じ、充実感を感じ、

集中していく。

人生において、

もっとも素晴らしい時間ができる。

自分から夢に近づき、

さらに自分を進化させていくのだ。

 

傷つけると、傷つく

 

(今日のコトバ)

相手を傷つけてしまった傷は、

自分の傷より長く痛む。

 

 

諍いがあって、

人を傷つけてしまう。

自分の正論・自分の正義を押し通し、

相手の心をねじ伏せる。

一時的に自分の気持ちはスッキリするが、

時間が経つと心がヒリヒリ痛む。

その痛みが消えるまで、

結構な時間を要す。

そんなことは誰にでもあったはずだ。

傷つけられることも痛いが、

相手の心を傷つけてしまうと、

その傷つけたことで

傷ついた自分の心は長く痛む。

そう考えると、

相手を傷つけない方法は

なかったか少し考えて

行動することが大切。

頭にある考えは自由でいいが、

口に出すには冷静になる必要がある。

特に、自分の近くにいる人には

口にする言葉を丁寧に伝える。

それだけで自分が傷つかなくてすむ

可能性が大きくなる。

相手の心を傷つけずに

よりよいコミュニケーションを

続けられるはずだ。

身の丈に合った可能性

 

(今日のコトバ)

 

「ちょっと無理なこと」が、

その人の可能性です。

 

 

可能性って何だろう?

途轍もない

自分の成長のような気もするし、

限界を超えるまでの

挑戦のような気もする。

どちらも間違っていないと思うが、

そうなると可能性を可能にするのは、

一生懸けての挑戦になってしまう。

それほどおおげさでなく、

自分の身の丈にあった可能性の

考え方はないのか?

そう考えると、

一つの言葉が浮かぶ。

ちょっと無理そうなことへの挑戦。

日々の暮らしの中で、

「ちょっと無理そうだけど、

やってみよう」という言葉を

何度がつぶやいてきた。

もしかすると、

そのちょっと無理そうなことが

自分の身の丈にあった

可能性なのかもしれない。

途轍もなく

限界を超えたものでもない。

できるかできないかの

境界線にあるもの。

そこへなら挑戦できる。

そこへトライしていく。

繰り返しトライしていくうちに、

自分の可能性が大きく広がっていく。

そんな人生なら素晴らしいと思う。

懐に飛び込んでみる

 

(今日のコトバ)

 

只者でないという

人物に出会ってきたけれど、

となりに座ると、

みんな只者だった。

 

 

何かの能力があって、

只者ではない人といわれると、

こちらも緊張して対応する。

だが、只者でない人でも、

何日も同じ空間に暮らし、

同じ時間を共有し、

同じ目線になると、

普通の人になる。

コミュニケーションがとれるように

なったからということもある。

ただ、どんな人も同じ人間。

怖れることはない。

もちろん、特殊な行動をし、

まわりを挑発してくる人もいる。

だが、そんな人はまれだ。

だからこそ、

どんな人間でも懐に飛び込んで、

同じ目線で対話する。

それだけで、

随分、生きることがスムーズになる。

もっと、人との出会いが広がる。

コミュニケーションも上手くいく。

まずは、人の懐に飛び込んでみよう。

どんな場所もかけがえのない場所になる

 

(今日のコトバ)

 

足踏みしても、

足跡が残る。

遠まわりしても、

まだ見ぬ景色が見える。

夢見た場所でなくても、

幸せになれる。

人生、どんな場所でも

かけがえのないものになるのだ。

 

 

目指した場所がある。

だが、運命のいたずらで

その場所へはたどり着けなかった。

だからといって、

人生がうまくいかなかったとは

ならない。

誰でも経験があるはず。

目指していない場所なのに、

素晴らしい場所だった、と。

例えば、行きたい学校ではなかったが、

行ってみたら

最高の思い出ができたこともある。

転勤を命令されて、

前向きになれなかったが、

行ってみたら第二の故郷のように愛せた等。

試練と思うような場所が、

楽しい記憶で彩られる。

もっといえば、

行った場所が

かけがえのない場所になる。

そう思って生きると、

どこへ行くのもの楽しい。

行ってみて、自分が楽しめるように

環境をつくる。

それぐらいの気持ちで

生きる。

人生は生きる場所を

素晴らしいものにするのだ。

自信は精神的支柱

 

(今日のコトバ)

 

自信とは、

負けた時に弱いと

思わないために、

失敗した時に能力がないと

思わないために、

振られた時にモテないと

思わないために、

あった方がいいものである。

 

 

自信がある。自信がない。

自信ができる。自信が崩れる、、。

自信は人生の様々な場面で登場する。

人生が乗っている時は、

自信は揺るぎない精神の支柱になる。

反対に、人生がイケてない時は、

自信を失って

生きることのしんどさを知る。

ただ、自信がある時は、

少々の困難なら乗り越えられる。

小さな敗北、ちょっとした失敗、

あるいは、振られた時など、、。

つくられた自信は、

精神の揺らぎを最小限に抑える

役目を果たす。

だからこそ、

日々の暮らしの中で自信をつくる。

自信といっても、分野別につくられる。

その分野別に自信をつくって、

人生の荒波を乗り越える。

自信はあればあるほどいいものだ。

歩みを止めるな

 

(今日のコトバ)

 

レースは敵を追い越して

勝つこともあれば、

敵が失速して勝つこともある。

だからこそ、

足を止めてはいけないのだ。

 

 

どんなに小さな一歩でもいい。

どんなにゆっくりでもいい。

足を止めずに前へ進んでいく。

それが人生勝利の公式。

長く生きていると、

ほんとうにそう思う。

長く続けている人が

プロになり、

その道のスペシャリストになり、

そうならなくても

自分の財産にしている。

あきらめた人や

途中でリタイアした人は、

その道の勝者にはならないし、

食べていくこともない。

もちろん、

その道で生きてく気持ちがなければ

関係のない話。

だが、自分がどうしてもその道で

生きていきたかったら、

足を止めず前進していくべき。

その意志が続けば、

人生のどこかで

花が咲くかもしれない。

花が咲かなくても財産になる。

「歩みを止めるな」

その先に出会うべき人生があるはずだ。

 

 

健康と幸せ

 

(今日のコトバ)

 

地位や名誉だって、

健康にはかなわない。

ましてや幸せの足元にも及ばない。

 

 

人生で何が大切か?

人によって価値観が違うから、

一つの答えにまとめるのは難しい。

ただ、たいていは自分が評価されると

嬉しいし誇りに思う。

例えば、地位や名誉が

一番大切という人もいるだろう。

確かに地位や名誉も

人生という歴史の中で

とても大切だ。

だが、その前にもっと大切なものがある。

それは健康や幸せ。

健康でなければ、

いくら地位や名誉を誇れても

人生が楽しくならない。

幸せにおいても同様で、

地位や名誉があっても、

幸せを感じなければ、

何のために

生きているのかわからない。

だからこそ、

地位や名誉のためにがんばるのもいいが、

それ以上に健康と幸せも意識する。

人生を最高のものにするために

大切なことだと思う。

愛情から感情へ

 

(今日のコトバ)

 

人からもらった愛情は、

心の中を流れ流れて感情になる。

 

 

感情は、

人からのリアクションから

生まれる。

人の言葉。

人の行動。

人の挙動、、。

それらを心が捉えると、

喜怒哀楽という感情が目覚める。

その感情が人生を豊かにもするし、

寂しいものにもする。

もっというと、

人からのリアクションということは、

そこに大なり小なり愛情のがあるはず。

それが正しい愛情か、

相手のひとりよがりの愛情かは別として

愛情がある。

そう考えると、

相手の愛情から

自分の感情が生まれる。

そこを意識して生きれば、

自分の感情もコントロールできる。

どうでもいいと思うことや、

つまらないこと、

腹立たしいことも、

相手の愛情からのものだと思えば

許せることもある。

もし、相手の一挙手一投足で

感情が騒いだら、

それは相手の愛情からと思う。

それだけで相手のことが

少し愛しく思えるはずだ。

 

幸せから幸せへ

 

(今日のコトバ)

 

幸せに生きるか。

幸せために生きるか。

そのどちらかに時間を費やそう。

 

 

幸せって、気づかないものだともいう。

普通に生活していることが、

何かを失ってはじめて幸せだったと思う。

また、誰かのために自分が行動する。

それが幸せな気持ちにつながることもある。

つまり、気づかないが普通に暮らせる幸せと、

意識して行動する幸せの間で生きる。

「幸せから幸せへ」

気持ちの中心につねに幸せがある。

もし、そんな気持ちで生きていけたら、

それこそ、

ほんとうに幸せな人生に

なるのかもしれない。

できればそんな人生を生きたいと思う。