自分に、他人に、興味を持つ

 

(今日のコトバ)

 

わかっていない人とは、

自分がわかっていない人。

 

 

「わかっていないな」と

いわれる人がいる。

物事の意味がわかっていないのではなく、

その場の雰囲気とか、

状況がわかっていないといわれる人。

そんな人はなぜだが、

自分の立ち位置も

わかっていなかったりする。

どうしてかと考えてみると、

あまり自分のこと、

そして、他人のことも

考えない人だったりする。

考えないから状況がわからなくて、

わからない人になる。

あたりまえといえば

あたりまえだが、

おそらく普通の人より、

自分のことも、他人のことも考えない。

それだけのこと。

きっと、自分と、他人のことを

もう少し考えれば、

わかる人になれると思う。

人生、わかることで

うまくいくことが多い。

できるだけ、

自分に、他人に興味を持って

生きていきたいものだ。

人生の道はカスタマイズされる

 

(今日のコトバ)

 

どっちの道へ行っても、

困難があり、答えがあり、

そして、未来がある。

 

 

「あの道の選択が人生の分岐点だった」

という人がいる。

誰でもあるものかもしれない。

右と、左のどちらの道を選ぶか。

右へ行く人、左を行く人、

道の前で悩んでどちらかに決める。

「選んだ道が正解だったから、

今の自分がある」という人もいるし、

「選んだ道を間違えた」と思う人もいる。

だが、人生の道はつくられた道ではない。

自分でカスタマイズしていく

道にしかならない。

どちらへ行っても、困難はあるし、

感動もある。

途中途中に達成感もある。

いいこと、ワルいこと、

どちらもあるのだ。

最初の道の判断は大切だが、

絶対ではない。

だからこそ、

自分の選択を失敗したと

思うことはない。

選択した道は自分でつくり出せる。

不幸な出来事も幸せな環境を創り出す

ヒントになることもある。

人生の道は、どちらを選んでも、

素晴らしい未来を用意しているのだ。

未完成の伸びしろは無限大

 

(今日のコトバ)

 

完成は、

未完成の想像力に嫉妬する。

 

 

「もうこれで完成」

そう思うと、そこから手は加えない。

完成品、完成作品として作り終わる。

反対に、未完成と判断すると、

まだまだ手を入れる。

頭を巡らせ、手を動かし、

何か出来ないかと試行錯誤する。

どちらが人間にとって、

成長があるだろう。

それは、圧倒的に未完成になると思う。

完成までに切磋琢磨することは、

素晴らしいことだ。

とても大切なことでもある。

ただ、その後の成長を考えたら、

未完成の状態もワルくない。

人生も命果てるまで未完成。

完成することはない。

だからこそ、

人間は成長しているともいえる。

いま、まだ未完成なものがあるなら、

そこで落ち込むことはない。

これから伸びしろがある。

もっともっと凄いことができる。

そう信じて生きていいと思う。

 

偉そうな言葉にご用心!

 

(今日のコトバ)

 

偉そうな言葉は、

「お前がいうな」で出来ている。

 

 

誰もが耳にすることがあるだろう。

偉そうな言葉。

上から目線だったり、

偉人の名言を

自分の言葉のようにいったり、

人をバカにしたりする言葉、、。

だが、なぜ偉そうな言葉かと考えると

一つのことが思い浮かぶ。

それは、「お前がいうか?」という

気持ちになること。

言葉を発する人が、

その言葉のようなことができているか?

どの立ち位置から発言している?

そんなことが頭に浮かぶ。

「お前がいうか」から、

「お前がいうな」

という気持ちにもなる。

もっというと、

「お前自身ができないだろう?」

と思ってしまう。

だからこそ、

人にちょっとでも

偉そうなことをいう時は、

自分が出来ているかを

一瞬でいいから考えよう。

みんなに偉そうな言葉だと思われると、

返り血を浴びてしまうこともある。

啓蒙、注意、教え、、

いろいろな言葉があっていい。

ただ、偉そうな言葉は慎重に伝えよう。

チェック機能として、立ち止まること

 

(今日のコトバ)

 

立ち上がらなければ

いけない時がある。

立ち向かわなければ

いけない時がある。

そして、立ち止まらなくては

いけない時がある。

 

 

「倒れるたびに立ち上がる者が勝つ」

先人はよくいっている。

「何事も立ち向かわなければ打開しない」

そう気持ちを鼓舞してくる人もいる。

立ち上がる。

立ち向かう。

どちらも大切なことだ。

人生の輝きを増すためにも、

必要なことでもある。

ただ、忘れてはいけないことが

もう一つある。

それは、立ち止まること。

なんでもかんでも立ち上がり、

立ち向かうだけでは、

自分が壊れてしまうかもしれない。

立ち上がる、立ち向かうことだけで

人生を設定してしまうと、

それができなかった時、

自分を非難してしまうかもしれない。

だからこそ、

立ち上がる、立ち向かうと同じぐらい

大切なことを忘れてはいけない。

それは、立ち止まること。

やり過ぎる時、

行き過ぎる時もあるだろう。

その時、立ち止まって、

現状の自分を見つめ直してみる。

自分が壊れてないかを

チェックする。

チェック機能として

立ち止まることは必要。

絶好調の時は、

猪突猛進でいい時がある。

波に乗ればいい時もある。

だが、その時の自分を

冷静にチェックできる自分の目も

養っていく。

強く生きるために

大切なことだ。

人への尊敬を忘れない

 

(今日のコトバ)

 

あの人も一生懸命。

あの人も一生一度。

そして、あの人も一生人間。

 

 

対人間である。

すべてにおいて最終的に

人間と向き合いながら生きていく。

だからこそ、

一人一人を尊敬する。

誰一人、懸命でない人はいない。

誰一人、一生が二度ある人はいない。

生きるという大変な仕事を

毎日続けている。

そこを忘れずに人と向き合っていく。

何もすべて重く考えるのではなく、

尊敬して人と付き合っていく。

それだけで、自分がどれだけの人と

付き合っているか。

どれだけ人の力に

支えられているかがわかる。

自分のまわりにいるすべての人を

尊敬していこう。

伸びしろとは、期待に応えていく行動

 

(今日のコトバ)

 

目標ができると、

背伸びが伸びしろになる。

 

 

一つの目標がある時の自分と、

目標がない時の自分を

比較するとわかる。

目標がある時は、

とにかく意欲的になる。

何事もポジティブになり、

前へ進もうとする。

その気持ちだけでも

伸びしろになる。

前進する気持ちがあるか、

ないか。

その気持ちの期待に応えていく行動。

それが、伸びしろ。

だとすれば、

つねに新しい目標を持つことは、

つねに伸びしろができることになる。

「伸びしろがある人生」

そう思いながら生きていければ、

こんなに楽しいこともない。

人生は一度きり。

伸びしろと共に人生を歩む。

生きるために大切なことだ。

「できる」というキラーワード

 

(今日のコトバ)

 

「できる」といってしまえば、

あなたに人は集まる。

「できない」といってしまえば、

あなたから人は去る。

 

 

言葉ひとつかもしれない。

「できる」と意思表示をしたら、

その後の人生が変わっていく。

「できる」といえば、

自分のフル稼働がはじまり、

発注してきた人も

何かしら動き出す。

自分と発注者が両輪となって

世の中に打って出る。

また、ネットワークとして

必要な人脈も動き出す。

大げさにいえば、

人生を左右していく。

反対に、

「できない」といってしまえば、

その場から人は去っていく。

自分の責任もなくなるが、

発注者を含め関係者が

そこから去っていく。

ただただ寂しい時間が流れていく。

どちらがいいワルいではない。

ただ、人生を変えたいと思うなら、

「できる」というキラーワードがある。

その一言が人生を変えるきっかけになる。

そのことを忘れてはいけない。

 

 

チャンスまで逃す遠慮は避ける

 

(今日のコトバ)

 

遠慮とは、自信からの逃亡である。

 

遠慮とは、

「いや私はいいよ」と

言葉・行動をひかえること。

また、「私は参加したくない」と

意思表示をすることでもある。

ただ、人生において

遠慮ばかりしていると、

出会うべきチャンスも逃してしまう。

チャンスは、玉石混合、

清濁併せ呑まなければ

つかめない。

遠慮をしていると、

なにもかも遮断してしまう。

さらにいえば、

遠慮することは

自信がないからということもある。

自信がないから、

「私は結構です」といってしまう。

自信があれば、

「私がやります」と遠慮の必要はない。

だからこそ、

遠慮する時は注意しよう。

そこにチャンスがあるかもしれない。

それでも避けてしまっていいか。

また、自分が自信がないから

遠慮してないか。

一度、自分で判断してから

遠慮するかしないかを決める。

一度きりの人生、

チャンスまで逃す遠慮は

避けた方がいいと思う。

強敵と無敵の間でがんばる

 

(今日のコトバ)

 

過去の自分は強敵。

未来の自分は無敵。

 

 

「昨日の自分を超えろ」

「ライバルは過去の自分だ」

特に、個人の記録に挑む時、

指導者から発せられる言葉だ。

その通りではあるが、

がんばって生きてきたら、

過去の自分を超えるなど至難の業。

大変な努力が必要となる。

ただ、こう考えることもできる。

「未来の自分は無敵」だと。

まだ、挑戦は始まっていないのだから、

自分がどれだけできるかわからない。

もしかすると、過去より、現在より、

成長した自分になれるかもしれない。

可能性は無限大だ。

そう考えると、

「過去は強敵だが、

未来は無敵なのだ」と

設定してしまう。

強敵と無敵の間でがんばる。

そんな気持ちで生きていけたら、

人生のやりがいもわく。

生きるために、

自分をもいいライバルにして

みるのはどうだろうか。