コンテンツへスキップ
(今日のコトバ)
勝ちは血をつくり、
負けは骨をつくる。
人には
勝負しなければいけない
時がある。
そして、
勝負には、勝ち、負けがある。
勝てばうれしいし、感動もする。
負ければ悔しいし、落ち込むこともある。
だが、よくよく考えてみると、
勝負は、勝っても、負けても、
人生においてプラスになることが多い。
勝てばうれしい上に、
自分のやり方が正解だったとも思える。
自分の誇りにもなる。
負けたとしても、何が足りないかが
明解になったり、
いい経験を積むことができたりする。
勝っても、負けても、
人生にとって大切なものなのだ。
いま、勝った、負けたで
一喜一憂している人も、
どちらも自分にとってプラスと
考えていきてみよう。
自分の財産は
どちらも積み上がる。
いちばんいけないのは
勝負を避けてしまうこと。
それだけだ。
(今日のコトバ)
仕事をすることは、
自分を最高のエンターテナーにする。
人は、仕事をする。
仕事が好きな人も、
仕事が嫌いな人も、
仕事が得意な人も、
仕事が不得意な人もいる。
仕事に得意不得意という表現も
正解かわからないが、
それでも人はいろいろな形で仕事をする。
そして、人生で考えてみると、
どんな人も仕事で頑張った姿が、
最高のパフォーマンスをしているといえる。
もちろん、仕事で上手くいかないことも、
嫌な思いもあるだろう。
ただ、仕事が上手くいってる時の自分は、
人生の最上級の輝きをしている。
だからこそ、仕事を大切にしたい。
なんでもかんでも我慢してやれとはいわない。
だが、仕事は最高のパフォーマンスをする
システムと考えて、
前向きに仕事に取り組む。
仕事との付き合い方だと思う。
(今日のコトバ)
笑い顔に〇ができる。
困り顔に△ができる。
怒り顔に✕ができる。
顔はサインだ。
言葉も大切だが、
顔だけで判断されることが多々ある。
「顔を見ればわかるよ」とか、
「もう顔が物語ってる」とか、
その人の状態を顔で読むこともある。
だからこそ、
顔=表情は大事。
笑顔であれば、
まわりの雰囲気も良くなる。
困った顔をしていたら、
まわりが怪しい雲行きになる。
怒った顔の人が現れると、
戦闘モードになることもある。
だからこそ、
自分の表情には気をつける。
特に、ネガティブな顔をすると、
まわりにいい影響は及ぼさない。
もちろん、
しんどくで辛い表情をするのは
大切なこと。
だが、
必要以上にまわりをネガティブに
巻き込むのは避けよう。
誰もが気持ち良く生きていきたい。
そのために、
表情に気をつけよう。
(今日のコトバ)
人生、
変化している人は安定している。
人生、
停止している人は不安定になる。
生きものだからかもしれないが、
こんなことをふと考える。
人は変化している、動いている時は、
メンタルが安定している。
普通に稼働しているというか、
言葉にすると安定している。
反対に、人生が止まっている、
動いていない時ほど、
メンタルが不安定になる。
動くが先か、
止まるが先かはわからない。
だが、不思議と動けば安定。
動かなければ不安定。
医学的、生物学的なことはわからない。
ただ、このサイクルが
理にかなっているなら、
このサイクルにのって生きてみる。
「自分の人生が
安定しているなら動いている」
「自分の人生が
不安定なら動いていない」
ひとつの信号として感知する。
自分のメンタルを
把握するためには、
簡単でわかりやすい。
安定、不安定を早めにキャッチして
人生を前向きに生きる。
大切なことだ。
(今日のコトバ)
「いつも」「すべて」「みんな」
この言葉だちは、
いつも、すべて、みんな嘘をついている。
人は口癖のように
使ってしまう言葉がある。
「いつも」とか、
「すべて」とか、
「みんな」とか、、。
ただ、冷静に考えてみれば、
いつも必ず起こることもないし、
すべてが一つのことに
まとまることもないし、
みんな全員が同じ気持ちなどありえない。
言葉として都合がいいから使っているが、
あまりにもこれらの言葉を多く使うと、
自分の信用問題になる。
反対に考えてみればわかる。
いつも、すべて、みんなを多用する人を
信用するだろうか。
いいかげんな人だとは思っても、
信用しようとは思わない。
あえて否定はしないが、
大雑把過ぎるのは否めない。
だからこそ、
自分がこれらの言葉を使う時は
慎重になろう。
大きなジャッジをしない時は
使ってもいい。
ただ、人生の道を決めていく場面で
使う言葉としてはそぐわない。
そのことを理解していこう。
(今日のコトバ)
人生とは、
まだ仕上がっていない脚本を
なんとか演技で良い芝居にする舞台だ。
何が起こるかわからない。
今日という未来は、
明日という未来は、
スケジュールが決まっていれば、
ある程度の筋書きはわかるが、
それでも絶対を約束する
ストーリーはない。
「未来は仕上がっていない脚本」
そんなことがいえるかもしれない。
だとすると、自分という人生の主役が
良い芝居・良いパフォーマンスをして、
生きる時間を盛り上げるべき。
人生は自分次第で
いくらでも変えていける。
自分の進みたい人生があれば、
想像力と行動力で叶うことも多い。
仕上がっていない脚本を生きる。
人生は素晴らしい舞台なのだと思う。
(今日のコトバ)
まいにち行く場所は、
地球上でいちばん
かけがえのない場所である。
学校でも、仕事でも、
毎日行く場所がある。
あたりまえのように行くので、
その場所の価値など考えもしなかったが、
よくよく考えてみると、
現在進行形の人生において、
これほどかけがえのない場所もない。
そこへ行けば自分という存在が
認められる。
存在価値があることを確認できる。
今風にいえば、
承認欲求を確認できると
いえるかもしれない。
だが、
あまりにもあたりまえに
過ごせる場所だから、
かけがえのない場所であることを
忘れてしまう。
その場所に行くことに疲労感を
かかえることさえある。
つまり、居場所と呼べる
自分の現在地なのだ。
もちろん、
その場所で差別やいじめがあったりして、
かけがえのない場所などと
呼べない人もいるだろう。
ただ、それでもその場所は
人生においての
大切な場所になるはず。
だからこそ、
毎日行ける場所を
大切に生きていこう。
(今日のコトバ)
習慣。
それは永遠に繰り返し続ける熱狂。
一言で習慣というけれど。
習慣なるものは、
ちょっとやそっとの意志では
つくれない。
何年も、何十年もやり続けることは、
熱意をもった意志が
継続しなければならない。
熱意を持った意志を
持ち続けることは、
もう狂った行為、
熱狂といってもいい。
その簡単ではない道程を
続けている人は、
職人だったり、変人?だったり、
頑固者だったり、
普通の人ではない。
だからこそ、
自分ができる、
できている習慣を
探してみよう。
意志が続くものがあれば、
それは習慣となり、武器になる。
誰もできないことを続けられるのがいい。
だが、誰もができることを、
誰もできないほど続けられるでもいい。
習慣こそ武器になる。
習慣になるものを見極めるのだ。
コトバザウルスは今年で21年目。
熱意を持った意志として
武器になっていると嬉しい。
(今日のコトバ)
優しさも甘すぎず
微糖ぐらいがちょうどいい。
「優しさ」と「甘さ」が、
混同する人がいる。
優しさをくれる人がいると、
いつかそれがあたりまえになって、
「もっと、もっと」と
優しさを求めてしまう。
あまり優しさを求め過ぎてしまうと、
それは優しさを越えて、
ただの甘えになってしまう。
ただの甘えになると
求めに応えてもらえなくても
仕方ないといえる。
優しさをくれる人も、
甘えまでは受け持てない。
優しさを求める人も
節度を持って、
救ってもらうべきだ。
そのことを忘れずに
優しくしてくれる人と
付き合いたい。
この広い世界の中で、
自分という人間に
優しさをくれる人は
ごく少数の人達。
だからこそ、
自分としても優しさを
大切にして生きるべきだ。
(今日のコトバ)
努力は、
「努力が足りない」
といわれてからが本番だ。
努力という言葉の名言は多い。
たいがいが、
「努力をすれば夢は叶う」
という意味合いが込められている。
間違いではないし、
努力を突き詰める人は、
確かにいい結果を残している。
ただ、少し思うのは、
目指した方向でないところで
努力しても、
なかなか結果には結びつかない
ということ。
努力は認める。
だが、努力するのは
そこではないという人が
意外に多い。
自分ではなく、
他人の目から見ると
間違った人がよくわかる。
だからこそ、
こんなこともいえる。
「努力が足りない」と
まわりの人からいわれた時こそ、
努力を突き詰める価値が
あるのではないか。
まわりは努力すれば、
伸びると思っている。
だから、「もっと努力をしろよ」
とエールを送る。
つまり、
努力が足りないといわれたら、
そこが努力する
価値のあるところ理解する。
人生を懸けて努力してみる、
それこそ価値があるのではないかと思う。
Scroll Up