生きるモチベーションの礎

 

(今日のコトバ)

 

「どこまで

やれるかわからないけど、

やってみよう」

その気持ちだけ持って

明日へ行こう。

 

 

明日、何を持っていくか。

それが今日の役目。

生きれば生きるほど、

その繰り返しが続く。

物理的な物もあるが、

夢だったり、希望だったり、

想像の世界のもの、

そして、健康なども

必要なものかもしれない。

ただ、それと同じくらい、

否、それ以上に

大切なものがある。

それは、やる気と呼ばれる

生きるモチベーション。

この気持ちがないと、

明日がとてもしんどくなる。

また、明日がつまらなくなる。

「やってみよう!」という

何かがないと、

未来は生き抜けない。

だからこそ、

やる気になるための

何かをつくる。

夢でも、希望でも、目標でも、

欲望でも、野望でも、

誰かのためにでもいい。

やる気が出るものをつくる。

それが、

生きるモチベーションの

礎になるはずだ。

 

やる気は、やるべき機会をつくる

 

(今日のコトバ)

 

やる気は、やる機。

機を逃すとやる気は消える。

 

 

好機とは、

いつやってくるのだろう。

誰もが認めるラッキーのような

好機もあれば、

自分の気持ち次第で

捉えられる好機もある。

後者である自分の気持ち次第の

好機は、

ほとんどやる気が

導いてくると思える。

やるんだという気持ちがあれば、

目の前の状況が

好機に変わっていく。

仕事を頼んでも、

気持ち良く頑張ってくれる人に

新しい仕事が増えていく。

やる気は、

やるべき機会をつくるのだ。

だから、もし、

自分に好機が少ないと

思っているのなら、

やる気を全面に

押し出してみよう。

今まで自分に

訪れなかった好機が

舞い込んでくる。

そのことを

忘れてはいけない。

 

基礎は習慣化から

 

(今日のコトバ)

 

基礎とは、

どんなに険しい道でも

あきらめずに歩くめの筋力になる。

 

 

 

「彼には基礎がある」

特に、スポーツの分野ではよく

使われる言葉だ。

結果を出し、

能力が高いアスリートには

共通項がある。

それは、

基礎がしっかりしていること。

その分野に

精通しているわけでもなのに、

基礎といわれると

思わず納得し

アスリートを見てしまう。

おそらく、基礎といってることは

間違ってはいないのだが、

細かいところはよくわからない。

だが、見るからにキレイなフォームで、

しなやかな筋肉、美しい動きを

見せられると、才能を感じると共に、

基礎を感じてしまう。

では、基礎はどう習得するか。

それは日々の鍛錬に他ならない。

毎日欠かさず、

同じことを繰り返す。

習慣という日課を

欠かさず繰り返す。

そこに答えがある。

否、そこにしか

答えがないといえる。

だとすれば、

自分も基礎を

身につけられる。

そのことを信じて

日々習慣化するものを

つくっていこう。

 

 

気持ちも前向きに戻る

 

(今日のコトバ)

 

人間は、

前を向くように

初期設定されている。

 

 

前を向け!

気持ちが落ち込んだ時、

先生や先輩から

いわれたことがある。

けして、

前を向いていないわけでは

ないけれど、

気持ちが下を向いていて、

前進できていない時、

鋭いところを突かれたと思う。

正しいアドバイスだ。

だが、人間は本来、

常に前を向いて生きている。

立ち上がって歩き出せば、

誰もが前を向いている。

初期設定されていると

いってもいい。

だとしたら、

気持ちも前向きが

初期設定されると

考えてはどうだろう。

落ち込むことや

喪失感のあることもある。

下を向いたり、

横を向いたりすることもある。

それでも、

気持ちは前を向いている。

前に進むことで

人生を正解にできる。

どんな気持ちになっても、

気持ちは前向きに戻る。

そう信じて生きていこう。

スタートラインは幸せのギフト

 

(今日のコトバ)

 

スタートラインとは、

人生を幸福にするギフトなのだ。

 

 

 

4月1日。

新しい期が始まる。

新入社員が初出社して、

世の中という荒野の

スタートラインに立つ。

このスタートラインには、

誰もが特別な思いがある。

時に緊張し、時に武者震いし、

時に高揚する。

ここから始まると思うと、

冷静な感情ではいられない。

言葉にするなら、

「熱い感情」になるだろうか。

その熱い感情とは何かというと、

自分が自分の人生に贈る

ギフトではないかと思える。

長い人生の中でも、

熱い感情になることは、

そうそうない。

ましてや、そこからスタートが

切れるとなると、

数が限られてくる。

さらに、

ただのスタートというけれど、

スタートラインに

立てるということは、

かなりフェアーな戦いに挑める。

世の中は、フェアーでない戦いが

たくさんあるがスタートラインは、

平等に引かれることが多い。

そして、スタートの位置につく時、

必ず夢や希望がある。

スタートラインこそが、

人生を幸福にするギフトといえる。

だからこそ、

いま、

スタートラインに立った人は、

その幸せな状況に感謝しよう。

スタートにつけることは、

人生にとって途轍ない

夢や希望を見せてくれ

幸せになれる。

そう思えれば、

踏み出す一歩一歩が、

進歩するための前進に

つながっていくはずだ。

 

 

 

 

生き抜く術

 

(今日のコトバ)

 

生き残ったのではない。

生き抜いたのだ。

命は前進することを止めはしない。

 

 

毎日、何かしらの問題があって、

完全解決とはいかないまでも、

何とか解決して生き抜いてきた。

生きている人はみな、

生き抜いてきたのだ。

言葉にすると簡単だが、

生き抜くことは

それほど簡単ではない。

たとえば、

3日寝ないことはできない。

一週間食べなければ、

生きていけない。

反対に、

一日中食べ続けることも

できないだろう。

10時間走り続けられない等々。

毎日やっていることも、

生きるルールを無視したら、

人間なんて簡単に絶命する。

だが、そうならないように、

生きるバランスをとりながら、

上手に生き抜く術を

身に着けている。

だからこそ、

いま生きていることに

誇りを持っていい。

決して簡単ではない

生き抜くことを、

見事にできている。

いま、生きているのは、

生き抜く術を身に着けた

集大成なのだ。

 

忙しさと休みのメリハリ

 

(今日のコトバ)

 

人生にとって、

空白も大切な予定である。

 

 

スケジュールを

いっぱい埋めたいと

思うことがある。

何も予定がないより、

充実した人生をおくっている

気がする。

誰もがそう思う。

だが、

いつもいつもスケジュールに

追われていると、

精神が干からびてくる。

イキイキとか、

ワクワクとかの気持ちを

失ってしまう。

もちろん、

真っ白なスケジュールばかりも

困ってしまう。

もちろん、忙しくスケジュールを

こなしているから、

いい仕事ができることもある。

だが、心身が壊れてしまっては

元も子もない。

一度壊してしてしまうと、

修復するまで時間がかかる。

だからこそ、

空白というスケジュール、

休みという時間を大切にしたい。

理想は忙しさと

休みのメリハリだが、

そう都合よくスケジュールは

組めないから、

あえて、空白の休みの時間をつくる。

「あと一日がんばれば休める」

というような気持ちをつくる。

長くいい仕事をするために

大切なことだ。

 

あやまち

 

(今日のコトバ)

 

「過ち」と書く。

「過去」のことは、

どこかに直すところがあるのだ。

 

 

思い返せば、

過去において、

後悔すること、

反省することは

たくさんある。

数限りないともいえる。

中には、

後悔をしたまま

放置したものもあれば、

反省して修正したものもある。

ただ、過去の「過」という字は、

あやまちという意味がある。

過ぎ去ったすべてのことが、

どこかあやまちが

あるのかもしれない。

そう考えると、

振り返ったり、

過去に目を向けたりすることが、

前へ進めない一因だ

という人もいるが、

そうとばかりもいえない。

しっかりと過去をいい意味で

清算して、あるいは、反省して、

現在に、未来に、役立てる。

もっといえば、

現在、未来のために過去はある。

そのぐらいの気持ちで

生きてもいいのかもしれない。

過ちと書いて、

「あやまち」と読むことは、

人生の指針の一つになると思う。

 

 

捉え方次第で人生は変わる

 

(今日のコトバ)

 

悲しみを優しさに育てられるのが、

人間の素晴らしさです。

 

 

生きるということは、

長い年月の時間を過ごすこと。

当然、いいこともあれば、

ワルいこともある。

いいことは人生にとって

素晴らしい記憶になり、

生きることが気持ち

よくなる。

だが、ワルいことは、

悲しいこと、嫌なこと、

苦しいことなど、

あまり体験したくないことを

導き出してしまう。

できれば、ワルいことを

体験したくないと思う。

ただ、ワルいことも

体験すると財産になることもある。

悲しいこと、嫌なこと、苦しいことを

生きていくために利用できる。

一つは、次に同じ体験をしないように

回避する方法を考える。

また、体験しても二度目以降は、

悲しまず、嫌がらず、苦しまず、

生きる強さを

身に着けることもできる。

そして、これらワルいことを

体験しても、否、したからこそ、

人は優しくなれることもある。

痛みがわかるから、

人に優しくなれる。

それが、ワルいことがあって

人間に起る最大のいい変化

かもしれない。

だからこそ、

ワルいことも、ただ痛い気持ちで

いるのではなく、

自分が優しくなれる出来事として

消化してみる。

生きるためには、

前向きに捉えられる人の勝ち。

捉え方次第で、

人生は大きく変わるのだ。

自分一人で生きていけない

 

(今日のコトバ)

 

「自分」という世界一孤高の山を

征服した者はいない。

 

 

「自分に勝て」

「自分に負けた」

そう思ったり、

そういわれたりすることがある。

特に、勝負にかかわる状況では

いわれることがある。

「戦う相手は敵ではない。

自分なのだ」

コメントでもあったりする。

この時の自分ほど

難しい問題はない。

自分に責任を持たせて、

自分で解決させる。

正しいと思う一方、

責任が重たすぎるとも思う。

人はそれほど強くない。

自分だけで解決できないことも

多々ある。

だとすれば、

自分一人では解決できないもの、

自分は誰かや何かの力に支えられて

解決していくものと考えていい。

自分一人では生きていけない。

そんな気持ちを持って

生きていきたいと思う。