最適を続けた結果が最高になる

 

(今日のコトバ)

 

最適を積み上げる者だけが、

最高にたどり着ける。

 

 

最高の結果を出したいと思う。

そのために、最高の努力をする。

ただ、最高の結果を出すのは、

そう簡単ではない。

時の運もある。

では、最高の結果を

目指すにはどうしたらいいのだろう。

もちろん、最高の努力は必須だ。

ただ、努力には、最高の前にやることがある。

それは、最適の努力。

いま、ここで必要な努力は何か?

それは、すべてを全力で挑むのではなく、

緩急をつけた力の入れ方だったりする。

それは、真正面から受け止めるのではなく、

避けたり、逃げたりすることも

必要だったりする。

今日、力を使い果たし

明日に影響が出てしまうなら、

今日を調整してもいい等。

最高だけ考えるのではなく、

常に最適を考えていく。

最適を続けた結果が最高になる。

そう考えた方が

最高の結果に近づける。

年齢を重ねると思うことだ。

完璧な人間はいない

 

(今日のコトバ)

 

タフでなくても

生きているヤツはいる。

優しくなくても

生きる資格があるヤツだらけだ。

この世に完璧な人間なんていない。

 

 

どんなに偉そうなことをいっても、

たいしたことがない人はいる。

まわりをみても、

凄い人間だと思う人は、

ほんの一握り。

ほとんどは普通の人間だ。

天才とか、

怪物とか、

超人とかいわれる人もいる。

ただし、その称号も

限定的な能力でしかない。

人間としてトータルで考えると、

普通の人だったり、

足りないところが

いっぱいある人だったりする。

この世に完璧な人なんていない。

そう思うと、

恐れる人などそれほどいない。

冷静な気持ちで付き合えばいい。

時に、自分の環境で途轍もない人と、

付き合わなければならない時がある。

ただ、どんな人も普通の人間。

着眼点を変えれば、

何ともない人ばかりだ。

人を恐れず生きるために、

ちゃんと人を見つめて生きていこう。

才能を越える唯一無二の方法

 

(今日のコトバ)

 

習慣が本能になった時、

人は本物になる。

 

 

 

才能を凌駕するもの、

それは習慣しかない。

毎日、何年も、同じことを続けていく。

続けることで、技を習得させ、

強い筋力をつける。

いつの間にか、

遠く先にあった才能に、

追いつき追い越している。

そんな状況にある人を

何人もみてきた。

最初は鈍くさいと思った人が、

コツコツと続けていると、

凄い技を身に着けている。

つまり、習慣になったものは、

本能という能力になっていく。

習慣。

長く、時間がかかる繰り返し。

ただ、誰かの才能を越え、

自分の素晴らしいとして能力として

花を咲かせることができる

唯一無二の方法だと思う。

もう一度、青春

 

(今日のコトバ)

 

青春は、

人生の後半にもとってある。

 

 

ギラギラしていた若き日々だけでなく、

人生の青春期は、各年代にある。

人によっては、

一生青春という人もいる。

人それぞれ考え方次第だ。

ただ、人生の後半、

リタイアして自由な時間を

たっぷり持つようになったら、

また、青春のような生き方をしても

いいのではないかと思う。

昔のように体力にものをいわせることは

難しいが、

あれやこれや興味のあるものに

トライしてみる。

結果重視ではなく、

エンジョイすることを重視でやってみる。

青年の青春とは違った、

熟年の青春がそこにある。

人は、楽しむことで

人生に彩りを添える。

だから、どんな年代にも

青春の季節は必要。

特に、人生の後半は、

若き日以上に青春が必要になる。

そう思うのだ。

表の顔だけでなく

 

(今日のコトバ)

 

星だって傷だらけなのに、

あんなにキレイに輝いている。

 

 

 

表舞台はキレイに輝いている。

だからといって、

楽屋裏も輝いているわけではない。

汚なかったり、

散らかっていたり、

薄暗らかったり、、、、。

キレイでもなく、

輝いてもいない。

人は、表の顔しか見ずに、

評価したり、憧れたり、模範にしたりする。

だが、ほんとうはどんな人にも

表ではない顔がある。

人に見せられないもの、

人が見なくていいものがあるのだ。

だから、表の顔だけで

何もかもわかったふりをしないで、

裏表、全体で人を理解しよう。

いい、ワルいではなく、

輝いていたら、それには理由がある。

ほんとうの人を知って、

ほんとうに好きになる。

生きていく上で大切なことだ。

 

 

鈍感力で、タフに

 

(今日のコトバ)

 

鈍感は、勇敢になる。

 

 

 

「鈍感だな」といわれる。

気がづかない人で、

のろまでな人だと思われる。

もう少し世の中のスピードに合わせて

生きてみては、と思われることもある。

ただ、鈍感にもいい効果がある。

気がつかない能力は、

いいことも気がつかないが、

ワルいことも気がつかない。

普通の人が一喜一憂する状況でも、

平然としていられる。

また、のんびりしているから、

まわりの人もゆっとりとした気分になる。

鈍感いい、敏感がいいという問題ではない。

どちらにも良さがある。

ただ、鈍感には鈍感の良さがあることを

意識していると、

人生をもっとタフに生きられる。

人生に鈍感も大切だ。

歩を進めるために、遠慮しない

 

(今日のコトバ)

 

思慮もいい。考慮もいい。配慮もいい。

だが、遠慮だけはするな。

 

 

人生の岐路に立つと、

いろいろな思いがある。

思いがあるだけに、

一歩前へ進めないこともある。

なんとかして歩を進めたい。

そのために必要なことは何だろう。

それは、意志があるなら、

絶対、遠慮してはいけないということ。

遠慮をすることは、

みすみすチャンスを逃すことにつながる。

人生の岐路に立って、

歩を進めなければいけない時に、

「どうぞ、どうぞ」と遠慮していては、

つかめるチャンスもつかめない。

人生の岐路に立って前進したい時は、

遠慮はしないと肝に銘じる。

そして、貪欲にチャンスをつかんでいく。

生きていく上で大切なことだ。

 

人の気持ちのはみ出した情

 

(今日のコトバ)

 

愛情は、

大盛を無料にすることである。

 

 

人の愛情を感じられるところは、

ちょっとしたところ。

ちょっとしたところで、

優しさや気配りがあると、

「この人、愛情があるな」と思う。

最初から愛情とは思わなくても、

情は感じられる。

言葉にすると、

人の気持ちのはみ出た情とでもいおうか。

その情を感じられる人が

まわりにいるとありがたいと思う。

もっというと幸せだとも思う。

それは、相手も同じこと。

ちょっとした優しさや気配りを

相手に届ける。

それだけで、相手も情を感じる。

幸せになれる。

ほんのささいなことだけど、

これが日常いつでもとなると、

どれだけあたたかい気持ちになれるか。

優しさや気配りを、

ちょっとはみ出して届ける。

それだけでいい。

そんな環境で生きられることを

大切にしよう。

服を着て、人間になる

 

(今日のコトバ)

 

人間は、

裸だと傷つくから着飾るのだ。

 

 

服を着て生きる生きものは、

人間だけだ。

裸で生きる人は、

ほとんどいない。

では、なぜ、服を着るのだろう。

それは、傷つくのが嫌だからだと思う。

裸でいれば、

もちろん、体は傷つきやすい。

だが、そんなことを

いっているわけではない。

すべてを見せてしまうのは、

心が傷ついてしまうからだと思うのだ。

人間は、進化の過程で羞恥心を身に着け

傷つく生きものになった。

せめて、その表面の体だけでも

傷つかないように服を着る。

裸の王様という言葉もある。

自分だけが真実が

見えなくなっている人のこと

とでもいおうか。

反対にいえば、

服を着ている王様は、

真実が見えているといえるのか。

すくなくても裸を揶揄している。

服を着る。

着飾る。

そのことで、人間は人間になる。

傷つかない予防になる。

進化していく人間の証明であり、

弱さでもあるのだ。

 

いい仕事をしてくれる人

 

(今日のコトバ)

 

相談するなら、忙しい人に。

 

 

何かを頼む時、

しっかりやってくれる人を選びたい。

時間を割いくれて、

自分と向き合ってくれて、

丁寧な仕事をしてくれる人。

普通にそう思う。

ただ、この条件をのめるとなると、

忙しい人は難しくなる。

時間の余裕のある人、

つまり、暇な人になる可能性がある。

実は、そこが問題。

暇な人には理由がある。

いいかげんである。

むらがある。

物足りない。

信頼がおけない等の何かの理由がある。

反対に、やってもらえるかわからないが、

忙しい人にも理由がある。

それは、

いい仕事をし続けているということ。

いい仕事をするから、

評判になって依頼が殺到する。

必然的に忙しくなる。

誰もが思う。

忙しくてもいいから、

いい仕事をしてもらいたい。

だから、

忙しいとわかっていても、

いい仕事をしてくれる人を選ぶ。

「相談するなら、忙しい人に」

いい仕事をしてもらうための

わかりやすい判断基準だ。