夢中を探す

 

(今日のコトバ)

 

夢中は、最高の免疫になる。

 

 

 

何をしている時が一番楽しいか?

それは、夢中になって、

何かに取り組んでいる時が

一番楽しいのではないか。

邪念がなく、

何も考えずに取り組める。

そんな時間を持てる人は、

人生最高だと思う。

だとすれば、

夢中の時間を増やしていけば、

人生は最高になる。

つまり、夢中に取り組めることを探す。

仕事で夢中になれるなら、

それが一番いい。

だが、趣味でも、スポーツでも、

何でもいい。

「夢中を探す」

それこそが、

人生を最高なものにしてくれる。

自分の人生に夢中な時間を

たくさんつくっていくのだ。

 

 

地球を大切にして生きる

 

(今日のコトバ)

 

人間は、

地球に必要とされて

生まれてきました。

 

 

 

人間は、地球の子供。

どんな人間も、

地球の役に立っている。

多くは仕事を通じて、

地球がより過ごしやすくなるために、

あれこれ貢献している。

他にも、ボランティアもあり、

学校という学びの場が、

地球のために何ができるかを

学んでいる。

そして、生まれた以上は、

ほとんどの場合は、

誰かと誰かの愛から生まれている。

大きくとらえれば、

地球で生きるための

愛から生まれたといってもいい。

地球という言葉を人間と置き換えると、

もっとすんなり感じるかもしれないが、

その人間の先に、

地球という国籍があるはずだ。

すべてが地球のために。

すべてが地球の人間ために。

もちろん、人間は地球環境を壊したり、

地球のことを傷つける行為を

どこかでしている。

偉そうなことは誰もいえない。

だからこそ、

地球の子供だということを

意識して、

地球を大切にして生きる。

そんな生き方をしていきたい。

成果と成長

 

(今日のコトバ)

 

アマチュアの努力は、

成長の言葉。

プロフェッショナルの努力は、

成果の言葉。

 

 

 

「プロフェッショナルとは、、、」

NHKのプロフェッショナルの流儀で、

必ず出演者に聞くこと。

ほんとうにプロと呼ばれている人たちが、

思い思いのプロフェッショナル像を

言葉にする。

答えは、人それぞれ。

答えはないといってもいい。

ただ、アマチュアと比較して

何が違うかというと、

それは成果を求められるということ。

結果で語られてしまうということ。

成果が出せなければ終わる。

もちろん、

それだけではないこともある。

ただ、仕事として

対価をとるようになると、

成果を求められる。

自分が何のプロフェッショナルなのか?

もし、プロフェッショナルを名乗るなら

成果を。

そして、まだアマチュアだと思うなら

成長をを追求していく。

難しく考えることはない。

プロフェッショナルになるために

意識しよう。

 

命よ、ありがとう

 

(今日のコトバ)

 

今日は、

いちばん長く生きた命の誕生日です。

 

 

毎日、生きた時間の長さを更新している。

ただ眠って、

ただ起きただけの日かもしれない。

何もしないで、

終わった日の次の日かもしれない。

それでも、

今日は生きた時間を更新している。

それは、途轍もなく凄いこと。

人生を生き抜いていくことは、

簡単なことではない。

苦しい時は、一分一秒でも長く感じる。

悲しい時も、

時間がなかなか過ぎてくれない。

もちろん、楽しくて、嬉しくて、

時間があっという間に

過ぎていくこともある。

どんな時間の使い方をしても、

その出来事を乗り越えてきた自分の命は

たいしたものだ。

その命の強さに賛辞をおくっていい。

誕生日のように祝ってもいい。

誰かではなく自分で祝う。

命が人生のいちばん遠いところまで

連れてきてくれた。

「命よ、ありがとう」

自分の命に大きく感謝しよう。

 

絆にも、強弱

 

(今日のコトバ)

 

絆も少しゆるめておこう。

あまりきつく縛りすぎると、

お互い息苦しくなってしまう。

 

 

 

「強い絆で結ばれている」

そういいきれる人がいることは、

生きていく上で

大きな支えになる。

できれば、絶対いてほしい人でもある。

ただ、強い絆といっても、

あまりきつく縛ると、

結局、人間関係を壊してしまうことに

なりかねない。

相手から要求ばかりされると、

せっかくいい関係を築いていても、

ちょっと離れたくなる。

「この関係は必要ないのではないか」

と思うようにもなる。

それは相手も同じ。

こちらが要求ばかりしていると、

相手にとっても重荷になる。

そう考えると、

絆にも強弱があっていい。

ここぞという時には、

強く結びあうが、

そうでない時は、

ゆるめた関係でもいい。

いい関係とは、

強い結びつきだけではない。

時にゆるめることができる関係こそ、

ほんとうにいい関係なのだ。

 

どこにも行かない人が、ほんとうのヒーロー

 

(今日のコトバ)

 

名ばかりのヒーローよりも、

となりで一緒に戦ってくれる臆病者の方が

よっぽどヒーローだ。

 

 

ただただ偉そうな上司がいる。

優しそうなふりして、

ここぞという時に、

力になってくれない人がいる。

口だけは達者だが、

その使い道は言い訳ばかりの人もいる。

頼りたい。

助けてほしい。

手伝ってほしい、、。

そう思った時、

相談するのだが、

あまり役に立たない人たち。

ヒーローになってほしいのに、

ヒーローになってくれない人たち。

反対に、

いつも自分のまわりにいて、

それほど目立つ人ではないけれど、

ここ一番では、結構役に立つ。

困った時に側にいて、

いろいろサポートしてくれる。

そんな人もいる。

ヒーローはどこにいるかわかない。

ただ、いちばん身近で、

どこにも行かない人が、

ほんとうのヒーローだったりする。

そのことを忘れてはいけない。

相手にとってのギフトになる

 

(今日のコトバ)

 

贈り物になると喜ばれ、

お荷物になると嫌われる。

 

 

サプライズギフトというぐらい、

突然、予想外、あるいは、欲しかったものを

もらえると嬉しい。

人生の中でも、

とびきり楽しいことの一つだ。

だが、同じギフトでも、

欲しくないものをもらったり、

好きではない人からのもらいものは、

嬉しくもないし、

むしろ、不愉快になることもある。

その時、ギフトは、

お荷物になってしまう。

これは人間関係でもいえる。

相手を喜ばせる関係は、

ギフトになるが、

相手が不愉快になる関係は、

お荷物になる。

そう考えると、

できれば、自分は相手にとっての

ギフトでありたい。

そのために、

相手の気持ちをできる限り

大切にしていく。

そう意識することで、

相手にとってのギフトになる。

そんな気持ちで生きていきたいものだ。

決断は、正常な気持ちの時に

 

(今日のコトバ)

 

悲しい時は間違った決断をする、気をつけろ。

 

 

「自分にとっていい決断したい」

常に、誰もが思っていることだと思う。

最高の決断ではなくても、

最善の決断はしたいと思う。

ただ、自分が悲しみに暮れている時、

もっというと、

自暴自棄になっているような時、

決断をしてしまうと、

正しい選択ができなくなる。

もちろん、正常な状態で決断しても、

いい選択にならない時はある。

それでも、決断という選択を

納得いくカタチにするためには、

自分の気持ちが落ち着いている時がいい。

決断は、正常な気持ちの時に。

肝に銘じたいものだ。

未来をどんな名前に書き替えるか

 

(今日のコトバ)

 

過去に

傷つけられることがあっても、

未来に

傷つけられることはない。

 

 

 

やってしまったことは

どうしようもない。

いいことも、

ワルいことも、

自分の実績になる。

大きくいえば

歴史になる。

ただ、今より先こと、

つまり未来のことは、

まだ、まっさらだ。

なんの傷もついていない。

どうにでもつくり上げられる。

「未来は未来」と考えて、

前向きに考えていく。

それぐらい大事なもの。

そして、未来は通過する時に

名前を変える。

例えば、「幸福」

例えば、「幸運」

例えば、「奇跡」等。

もちろん、その反対もある。

今を生きているなら、

この先の未来を

どんな名前に書き替えていくか。

そこに集中していい。

これから自分でつくり上げられるものを

大切にしよう。

人間は、夢を見続ける生きもの

 

(今日のコトバ)

 

夢は、一生引退しない。

 

 

「年をとると、

若い時より欲はなくなる」

ほんとうにそうだと思う。

食欲ひとつをとっても、

昔のように食欲はわかない。

それ以外のいろいろな欲の量も、

少しずつ減っている気がする。

ただ、だからといって、

夢が無くなっているかというと、

そうでもない。

子供の頃のような壮大な夢ではないが、

それでも夢はちゃんと持っている。

年相応の夢を持っている。

「楽しんで暮らすために」

「健康に生きるために」

「完結させたいものために」

「家族のために」等。

夢としては現実的かもしれないが、

「こうなったら幸せだ」と

思う未来はある。

だから、人間なのかもしれない。

人間という生きものは、

他の生きものと違って、

笑ったり、

泣いたりできることがあるという。

それと同じように、

夢を見続ける生きものも、

もしかすると人間だけかもしれない。

そう思うと、人生、

いつまでも夢を追っていい気がするのだ。