今日を使いきれ

 

(今日のコトバ)

 

昨日と明日には時間がないが、

今日には時間があふれている。

 

 

 

時間を使えるのは今日しかない。

もっといえば、今しかないのだ。

昨日という過去も、

明日という未来も、

どうすることもできない。

昨日は経験として、

明日は計画として、

時間の使い方を考えられるだけだ。

そこにいくら全力を投入しても、

結果は得られない。

過去を思い返して涙しても、

未来に思い描いて不安になっても、

時間を使えるわけではないのだ。

そう思うと、

今日という今の時間が

どれだけ大切かわかる。

今日という時間を有効に使って、

自分の目標に近づいていく。

結局、今日を使いきれないと、

目標には達成できない。

だからこそ、

今日という今を上手に使う。

それこそが人生を有意義にする

いちばん大切なことだと思う。

困難で成長する

 

(今日のコトバ)

 

 

困難は、

成長を速めてくれる。

 

 

 

人生の節目節目で、

困難と向かい合ってきた。

途轍もなく厳しい状況で、

どうにもならないと思うこともあった。

苦しくて、

あきらめたくなってしまうこともあった。

ただ、こうして生きている以上、

すべて乗り越えてきたといえる。

違った言い方をすれば、

逃げてきたこともあるし、

さけてきたこともある。

ぶち壊したこともあれば、

時間が解決したこともあるだろう。

ただ、一言いえるのは、

困難に立ち向かうだび、

人として成長したということ。

経験をして賢くなった、

強くなったともいえる。

困難。

言葉にすると、

とっつきにくい感じがするが、

生きるために

大切なことを教えてくれる言葉。

困難の後の自分をイメージしてみれば、

どれだけ成長したかわかるはず。

困難に立ち向かうことは、

人生にとってとても

役立っているのだ。

愛する人が楽園

 

(今日のコトバ)

 

世界一の楽園は、

愛した人のぬくもりの中にある。

 

 

 

息苦しい世の中に生きていると、

楽園に行きたいと思うことがある。

どこか遠くの快適な島。

そんなところで、

のんびりと過ごしたい。

コロナ禍だから、

さらに思うのかもしれない。

だが、

遠くの島へ行くのさえ夢のまた夢。

簡単ではない。

では、楽園はどこにあるのだろう?

それは、愛する人かもしれない。

愛する人が隣りにいれば、

それこそ世界一の楽園になるのではないか。

心から癒される場所は、

やっぱり人であることが多い。

その筆頭が愛する人だと思う。

年末になると、

せわしないのと同時に孤独を感じる。

その孤独を解消し、

あたたかい気持ちになるのは、

人といること。

できれば、愛する人がいい。

そう思うのだ。

希望を叶えていこうとすれば、人は幸せになれる

 

(今日のコトバ)

 

幸せとは、

小さな希望が暮らしに

なじんでいくこと。

 

 

日々、生きていくには、

何か希望があるはずだ。

朝起きて、

「こんなことがあったら嬉しい」

という気持ちがどこかにある。

それは、何かを食べたいとか、

何かがしたいとかでもいい。

小さな小さな希望があって、

それを叶えていく中で、

人は幸せになっていく。

何も絶対に叶えられなくてもいい。

希望を叶えていこうとすれば、

人は幸せになれる。

小さなことでいい。

意識しなくらいのことでいい。

あたりまえだと思っていることが

幸せを構築している。

そのことを把握していくと、

自分がいかに幸せに

包まれているかわかる。

自分がどれだけ幸せか

見回してみよう。

あたりまえは幸せに属する

 

(今日のコトバ)

 

あたりまえという普段着は、

幸せというタグがついている。

 

 

年をとればとるほど思うことがある。

「あたりえ」は、

すべて幸せに属すると。

「あたりまえ」

若い頃は、

「あたりまえ」がつまらなかったり、

「あたりまえ」がかっこワルかったり、

「あたりまえ」を良しとしない自分がいた。

だが、年齢が「あたりまえ」ほど

大切なものはないと教えてくれた。

日々生きるために、

「あたりまえ」がなければ、

とてもしんどいものになる。

考えてみても、

「あたりまえ」に

ものごとが過ぎなかった日は、

何倍も疲れた憶えはあるだろう。

それが毎日毎日続いたら、

やっぱりしんどくなる。

若ければ若さで乗り切ることもできるが、

年をとるとそうもいかない。

そう考えると、

あたりまえは大切。

もっというと貴重になる。

人生は幸せになった者の勝ち。

あたりまえが多ければ多いほど

幸せということになる。

だからこそ、

あたりまえは大切なのだ。

現場に遅刻せず行く

 

(今日のコトバ)

 

運を手に入れたいなら、

集合時間に間に合うこと。

 

 

 

「その時、その場所にいること」

それが、運やチャンスを手に入れる

大前提になると思っている。

「その場所にいる」

つまり、現場にいる。

何かが起こる時に、そこにいる。

もっといえば、

約束の時間に現場にいる。

遅刻をしないことが大切。

それさえしっかり守っていれば、

運やチャンスはかなりの確率で

自分のものになる。

日頃、運がないとか、

チャンスがないという人は、

とにかく現場に遅刻せず行くことを

守ってみる。

それだけで、

運やチャンスに出会う回数が

増えてくる。

自分の夢に近づくための道が

広がっていくはずだ。

 

自分史から学ぶ

 

(今日のコトバ)

 

 

歴史は年を覚えるために

あるのではない。

教訓を知恵に変えるためにあるのだ。

 

 

 

歴史に学ぶという。

何も、世界史、日本史だけの話ではない。

自分史であっても学ぶことは多いと思う。

生きてきた時間の中で、

経験したことに学ぶ。

つまり、教訓になっている。

ワルいことはワルい。

いいことはいい。

間違ったこと、正しいことを見極める。

悲しまないように、

傷つかないように判断する。

やりすぎとやらなさすぎのバランスをとる等。

様々な教訓を学んできた。

その学んだことを

人生で活かすと知恵になる。

できるだけ、

いい意味で知恵にしていく。

そのために、

学んだら行動に移すことを心がける。

その循環が人生を広げていく。

歴史から学ぶ。

自分史から学ぶ。

人生において重要なことだ。

「大丈夫!」は進行形の言葉

 

(今日のコトバ)

 

「大丈夫」とは、

「大丈夫」といいながら、

ほんとうに「大丈夫」になっていくための

進行形のコトバです。

 

 

 

人は「大丈夫!」という。

「大丈夫ですか?」と聞かれて、

「大丈夫!」と答えるのだ。

ただ、この段階で大丈夫な人は、

ほとんどいない。

相手に気をつかわせないために、

そして、自分に暗示をかけるために、

「大丈夫!」といっている。

大丈夫。

言葉にすると、大・丈・夫と、

なにやら強そうな言葉が並ぶ。

だが、その言葉は、

いつも不安でいっぱいな言葉でもある。

もっというと、確定しない言葉、

まだまだ動きのある言葉、

よくいえば、進行形の言葉なのだ。

そう思って、

「大丈夫!」といっている人と付き合うと、

その気持ちがよくわかる。

凄く辛いけどガマンしている大丈夫なのか、

まだまだやれるという大丈夫なのか、

自分を奮い立たせる大丈夫なのか。

そんな本人の気持ちを理解して、

付き合っていけば

相手の気持ちがよくわかるはずだ。

一人一人が、居場所

 

(今日のコトバ)

 

あなたという居場所があるから、

みんなが集まってくるのだ。

 

 

 

いつも思う。

「自分」は居場所だと。

誰かが「自分」を当てにしてやってくる。

「自分」がいるから依頼する。

「自分」がいるから安心する。

「自分」がいるから寄り添える。

そんなことを思ってくれる人が

何人かいて、

そのために「自分」が存在する。

もっというと、

「あなた」も自分からしたら居場所。

「あなた」という人に依頼して、

「あなた」という人がいるから安心して、

「あなた」という場所に寄り添う。

つまり、一人一人の個人は、

居場所。

そう思うと、

自分のまわりには

たくさんの居場所がある。

居場所があれば、人は生きていける。

自分の価値にも気づける。

誰かを支えることもできる。

自分が誰かの居場所になり、

誰かが自分の居場所になってくれる。

人生とはそういうものだ。

小さな希望をより所にする

 

(今日のコトバ)

 

悲劇的状況でも、

希望的観測は忘れない。

 

 

いつも状況がいいとは限らない。

どうしようもなく不利な場合もあれば、

コンディションがワルい場合もある。

前向きになれなくて、

下を向いてしまうこともある。

ただ、その時思うことがある。

状況は決して味方をしていないが、

何か希望もある。

例えば、奇跡。

例えば、相手のアクシデント。

例えば、突然の状況の変化。

例えば、幸運。。。

自分にとって希望がゼロではない。

そこに前進する芽があったりする。

ほんの少しかもしれない。

自信になるほどでないのはわかっている。

ただ、小さな希望をより所にして、

形勢逆転をした人生経験もある。

だからこそ、

どんな時も

希望的観測を忘れてはいけない。

そう思うのだ。