人生の敗北を帳消しにする

 

(今日のコトバ)

 

人生には、

すべての敗北を帳消しにできる

一勝がある。

 

 

生きていれば、

勝ち続けることは不可能だ。

人生の一時期、

連戦連勝のような時もある。

すべてが上手くいく時もある。

だが、絶対に負けないことは

ありえない。

勝ち負けは、

人生についてまわる。

そして、長く生きていると、

人生に特別な一勝が

あることを知る。

ここで勝てば、

いままでの敗北などまったく

関係なくなってしまう

一勝があることを。

人によっては受験だったり、

就職試験だったり、

昇進試験だったり、

ライセンスだったり、、。

もちろん、

大切な試合で勝利することも

かけがえのない一勝だ。

人生が続く以上、

その一勝で終わりではないが、

そこで勝ったからこそ、

いまの自分がある

といっていい勝利。

そんな一勝が誰にでもあるはずだ。

だとすれば、

その一勝のために人生を

切磋琢磨するのもいい。

人生の敗北を帳消しにできる

一勝のために自分を磨く。

一つの生き方だと思う。

忙しさをつくる

 

(今日のコトバ)

 

暇になってわかる、

「忙しさ」が至福の時間で

あったことを。

 

 

どんな時間が至福の時間か。

迷う時がある。

勝負に勝った時、

成功した時、

感動した時、

いろいろな時間が思い浮かぶ。

ただ、いちばん身近な

至福の時間は、

「忙しい時」だと思う。

忙しいということは、

その仕事・出来事の中心として

行動している。

時間を顧みないほど

働いていることもある。

そんな時間は充実している。

もちろん、

忙しさのまっただ中にいる時は、

しんどいこともある。

ただ、過ぎてしまえば、

そのしんどいことも含めて

素晴らしい時を

過ごしたと思える。

だとしたら、

「忙しい時間」を

たくさんつくれば、

人生丸ごと至福になるといえる。

もし、いま、

至福の時間がないと

思っているなら、

忙しさをつくろう。

その時間が過去になる時、

至福の時間に変わる。

人生にとって素晴らしい歴史を

刻むことにもなるはずだ。

人生という道の上に希望は敷かれている

 

(今日のコトバ)

 

あなたが希望を失っても、

希望があなたを失わない。

 

 

どんにことがあっても、

希望は失われない。

そう思う。

たとえ、

絶望に打ちひしがれても、

希望まで失われることはない。

絶望の淵にいるのに、

何か手はないかと

思うのも希望。

未来のことを

少しでも考えることだって希望。

人のやさしさに触れても希望を持つ。

もっといえば、

お腹がすくことだって、

体が希望を持っている。

つまり、人生という道の上に

希望が敷かれている

といっていい。

だからこそ、

どんな時も希望があることを

忘れてはいけない。

常に心のどこかで

「希望はどこにある?」

そう信じて生きていこう。

未来が間近にある

 

(今日のコトバ)

 

青春とは、

手の届くところに

未来があるということ。

 

 

3月、卒業シーズン。

新しい世界へ飛び込むために

希望と不安が入り混じる時期。

ただ、こうも考えられる。

4月以降、

新しい環境へ向かうのが

わかっているなら、

それは未来が

約束されているということ。

未来が間近にあるということ。

そんな季節は、

青春の時期しかない。

そして、青春の時期は、

何度も未来を間近にできる。

その間近にできる状況を

幸運といわずして何という。

人は未来がたくさんあると

思える時ほど

幸せなことはない。

未来が間近にある青春は、

幸せがたくさんある。

そう信じて生きていこう。

 

希望の伝言

 

(今日のコトバ)

 

「また会おう」と

いってくれる人は、

あなたに希望を持っている。

 

 

別れ際に、

「また会おう」と

何気なく使ってしまう

言葉だが、そこには

大きな意味が込められている。

それは、言葉を送った人に

希望を持っているということ。

「また、、、」ということは、

次の約束を緩く決めている。

嫌いな人なら、

「また、、」という言葉は使わない。

さらに、「会おう」ということは、

約束していること。

未来に再びつながろう

という意志表示。

少し大袈裟かもしれないが、

「また会おう」は、

「好きな人だから、

約束を決めて、

未来に、また、つながりたい」と

メッセージを送っているのだ。

そう考えると、

たかが「また会おう」も、

大きな意味を持つ。

一言でいうと希望の伝言

ともいえる。

だからこそ、

「また会おう」という言葉を

大切にしよう。

未来に必要な大切なものを

背負って、

送られてきた言葉なのだ。

ちょうどいいを探している

 

(今日のコトバ)

 

「最高」ばかり

追いかけてきたと思ったのに、

いつの間にか

「ちょうどいい」を探してた。

それが大人になったこと

かもしれない。

 

 

常に勝つ。

常に成功する。

目指すは一番、、。

結果はどうあれ、

そんな気持ちで

生きていた若い日もある。

だが、勝負すればするほど、

勝つことは難しいし、

成功と自信を持っていえる

成果など、

人生すべてを見渡しても、

ほんの一握り。

生きれば生きるほど、

自分の能力の限界を

突きつけられる。

だが、それが世の中だとも思う。

たいがいの人が世の中に出ると、

負けだったり、

失敗だったりを受け入れながら

生きなければならない。

そして、

あまり勝率の良くないのが

人生だと理解した時、

ちょうどいい塩梅は

何かを探し始めている。

ちょうどいい塩梅とは、

傷つかない負け方とか、

痛みのない失敗の仕方とかを

自己流で編み出し、

平気な顔をして生きること。

そして、勝とうが、負けようが、

成功しようが、失敗しようが、

自分の身の丈にあった、

ちょうどいい状況に落ち着くこと。

若さだけでは突破できなくなった

人生で、世の中という世界と

自分という力のバランスを計って、

ちょうどいいを見つけ、

そこにポジション取りをする。

そんな気持ちで

生きているのかもしれない。

継続できるものは強み

 

(今日のコトバ)

 

継続の道の上に、

夢も、希望も、

幸せも落ちている。

 

 

何事も習慣化すれば、

自分のものになる。

習慣化するということは、

継続すること。

つまり、人生において

継続できることは、

自分の武器になる。

そして、

継続するものの先に

何があるか。

夢、希望、幸せ、、。

人生の欲しいもの

全部あるといっていい。

もちろん、

夢破れたり、

希望が叶わなかったり、

幸せではないことも、

継続の上にあるかもしれない。

ただ、継続しているということは、

それら求めていない状況の

先へも行ける。

結果的に、夢、希望、幸せに

たどり着くのだ。

だからこそ、

人生において

継続できるものを一つ持つ。

その継続できるものが

人生を切り開いてくれる。

人生を素晴らしいものに

してくれるはずだ。

立ち上がるための力

 

(今日のコトバ)

 

立ち上がるには、

体力、気力、想像力がいる。

 

 

「倒れたことに興味はない。

立ち上がることに興味があるのだ」と、

ある偉人がいったとされる。

倒れることにも理由があって、

そこまでも人の歴史になるのだが、

人生を考えた時、

倒れた後の立ち上がる歴史の方が

圧倒的に興味がある。

では、立ち上がる物語には

何が必要だろうか。

いろいろなことがあると思うが、

おおまかに大切なことは、

体力と気力。

その二つの力があれば、

何とか立ち上がれる。

再び歩き出すこともできる。

だが、その二つの力だけだと、

何かが足りない。

それは、想像力。

どんな手を使って立ち上がるか。

どこを目指して立ち上がるか。

どうやって一歩を踏み出すか。

それは千差万別。

一人一人違う。

そこには、

一人一人の想像力が必要なのだ。

だから、

立ち上がるために必要な力は、

体力、気力、想像力。

この三つの力があって、

立ち上がることができる。

そのことを忘れてはいけない。

人生の幸せは選択できること

 

(今日のコトバ)

 

人生というありがたい時間を

もらったのが、人間です。

 

 

人間には、人生がある。

人間が生きれば、

その時間はすべて人生になる。

誰もが人生という時間の中を

生きている。

その時間の使い方は

人それぞれ。

自分がどう生きるかで

変わってくる。

もちろん、管理されていて

自由の利かない人もいるだろう。

ただ、ほとんどの人は

生きる時間を

自分でつくっていける。

そして、生きる時間の選択肢は

無限にある。

他の生きものと比べて、

圧倒的に選択肢が多い。

もうそれだけで幸せといえる。

幸せとは何かと考えると、

根本に選択できることがある。

何もが一択しかなく、

それが自分の不得手なもの、

あるいは、

やりたくないものだったら、

根本から不幸になる。

だから、

人生という

選択した時間を持てる

幸せを、まず、堪能しよう。

四の五のいうのは、

そのずっと後でいい。

選択できる幸せがある。

人間の人生の礎である。

 

感情をコントロールする

 

(今日のコトバ)

 

喜の人。

怒の人。

哀の人。

楽の人。

その感情の大きさで

人は記憶される。

 

 

あの人はどんな人だろう。

他人を評価する時、

「陽気な人だよ」とか、

「怖い人だよ」とか、

「暗い人だよ」とか、

評価されて伝えられる。

最初は容姿で

伝えられることもあるが、

どんな人かを聞きたい場合、

どんな感情を

持っている人かで説明される。

そして、

感情の種類で説明されると、

なんとなくどんな人かの

イメージがつく。

漠然と人物像が浮かび上がる。

その人の評価になることもある。

それは、きっと、

人がどんな感情を

持っているかで、

人物像を

決められているからだと思う。

だとしたら、

自分という人物像は

どう伝えられるか想像がつく。

どんな感情の人かで

伝えられている。

根本的な人間性を

変えることができなくても、

ある程度、

感情ならコントロールできる。

もし、いまの自分の評価が

気に入らなければ、

感情を意識して

コントロールしてみる。

自分の評価は変わっていく。

もちろん、いまの自分の評価で

納得している。

嬉しい評価だと思う人は、

それでいい。

ただ、

自分の評価が

納得できない人は、

感情を意識して

コントロールしてみる。

自分の生きる環境も、

自分の生きる景色も、

少しずつ変わっていくはずだ。