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(今日のコトバ)
緊張は、
情熱が体を駆けめぐる状態だ。
人生の節目節目で、
緊張する場面と出会う。
社会人になると、
日々、緊張を余儀なくされる場合もある。
できれば、緊張しない平常心で
生きていきたいと思うこともある。
ただ、緊張するということは、
自分にスポットライトがあたって
いるということでもある。
つまりは、
勝負のかかる状況で、
気持ちが高揚しているということ。
もっといば、
情熱が駆けめぐっている
ということでもある。
そう思うと、
緊張する場面は、
人生にとって
素晴らしい記憶を
つくり出している。
だからこそ、
緊張を前向きに捉える。
その気持ちが大切だ。
(今日のコトバ)
ハングリーは、
不平等生まれ、
不公平育ち。
誰よも欲望が強くなる。
誰よりも人生に枯渇する。
誰よりも夢に飢える等、
飛び抜けてハングリーな人がいる。
その人たちの共通の育った
キーワードは、不平等。
一番多いのは、貧困な環境に生まれ
不平等を経験している。
また、リッチな環境に生まれても没落して、
やっぱり貧困を経験している。
あるいは、
特別に人から迫害された記憶がある等、
苦しい状況があった人。
その人たちのハングリー精神は、
途轍なく、強く、深いものになる。
本当は、
どんな人も、同じ環境、
同じスタートを切れる状況を
つくれればいいのだが、
世の中という仕組みは、
そうは問屋が卸さない。
生まれた時から千差万別。
不平等という状況から、
はじめなければならない人がいる。
だが、その不平等から、多くの
ハングリー精神が育まれる。
ハングリー精神が
人生を大逆転する
エネルギーを蓄える。
ハングリー精神は、
人生という勝負の大きな武器になって、
人生のレースを勝ち抜く力になるのだ。
(今日のコトバ)
卑怯者は、当事者にならない。
「当事者意識がないんだ、アイツ」
などということがある。
プロジェクトにいても、
意識が低く、
中心になって仕事をしない。
やる気を見せない。
他人事で作業をする、、、、。
そういう人と仕事をすると、
モチベーションは下がるし、
いい結果は出せなくなる。
反対に、どのポジションにいても、
当事者意識を持って
動いてくれる人がいると、
現場はいいムードで仕事ができる。
そう考えると、
当事者意識を持っている人がいる
現場は、いい仕事の必須条件。
そこで、当事者意識のある人間の筆頭に
自分がなれば、
自分から現場をいいムードにできる。
仕事の現場では、
当事者意識というムードメーカーが
大切なのだ。
(今日のコトバ)
頼る人がいるのは幸せだ。
そして、頼ってくれる人がいるのは、
もっと幸せだ。
人がいちばん幸せを
感じる瞬間とは、
いつだろう。
人によって、状況によって、
いろいろな場面を
思い浮かべることがあるだろう。
その中で、頼る人がいることは、
幸せランキングの
上位をしめるはずだ。
安心して生きられる。
ただ、その上にランキングされて、
場合によっては
最高の幸せを感じる瞬間がある。
それは、人から頼られること。
「キミにお願いしたいことがある」
そういわれて、
自分ができることをお願いされたら、
こんなに嬉しいことはない。
こんなに幸せを感じることはない。
そう思うと、
人から頼られる人生もワルくない。
そこに幸せがあると思うと、
生きることにハリがでる。
「頼られる」
その人生は、最高の幸せを感じて
生きていくことなのだ。
(今日のコトバ)
人は、自分の力不足を
他人の力不足のせいにする。
誰かを怒っている人を
横で見ていると、
怒っている人がおかしいと
思うことがある。
たまにではなく、頻繁に。
なぜかというと、
怒っている人は、
感情に任せてわめいていたり、
勘違いしていたり、
パフォーマンスだったり、
肩書きにのってエキサイトしたり、、、、。
つまり、自分に問題がある場合が
多々あるのだ。
もちろん、怒られている人に
問題がある場合もある。
ただ、だからといって、
人前で怒り出す必要はない。
怒れば自分の力不足を
露呈することになる。
自分の力不足を
他人の力不足のせいに
しているようにも見える。
そう思うと、
自分が人に怒る時、
自分の力不足で怒ってないか、
一度、確認してから怒る。
そして、怒るべきだと思っても、
怒り方を考える。
それができるだけで、
もっと違った自分に
成長できるはずだ。
(今日のコトバ)
いつだって僕らは、
自由を許さない者に立ち向かって、
自由になろうと戦っている。
その道の先には、
必ず先達者がいる。
ルールを決めた人たちがいる。
歴史上、不変的で
まったく変わらないルールなどなく、
誰かが自分の都合のいいように
ルールを決めてきた。
決めた人たちは、
自分に都合がいいから、
限りなく自由を満喫できる。
だが、ルールを決められた後に、
その道に入った人は、
ルールを享受するか、
ルールに反発して違う世界へ行くか、
ルールと戦って
自分たちにフィットするルールをつくるか
しなければならない。
そこに一つの戦いがある。
おおげさにいえば、自由への闘争。
どんな小さな世界でも、
どんな狭い世界でも、
この戦いはある。
そして、この戦いに勝つためには、
相手に勝つのではなく、
自分たちのアクションが
正当であることを証明する必要がある。
そのことを忘れてはいけない。
(今日のコトバ)
人は、うしろに転べない。
転ぶ。
躓いて転ぶ。
滑って転ぶ。
転ぶことは、
たくさんある。
ただ、そのどれもが前へ転ぶ。
決して、後ろには転ぶことはない。
つまり、
転ぶことは前進することでもある。
人生でも同じに考えていい。
転ぶことは、
前へ進んでいるからこそ転ぶ。
転びながらも進歩している。
前へ進まなければ、
転ぶこともない。
そう考えると、
転ぶということも、
人にとって大切なこと。
前進、進歩の現れでもある。
だからこそ、
転んだ自分にみじめになる
必要はない。
転んで立ち上がって
歩き始めれば、
自分は進歩する。
転ぶことは、
自分が前進する一歩なのだ。
(今日のコトバ)
不可能という言葉に負けて
一歩も足が動かなくなる。
不可能なんて、
ただの言葉だ。
「不可能だよ」と
いってしまう。
いった瞬間から、
手や足が動かなくなる。
呪文のように、
もうダメだという気分になる。
だが、不可能なんて、
ただの言葉だ。
もし、不可能という言葉が、
その後の気持ちを
遮断してしまうなら、
不可能という言葉を
封印してしまえばいい。
自分の可能性を否定すれば、
自分の成長はない。
もっといえば未来がないともいえる。
だからこそ、まず、
不可能という言葉から
自分を遠ざける。
それだけでいい。
自分の可能性を広げるために
必要なことだ。
(今日のコトバ)
「つもり」は、つもらない。
「何々をしたつもり」
という状況がある。
やったであろう、
できたであろうという時だ。
ただ、「つもり」と思っている時、
人は、やれてない、
できてないことが多い。
この「つもり」という感覚。
これが怖い。
「つもり」は、
自分の気持ちとしては、
ちゃんとできている。
でも、実態は
できていないことが多い。
この「つもり」だけで、
様々な作業を続けていくと、
まるっきり
できていない状況が生まれる。
ある日、突然、
できていない状況を目の前にすると、
冷や汗ものになる。
だからこそ、
「つもり」という気持ちには
細心の注意を払っていい。
「つもり」と思っている状況は、
本当に大丈夫か。
あやしい部分があるなら、
その部分を解消する。
その気持ちを持っていれば、
できてない状況を
生み出すこと防げる。
「つもり」という気持ちには、
気をつけよう。
(今日のコトバ)
人生は、
ストライクを決めるより、
まず、キャッチボールを
してくれる相手を捜すのが先決だ。
生きていると
コミュニケーションほど、
難しいものはないと思う。
人見知りだとか、
人付き合いがいいとか、
気安い人とか、
気難しい人とか、、、、。
それだけでなく、
まだまだ、
いろいろな分類方法もある。
ただ、それも傾向と対策までは
立てられるが、
一言で言いあらわせる人物像で
あるとも限らない。
人見知りだが温かい人もいれば、
気安いが冷たい人もいる。
もっというと、
人間の数だけコミュニケーションの
パターンがある。
そう思うと、
人の好き嫌いも大切だが、
人がどういう人で、
この先付き合っていけるか
という課題もある。
言葉にすると、
コミュニケーション。
そこを大切にして生きると、
もう少しスムーズな生き方が
できるはずだ。
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