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(今日のコトバ)
信じろ。
信じて向き合えば力になる。
信じない者では
到底持つことのできない力を持つ。
信じて、挑む。
半信半疑で、挑む。
疑って、挑む。
同じ挑む気持ちになっても、
まったく違う挑み方になる。
生きていれば、
どの挑み方の経験もあっただろう。
ただ、
どの挑むが良い結果を
導いたかというと、
圧倒的に、「信じて、挑む」
だったはずだ。
半信半疑や疑っていたら、
気持ちにすき間ができて、
集中できなくなって、
期待した結果には
至らなかったはずだ。
だから、
何かに挑む時は、
信じて行動することが大切。
一点に集中して、信じて、
行動する。
そこができれば、
結果はいい方向へ動いてくる。
ベストな状況での挑み方は、
信じて行動していくこと。
そのことを忘れてはいけない。
(今日のコトバ)
人と出会うたびに
自分の可能性が広がる。
人と別れるたびに
自分の不器用さを知る。
生きているだけで
出会いはある。
意図して出会う人と、
そうではない人がいるが
出会いはある。
ただ、この出会いは、
自分の可能性を
大きく広げている。
仕事などで文字通り
大きく広げている場合もあるが、
なにげない出会いでも、
その後の人生の大きな財産に
なることもある。
もちろん、負の遺産になることも
あるのだが。
反対に、出会った人と
別れなければならない時がある。
どうしても別れたいなら
仕方ないが、
別れたくない人と
別れることもある。
その時は、自分の不器用さ、
能力の低さを思い知る。
だが、出会いと別れは、
人生において、
ただの出来事ではない。
出会いは、
それこそ奇跡の領域だし、
別れは、避けきれない
悲しみだったりする。
そのことを考えると、
出会いと別れは人生にとって
尊いものだと思う。
だからこそ、
その一つ一つを大切にしよう。
(今日のコトバ)
一歩踏み出さなければ、
どこまで行けるかわからない。
そして、一歩踏み出せば、
どこまでも行ける気がする。
やるか、やらないか、
なかなか一歩踏み出せない。
あれこれ考えて、
頭が判断を遅らせる。
決断に迷ってしまう。
そんなことが
誰にもあると思う。
ただ、結論からいうと、
一歩踏み出さなければ、
何かもはじまらない。
一歩踏み出すことで、
やることが明解になってくる。
道筋が見えてくる。
下手をすれば、
考え過ぎて、
やらないという結論に
なってしまうこともある。
反対に、
一歩踏み出せば、
何とかなると思うこともある。
勢いや意欲も出てくる。
人生は一度切り。
やりたいことを
やった数が人生を
充実させてくる。
だからこそ、
一歩踏み出す人生を
意識していくべきだ。
(今日のコトバ)
言葉だって、
表で優しくても、
裏で刺してくることがある。
人の言葉の意味が
一つでない時がある。
表の言葉として理解しても、
本音としての裏の言葉があって、
まったく意味が違って
理解することもある。
「そんなつもりでいったんじゃない」
間違えてしまうこともあるし、
「そんな意味だったの?」と
後々、理解することもある。
だからこそ、
言葉とは丁寧に付き合いたい。
その言葉の意味は正しいか?
その言葉を真に受けていいか?
できる限り理解するようにする。
人の言葉の使い方も、
正しいとは限らないから、
できる限りでいい。
言葉の真意を理解して、
コミュニケーションをとる。
それが人と人との関係を
円滑するマナーだ。
(今日のコトバ)
過去の安売りより、
未来の前売り。
昔話、自慢話を
ダラダラ話す人は
好きになれない。
どうしても切れない
関係でなければ、
時間と共に距離をとる。
反対に、夢や企画を
プレゼンする人は、
なんとなく側にいて、
一緒に何かしたくなる。
過去の話しより、
未来の話し。
終わってしまったことより、
これからはじまること。
そう思って生きていくと、
明日がくることが楽しくなる。
一度きりの人生たなら、
毎日、ワクワクして生きていたい。
そのために、
未来の話しをたくさんできる
人生にしよう。
(今日のコトバ)
いのちは、
いつも生きる道を
探している。
充実した時間を
過ごせば過ごすほど、
命の鼓動を感じる。
「生きているから、
素晴らしい時間を
過ごせる」と思う。
その素晴らしい時間を
導いてくれるのは、命。
命は、
常に最良の選択を
考えて動いている。
命の持つ意志は、
自分という人間を
幸せになるために
ナビをしてくれるとも
いえるのだ。
だからこそ、
歌にもあるように、
命の命ずるままに
生きていく。
どんな時代、
どんな環境であっても、
命は自分の味方でいてくれる。
命を大切に、
命ずるままに
生きていこう。
(今日のコトバ)
贅沢ばかりしていると、
何が幸せかわからなくなって、
幸せを放り出してしまう。
順調に人生が進んでいる。
贅沢しても生きるペースを
変えなくてすむ。
生活にも満足しいる。
いい人生だと思う。
ただ、何か違うと思う。
それは何か?
贅沢過ぎる生活をすると、
贅沢が特別なものでなくなって
しまう。
ちょっとした贅沢なら、
簡単に手放してしまう。
贅沢を安易に扱ってしまう。
それは仕方のないことかもしれないが、
贅沢を手放してしまうということは、
ある意味、
幸せを手放してしまうことでもある。
贅沢という貴重で愛しいものを、
大切にできなくなるのだから、
幸せを手放してしまった
といっても過言ではない。
贅沢は幸せと思ったら、
簡単には手放せないはずだ。
だからこそ、
贅沢を自分の手から放さない。
大切な幸せであることを
忘れない。
そんな気持ちをもって
生きることで、
人生はより幸せに包まれる。
贅沢を大切にして
生きていくのだ。
(今日のコトバ)
なりたい人になれなくても、
「私」になれたら、
そんなに素晴らしい人生は
ないじゃないか。
生きていくために
何かの目標を持つ。
例えば、誰かのように
なりたいと、
ある人を目標にする。
たいがいは憧れからはじまる。
歴史上の人物だったり、
アーティストだったり、
タレントだったり、
親だったり、
目標になる人を見つける。
そして、マネをして生きてみる。
だが、どうしても同じにならない。
違った自分が出てきてしまう。
目標とした人とは違う
生き方をしてしまう。
そんな生き方をする人も
いるだろう。
だが、それはワルいことではなく、
違った生き方をするところに
自分のオリジナル部分が
生まれているのだ。
だから、
もし、自分の人生が
目標とした人と違っても、
「そこに自分のオリジナルがある」
と考えて、
自信をもって前進すればいい。
自分が自分でありながら
生きられるほど素晴らしいことはない。
目標とした人を超えた
自分という人生があるのだ。
(今日のコトバ)
自由にやらせてくれて
見捨てない人が、
いちばん尊敬する人でした。
どんな人を尊敬するか?
「厳しく鍛えてくれる人」
「叱咤激励してくれる人」
「優しく支えてくれる人」
「先頭に立ってくれる人」
「夢を一緒に追いかけてくれる人」等。
人により様々だ。
ただ、自分の尊敬する人で考えると
一択になる。
「自由にさせてくれて
責任をとってくれる人」
少々わがままでも
自由にさせてくれて、
見捨てずに責任をとってくれる。
そこまでしてくれる人は、
ほんとうに頭が下がる。
人生で一握りしかいないが、
何人かの顔が思い浮かぶ。
そして、そんな人に巡り合えた
自分の人生も
素晴らしいものだと思う。
このケースは自分においてだが、
誰でも尊敬できる人を
持てることは、
人生を信じる理由になる。
「いま、尊敬できる人がいるか」
自分の胸に聞いてみよう。
(今日のコトバ)
人生はどれほど
地図通りに歩いてみても、
行きあたりばったりである。
明日、何が起こるかわからない。
そのスリルとサスペンスに満ちた
一生をおくるのが人間。
人間はその明日に向けて、
夢とか、目標とかをつくって、
達成しようと切磋琢磨する。
達成までの道程も、
予定通りに行くことは、
まずない。
どれだけ規則正しく生きても、
不測の事態が起こる。
だからこそ面白い。
人生という時間のゲームを
命果てるまで楽しめるのだ。
そう考えると、
人生は最高の
エンターティンメント。
どんなドラマより面白い
自分のドキュメンタリーなのだ。
いま、人生がつまらないと
思っている人は、
もう一度、自分のまわりで
起こっていることを見つめ直そう。
きっと、
面白いことが起こっている。
もし、起ってなかったら、
自分が仕掛けることだってできる。
一度きりの人生、
できる限り、
楽しんで生きる方が勝ち。
そんな気持ちを持って
生きていこう。
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