地球を素晴らしい舞台にする

 

(今日のコトバ)

 

「自分」というミスキャストも

何とか生きていけるのが、

地球という舞台のいいところです。

 

 

未完成のまま大人になる。

大人になっても未完成のままで、

結局、命果てるまで完成しない。

それが人間。

この地球に生まれてきたけれど、

どう生きるのが正解かわからない。

ただ、自分の生まれた環境と選択で

人生を歩んでいく。

それが人間。

地球を舞台と考えれば、

ミスキャストである人も

たくさんいる。

それでも、

幸せと不幸を噛みしめながら、

いい人生というものに

近づけようとする。

ミスキャストでも

一生懸命演技をし、

素晴らしい舞台を

創り上げようとするように。

だから、人生は面白いともいえる。

だから、生きるに値するともいえる。

人間という生きものに

生まれてきた宿命が、

人生という舞台をつくる。

その中で精一杯生きる。

それが人間という生きものの

やるべきことなのかもしれない。

声で認めさせる

 

(今日のコトバ)

 

声は、

一人になりたくないという

気持ちの叫びである。

 

 

なぜ、声を出すのか。

それは承認欲求のためといっていい。

自分が認められたいから、

言葉を声にして発する。

承認欲求というと、

地に足が着いているようだが、

本音をいえば、

一人になりたくないという

気持ちの叫びともいえる。

声。

大声。小声。叫び声。

いろいろ声があるが、

すべては自分を理解させるもの。

そう思うと、

声を出すことは大事。

自分を認めさせるためにも、

自分を明解に表す言葉を声にする。

人生を自分の思いに

近い方向にするためには、

いちばん大切なことだ。

人間には、希望が初期設定されている

 

(今日のコトバ)

 

最後まで希望を

捨ててはいけないのではない。

最後まで希望は

あなたから離れないのだ。

 

 

 

希望。

何か目標を持った時、

その目標を照らしてくれる

灯り。

希望がある、と思うと、

モチベーション高く、

グイグイ推進できる。

反対に、希望がない、と思うと、

モチベーション低く、

やる気が失せていく。

だが、人生で希望がない時など、

本当はないのではないだろうか。

どんな状況にあっても、

希望はある。

否、希望を見つけている。

絶望の淵であっても、

そこに希望はある。

自分の人生を振り返っても、

絶望したり、喪失感があったり、

悲しかったりすることはあるが、

希望がまったなくなったことは

なかった。

希望がない、というのは、

言葉の上だけのこと。

そう思うと、

いつも希望を感じて生きていい。

前向きに生きていい。

人間という生きものは、

希望を初期設定されている。

希望。

絶対自分にあるもの。

そう信じて生きていけばいいのだ。

 

誰かの「生きる理由」になっている

 

(今日のコトバ)

 

誰かの役に立つということは、

誰かの「生きる理由」に

なるということ。

 

 

困っている誰かがいる。

救いを求めている誰かがいる。

その時、

自分が何かの役に立つ。

それは、生きることの

最高の醍醐味といっていい。

では、なぜ最高の醍醐味になるか。

いろいろな要因があるだろう。

ただ、一番の要因は、

誰かのための「生きる理由」を

つくるからではないか。

困っている人は、

困ったままでは

あきらめてしまうかもしれない。

救ってほしい人は、

救われなければ

もう終わってしまうかもしれない。

つまり、役に立ってくれる人が

いなければ、

そこで何かが終わってしまう。

役立つ人がいるから

継続していける。

そう考えると、

役立つことで誰かの

「生きていく理由」になっている。

そのことを忘れずに

生きていけば、

自分の「生きる価値」も

向上していくと思う。

人生の問題を解決して生きてきた

 

(今日のコトバ)

 

あなたの問題は、

あなたが答えられるものの中から

出題されています。

 

 

困難、難題、

いろいろな問題をかかながら

生きている。

誰もが

いくつかの問題を

かかえて生きているはずだ。

人はそれらの問題を

人生という時間の中で、

ほぼすべてクリアしてきた。

不可能だと思った問題も、

結局、クリアしてきた。

物凄く力業が必要だと思ったのに、

案外、容易に乗り越えられたり、

面倒くさいことを

こまめに取り組めば、

解決したこともある。

もちろん、長く答えの出ない

問題もある。

ただ、それでも

生きてるということは、

人生の問題を解決してきたのだ。

だからこそ、

いま生きていることに

自信を持っていい。

強さを身に着けていると

思っていい。

生きていることは、

人生の問題をクリアしてきた。

そのことを忘れてはいけない。

「これから」は、「新しい」何かでいっぱい

 

(今日のコトバ)

 

先もある。次もある。

明日もある。未来もある。

いまを生き抜けば、

新しい何かが待っている。

 

 

生きていれば、

「これから」がある。

一歩踏み出せば、

「新しい」かがある。

生まれてから、

いままで、

地続きになった

「これから」と「新しい」を

生きてきた。

そう考えると、

いつも僕らには、

生きるだけで何かがあった。

前向きに捉えれば、

すべてがチャンスともいえる。

そのチャンスを

どう活かすかによって、

人生が変わってくる。

人生を変えたいと

思っている人には、

一つのヒントになる。

「これから」は、

「新しい」何かでいっぱい。

どの「新しい」を選んで

生きるかは自分次第。

今日、そして、

明日のために

前向きに生きる。

それだけで、

まだ見たことのない

自分が生まれるはずだ。

 

愛とのいい関係

 

(今日のコトバ)

 

なくては生きていけないのに、

あると傷つけあうことが

避けられないのが愛である。

 

 

愛。

簡単にいうが、

何が愛で、

どこまでが愛かわからない。

人によって

異なるものかもしれない。

愛ばかりで

生きている人もいれば、

愛の範囲が狭い人もいる。

愛をたっぷり

注がれた人もいれば、

愛と無縁のような人もいる。

ただ、どんな人も愛は

生きるために

なくてはならない。

どうしても欲しくなるし、

ないと困る場面もある。

反対に、愛が注がれても、

その受け止め方によっては、

傷つけあうことになって

しまうこともある。

なくてはならない、

そして、あると傷つけあう。

そういうものかもしれない。

だからこそ、

愛とはいい距離でいたい。

いつも愛は感じる。

そして、傷つけることない

気持ちを維持できる。

そんな環境をつくれたら、

ほんとうに幸せを感じるはずだ。

 

 

発する言葉が自分を決める

 

(今日のコトバ)

 

あなたという人間は、

あなたの言葉でできている。

真実も、嘘も、

あなたをつくっているのだ。

 

 

他人があなたを

どんな人か語る時、

何を基準にしているか。

その筆頭に考えられるのは、

言葉。

どんな言葉を使って

コミュニケーションをとるか。

優しい言葉を使うか。

早口か。

上から目線の言葉を使うか。

弱気な言葉を使うか。

物知りそうか。

ネガティブな言葉を使うか、、。

その言葉の使い方で人柄を

判断して、

付き合い方の距離を決める。

つまり、人が人とコミュニケーションを

とる時は、

どんな言葉を使うかが

大きなポイントになる。

自分の発する言葉が

自分という人間を

決めるといっていい。

だすれば、

自分が他人に理解されたい

言葉を使う。

どう見られたいかを決めて

言葉を使う。

それだけで、

人とのコミュニケーションが

正確になっていく。

言葉は、

コミュニケーションの

最大の武器なのだ。

 

モチベーションを上げてくれる人

 

(今日のコトバ)

 

あなたがいると、勇気が湧いてくる。

あなたがいると、幸せになれる。

あなたがいると、夢が見られる。

私にとってあなたが、

いちばん大切な未来だ。

 

 

その人がいると、

モチベーションが上がる。

そんな人が誰でも

一人はいると思う。

例えは、恋人。

例えば、親友。

例えば、上司。

例えば、先生。

例えば、、。

自分を明るくしてくれて、

もっと何かをやろうと

思わせてくれる人。

数は少ないけれど、

人生の中で必ずいたはずだ。

だが、その人が

いま自分のまわりにいるだろうか。

いないこともあるだろう。

距離ができて

しまっていることもある。

ただ、自分のモチベーションを

自分以外の人で上げてくれる人は

本当に大切な人。

その人がいるといないでは、

人生の輝きがまったく変わってくる。

だからこそ、

自分のモチベーションを上げて

くれる人を大切にしよう。

もし、見つけ出そう。

人生の景色が変わって、

素晴らしいものになる。

人生に大切な「その人」なのだ。

「怒り」は後始末ができない

 

(今日のコトバ)

 

怒りは、

人の心に傷をつけておきながら

後始末をしない。

 

 

「怒り」を直接受ける。

気分のいいものではない。

怒られた方は、

大なり小なり傷つく。

そんなことは

わかっているはずなのだが、

「怒り」を沈められない人はいる。

自分も「怒り」を

沈められないことがある。

状況を考えると、

怒ることも仕方ないと

思うこともある。

ただ、もっと普通に

伝えられなかったのかと

思うこともある。

人にも、自分にも。

そして、「怒り」の一番の問題は、

怒った後の後始末を

しないで終わること。

怒っているのだがら、

後始末などしなくていいと

思っている人もいるし、

後のことは自分で考えろと

思っている人もいる。

まれに、後始末ではないが

気を使ってなぐさめる人や

謝ったりする人もいる。

ただ、それでも後始末をしたとは

いいがたい。

怒られた側の心の痛みを

いやすことにはならない。

だからこそ、

「怒り」は考えてするべき。

どうしよもない時以外、

「怒り」は極力抑える。

相手の気持ちになって、

伝え方を考える。

少し強めでいい場合もある。

優しく伝えた方が

効果がある場合もある。

「怒り」の気持ちに高ぶった時、

そんな気持ちになって、

一回考えてから相手に伝える。

人とのコミュニケーションが

大きく違うはずだ。