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(今日のコトバ)
あの人が喜ぶ言葉を用意して、
今日をはじめよう。
機嫌がいい人が
まわりにいる。
それだけで、
一日が楽しくなる。
反対に、自分のまわりに
不機嫌な人がいる。
それだけで、
一日が憂鬱になる。
機嫌がいいとは
笑顔や雰囲気もあるけど、
一番は
日々使う言葉の力が大きい。
明るい言葉、楽しい話、、
未来志向の考え方、、。
決して、
ネガティブにならない人は
それだけで存在価値がある。
その機嫌ないい人に
自分がなれたら
どんなに素晴らしいだろう。
そのためにできることは、
言葉、話をポジティブに、
笑顔を忘れない。
その意識を肝に銘じる。
知らず知らずのうちに
人が集まってきたら、
機嫌のいい環境はできている。
素晴らしい人生を
生きるために、
一日一日意識してみよう。
(今日のコトバ)
挑戦とは、
1%の可能性に
100%の情熱で立ち向かうこと。
挑むことは、
どれだけ情熱を
傾けられるかということ。
もっというと、
どれだけ夢中になって、
全力を尽くせるかということ。
たとえ、1%の可能性しかなくても、
100%の力で挑めるか。
意志、熱い魂が大切になってくる。
1%と例えたが、
1%と感じた時には、
数字には表せない
大きな可能性があると
信じているもの。
信じていれば、力になる。
その力も出し続ければ、
強い突破力になる。
人生は一度きりしかない。
人生を大きく切り開くためには、
挑戦せざるおえない。
その時、全力を出し切れるか。
そこに人生の未来がかかってくる。
(今日のコトバ)
生きることのすべてに
結果を求める必要はない。
生きているだけで、
成長であり、
成果であり、
成功である。
生きる、って簡単ではない。
苦しいこと、辛いこと、
悲しいこと、たくさんある。
何でもないと思った日でも、
簡単でない問題と対峙している。
そう考えてみると、
生きているだけで、
凄いことだと思える。
毎日生きることは、
毎日自分新記録を更新している。
つまり、今日を生きるだけで
自信を持っていい。
日々、負けた、失敗した、
転んだ、、なんてどうでもいい。
「今日を生きていれば勝ち」
そんな考え方で生きてみないか。
(今日のコトバ)
あなたがあの人にした
「小さなこと」は、
あの人にとって、
とても「大きなこと」
かもしれない。
何かをしてあげた。
小さなことだった。
ちょっと役立つ程度のものだ
と思った。
生きていると、
自分も誰かに支えられているが、
自分が誰かを支えてもいる。
何も恩を着せたり、
見返りを求めたり
するものではなく、
誰かを支えていることもある。
その支えていることが、
誰かにとって
大きな力になっていることがある。
困った時は相談に乗ってくれる。
愚痴や弱音を聞いてくれる。
いつも隣りにいてくれる、、。
たわいもないことかもしれない。
だが、誰かにとっては
とても大切なこと。
自分に置き換えても
わかるはず。
あたりまえのように
いつも側にいてくれるだけで、
とても安心する人がいたりする。
そのあたりまえのことが、
とても大きいことになる。
人生とはそんなことの連続。
だから、
いまのあたりまえのことを
大切にして生きたいと思う。
(今日のコトバ)
年齢は、
経験値を表すことができない。
いくら年齢を重ねてみても、
わかるものがある。
15歳だから、
20歳だから、
30歳だから、
50歳だから、
60歳だから、、。
同じ20歳でも、常識人と
常識の欠片もない人では、
まったく違った生き方になる。
50歳だから、家族も養い、
会社では管理職になり、
そこそこ幸せを感じながら
暮らしている人もいれば、
まったく一人で暮らし、
世間とのコミュニケーションを
持たない人もいる。
年齢が同じでも、
人間は生き方によって、
まったく違った世界で生きていく。
その経験値はまったく違う。
だとすれば、
年齢なんて
ただの数字と考えればいい。
人によって、
同じ年月を生きても
違う能力を有する。
履歴書の年齢だけでは
わからない能力が人にはある。
そのことを忘れてはいけない。
(今日のコトバ)
生きものはみな想像するが、
創造できるのは人間だけだ。
新しいものを創り出す。
生きものの中で特出して
その能力を発揮できるのが人間。
だからこそ、
信じられない進化をしてきた。
宇宙人がいるかいないか
知らないが、
これだけ進化した
生きものがいる星も
ほとんどないはずだ。
その進化はなぜ起こったか?
それは、創造できたからに
他ならない。
創造できたからこそ、
無限の進化をしてきた。
その創造という人間最高の強みを、
自分の人生の中でも
最大限に使う。
使うからこそ進化する。
新しい未来を創り出せる。
その思いを信じて生きれば、
自分の世界が大きく広がる。
もっと遠くへ、
もっと先へ、
進んでいけるはずだ。
(今日のコトバ)
ケンカは一人ぼっちに
なるためにするものではない。
かけがえのない友を
増やすためにするのだ。
生活していると、
どこかでイザコザが起こる。
場合によっては、
ケンカと呼ぶぐらいの
諍いになることもある。
暴力になるのは困るが、
議論を戦わせて、
言い争うことがあっても
不思議はない。
否、むしろない方が不思議だ。
そして、ケンカをすると、
その後の関係が
修復できなかったり、
微妙な付き合いに
なったりすることもある。
だが、それではせっかく
ケンカした意味がない。
ちょっと言葉として変だが、
ケンカをしたら、
その分、深く理解しあって、
もっと絆を強いものに
すべきだと思う。
ケンカをするということは、
お互い熱くなる
何かがあったはずだ。
その熱さをお互い知り合ったなら、
お互いの本音もわかる。
本音がわかれば、
付き合い方もわかるはず。
世の中に本音のわかる他人は、
そうそういない。
そういった意味で、
ケンカした人は
貴重な関係になったといえる。
深く絆を結んだ関係になる。
お互いを理解しあえる関係になる。
この世の中でかけがえのない
人になったといっていい。
そう思って、議論し、
少々の諍いに挑んでみる。
かけがえない人と
つくるには大切なことだ。
(今日のコトバ)
先がある。
次がある。
明日がある。
未来がある。
いまを生き抜けば、
いべて新しいものに続いている。
「いま」が過ぎれば、
すべてが未来の領域になる。
おおげさにいえば、
未体験ゾーン。
似たような体験だったり、
あたりまえの時間が過ぎても、
未体験になる。
そう考えると、
「いま」辛いことや悲しいことが
あっても、
「いま」を過ぎれば
リセットできる。
痛みを感じるのは、
未来でもなく、
過去でもない。
「いま」だけなのだ。
だからこそ、
辛いこと悲しいことが
あっても、
ガマンしてみよう。
未来になれば、
辛さ悲しさだけでなく、
痛みも治まってくる。
人間は、
「いま」より
もっと素晴らしい未来を
願う生きもの。
その生きものの特性を頭に入れて、
「いま」を頑張って生きよう。
(今日のコトバ)
人生、
過去のことを笑い話にできたら
合格である。
いま、この瞬間を過ぎれば、
すべてが過去になる。
その過去をどう思うか。
反省する材料とするか。
負の遺産とするか。
人生の財産とするか、、。
ただ、一番いいのは
何だろうと思うと、
過去が笑い話になることではないかと
思うのだ。
「あの頃、あんなことあったね」と
笑いながら話せる。
まわりの人も笑顔になる。
楽しいことだけではなくて、
辛いこと、
悲しいこともあるけれど
笑い話になる。
それこそが素晴らしい人生の
証明ではないだろうか。
だから、
もし、過去の話をしていて、
笑い話になっていたら、
それは人生として正解。
その基準で生きてみるのもいい。
一度限りの人生、
笑い話満載で
生きるのもいいじゃないか。
(今日のコトバ)
故郷を誇れる人こそ、
ほんとうに
誇りのある人だと思う。
自分の故郷に何を思う?
懐かしいと思うか、
最高と思うか、
思い出したくもないと思うか、
最低と思うか、、。
人それぞれだろう。
ただ、一生懸命生きてきた人は、
たいがい故郷を誇りに思っている。
いい事、ワルい事あったはずだが、
それでも誇りに思っている。
では、誇りとはどういう意味か。
それは、
一生懸命生きた代償ではないか。
一生懸命になった記憶が
あるから自信になる。
生きていく上での姿勢になる。
その原点が故郷にある。
そう思うと、
故郷を誇りに思える人は、
一生懸命生きた人といって
いいのではないだろうか。
もちろん、故郷は
同じ環境ではないから、
誰にでもというわけにはいかない。
ただ、故郷が誇れる人は
ほんとうに
誇りのある人だと思う。
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