同じ不器用な心を持っている

 

(今日のコトバ)

 

みんな心は不器用です。

 

 

ずっと付き合っていて、

いろいろな状況を

共にした人で、

心が乱れたことのない人と

出会ったことがない。

悲しいことがあれば、

心が暗くなるし、

楽しいことがあれば、

心が明るくなる。

大胆に心が動く人もいれば、

ゆっくり心が動く人もいる。

そして、どの心もカタチにすると

不格好だったりする。

いつも美しく、

いつも落ち着いて、

太陽のように人を

照らしてくれる心を

持った人など誰一人もいない。

著名人でも

称賛されている時はいいが、

批判されるとまったく違う

一面を見せ、

理解に苦しむ人ばかりだ。

人の心はさまざまな顔を

持っている。

そして、どの顔も不格好。

もっというと不器用といえる。

そう思うと、

誰と付き合うのも楽になる。

どんな人も心という不器用な

生きものを

自分の中に抱えている。

だからこそ、

不器用な心を持った

自分も肯定できる。

そのまま

生きれていけばいい。

誰も同じ心を持った人間なのだ。

 

 

自分の生き方が楽になる

 

(今日のコトバ)

 

「あなたの代わりは誰もいない」

「あなたの代わりは

いくらでもいる」

どっちがあなただ?

否、どっちもあなただ。

 

 

世界にたった一人しかいない

あなたは唯一無二だ。

誰も代わることはできない。

それはわかっている。

だが、

「あなたの代わりはいない?」

と聞かれると、

そうともいえないこともある。

特に能力として

代わりがいなとかと

問われれば、絶対いないとは

いえない。

「お前の代わりなんて、

いくらでもいるんだよ」

なんて新人の頃、

さんざんいわれた。

もちろん、あなただけしかできない

特別なものもあるだろう。

だが、生きる上で、

たいがいのことは代わりがいる。

代わりがいるから

世の中が回ってるともいえる。

とすれば、

自分しか代打のきかないものと、

自分以外でも代打がきくもの

があって、その二つを

上手に使い分けるのが、

生きていくということになる。

そのことを理解して生きれば、

自分の使い方が楽になる。

もっと生きやすくなるはずだ。

正しいは人の数だけある

 

(今日のコトバ)

 

正論は、

孤独を背負っている。

 

 

正しいと思う意見で生きる。

正しいと思っているのだから、

変に曲げてしまうのも

息苦しい。

だが、正しい一辺倒の意見を

まわりの人間に発すると、

あまりいい感情は生まれない。

「正しいのはわかるけど、

そこまでいう必要は

ないんじゃない」とか、

「その正しさはあなただけの

正しさだよ」とか

いわれてしまい、

正しさの押し売りに

なってしまう。

もっというと、

正しさだけで突っ張ると、

孤独になってしまう。

誰にも経験があるはずだ。

自分の正しいと思った意見を

伝えて、誰も納得せず、

寂しい思いをしたことが。

だからこそ、

「正しい」の概念を

しっかり考えておこう。

自分の正しいは、

誰かの正しいと同じではない。

むしろ違う場合が多い。

だからこそ、

自分の正しいだけで

突き進まない。

正しいは人の数だけある。

そのぐらいの気持ちで

コミュニケーションを

とると生きることが

楽になるはずだ。

目の前のことに集中する

 

(今日のコトバ)

 

とにかく、

目の前のことを片付けよう。

よそ見をしていると

荷物が重くなる。

 

 

特に、思い悩んでる時は、

大切なことだけでなく、

ムダなことまでも悩んで

しまうことが多い。

「あれもやらなければ?」

「これはどうしたらいいだろう」

などと頭を巡らせる。

だが、人間はそれほど

悩んでることを

一気に解決することはできない。

たんさんの悩みを抱え、

ただ抱えているだけで

終わっていることもある。

そんな時は一つの解決策がある。

それは一番目の前にある課題を

解決するために全力を注ぐ。

そこだけに集中する。

他のことは後回し。

そのぐらいの気持ちでいないと、

悩みはどんどん大きくなり、

何も解決できなくなってしまう。

まずは、目の前の悩みを解決する。

覚えておいていいことだと思う。

あっという間

 

(今日のコトバ)

 

人生は、

「あっという間」という

制限時間の中にある。

 

 

過去を振り返って、

よくいう「あっという間でした」と。

自分自身も「あっという間」

という言葉をよく使う。

プロジェクト単位の

仕事が終わっても、

「あっという間」と使うし、

いままでの人生を

振り返って、

何十年もの時間も

「あっという間」という。

なんだかすべての過去は、

「あっという間」という時間に

くくられてしまう気もする。

もっといえば、

困難な人生の課題も

終わってしまえば、

「あっという間」になる。

そして、人生の時間は

短いほど楽しいものだともいう。

つまり、「あっという間」と

いった瞬間、

人生の作業は

楽しいものになったといえる。

そして、人生の大概の過去が

「あっという間」。

「あっという間」といえた人は、

自分の人生を楽しいものにした。

そういって過言では

ないと思う。

自分も幸せになれること

 

(今日のコトバ)

 

ほんとうの幸せは、

「自分の幸せ」より、

「自分も幸せ」でできている。

 

 

幸せは、いつ感じるだろう?

考えてみると、

一つの答えに到達する。

それは、いいことを

誰かと共有できた時。

幸せになりたいというけれど、

幸せは一人で感じることはほぼない。

たとえば、成功したり、勝利しても、

一人でしか祝うことが

できなければどうだろう。

一人で幸せになれるだろうか。

自分にいい事が起こっても、

否、自分にいい事が

起こったからこそ、

誰かと分かち合あうもの、

それが幸せなのだと思う。

だから、

幸せになりたければ、

「自分も幸せ」になれることを

追求する。

その意識を持てば、

幸せな気持ちになれることが

増えていく。

人生の時間を幸せで

埋めていくことができるはずだ。

応援してくれる力を、自分の力に変える

 

(今日のコトバ)

 

人生の旬とは、いつだ?

夢を応援してくれる人がいる時だ。

 

 

誰にでも、

人生の旬はある。

それは、

いつかと問われると、

若さがみなぎった時、

心技体が整った時、

気力が充実した時、

準備が整った時、、。

人それぞれあるだろう。

ただ、自分の気持ちが

旬だと思っても、

上手くいかない時もある。

では、

いちばん旬といえる時は?

それは、自分の気持ちが

ベストだと思っている時に、

応援してくれる

誰かがいる時では

ないだろうか。

一人の力は知れている。

誰かの応援する力が

掛け算になった時、

自分の最盛期は

無限の力になる。

成功した人を見ても、

大きく成長した時に、

必ず強力に応援する人との

出会いがある。

だからこそ、

人との出会いを

大事にして生きる。

「オレが、オレが」で

生きても、

限界はすぐにくる。

応援してくれる力を

自分の力に変えられたら、

どれだけ凄いことになるか。

意識して生きていい思う。

 

生きるモチベーションの礎

 

(今日のコトバ)

 

「どこまで

やれるかわからないけど、

やってみよう」

その気持ちだけ持って

明日へ行こう。

 

 

明日、何を持っていくか。

それが今日の役目。

生きれば生きるほど、

その繰り返しが続く。

物理的な物もあるが、

夢だったり、希望だったり、

想像の世界のもの、

そして、健康なども

必要なものかもしれない。

ただ、それと同じくらい、

否、それ以上に

大切なものがある。

それは、やる気と呼ばれる

生きるモチベーション。

この気持ちがないと、

明日がとてもしんどくなる。

また、明日がつまらなくなる。

「やってみよう!」という

何かがないと、

未来は生き抜けない。

だからこそ、

やる気になるための

何かをつくる。

夢でも、希望でも、目標でも、

欲望でも、野望でも、

誰かのためにでもいい。

やる気が出るものをつくる。

それが、

生きるモチベーションの

礎になるはずだ。

 

やる気は、やるべき機会をつくる

 

(今日のコトバ)

 

やる気は、やる機。

機を逃すとやる気は消える。

 

 

好機とは、

いつやってくるのだろう。

誰もが認めるラッキーのような

好機もあれば、

自分の気持ち次第で

捉えられる好機もある。

後者である自分の気持ち次第の

好機は、

ほとんどやる気が

導いてくると思える。

やるんだという気持ちがあれば、

目の前の状況が

好機に変わっていく。

仕事を頼んでも、

気持ち良く頑張ってくれる人に

新しい仕事が増えていく。

やる気は、

やるべき機会をつくるのだ。

だから、もし、

自分に好機が少ないと

思っているのなら、

やる気を全面に

押し出してみよう。

今まで自分に

訪れなかった好機が

舞い込んでくる。

そのことを

忘れてはいけない。

 

基礎は習慣化から

 

(今日のコトバ)

 

基礎とは、

どんなに険しい道でも

あきらめずに歩くめの筋力になる。

 

 

 

「彼には基礎がある」

特に、スポーツの分野ではよく

使われる言葉だ。

結果を出し、

能力が高いアスリートには

共通項がある。

それは、

基礎がしっかりしていること。

その分野に

精通しているわけでもなのに、

基礎といわれると

思わず納得し

アスリートを見てしまう。

おそらく、基礎といってることは

間違ってはいないのだが、

細かいところはよくわからない。

だが、見るからにキレイなフォームで、

しなやかな筋肉、美しい動きを

見せられると、才能を感じると共に、

基礎を感じてしまう。

では、基礎はどう習得するか。

それは日々の鍛錬に他ならない。

毎日欠かさず、

同じことを繰り返す。

習慣という日課を

欠かさず繰り返す。

そこに答えがある。

否、そこにしか

答えがないといえる。

だとすれば、

自分も基礎を

身につけられる。

そのことを信じて

日々習慣化するものを

つくっていこう。