奇跡の仕業

 

(今日のコトバ)

 

生きることは、

奇跡から奇跡への

リレーである。

 

 

なんといっても

生きていることは凄い。

心臓が動いていることから

始まって、

人と出会ったり、

仕事をしたり、

笑ったり、

涙したり、、。

どれ一つをとっても

本当は奇跡だ。

それを生きていると、

あたりまえと思ってしまう。

あたりまえと

思ってしまうことさえも、

奇跡。

一つ一つを考えてみればわかる。

どうしてこんな凄いことが

簡単にできているのか。

それは、奇跡から奇跡を

つないでいるから。

そう思うと、

生きることが愛しく思える。

なにもかもが奇跡の仕業。

だからこそ、

生きている一日一日を

大切に、大切に

生きていこう。

 

 

 

希望は消えない

 

(今日のコトバ)

 

絶望の息の根は止められるが、

希望の息の根は止められない。

 

 

 

どんなに苦しいことも、

やがて終わる。

絶望にさいなまれても、

いずれ気持ちも落ち着き、

普通の生活に戻る。

人は苦しいこと、

絶望を終わらせる術を

知っている。

時間の経過というマジックが

あるのも大きい。

反対に、希望は

どこまで生きても失われない。

どんな苦しい時でも、

絶望を感じてる時でさえ、

どこかに希望はある。

人は希望を持続する術を

知っている。

生きているということと、

希望はセットになっている。

絶望と希望。

対局にあるようだが、

絶望は死滅するが、

希望は不滅な人の気持ち。

そのことを忘れずに生きると、

苦しい時も強く生きられる。

絶望しても心の片隅で

希望を感じている。

人間の強さはそこにある。

過度に心配しないで

生きていこう。

嘘と真実を使う矛盾した生きもの、人間

 

(今日のコトバ)

 

愛しているから嘘をつく。

嫌いだから真実を突きつける。

人間は不思議な生きものだ。

 

 

 

人を好きになると、

良くみられようとして

嘘をついてしまったりする。

本当の事をより大きく表現して、

結果、嘘になる。

自慢話に彩りをつけて

嘘をつく。

やってもいないことを

やったといって

嘘をつく等々。

反対に、嫌いな人間には、

とことん真実を突きつける。

言い訳する人には、

データで追い込む。

逃げようとする人には、

責任を追及し

逃がさない。

不愉快な気持ちを

そのまま伝える等々。

人様々、好き嫌いで

嘘をついたり、

真実を突きつける。

まさに、

人間は矛盾する生きものなのだ。

だからこそ、

嘘をついたり、

真実を突きつける時に

自分の気持ちを確かめよう。

好き嫌いを伝えていい人か、

そうでない人か。

そうでない人の場合は、

慎重に言葉を選ぶ。

大切なことだ。

 

抜け道は、エールで、チャンス

 

(今日のコトバ)

 

抜け道は、

人生をあきらめないための

エールである。

 

 

道にはいろいろある。

一本道、曲道、近道、

分かれ道、、。

そして、抜け道もある。

困った時に、

その道を知ると

一気に目的地に行ける。

そんな抜け道に出会うと、

ホッとすると同時に、

もう一度強い気持ちになれる。

つまり、抜け道と出会うことで、

やる気になれる。

だからこそ、

抜け道に出会った時は、

思っきり前進する。

あきらめそうな気持ちも

払拭し前進する。

抜け道は、

人生をあきらめるなという

エール。

そう思って、

前へ、前へと

生きていくのだ。

 

 

側にいる人を大切に

 

(今日のコトバ)

 

贅沢とは、

人に愛され続けることである。

 

 

 

ずっと幸せでいる。

簡単なことではない。

いろいろな出来事があって、

いつも幸せを満喫するばかりでは

いられないこともある。

だが、自分の側に

自分を愛してくれる人が

いつもいてくれたらどうだろう。

気持ちは安定するし、

生きていく喜びも感じる。

人生の難題も一緒に

乗り越えていける。

そう思うと、

生きることが

素晴らしいものだと思える。

愛してくれる人が

自分の側にいることは、

人生にとっての幸せ。

最高の贅沢。

そのことを理解していれば、

自分の側にいる人を

大切にできる。

側にいることは、

愛してるから。

嫌いなら離れていく。

だからこそ、

側にいる人を大切にして

生きていこう。

笑いの時間をつくる

 

(今日のコトバ)

 

笑っていれば、

いのちもキレイに燃える。

 

 

とにかく笑う。

健康にいいだけでなく、

精神衛生上にもいいという。

ほんとうにそう思う。

笑いの絶えない時、

スッキリするし、

気持ちも軽くなる。

生きてて良かったとも思う。

反対に、

笑いがない時、

苦しんだり、

悲しんだりしている時は、

気持ちも重くなり、

不安や喪失感、孤独を感じる。

前向きになれない自分がいる。

だからこそ、

笑いのある時間をつくる。

それには、

面白いと思えること、

楽しいと思えること等の

時間を増やす。

意識して笑いの時間をつくる。

それだけで、

人生に対する意欲が変わる。

もっと生きていこうと思える。

笑いの力は人生を

大いに支えてくれるのだ。

才能は挫折で磨かれる

 

(今日のコトバ)

 

負けても、失敗しても、

才能は奪われない。

洗練されるばかりだ。

 

 

生きていれば、

負けることはある。

失敗することだって、

一度や二度ではない。

ただ、負ける、失敗する、

間違いさえも心配することはない。

必ず人生の財産になっている。

もっといえば、負けるたびに、

失敗するだびに、

自分の才能が洗練されていく。

才能が特別ある人は、

確実に才能の輝きを増していく。

人生は平坦な道ばかりではない。

時に挫折することもある。

だが、その挫折のほとんどの要因は、

自分を洗練させるものになる。

そう信じて生きていけばいいのだ。

 

いくつになっても成長できる

 

(今日のコトバ)

 

ころんでも、また、前進。

立ち上がれば、さらに、成長。

 

 

何か新しいことが起こる今日。

昨日より一段積み上げたキャリア

といってもいい。

ただ、そのキャリアも

いいことばかりではない。

ころんでしまうこともある。

失敗、敗北、間違い、、。

いろいろな出来事がある。

その出来事は

そのまま自分の財産になる。

人生において

負であっても、

教訓になり財産になる

可能性が高い。

いい事も財産になるが、

その場で喜んで

消えてしまうこともある。

どちらも人生にとって必要だ。

人生はどこまでも成長の連続。

老いて成長の速度が遅くなっても、

どこかで成長できる。

そのために、

どんな環境であっても

順応していく。

立ち上がる気持ちを持つ。

いくつになっても

人生は成長できる。

その気持ちを忘れずにいこう。

努力はギャンブル

 

(今日のコトバ)

 

人生でもっとも

大きなギャンブルは努力だ。

そして、努力というギャンブルは

無限にできる。

 

 

人生でもっとも長時間を賭ける行為、

努力。

努力の範囲をどこまでにするか

いろいろあるだろうが、

誰もが人生で努力をしている。

学校で、会社で、趣味の場で、、。

どの場面でも努力が必要となる。

そして、その努力によって

成果の上がる場合もあるが、

ムダになってしまうこともある。

これほどギャンブル性に富んだ

人のチャレンジ案件もない。

だとしたら、

はじめから努力はギャンブルと

定義して人生のプランに組み込む。

もしかすると、

人は知らず知らずのうちに

やっていることかもしれない。

努力をギャンブルとすれば、

力の入れどころがはっきりする。

この場面は全力で努力するところ。

この場面は努力しなくていいところ。

きっちり分けられる。

努力は中途半端では

たいがい役に立たない。

そういった意味こめて、

努力はギャンブル。

そう意識していいと思う。

前向きは幸せを連れてくる

 

(今日のコトバ)

 

「なんとかなる、大丈夫」の人と、

「どうにもならない、限界だ」の

人の差が、

そのまま人生の差になる。

 

 

 

「気持ちの問題だ」

人生のいろいろな場面でいわれる。

たいがいは、ここ一番に頑張れるか、

そうでないかの問題。

なるほどと思ったり、

そうでもないんじゃないと

思うこともある。

ただ、人の生き方を見ていると、

「なんとかなる」と

前向きに考える人は、

幸せな道を

歩んでいるような気がする。

統計をとっているわけではないから、

正しいかはわからない。

だが、間違いなく肯定的に物事を

捉えている人は幸せそうだ。

反対に、すぐにあきらめてしまうタイプは、

あまり幸せそうに見えない。

逃げているようにも見えて、

チャンスからも

遠ざかっているように見える。

当然、幸せそうではない。

生き方の選択は自由だ。

前向きでも、

あきらめやすくてもいい。

ただ、

幸せに生きるためには、

前向きに生きた方が良さそうだ。

長く生きて感じることである。