隣のヒーロー

(今日のコトバ)

 

スーパーマンになれなくたって、

誰かのピンチを救うヒーローになれる。

 

 

隣にいる友達や彼女が悲しい顔をしているとき、

何かの手立てで喜ばせてあげたいと思う。

歴史上の偉人でなくても、サッカーのスーパースターでなくても、

ミュージシャンや俳優でなくても、

彼ら彼女らを救ってあげようと行動を起こす。

その瞬間から、人はヒーローになれる。

悲しんでる、挫折している誰かのヒーローになっているのだ。

人は、ほんとうに困ったとき、近くにいる人の支えが必要なのだ。

だから、自分のまわりの人を支えてあげよう。

大切に考えてあげよう。

誰かが自分を見ていてくれる、支えてくれると

思うだけで頑張れることを教えてあげよう。

ひとりの味方が近くにいるだけでも、どれだけ力になるかを。

そして、誰もが自分の隣にいる人の

ウルトラマンになれることを忘れずにいよう。

シュワッチ!!

 

 

 

 

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ハメをはずす

(今日のコトバ)

 

無害だけではおいしくならない。

有害もスプーン一杯分いれないと、人生も。

 

 

おいしいものが体にいいものばかりだとは限らない。

むしろ、体には良くないが食べ物の方が食事には好まれる。

人生も同じだと思う。いつも品行方正だけではつまらない。

時にバカをし、時にハメをはずし、自分を解放してみる。

ちょっと毒があって、ちょっとダラシナイ人生の方が

おいしい人生だといえる。

まっすぐ生きて息がつまったり、

真正面から受け止めて痛い思いをしたり、

緊張が続いて心底疲れ果てたら、

人生を自由にしてあげよう。

魂とか、心とか、人間の内部にあるはずの見えないものは、

ちょっとした解放感で劇的に蘇るものなのだ。

 

 

 

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人生の選択

(今日のコトバ)

 

 

未開だから、夢を植えても育つのだ。

 

 

誰も手をつけてないから、

自由に夢を描けることがある。

例えば、一部上場企業で自由に仕事をし、

社長になれるとは、ほぼ誰も思わないだろう。

だが、自分で起業すれば社長も夢ではないし、

自分の裁量で動ける可能性も高いだろう。

つまり、未開またはあまり手のついていない分野なら、

自由に夢を描けるわけだ。

一流企業の安定感を選ぶのもいいが、

一生一度の人生なら夢追い人になるのもロマンがある。

才能、技量にもよるが、

人生はすべて自分の選択で決まる。

意志を持って大きく踏み出せ。

力は翼

(今日のコトバ)

 

やり続けるだけで、

力は勝手に実力になる。

 

 

計画的にスキルアップも大切だが、

ひとつの種目を継続することも大切だ。

同じことをダラダラやっているようで、

繰り返してやれる力は並のものではない。

その種目が好きでなければできないし、

ある程度得意であることも肝心だ。

つまり、どんなやり方でも、

継続しているものはスキルが高いとイコールなのだ。

持って生まれた天性のものかもしれない。

環境によって身に付いたものかもしれない。

継続できるという力。

この力こそ、実力であることを信じて

さらになるステージに向かおう。

力は翼になり目指した高さまで飛べるのだから。

魂のバネを養う

(今日のコトバ)

 

 

人は、冷酷にふれても育つ。

 

 

本当の意味で冷酷というよりは、

厳しい環境といった方がいいのかもしれない。

人は厳しさを突きつけられることで、

強く成長することがある。

厳しさといえばかっこつくが、

厳しさの真っ只中にいる人は、

厳しさも冷酷さも区別はつかないと思う。

その辛い環境があるからこそ、

その辛い環境を乗り越えたからこそ、

人の魂には強力なバネが養える。

冷たさにさらされると、

寂しくなる、悲しくなる。

なんて不幸だと自分の境遇を呪うことさえある。

ただ、その冷たさを越えた時、

人はもっと高く飛べるバネをもてる。

いま、自分が冷酷な環境にあったり、

厳しい状況にあっても、人生を捨てるな。

いい兆候は、乗り越えた時やってくる。

小出しに解消しよう

(今日のコトバ)

 

胸の中にしまったものを、

ときどき陽に干してあげよう。

 

 

いつもいつもお腹にため込んで、

はき出すことせずに生きていると、

人はどんどん息苦しくなる。

朝、学校へ行くのも、会社に行くのも、

辛くて足が動かなくなる。

我慢にも限界がある。

息を抜いて生きる方法が必要だ。

その時、迷惑をかけない程度に、

どんな方法をとってもいいと思うのだ。

愚痴をいう。飲みに行く。カラオケに行く。

ただ、肝心なことは、ためたものを

短いサイクルではき出すこと。

一ヶ月では長すぎる。一週間でも長すぎる。

もう毎日でもいいのだ。

人のストレスなどはどれぐらいで満杯になるか

わかりはしない。

とてもとても器の小さい人もいるのだ。

小さくなくてもためない方がいいに決まっている。

嫌なものははき出そう。小出しに、小出しに。

ストレスがなければ、自然体でもっと

自分らしく生きられるのだから。

今日を大切にするための目標

(今日のコトバ)

 

 

自分記念日をつくっておけば、

人生は躍動してくる。

 

 

 

誕生日だけでなく、休日だけでなく、

自分のための記念日をつくってみる。

つまり、「この日のために」「この日までに」と

目的を決めてその日にお祝いをする。

何もパーティを開いて大騒ぎをするのではなく、

自分で自分を褒めてあげるだけでもいい。

とにかく、ここまでに決めたことを実現するという意志の下に行動する。

それだけで、毎日生きていく風景が変わる。

同じ人、同じ場所、同じような時間が、

とても大切に思えてくるのだ。

昔、「一日一日を大切に」と

教室の黒板の横などに目標が貼られていたが、

本当はその先にある「目的に向かって一日一日を大切にしよう」と

いうべきなのだ。

そして、一日一日を大切にできるのは、

目的があるからに他ならない。

充実した今日のために、自分の記念日をつくって生きていこう。

空白をぶち破れ

(今日のコトバ)

 

泥だらけになっても、次の塁を奪いにいこう。

 

 

「自分はいま、何してるんだろう」

目的がなくなって、明らかに自分が昔描いた自分に到達していなくて、

時間だけが目の前を通り過ぎていく。

きっかけは夢破れたことだったとしても、

自分のいまやることが見つからず、時間は進んでも自分は止まっている。

誰にでもあることで、人間の空白といっていい。

では、この状態のからの脱出方法はあるのだろうか。

それは、何かをガムシャラにやって、疲れては眠り、疲れては眠りすること。

つまらない邪念を払って、自分の中の元気を取り戻すことだ。

さらに、簡単にやめてしまうのではなく、次のテーマを見つけるまで、

貪欲が自分の中から生まれてくるまで、頑張ってしまおう。

そこまでいけば、きっと希望の光、人生の直近のテーマが見えてくるはずだ。

とにかく、空白の自分をぶち破れ。

力を借りて復活

(今日のコトバ)

 

立ち上がるために、

人の手を借りたっていいじゃないか。

 

 

転んだり、倒れたり、傷ついたり。

生きていれば挫折なんてナンボでもある。

小石につまずく時もあれば、不意に殴られることもある。

もう立ち上がることをあきらめて、

人生が躍動しなくなった人もいる。

でも、いま生きている人は、みな立ち上がってきたんだ。

もし、いま転んでいる人がいて立ち上がることが苦しかったら、

ひとりで立ち上がることばかり考えないで、

誰かのサポートをうけて立ち上がることを考えてもいいのだ。

孤独だと立ち向かえないが、仲間がいれば立ち向かえる。

生きるために人の力は、壮大な力をもつのだ。

意地をはらず、壁をつくらず、

苦しい時は、人の力を借りて復活するのだ。

才能の証明

(今日のコトバ)

 

止まらないで歩いていくことを、

才能という。

 

 

才能って何だろう、とよく考える時がある。

持って生まれて人より秀でている、特出した技術をもっている、

物事を簡単に習得できる、光輝くセンスがある、、、、。

どれも当っていると思う。

ただ、ほんとうの意味で才能とよべるのは、

何年でも、何十年でも、ペースを変えずに

ひとつのものを続けていける力ではないかと思う。

例えば、持って生まれたものも、磨かなければ光を失う。

特出した技術も、研鑽しなければ使えない技術になる。

物事を簡単に習得できてもやる気がなければ、人前で誇れない。

光輝くセンスも、賞味期限が切れてただの石になることもある。

だが、自分の負担と思わずに継続できるものは、

圧倒的に凄い。年月がたてば、さらに輝きを増す。

才能が自分自身の武器になる。

止まらないことは、どんな理由より才能の証明なのだ。