自然を心と体に

(今日のコトバ)

 

晴れた空の下では、安い肉でもうまい。

 

 

 

川原や山のキャンプなどでバーベキュウをすると、

肉が安いものでも、自然の開放感でとてもおいしく感じる。

あきらかに味付けや質の問題ではなく、

自然の演出のしわざである。

人間は、自然に気持ちを左右される生き物なのだ。

また、晴れた日だと朝から気分が良くて、

一日爽快感が続く時がある。

ならば、この自然の効能を生活に取り入れて、

快適な日々を過ごす工夫をするのもひとつの知恵だ。

陽のよく入る部屋環境をつくる。

森林、公園などの気分転換できる場所を探しておく。

休日などは山や海など空気のおいしい地域へ足を運ぶ。

心と体に自然が欠乏していくのを食い止め、活き活き生きる。

ちょっとした行動力で、人間は人間らしく生きられるのだ。

正しい道を走ろう

(今日のコトバ)

 

勝ち馬にのっている人間は、

勝ち馬ではない。

 

 

 

人は、勘違いする動物である。

勘違いでも格好悪いのは、強い者、勝っている者の

まわりにいて、同じ権力を行使しようとする人だ。

俗にいう「虎の威をかる」というやつである。

その勘違いした人間に、実はほとんどの人が

知らぬ間になっている。

自分の人生を考えてほしい。

年齢が上だから、階層が上だから、

自分の近くに大物がいるから、

という理由だけで、

自分より弱いと想定される人に

権力を使ったことがあると思う。

冗談で済む話ならいいが、

これがイジメや虐待につながると、

人として最低な行為につながる。

だから、勝ち馬になるのはいい。

勝ち馬を目指すのもいい。

ただ、勝ち馬と勘違いして力を行使するのはやめよう。

最低な自分にならないために、

自分の誇りを保つために、

自分の力で正しい道を走ろう。

人のためになる臆病

(今日のコトバ)

 

臆病者は、漂流者より壮大な夢をもつ。

 

 

 

カリスマは臆病者ばかりだという。

気の小さい人々が、社会に対してのコンプレックスを

バネにして、大きくなろうとする。

その道程で、次々大きな夢をぶちあげる。

本当に人間にとって、役立つ夢ならいいが、

時には悪夢を描き、実現するために暴走してしまうこともある。

独裁者とよばれたカリスマは、

ほとんどが理想を悪夢に変えてしまった。

ただ、世界をより暮らしやすくしようとする起業家や

世界の貧しい人のために働く慈善活動家などは、

人間のためになる夢を描いている。

もし、その原点のひとつとなるものが、

臆病であるのなら、臆病は素晴らしい人間の特性となる。

あなたの中に、臆病があるのなら

その臆病を大切に育て、社会のために貢献する武器にしよう。

きっと、臆病から人間のためになる未来が生まれるのだから。

すべてやる気をみている

(今日のコトバ)

 

ご予約のない方は、

受付をお断りするかもしれない世の中だ。

早めに手をうて。

 

 

 

待っているだけでは、扉は開かない。

時には、順番を無視しても自分が前へいく必要がある。

社会は、すべてやる気をみている。

前に出ず、後ろに隠れてばかりいる人に、

チャンスは渡さない。

少々、空振りしたパフォーマンスしてでも、

こいつに任せてみようと思わせることが先決だ。

待っているというのは、ほとんどの場合、

怠慢の産物だったりする。

ほんとうに夢をつかみたければ、

どんどん行動しよう。

人より早く行動することは、

人より早く結果を出す。

そして、限りなくいい結果を出す可能性が高いのだ。

知識を意識しよう

(今日のコトバ)

 

知に飢えた狼になれ。

 

 

 

知らないことは、ほとんどの場合で損をする。

知ってさえいれば、得をした。

知ってさえいれば、受かった。

知ってさえいれば、失敗しなかった。

知ってさえいれば、、、、、、、、。

人生のここぞという場面で、

知識は大きな戦力になる。

この知識は、一夜漬けでは役に立たたない。

毎日の生活の中で貪欲に吸収しなければ、

自由に自分の引き出しから知識の武器は発射できない。

だから、毎日を知識を吸収する日にしよう。

知識を豊富にするという意識だけで、

一日の生き方が思いっきり前向きになる。

それは、人生を前向きに生きることにもつながるのだ。

諸君、知に飢えた狼になろう。

淀んだ日々に、さようなら

(今日のコトバ)

 

感動すると、気持ちを一回洗い流せる。

 

 

 

血が逆流し、光が頭を突き抜けていくような気持ち。

感動という名の体内改革は、

淀んでいた心と体の腐敗物を一瞬で吐き出してくれる。

人間以外にはほとんで起こらないであろうこの改革は、

山あり谷ありの人生にも、心地よい時間をくれる。

もし、いま人生が淀んでいると思ったら、

感動のある場所へ、行ってみよう。

部屋にこもっていても、何もはじまらない。

愚痴をこぼしているだけでは、機も逃げていく。

感動すれば、新しいテーマが見つかるかもしれない。

感動すれば、人生の扉がまた開くかもしれない。

新しい明日へいくために、感動を求めていこう。

バカに助けられながら生きる

(今日のコトバ)

 

自分の中にバカをもっていると、

人が集まってくる。

 

 

 

賢さばかりが目立っては、

スキがなくて付き合いづらい。

鋭い反応で切り返してばかりの人とも、

長時間いっしょにいるのは辛い。

抜けていて、ホッとできる。

ゆるいレスポンスで、深く考えないで話せる。

そんな自分の中にバカをもっていてくれる人とは、

気楽にいられる。

激動の人生で、高速度で走る人生で、

攻守入れ代わる人生で、生き馬の目を抜く人生で、

力を入れずに付き合える人は貴重だ。

できれば、バカをもっている人を仲間にしたい。

反対に、あなたがバカをもてるようになると、

人は心を許しにあなたに集まってくる。

人間は、どこかバカに助けられながら生きているのだ。

成果のために前へ

(今日のコトバ)

 

後ろに逃げるのではない。

前へ逃れるのだ。

 

 

 

前へ進めなくなったら、勝ち目はない。

成し遂げる何かがある時、

どうにかして前進したいものだ。

その時、すべてを強引に勝ち進むだけでなく、

ゆっくり着実にステップアップしていくのでもいいし、

どうにかこうにか危機を切り抜けるということでもいい。

つまりは、後ろには戻らない。

前だけ見つめてがんばる意志をもつ。

前へ進んでいれば、必ず幸運がめぐってくる。

後ろに戻れば、嫌なことがまた降りかかる。

人は、成果をあげて進化する習性をもっているのだから。

成果をあげたければ、前へ進め。

扉は才能で開かれる

(今日のコトバ)

 

キミが期待の星になれる場所にいこう。

 

 

 

はなから望まれていなかったり、

拒否反応を起こされている場所にいくのは、

気持ちのいいものではない。

できれば、期待されて、笑顔で迎えられたい。

そのためには、才能という武器をもって、

「期待されない場所」を「期待される場所」に

変えてしまうことが手っ取り早い。

扉は、つねに閉じられている。

扉の向こうの人間が扉を開くのは、

ノックした人間に魅力のある時だ。

商品を持参して売り込むのもいい。

おしゃべりで楽しませるのもいい。

一芸を実演してみるのもいい。

とにかく、扉の向こうの人間に期待をもたせる。

そのことから、世の中のむ様々な扉が開き、

新しい人生がはじまるのだ。

自信をもって、しかし柔軟に

(今日のコトバ)

 

成功に、温存なし。

 

 

成功しようと思ったら、

何かを隠し隠し策略を練るより、

出来たことからどんどん発表して、

真価を問うことが大切だ。

ちょっと出来たものを、

盗まれるといいながら、

大事に心の金庫に閉まっていると、

誰にも発見されずに終わってしまう。

こそっと小説を書いていて、

誰にも見せずに自己満足している。

その書いたことだけをまわりの連中に話ながら、

誰にも読ませない。

実は、「つまらない」と他人から烙印を押されるのを恐れている。

もっというと、自分でも「つまらない」と薄々勘づいている。

それがいちばん危ないと思う。

最初は誰でも最高なものなんて出来やしない。

人の目にふれることで、修正する部分、発想の転換など、

次々に自分の才能の活かし方を発見できる。

本当は天才かもしれない才能を、

心の金庫に閉じこめて、ただの落書きで終わってしまう。

成功したければ、人の前に発表しなければならない。

そして、人の目は冷たく厳しいものだけでなく、

あたたく賞賛の目ももっているのだ。

だから、自信をもって、しかし柔軟に実力を試してみよう。