壊さず幸せになる

(今日のコトバ)

 

怒ってばかりいると、

幸運もよりつかない。

 

 

 

 

嫌なことばかりがあって、

一日イライラしてしまうことがある。

「今日はツイてない」などと思いこむ日もある。

ひとつのきっかけで腹が立ち、

連鎖的に怒りが止まらなくなる。

最近、街では簡単にキレる人もよく目にする。

だが、何度も怒っみて、キレてみて自分自身思うことは、

「怒らない方がよかった、キレない方がよかった」と、

後悔してしまうことだ。

自分が怒ることで壊れてしまうものは、あまりにも多い。

人間関係、仕事関係、恋愛関係。

生きていく大事な部分が接触不良を起こしてしまう。

理不尽なことを我慢してばかりも体によくないが、

一回気持ちをのみこめば済むことがほとんどだ。

そして、のみこんでしまえば、

壊したくなものを壊さずに済む。

ちょっとの我慢が、幸せを維持してくれる。

人間はガマンすることで、幸せになることが多いのだ。

「気」は生き物だ

(今日のコトバ)

 

人間の正体は、気持ちです。

 

 

 

気合いでがんばる、気概をもってがんばる、

勇気をもって挑む、元気を出す。

何かにトライする時に、

必ず必要になってくるのは、「気」だ。

「なにいってる、そんなことわかっているよ」

と人は簡単にいってしまう。

ただ、その簡単なことが、

人生の節目節目で大きな意味をもってくる。

ほんとうに気合いがあるのか、

全力で勇気を出したのか、

元気があるのか。

コンディションの問題で、

「気」の部分が発揮できないこともある。

そして、その「気」を出せないことで、

人生の大切なものを失ってしまうこともある。

逆にいえば、「気」を発揮することで、

人生の大切なものを手に入れることができるのだ。

で、その「気」を発揮するのに、いちばん大切なのは、常日頃、

「気」を出す訓練をしているかにかかっている。

気合いの入らない状況でも、気合いを入れてがんばる。

怖くても勇気をふりしぼる。元気を思いっきり出す。

「気」は生き物だ。使っていなければ死滅してしまう。

そして、その「気」が現れた状態が人間自身になる。

つまり、「気」はあなた自身なのだ。

本物は、自分を信じている

(今日のコトバ)

 

どアホを、極めろ。

 

 

バカにされて悔しい思いをするなら、

徹底的にバカをやって、あいつは本物のバカだとレッテルを

はられるぐらい何かをやってしまおう。

犯罪をせよというのではなく、

自分の信じた道が人と違う道でも、

自分の行きたい道が世の中からはみ出た道でも、

その先に未来が見えるなら突き進め。

ヒーローやスーパースターは、

みんなどこか脱線しているけど、

自分のロジックで走り続け成功した。

本物は、自分を信じている。

だから、あなたも自分を信じてみよう。

信じて、信じて、信じていけば、

きっと、「本物」という自分の極めた形をつかみとれるはずだ。

勝負して自分を解放する

(今日のコトバ)

 

勝負しないと、腐り出す。

 

 

真剣勝負している人は、輝いている。

立ちふさがる敵に向かって、勇敢に挑む姿は美しい。

目的もなく勝負を賭けない人とは、

オーラが格段に違う。

勝負している人は、目には見えないビームを放ち

自分の世界を強烈にアピールしているのだ。

だとしたら、勝負している側がいい。

自分のもつ大きさ、自分のもつ強さを、存在と共に訴え、

もっと自分を自由にできる。

「私」という自分が明解に理解されれば、

生きるのがもっと楽になる。

そう、勝負することこそ、自分を解放することなのだ。

元祖自分は永遠に不滅

(今日のコトバ)

 

以下同文で、人生は卒業できない。

 

 

誰ひとり同じ人生などない。

すべての人生がオリジナルだ。

どんなに負けがこんでいる人生でも、

どんなにツイていない人生でも、

他人はまねができない。

ならば、その人生を愛そう。

愛せなかったら愛する方法を考えよう。

「元祖自分」は永遠に不滅なのだから、

嫌いなってしまったら一生つまらなくなる。

人生が終るその時まで楽しんで生きれるように、

自分のいいところ、自分のオリジナルを探して

豊かに暮らしていこう。

一生は、一度しかないのだから。

言葉は生きるための武器

(今日のコトバ)

 

言葉を積み上げるだけでも、一財産。

 

 

言葉は人を助け、言葉は人を絶望に追い込む。

言葉は愛を育み、言葉は別れを告げる。

言葉は夢を実現し、言葉は非生産の化身でもある。

それらすべてが真実だ。

言葉は失うものもたくさんあるが、

いちばん簡単に価値を生み出し、

その価値で自分の世界も広がり、

実績を積むことにもなる。

だからこそ生きるための武器として、

不変的に使われる言葉の価値を、

もう一度、認識しよう。

どれだけ言葉に救わせれたか。

どれだけ言葉に守られたか、を。

前向きに怖いものなし

(今日のコトバ)

 

後ろ向きに走ると、

悪事が追走してくる。

 

 

振り返ってばかりいると、

思い出ばかりに寄り掛かり、

前進もうとする気持ちを失う。

昔の自分の楽しかったこと、

過去の栄光にひたってしまい

足も、気持ちも動かなくなる。

あげくの果てに、

気持ちがポシティブでないことで、

少々の諍いが大きなトラブルになることもある。

百害あって一利なしだ。

そのぶんをポジティブに考えていけば、

何事にも高いモチベーションで向かえる。

人生の障害物にも敢然と立ち向かえる。

新しいことにのぞめば、

新しい人生の展開も開ける。

いざ、前向きに。

前向きに走っているところに、

怖いものはない。

動けば「負」は消える

(今日のコトバ)

 

負を背負っているなら、

背負い投げで投げてしまえ。

 

 

「負」の財産をもっていると、

気が弱り、動きが鈍くなってくる。

ものごとをネガティブに考え、

悪い結果だけを想像してしまう。

自分自身の細胞が固まってしまう気さえする。

その時、一度に負の財産をプラスにできはしないけど、

まず、気持ちで負けてはならない。

気合いをいれて、頬を自分ではるぐらいの行動を起こそう。

「負」の財産は、動かないと倍々で増えていく。

逆に考えれば、動き出せば負の財産は段階的に減っていく。

もし、いま、あなたが「負」を背負っているなら、

とにかく動こう。無駄でも、徒労に終ってもいいから動こう。

そうすれば、「負」のない明日が見えてくる。

堂々と主役をはる人生

(今日のコトバ)

 

誰かの物語で、自分を主役にしようとすると

キャスティングからはずされてしまう。

 

 

 

誰かには誰かの人生があって、

誰かが自分のために舞台をつくる。

その舞台に勝手にあがり、

自分を主役にしろといっても叶うものではない。

時々、自分の人生がうまくいっていないからと、

他人のものに手を出そうとする人がいるけれど、

それはとても失礼なこと。

ましてや、うらやましいだけで、

他人の領域を侵犯すると、

恨みをかって痛い目にあうこともある。

たまに、「俺のものは俺のもの」「お前のものは俺のもの」

というジャイアンみたいな人がいるけれど、

こういう人はどこかで破滅する。

やはり、自分の道は自分で切り開き、

自分の舞台は自分でつくるしかない。

もちろん、誰かのサポートは必要だ。

なくてはならないといっていい。

ただし、そこに意志という自力ありきの話だ。

これから人生をほんとうに豊かにするならば、

自分の力で舞台をつくろう。

そこでなら、堂々と主役をはれるのだから。

極めるまで続けて顔をつくる

(今日のコトバ)

 

なぜだ、一流と二流の差は顔でわかる。

 

 

 

金メダルとるアスリート、サッカーのスーパースター、

ノーベル賞を受賞する科学者、大俳優、大作家など、

どの分野でもトップとよばれる人たちは、

顔つきが違う。自信にあふれているというか、

風格が違うというか、ただ者ではないたたずまいがあるのか。

とにかく、知らない分野でも顔をみせられるだけで、

一流とそうでない人の見分けがつくような気がする。

テレビ番組で一流の芸能人を証明するのに、

高級ワインと安物ワインを飲み比べて決めたりするゲームがあるが、

実は人間の顔ほど一流をあらわしてしまうものはない。

まったく知らない分野の人でもトップランナーと

そうでない人の比較はいちばん簡単なのではないか。

では、なぜ顔の表情だけで違いがわかってしまうのだろうか。

それは、汗をかいた量、努力の数から生まれる自信が、

オーラのように発せられ、目に見えなくても

人の感度がキャッチしてしまうのからではないだろうか。

だとすれば、努力の数を極めるまで続けることがは、

自分を高いステージにあげることになる。

勝ったり、負けたり、成功したり、失敗しても、

それらの経験すべてが自分をステップアップさせる。

そして、飛び抜けて努力を繰り返せば、

それが顔にあらわれオーラをはなつ。

なにも一流やトップランナーだけが素晴らしいとはいわないが、

もし、自分で高いポジションを目指すのであったら、

極めるまで何か続けて、顔をつくることが必要だ。