肩書きに依存しないで生きる

(今日のコトバ)

 

人間なんて肩書きをとってしまうと、

ライオンだってサルになってしまう。

 

 

 

大声で吠えていた社長が失脚すると、

本当に蚊の鳴くような声で、いじめらてばかりの子のように

弱々しくなってしまう。

在任当時は、部下をどんどん怒鳴りつけ、

剛腕で会社をひっぱってきた社長も、

肩書きを失った瞬間、大きい顔と恐怖の顔を

どこかに捨ててしまう。

社長だけではなく、あなたの身近かにも

似たようなケースはたくさんあるはずだ。

クラブのキャプテンが、番長(もうないか)が、

PTAの会長が、取引会社の担当者が、

自分の仮面ともいうべき肩書きを失った時、

力なく別人ようになってしまったことに

遭遇したことはあるだろう。

人は下で動かされているよりは、

上で下を動かしたいと思う。

その時、上へいけばいくほど、

大きく、怖い仮面をつけて、

下の人を威嚇する。

そのことが本当の自分であると錯覚してしまう。

でも、本当はひとりでは生きていけないただの人間なんだ。

ライオンでも、オオカミでも、ヘビでも、ワシでもない。

ちょうど幼稚園のおゆうぎ会でつけたお面を、社会でつけているだけなんだ。

だから、肩書きに依存して生きるのはやめよう。

本当の自分が問われた時、弱々しい自分を露呈する。

肩書きは肩書きでいい。その横にいる自分を大切にしよう。

最後に救ってくるのは、助けてくれるのは、

素顔をあなたを信じた人たちなのだから。

心の欠けた部分を補強する

(今日のコトバ)

 

甘えられる人・場所・時間を大切に。

 

 

 

寂しい時やつらい時に、誰かに弱音をはけることができる人は強い。

無くした何かを、足らない何かを、

誰かに助言してもらうだけで、誰かに聞いてもらうだけで、

弱さを埋めていける。

この埋める作業ができない人は、

強がっていても寂しさやつらさはぬぐえない。

でも、世界中にたったひとりでいいのだ。

あなたを甘えさせてくれる人をもっておこう。

その人がいるだけで、救われる。

その人がいるだけで、安らげる。

その人がいるだけで、笑える。

その人がいるだけで、元気が出る。

心の欠けた部分を補強してくれるその人が、

あなたの明日を支えてくれるのだ。

外なる敵と戦え

(今日のコトバ)

 

外を見ろ。外に出ろ。外と戦え。

内に向いての戦いでは進歩がない。

 

 

 

スポーツでも、ビジネスでも、なんでもそうだけど。

勝負がかかっている場合、戦う相手は、外にあり、

外敵に勝つことが目的であるはずだ。

しかし、僕らは戦いが大きければ大きいほど、

内なる敵を見つけて、その戦いに躍起になにってしまう。

仲間の動きばかりに気をとられ、仲間をつぶすことに力を注いでしまう。

もっと悪くなれば、派閥をつくり派閥抗争に目的が変わってしまう。

内戦、内乱が発生しては、とても外敵と戦うことはできない。

敵は、外にある。内なる敵に足を引っ張られているようでは勝負にならない。

もし、いま新しい戦いが始まろうとしているなら、

敵が外にあって大挙して襲いかかっていることを、

味方同士でしっかり確認して戦うのだ。

意志を統一して、一丸となって戦うのだ。

勝利という結果を求めるなら、

内なる敵に力を使わずに、全力で外敵と戦う。

戦いは、いつも足並みやバランスをくずした方が敗退する。

神様は前進している人だけ応援している

(今日のコトバ)

 

無欲の前進に、朗報あり。

 

 

 

最高の朗報は、無欲な時に、突然やってくる。

受験や就職の結果も、いい知らせはふいにくる。

逆に、いまかいまかと一分一秒力んで待っていると、

ほぼ朗報はこない。

ほんとうは無欲ではないのだが、

次に向けて前進している姿勢をみせていると、

いい結果が得られ、その場で止まっていると、

わるい結果が届くような気がする。

これは、人生の中で唯一、神様にコントロールされて

いるのではないかというぐらい同じパターンで結果が出てくる。

それは、「神様は前進してる人だけ応援している」

ということなのだろうか。

前向きだから運命が味方してくれたのだろうか。

それとも、偶然が続いているのだろうか。

もう少し人生をの中で研究して答えを出したい。

クイックレスポンス

(今日のコトバ)

 

その場でやってくれない人は、

いつまでたってもやってくれない。

その場でやる人であれ。

 

 

 

頼み事をして、クイックレスポンスをしない人は

何を頼んでもやってくれない。やろうとしない。

時々、気が向いたようにやってくれたり、

何度も何度も頼んでやってくれたとしても、

こちら気分が不愉快になる。

頼む事が面倒くさくなるくらいなら、自分でやった方がいい。

それが、自分サイドのスタンス。

とすると、相手も同じ事を考えている。

だから、あなたも何かの依頼に対し、

クイックレスポンスをしてあげよう。

できることは、すぐ行動に移し、

できないことは、できないとはっきり答える。

できないということも、クイックレスポンスなのだから。

そして、自分と相手のやり取りをすばやくしておけば、

スープの冷めない関係でいられるはずだ。

ピュアゴールドな心を忘れずに

(今日のコトバ)

 

コドモをいつまでもっているか。

カッコイイオトナの戦いです。

 

 

 

子供の幼児性を維持しようというのではなく、

純真で素直な気持ちを大切にする。

その気持ちが生き方の所々で表現されている。

なにも大人を否定しよういうのではなく、

大人の中にも持つべき、ピュアな生き方が、ピュアな気持ちが、

どこかにあることって、とってもカッコイイことだと思う。

いい年のとり方をするために。心地よく暮らすために。

そして、まっすぐ生きるために。

子供のピュアゴールドな心を忘れずに。

幸福は、普通の生活のどこかにある

(今日のコトバ)

 

幸福も大量摂取してはならない。

必ず人生のバランスを破壊されてしまう。

 

 

 

宝くじで億万長者になった人が、

幸福から一転、不幸のどん底に堕ちてしまうことって、

よく耳にする話だ。

本来なら一生暮らしていける金を手にして、

楽しく、豊かに、生きていけるはずなのに。

幸福を散財で使い切ってしまう。

幸福をひとり占めして使う切ってしまう。

幸福を悪事に利用して使い切ってしまう。

幸福を詐欺師にだまされ使い切ってしまう。

大波のようにやってきた幸福で生活の重心が狂い

生きていくバランスを失ってしまうのだ。

幸福は、普通の生活のどこかにある。

不幸な生活の中にも、幸福の芽はどこかにある。

いままで生きてきて、ほどほどの人生であれば、

きっと、上手に幸福を使ってきたのだ。

自分の生活にちょうど良い幸福が備わっていたのだ。

幸福は大切だ。できれば、たくさんの幸福に恵まれたい。

ただ、幸福をたくさく手にしても、

自分の生きるペースは変えずに行こう。

自分が生きるペースを変えてしまうと、

身についていた幸福は、すぐに不幸に蝕まれていく。

人生もいきなり負の世界に舞い込んでしまう。

ゆっくりでいい。不器用でいい。マイペースでいこう。

その生き方には幸福が一緒についてきているのだから。

絆で結ばれた愛のある人に

(今日のコトバ)

 

お願いを聞いてもらうには、愛が必要だ。

 

 

 

 

自分の恋人、自分の子供、自分の親などの頼み事は、

素直にきいてあげられる。時々、けんかしたり、冷戦期間中だったりして、

わざと頼み事を受け付けないこともあるけど、

身近で無償の愛のある人の頼み事は、きいてあげられる。

また、仕事や遊びでつくりあげた関係でも、

友好に築かれていれば、頼み事は比較的きいてあげられる。

ただ、つきあいもなく、知っているだけで物事を頼んだり、

誰かの紹介で頼まれても積極的には、行動できない。

もちろん、人が良くて何でもしてあげてしまう人もいるけれど、

やっぱり、関係の強固な方を優先してしまう。

人は絆で結ばれた愛ある人のために、頼み事をきく。

だから、あなたも絆の強い人をたくさんもとう。

頼み事がたくさん叶うように。

楽しめる「ゆとり」は美しい

(今日のコトバ)

 

ゆとりってさ、

いっぺん壁を越えた人が考える

心の広場。

 

 

 

ほんものの「ゆとり」は、簡単には生まれない。

大なり小なり人生の壁を越えてきた人にだけ許される心の広場だと思う。

ただ、金にものをいわせ成金生活をする人が、

億ションや高級外車の購入、ブランドファッション、海外旅行などに

投資し、引き換えに「ゆとり」に似たものを手に入れている。

それは、「ゆとり」ではないような気がする。

お金で、一流のもので身を固めてた人は、とても胡散臭くみえる。

「ゆとり」をひけらかしているわりには、ちっとも身についていない気がする。

お金の力を価値と考えるている。お金の力で権威を買っている。

あの人たちは、「ゆとり」ではなく、優越感を手に入れているだけなのだ。

ほんとうはお金と関係ないところで、

素晴らしさを感じさせられる人の方が、よっぽど「ゆとり」があると思う。

魚を釣る、さばくことが上手い人。街の風景を描く街の達人。

仕事後に、フットサルで嫌なことをすべて発散できる人。

お酒に合わせて、おいしい料理を作れる人。

小径の先のあまり知られていない絶品の店を知っている人。

困った人に、的確なアドバイスができる人。

家を自分で建ててしまう人。

キャンプで一週間いても楽しむことができる人などなど。

でも、それは人生経験が豊かでしっかり生きてきたからこそ、

生まれてきた「ゆとり」ではないだろうか。

ちゃんと楽しめる「ゆとり」は、美しい。

できれば、ほんものの「ゆとり」を身につけた人になりたいものだ。

「わからない」は無視されない

(今日のコトバ)

 

未熟だから、いまはわからない。

わからないという答えも、

胸をはる答えのひとつ。

 

 

 

わからないことを、わからないという。

大人になるとできそうで、できないことのひとつだ。

知ったかぶりをしたり、話を次の話題に変えたりして、

正面きって「わかりません」とは、なかなかいえない。

でも、「わからない」は、はっきりいうべきだと思う。

でなければ、その先の展開についていけないし、

わからないまま物事を放置しておくと、

後で痛い目にあう原因になる。

そして、世の中はそれほど厳しくなく、

「わからない」といっているものを無視することはあまりない。

「わからない」ということが答えのひとつだと知っている。

すこし勇気を出して、未熟な部分を補おう。

「わからない」といった瞬間に、

まわりにいる人々が、いちばんいい答えを

教えてくれるかもしれないのだから。