反体制のジェラシー

(今日のコトバ)

 

社会は、体制と反体制のジェラシーゲームだ。

 

 

 

歴史物語や闘争をテーマにしたドキュメンタリーで、

反体制のリーダーが、体制を転覆させ天下をとる。

そのリーダーは反体制の時、ビジョンも、行動も優れていた。

しかし、天下という体制にまわった瞬間、体制と同じことをして

いっぺんに魅力がなくなり、仲間達の信望を失い、批判の的となる。

歴史だけではなく、会社員が出世していくたびに、

どんどん会社のいいなりなり、「昔はとんがってたのにな」

といわれたり。部活の先輩の発言、行動を批判していた人間が、

先輩とよばれるようなると、先輩よりつまらない先輩になる。

たぶん、反体制の中には純粋に体制の悪しき慣習をぶちこわそうする

気持ちはあるのだが、その気持ちの中の20%いや40%ぐらいは、

権力に対するジェラシーがあるのではないだろうか。

ジェラシーのすべてが悪ではないが、そこから生まれる力も信じるが、

できれば純粋な気持ちで社会を見つめ、

地位や名誉や肩書きが変わっても正しいスタンスをとれる人間に

なれたら素敵だと思う。それは、とてもとても難しいことだが。

新しい発見は踏み出した足の先

(今日のコトバ)

 

カラダで考える。

その方が答えが早い。

 

 

 

思いついたら、すぐに行動する。自分が動き出せば、

自分が何かを見つけようとする。自分が動き出せば、

まわりが同じ方向を向いて、あるいは違う方向を向いて、

答えを探しはじめる。アタマを巡らせて、あれやこれや考えるより、

自らが動きながら考える方が、

より早く、より楽しみながら答えを導き出せる気がする。

パソコンの前にどっかりと腰をおろしてばかりいずに(自戒をこめて)、

扉を開けて目的を達成するための答えを見つけにいこう。

新しい発見は、踏み出した足の先にあるはずだ。

癖は才能

(今日のコトバ)

 

癖は隠すな。

表に出せば才能だ。

 

 

 

長所は短所になり、短所は長所になる。長く生きていると、

自分の装備した能力が、ある時には利点として力を発揮し、

ある時には欠点として足をひっぱることに気づく。

「落ちつきのない子供だ」といわれた少年が、

大人になると機転のきく、素晴らしい人物に成長したりする。

もっと大きなくくりでいうと、不器用な人間が

不幸かといえば、そうともいえない。

いや、企業の社長の立志伝などを読むと、

不器用だから頂点にのぼりつめた人も多い。

地味で、無駄で、時間がかかることを

コツコツやって成り上がった人ばかり思い浮かぶ。

癖だって欠点ばかりとはいえまい。

思いきって披露し、堂々と認めさせれば

あなたの大きな武器になる。

もしかして、人生の一大事にプラスの力を発揮し

明日の危機を救ってくれるかもしれない。

だからこそ、あなたのもっている癖を大事にしよう。

それは、とても貴重な才能なのだから。

「情」は人と人の間に

(今日のコトバ)

 

挫折という骨折をいち早くなおすのは、

情という松葉づえです。

 

 

 

デジタルの時代になって何年たつだろう。製品、技術、そして産業と

様々なものがアナログの時代の終焉をむかえていく。

その世の中でいちばんデジタル化したものは何だろう。

それは、人だ。もっと声高にいわれてもいいのだが、現代人、特に

若者や子供の表情から、あきらかに喜怒哀楽が消えている。

人生の早い時期から、人と人の交流より、

コンピューターとの会話を重視する。人権問題だと

怒る殴る大人がいなくなる。やたらとルールでがんじがらめにされる。

昔いた鼻水をたらして風をきって遊んでいた少年のような

元気が感じられなくなっている。

発展途上国のドキュメンタリーを見ると、食料もままならない現実に、

僕らは悲しくなるのだが、救われるのは子供たちの瞳の輝きである。

あの瞳には「おなかいっぱい食べたい」「学校へ行きたい」

「親と暮らしたい」という小さいけれど大きな希望がキラキラ光っている。

貧しさゆえに自分の手ですべてを完結しなければならない。

人と人が助け合って知恵を働かせなくては生きていけない。

そんな暮らしの中に、人が忘れてはいけない「情」というものがある。

「情」は弱ったり、困ったりしている人の間に派生するものだ。

貧しくなく、誰からも干渉されることもなく、

ひとりの世界観だけで生きていける社会では、退化していく本能なのかもしれない。

しかし、まわりを見渡せば心を病んでいる人がどんなに多いことか。

自殺者がどんなに多いことか。そして、

いまこの時間に苦しんでいる人がどんなに多いことか。

人が進化を急ぐあまりもたらしてしまった病が蔓延している。

病が蔓延するのなら、人の知恵で病を防ごう。

人の進化のスピードを止めるのは難しい。

ならば、「情」を心に持ち続けよう。

「情」とは、人と人の間に生まれるもの。

落ち込んでる人に声をかけてあげる。

挫折している人に話をしてあげる。

それだけで、人と人の間に「情」が生まれる。

人は話してくれる人がいるだけで、強力な味方をもつことになる。

生きていくヒントを見つけることだってできるのだ。

欲の領域

(今日のコトバ)

 

欲を捨ててしまって幸せになる主義。

 

 

 

欲の領域をどこまで広げるか。大きく広げれば広げるほど、

幸せの着地点が変わっていく。

「たったこれくらいで嬉しくなれる」

「たったこれくらいだから不満だ」

人の持つものさしの長さによって気分は大きく違ってくる。

何もすべての欲を捨ててしまうことはないが、

必要以上に満足しないと気がすまない性格では、

不満や不愉快になりやすく、楽しい日々をおくれなくなる。

ならば、ちょっと欲を捨てて、ものさしの長さを短くして、

幸せな気分になってしまうのも、生きていく方法のひとつだ。

幸せのスペック

(今日のコトバ)

 

休んでわかる、

忙しいのは幸せなことだ。

 

 

 

少し前に入院した時の話。入院直前まで忙しく

連日タクシー帰りの日々だった。

命にかかわる手術ではないため、入院前日も深夜まで働いて、

いざ入院、その日のうちに手術をした。

3日4日は傷口の痛みでうなっていたが、

一週間もすると腫れも引き体調はすこぶる回復してきた。

と感じた瞬間、だんだん退屈になりはじめ、ゴロゴロしている

だけでは物足りなくなる。

本を読んでも、テレビを見ても、時間が進まなくなる。

どうしたことだ?あれだけ欲しかった休みがとれているのに、

少しも楽しくない。癒されない。

何かをやる目的があって、それを遂行することができないと、

いきいきと暮らせない。生活のリズム、精神のバランスをとることができない。

人は、ある程度の忙しさの中でこそ、

気持ちよく生きていける動物だとベットの上で理解した。

案の定、入院10日目を過ぎたあたりから、見舞客が来るようになると、

来客数に応じて、ムクムクと血が元気になるのを感じた。

人によって、忙しさの基準は違うかもしれない。だが、

その人なりのほどよい忙しさは、幸せのスペックであり

とても重要なことなのだ。

上原隆著「雨にぬれても」

こんな時代に、こんな時代だからこそ、ジワジワと読者からの評判をよび、

書店では平積みされPOPが飾られている作家がいる。

ノンフィクション作家、上原隆。

隣りにいる、まわりにいる、誰もが出会ったことがあるような人間を、

短いルポでまとめあげ、心をうつ。

挫折した人間、堕ちていく人間、夢を壊してしまった人間、

現状に納得していない人間、岐路に立って困っている人間、人間、人間。

この本には人間以外何も書かれていない。

傷を負っていない人間は誰も書かれていない。

「人間生きていれば、傷のひとつやふたつ誰だってあるじゃないか」

そんなメッセージをこめた人間模様を描いた作家だ。

 

作者を知ったのは書店で前々作「友がみな我よりえらく見える日は」という

本を見た時だ。そのタイトルを目にしたと同時に

就職二年目に学生時代の同期6人と居酒屋で再会したことを思い出した。

当時、広告の弱小プロダクションに勤めていた私と、

ほかの5人で給料の話をした時、あまりの差に愕然としたのだ。

「今年は業績がよくてボーナス8ヵ月でるんだよ」

「この間、金一封で10万円もらってね」

「福利厚生がよくて世界各地の施設がただで使えてね」

「で、お前は?」

世はバブル全盛。これぐらいの会話はあたりまえの時代、

年収100万円ちょっとの私は、話題を変えるのに必死だった

記憶が鮮明に残っている。

その時、「なんてあいつらえらくなったんだろう」

と真剣に思ったものだ。金じゃない。まだ、社会の新人なのだから

いくらでも差は埋められる。逆転できる。

そう思っていあの頃を、

たった一行のタイトルで蘇がえらせてしまったのだ。

 

その本で出会った世界は、まさに卒業アルバムを広げて

「あいつどうしてるかな?」

「親父の店継いだけどうまくいってないみたいだ」

「あいつは?」

「ずいぶん早くに結婚したけど離婚した」

「あの子は、どーよ」

「卒業したら見間違えるほどきれいになっちゃってさ」

なんて会話の中に出てくるような主人公がたくさん登場する。

生の人間を書いているのだから当然、

ハッピーエンドばかりではないし、

むしろ塩辛い人生の方が多数だ。

しかし、なんだろう、この心地よさは。

筆力としかいいようがないのだが、気持ちがふさぐことなく

むしろ、明日への活力にさえなる気がする。

いままで、あまり日本では体験したことのない作家なのだ。

例えれば、ピート・ハミルの「ニューヨークスケッチブック」や

ボブ・グリーンの「アメリカン・ビート」のような読後感かもしれない。

例えれば、クラッシックやジャズやましてやヒップホップではなく、

シンプルなロックンロール。それも誰もができそうでマネできない

ローリングストーンズのような高揚感かもしれない。

 

最近は、インターネット発の無記名な小説やドキュメンタリー?が

ヒットしているが、どっこい人間はこうやって描くんだよと、

さりげなくメッセージしているような作家だ。

新作「雨にぬれても」(幻冬舎)は前作、前々作同様、街にいる平凡な人を取材し

人生の数だけ読者を楽しませてくれている。

 

ぜひ、上原隆を未体験の方は体験していただきたいと思う。

明日のステップ

(今日のコトバ)

 

終ったことを捨てられないと、

始めるスピードは遅くなる。

 

 

 

ひとつのオーダーを受け、作業を完了した。

しかし、方法論や内容に不満が残る。

反省はおおいにするべきなのだが、

後悔や悲観ばかりしていては次のテーマに臨む時、

気持ちよく臨めない。その分だけ集中力も欠き

勢いのあるスタートダッシュはきれない。

であるなら、終ったこと中に検証、後悔、悲観などを含めた

反省すべきすべてを積み込んで一回ピリオドをうってしまおう。

心の中で一回忘れるくらいのつもりで完結させよう。

また、新鮮な気持ちで新しいテーマに挑めるように。

そのことを肝に銘じるだけで、

そう考えるレッスンをするだけで、

明日のあなたのステップは、

少しだけ軽やかになるのではないだろうか。

相勝ち

(今日のコトバ)

 

相手に勝たせて、自分も勝つ。

相勝ちがいい。

 

 

 

一方が勝って、一方が負ける。力の違いを判定して勝負を決める。

スポーツの勝負のような時代は終わったのかもしれない。

日本もグローバルスタンダードに合わせ、自分達だけではない、

一緒に仕事を成立させていこう考え方のなかで

もはや負けをつくってはいけない時代になってきている。

ふたつ以上の力で課題に取り組み、協力して解決していく。

ひとつが大きな利益を生んで、その分野を牛耳るのではなく

共にに協力しあって利益を生む。

21世紀になり、進化も速まり、世界中が同じ解答を出すことが

可能になった現在、つねに意識の中にwinwinの関係、

つまり相勝ちがより必要になっているのではないだろうか。

笑いの効能

(今日のコトバ)

 

100倍笑え。

カラダは100倍浄化する。

 

 

 

大笑いした後の、あのスッキリした気持ちは、

体内の汚れたものを浄化させ、きっと、カラダをよくしているはずだ。

根拠はないが、自分自身で人体実験している

データを考えると、あながち間違ってはいないと思う。

飲み屋で、会社で、テレビの前で、

腹がよじれるほど笑った後は、なぜか、その時までにためていたストレスが、

きれいに消えた気がする。しばらくの間、気分が爽快になる。

まわりで、よく笑っている人間も特別健康そうだ。

逆に、深刻な顔や辛そうな表情している人は、

必要ないストレスまでかかえていそうだ。

噂では、笑いが健康いいことは証明されているらしい。

ならば、一生の笑いの時間が長い人間と少ない人間のデータをとれない

ものだろうか。笑いでガンの発生率が激減!などと証明できれば、

人は笑いにさらなる希望をみいだす。

みんなが笑っている明るい国に変われるかもしれない。

みんなが健康な国に変われるかもしれない。

そして、自然とみんなが平和を思考した国になっていけるのではないか。