残しておく温かさ

(今日のコトバ)

 

友情は、いちばん気をつかって

残しておく温かさだ。

 

 

 

慣れてくると、甘えがはじまる。甘えがはじまると、仮面を脱いで

だらしない自分を披露してしまう。何も悪気があるわけではないが、

あの人なら自分のすべてを受け止めてくれるだろうと、一方的に考えてしまう。

特に友情とよべるものを必要以上に感じでいる友には、そう思ってしまう。

しかし、その甘えの構造は、違う血の流れる人間には重くのしかかってしまう時がある。

のしかかるだけではなく、度を超して心の領域を侵犯し、

その友との縁を切ってしまうことさえある。

自分におきかえても、これぐらいはと友にお願いしたことが、

相手にとっては不愉快この上ないことで大げんかをしたことがある。

本当はいちばん大切にしなくてはいけないものなのに。

いちばん大切にしなくていけないものなら、なおさら

慎重に、大事に、心地よい距離をおきながら

付き合わなくてはいけないものなのかもしれない。

それを、できるようで、できないのが人間でもある。

本物の友は、生涯のための宝だ。

だとすれば、やはり友情は最大級で大切にするもなのだ。

あなたには、本物の友はいますか。

人格という武器

(今日のコトバ)

 

宿命という山を、

人格というシャベルで掘り起こし、

人生という道をつくる。

 

 

 

生まれた時に、もうどうすることもできない宿命という状況がある。

ただし、人間は生まれたまま、ただ大きくなるのではない。

人格という人生を切り開くための武器をもって成長していくのだ。

この武器が、どんな状況もドラマチックに、ロマンチックに演出し、

一生という舞台を作り上げてく。人格が悪いといわれることは、

武器が悪いということことではない。ただ、もしかすると

使い方を間違っているかもしれない。

みんなに理解されていないのかもしれない。

人生は長い。その人格という武器をゆっくり見つめ、対話し、

有効に使うべきではないか。

うまく使えば素晴らしい人生という道ができ、

満足感のある人生がおくれるはずだ。

キャンペーンをはる

(今日のコトバ)

 

自分が何者かキャンペーンをはれ。

人はキミに懸賞をつける。

 

 

 

どんなに高い技術をもっていても、誰にも知られなければ、

宝のもちぐされになってしまう。例えば、日記のようなもので

おもしろい文章を書いていても、自分以外の人に知られなければ、

文章力は伝えられない(ゆえにブログは画期的な媒体であるのだが)。

他の分野でも「やればできる」といいながら発表しなければ、

真価も問えない。いま、あなたが世で試したい能力や技術があるのならば、

明確に「私は、○○ができます」と宣言しよう。

その看板をみた人があなたに価値をつけ仕事を依頼してくるはずだ。

文句は悲鳴

(今日のコトバ)

 

文句は悲鳴だ。

その中に真実がある。

 

 

 

他人が文句やグチをいう時、気持ちの弱さや軽薄な印象を受けてしまうが、

本当にそれだけだろうか。自分を守るため、あるいはみんなの権利代表として

文句をいってる言葉には、正論や反対意見の名を借りた悲鳴が隠れていると思う。

怒り出して文句をいってる人に「こいつこんなこと考えていたんだ」と

感じたことは多かれ少なかれあるはずだ。でも、よくよく考えてみると

その人の弱い部分からくるストレートな叫びだったりする。飲み屋でくだをまいて、

グチっている言葉も実は、酒の力を借りて発する悲鳴なのかもしれない。

そして、その言葉には社会のルールを遵守していては語れない真実があるのだ。

だから、文句は受け止めてあげよう。ちょっとのグチも許してあげよう。

悲鳴だと思えば、振り向いて手をさしのべてあげることもできるはずだ。

髪を追う僕

連休明けの月曜日は眠い。休み中の不規則な生活がたたって、

朝からトップスピードにはいれない。いつもなら電車で本を読むのだが、

開いてる席があるとそのまま座り、会社のある駅まで睡眠。

普段、車中の居眠りでは見ない夢をうつらうつら見た。

 

満員電車に飛び乗ろうとする僕を後ろらきたサラリーマンふぜいに、

髪をひっぱられホームに戻される。サラリーマンはひきちぎった髪を

ホームの外へ投げてしまう。その髪を求めて追いかける僕。

改札を抜け髪を追う僕。横断歩道を越えて髪を追う僕。

パチンコ屋の横をすり抜け髪を追う僕。開店前の居酒屋の先へ飛ぶ髪を追う僕。

コンビニの前を飛ぶ髪を追う僕。小学校の校庭を飛ぶ髪を追う僕。

土手から川に向かって飛ぶ髪を追う僕。

「ああ、髪が川に落ちた」

下流に向かって流れていく髪を追う僕。

「ああ、急流にまぎれて髪は消えていく。なんてこった、薄くなりかけた髪を。

命と同じぐらい大事な髪を」

 ってところで、目が覚めた。会社のある駅だ。

髪があってよかった。夢でよかった。ほんとうによかった。

今日からまた、新しい一週間がはじまる。

覚悟

(今日のコトバ)

 

日々覚悟することで、

人はもっともっと強くなれる。

 

 

 

オリンピックに出場する人も、ワールドカップで戦う人も、

受験で大学を受ける人も、企業に就職を目指す人も、

高い壁を超えようとする人々は、明日をかえりみず

心に「覚悟」を決めて決戦に挑むはずだ。

たぶん個人差こそあれ、その日のその人は、

人生史上最高の強さをもって立ち向かっているはずだ。

しかし、「覚悟」とは、そう簡単に決められるものではない。

まして、人生のビッグイベントでなければ、

そうそうお目にかかる言葉でもない。

でも、考えてみよう。毎日を過ごす中で、朝起きたときに

「今日一日、どんなことがあってものりきる」

と腹をくくれば、無防備の一日より、少しだけ強くなれる気が

するのではなだろうか。

いままで手の届かなかった何かに近づけるのではないだろうか。

不動心をもつ人が最後に勝つというが、その不動心の正体こそ

訓練された「覚悟」だとすれば、日々、「覚悟」を意識するだけで

少しづつ強くなれるのかもしれない。

コツコツ、ノロノロ、コトバザウルス

コトバザウルスをはじめて、一年以上になる。

天性の無精であり、継続にはこれっぽっちも自信がない人間が

一年以上、約500本のコトバを発表した。

なおかつ、ブログもスタートしてしまったのだから、

これからの一日一日が大変だ。

ただ、一回は人生をふりかえってみて、自分の経験したこと、

感じたことを文章にしてまとめてみたいという願望があった。

いい機会なので、幼少期、学生時代、社会人になってからの

さまざまなエピソードを書いてみたいと思う。

その中には当然、日々、アップされるコトバの解説もなるべく書いていきたい。

さらには、コトバザウルスを運営している仲間やリンク先の人々とも

サイトやイベントを通じて新しいコラボレーションをしてみたい。

いまも企画を数本かかえており、順次発表していこうと思う。

ちょっとはためになる日記になるか、バカ話に終始する日記になるかは

わからないが、ひとりの人間の個人史として楽しんでいただければ幸いだ。

壮大なロマン?として10年は続けたいと考えている。

なまけ者なので、近い将来、すぐ挫折するかもしれないが

その時のためにこの場を借りて先にお詫びします。

「申し訳ありません」

ああ、これで少し気が楽になった。

コツコツ、ノロノロ、コトバザウルスが歩きはじめます。

どうぞ、よろしく。

プラスの力

(今日のコトバ)

 

笑ってない人は消えていく。

残る人は笑っている。

 

 

 

行動、行為の中で笑ってない人、つまり楽しんでない人は、

途中でリタイヤして完遂できないことが多いと思う。

ひとつのことで成果を出そうとすると、どうしても苦しいこと、

辛いこと、悲しいことが、当然の顔をしてやってくる。

笑ってばかりではいられない状況の中でも、

楽しみを見つけ、ハッピーな気分で物事に立ち向かっている人は、

さまざまな課題をどんどんクリアしていける。

さあ、あなたも立ちふさがる厳しい状況を、

プラスの力に変えて生きていこう。

人生は、もっと素晴らしいものになるはずだ。

行ってあげる

(今日のコトバ)

 

来てくれた方が嬉しいだろう。

行ってあげよう。

 

 

 

待ちの姿勢で結果を得ることはあまりない。

自らアクションを起こして、自ら現場に行く。

さまざまな問題はそこから解決していく。

恋愛だって、たいていヘタな鉄砲でも数を撃つ人間が有利。

マメな奴が思わぬほど成果をあげてしまうのも

行動力からくる結果に他ならない。

「してあげよう」という姿勢は、大きな力になるのだ。

身のまわりを考えてみよう。扉の向こうで、きっと、

あなたを待っている人がいる、かもしれない。

全力

(今日のコトバ)

 

全力を出すから、余力が生まれてくるのだ。

 

 

 

一心に集中し物事に対峙すると、その瞬間にもの凄いエネルギーを発散する。

その後にくる集中から解放された時、人生で最上級の爽快感をおぼえる。

そして、全力を出しきったことで、足らない部分、足りすぎた部分を確認でき、

新しい発想と新しい行動プランを考えだせる。未知数はもっともっと広がるのだ。

全力を出そう。毎日、すべてでなくてもいい。ただ、戦うべきテーマには、

自分の力を最大限発揮し、次のための余力を生むことが大切なのだ。