真実は相手の気持ちを考えて

 

(今日のコトバ)

 

真実で殴ってはいけない。

真実で抱きしめよう。

 

 

生きている間に、

真実が大切になる時は

それほどない。

普段の暮らしの中で、

真実を問う場面はあまりない。

ただ、困難な問題を抱えたり、

人間不信になったりすると、

真実を求めたりする。

だが、その時、

真実を伝えることが、

暴力になることもある。

例えば、病気の告知。

あるいは、不倫の事実等、

真実を知らなければ、

普通に暮らせたのに、

知ったがゆえに、

気持ちが落ち込むこともある。

真実は難しい。

正しいことなのだが、

人の気持ちを

傷つけてしまうこともある。

だからこそ、

真実を告げる時は、

慎重に相手の気持ちを考えて

伝える。

決して、真実で

苦しめるだけではなく、

解決方法も込みで話す。

あるいは、

真実を伝えないことも

一つの気の使い方かもしれない。

真実。

大切なことだから

大切に扱うことを考えていこう。

目標を限界にしない

 

(今日のコトバ)

 

100点を満点と決めることはない。

決めてしまうと

100点が限界になってしまう。

 

 

目標を決めるのはいい。

「ここまで達成しよう」

そう思って努力するのは

大切なことだ。

ただ、目標は最終目標ではない。

一つの目標をクリアしたら、

また新しい目標ができる。

一つ一つ目標を

クリアすることが、

自分の進化にもつながる。

だから、

目標が限界地点と決めなくていい。

もっといえば、

目標を遥かに越えてもいいのだ。

大事なことは、

目標を越えても

足を止めてしまわないこと。

自分の伸びしろに限界を

つくらず生きることが

大切なのだ。

 

 

喜怒哀楽は大切な伝達表現

 

(今日のコトバ)

 

喜怒哀楽は、

感情のプロパガンダです。

 

 

人は、状況に応じて

感情を現す。

特に、喜怒哀楽は

わかりやすい感情だ。

この喜怒哀楽をなぜ現すのか?

簡単にいえば、

いまの自分の気持ちを伝えるため。

喜んでいるのか。

怒っているのか。

哀しんでいるのか。

楽しんでいるのか、、。

相手への伝達方法として

喜怒哀楽がある。

ただ、最近は喜怒哀楽を

表に出ない人が多くなった。

能面とまではいかないが、

何を考えているか

わからなくなっている。

コンプライアンスが

うるさくなり、

大人しくまとまることを

要求されているからか。

だが、人には感情がある。

喜怒哀楽という感情は、

相手へのメッセージにもなる。

だからこそ、

正しい感情を表現していい。

そこから、

相手とのいい関係が生まれる。

人間と人間の深い絆が

育まれるはずだ。

 

行列の先に、幸せ

 

(今日のコトバ)

 

行列の先に、

幸せは待っている。

 

 

ラーメン屋さんの前に行列。

名店の前ではあたりまえの光景だ。

では、どうして行列ができるのか?

それは、おいしいラーメンが

食べられるから。

つまり、おいしいラーメンを

食べることができて、

幸せになれるから。

行列ができている場所の

先には幸せがある。

行列の先に行って、

望んだものと出会えば、

みんな嬉しそうな顔になる。

そう考えると、

行列の先には幸せが

確実にあるといっていい。

だとすれば、

人生の幸せを増やすために

行列を探すのも一つの方法。

生きることが

つまらないと

思っている人がいるなら、

行列に並んでみる。

幸せを増やすために

意識していいことだ。

貴重な一日を生きている

 

(今日のコトバ)

 

今日の終わりに、

「レジにて20%値引きします」

のシールを

貼らないでいい人生にしよう。

 

 

今日一日。

人生の何万分の一かの一日?

記憶に残らない

平凡な一日かもしない。

だが、貴重な一日に変わりはない。

年をとれば、

平凡な一日も

貴重な一日になっていく。

だからこそ、

今日という一日を

価値のなかった

一日にしてはいけない。

価値のない日だと

思う日にしてはいけない。

人生に少しでいいから

プラスになる日にしていく。

短い人生の一日。

貴重な日であることを忘れず、

大切にして生きていこう。

人生は天職

 

(今日のコトバ)

 

人間は、

人生を天職としている。

 

 

どんな人間にも

人生はある。

いい人生と思うか、

ワルい人生と思うか、

その他にも

いろいろな気持ちが

あるだろう。

ただ、一言いえるのは、

自分の選んだ人生は天職。

否、言葉としては

正しくないかもしれないが、

天職にしていかなければ

ならない。

「こんな人生、、、」と

言ってしまったらつまらない。

「素晴らしい人生だ!」と思うべき。

だからこそ、

人生は天職と決めてしまう。

どんな出来事があっても、

この先の人生にはいい事がある。

そう信じて生きる。

人生を堪能して生きるには、

それぐらいの気持ちが必要だ。

言葉の裏腹な力

 

(今日のコトバ)

 

やさしく怒り、

さりげなく褒める。

 

 

 

言葉と行為が裏腹な時がある。

良いといいながら、

ワルいと思っている。

大丈夫といいながら、

辛い。

嫌いだといいながら、

好き。

そんな中で、

怒る時と褒める時もある。

怒る時は、

大声でみんに知れ渡るように、

怒鳴って怒ることがある。

怒った相手のことを考えると、

怒られた上に、

人前で恥ずかしい思いもする。

気持ち的には

思いっきり落ち込んでしまう。

また、褒める時も大袈裟に

褒められると照れくさくて、

素直になれない時もある。

だからこそ、

言葉の裏腹の力を使って、

相手に思いを伝える。

例えば、

怒る時にはやさしく、

褒める時にはさりげなく。

ちょっとした心遣いが

大きく功を奏すこともある。

言葉の裏腹な力は、

伝達能力を

より深くできるのだ。

 

 

欠点を認める許容範囲

 

(今日のコトバ)

 

人生とは、

自分の持っている欠点と

相手の持っている欠点の

戦いである。

 

 

 

どこまで欠点を

許しあえるか。

それが、人生を

つくっているような気がする。

自分の欠点を

相手に許してもらう。

様子をみながら、

バーを低くし欠点を

個性として認めさせてしまう。

仲が良くなればなるほど、

知らず知らずのうちに

認めさせている。

反対に、相手も欠点を

認めさせようとする。

それも、知らず知らずのうちに、

欠点も仕方ないと

思わせようとしている。

人間は、人間社会で生きている。

いつもいつも

正しい人間ではいられない。

だからこそ、

自分の欠点も少しは

許して欲しいと思っている。

そして、

その許容範囲を越えない関係が

いい人間関係になる。

許容範囲を越えてしまうと、

人間関係が

終わってしまうこともある。

「欠点を認める許容範囲」

それが、人生に最も大切なこと。

そのことを忘れてはいけない。

最後の答えは自分で出す

 

(今日のコトバ)

 

困難は、

「人の力を借りてもいいから、

最後は自分で答えを出せ」

という問題のことだ。

 

人生において

難しい問題に

直面する時がある。

どうしていいかわからない。

どうにも乗り越えられない。

そんな気持ちになって、

辛い気持ちになる。

試練だ。

ただ、人生において、

その難しい問題を一人で

解決しなければいけないという

ルールはない。

人の力を借りてもいい。

テクノロジーの力を借りてもいい。

何とか答えを出すことが大切。

そして、最後の答えは自分で出す。

その力が自分を成長させ、

難しい問題も

次回は容易な問題にさせる。

だからこそ、

難しい問題に直面したら

成長のチャンスと捉えよう。

自分という人間が

どんどん成長していくはずだ。

 

 

勝つことも、負けることも、人生にプラス

 

(今日のコトバ)

 

強ければ勝つ。

弱ければ負ける。

人生は

そんな単純でないところに

醍醐味がある。

 

 

勝った。

負けた。

人生では

小さいものまで含めると、

日常茶飯事だ。

勝ったから嬉しい。

負けたから悲しい。

そういう気持ちもあるだろう。

だが、人生は

勝った負けただけではない。

勝ったけれど、

その後うまくいかなくなった。

負けたけれど、

その後素晴らしいことが起こった。

そんなことがたくさんあった。

そして、勝ったことも、

負けたことも

人生の糧になってきた。

だからこそ、

勝った負けたで一喜一憂しない。

否、一喜一憂しても、

すぐに気持ちをリセットする。

気持ちが

プラスに働くように生きれば、

人生は面白くなる。

勝つことも

負けることも人生にプラス。

そう信じて生きていこう。