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(今日のコトバ)
人によって態度を変える人と、
困った時に逃げ出す人は似ている。
あくまでも自分まわりのことだが、
態度をコロコロ変える人と、
困難になった時に力にならない人は
似ている。
というか、同じ人が
兼任しているといってもいい。
よく言えば、機を見て敏。
ワルいいえば、優柔不断。
上記の要素は、
人間誰もがあるものだが、
特に、顕著に出る人たちがいる。
そういった人は、
自分においてのここぞという場面で
味方にはなってくれない。
敵にまわることさえある。
人柄、性格によるものだから、
他人の自分がとやかく言うものではないが、
付き合う時に参考にしたい。
長い人生、
味方と思える人と一人でも多く出会い、
絆を深めたいものだ。
(今日のコトバ)
喜怒哀楽は、
人類が滅ぶまで数字にできない。
人間の感情は複雑だ。
生きものでもっとも
複雑といってもいい。
もちろん、他の生きものに
なったことがないから、
簡単に断言はできない。
ただ、知りうる限り、
人間ほど感情が入り乱れる
生きものはいない。
例えば、感情は喜怒哀楽で現わされる。
喜こぶの喜というが、
喜び方にも多岐にわたる。
全身で爆発するように喜ぶ感情もあれば、
誰にもわからないように
心の中で喜ぶこともある。
怒るの怒だって、
怒鳴るように怒ることもあれば、
目だけで怒りを現し、
感情を表に出さないこともある。
哀しみの哀だって、
号泣・慟哭しながら現す人と、
下をうつむいて現す人もいる。
楽しいの楽だって、
声を上げながら楽しさを現す人もいれば、
ニコニコ笑顔で楽しさを現す人もいる。
それもほんの一例だ。
細かく見ると、
ほんとうに多岐にわたる。
人の数だけあるといっていい。
そして、こうも思うのだ。
人間の感情だけは、
どれだけ技術が進歩しても
数値化できない。
傾向は理解できても、
それを数値化できない。
喜びの先の哀しみ、
怒りの先の優しさ等。
そして、人間という生きものは、
その感情の複雑さが面白い。
他の生きものより秀でている
といって過言ではない。
だからこそ、
自分の感情を
大切にして生きていきたい。
(今日のコトバ)
どうでもいい話をして、
どうでもいい日をつくってくれる、
どうでもいいと思っていた人が、
実は一番大切な人でした。
どうでもいい日、
何でもない日、と思う日がある。
人生の中では結構幅を効かせている。
その記憶に残らないような日々を
一緒にしたまわりの人。
家族かもしれないし、
仕事仲間かもしれない。
ただ、どうでもいい日を共有した人は、
絶対に嫌いな人ではない。
空気のような存在で、
圧力がある人でもない。
特別な能力を持ってはいないが、
そこにいてくれる人。
人生において、
そんな人はとても貴重だ。
否、貴重だと思うまで時間がかかる。
いまでも、
貴重とは思っていないのかもしれない。
だが、その人がいなくなってしまうと、
途端にその人の価値がわかる。
「いてくれたから、
幸せに生きられたのだ」と。
だから、いま身の回りにいてくれる人で、
特別ではないけど、
寄り添ってくれる人は大切にしよう。
人生において、絶対に必要なのだ。
(今日のコトバ)
人と人とは、
どこかでつながっているから
ありがたい。
そして、怖いのだ。
人は人によって支えられている。
誰かとつながりながら、
人生を生きている。
これほどありがたいものはない。
一人ではどうにもならない時、
誰かの手が差し伸べられる。
特に、
自分が得意ではない領域は、
誰かの能力に助けてもらわなければ、
どうにもならないこともある。
人の支え。
生きる上で、
途轍もなく大きいものだ。
だが、反対に考えると、
人の支えがるからこそ、
支えられたことに対する
自分の態度・行動は重要になってくる。
あまりにも不愉快な態度だったり、
不快な行動をすれば、
次に支える時に
躊躇されることもある。
また、支えてもらった人が
困っている時、
何も助けないと、
自分の信頼を失うことにもなる。
ある意味、自分の対応は見られいる。
人生はギブ・アンド・テイク。
支えてもらい
支える関係であることを
忘れてはいけない。
(今日のコトバ)
もし、自分の人生で
「じぶん」と出会えたら、
最高の友人として付き合える
人生にしよう。
自分の目の前に自分が現れたら?
時々、考えることがある。
自分のことをよくわかっている分、
助かると思うこともある。
自分のダメなところを知っている分、
面倒くさいと思うこともある。
自分であっても一長一短あるだろう。
ただ、もし自分の前に自分が現れたら、
少なくても
友人になりたい人であってほしい。
できれば、
ちょっといい奴と思われる存在で
あってほしいとも思う。
友人の多い人、少ない人いるだろう。
現代は少ないと答える人が
多くなっているとも聞く。
そんな中で、
自分の友人としての「じぶん」が
大切な存在に思えたら、
どんなに素敵な人生だろう。
自分にとっての「じぶん」。
たまに考えてもいいのでないだろうか。
(今日のコトバ)
幸せは私物化できない。
幸せは一人占めしようとしても
できない。
ほんとうに素晴らしい幸せなら、
どこからかあふれて、
他の誰かにも届いてしまう。
また、一人だけが
幸せになれるものだと思っても、
やっぱりどこかで
幸せは誰かに届いている。
つまり、幸せは私物化できないのだ。
そう考えると、
はじめから幸せは誰にでも
分け与えると決めてもいい。
むしろ、誰にでも与えようとすれば、
いち早く幸せが届くことにもなる。
幸せ。
目に見えるようで見えないもの。
生きていれば、
誰もが嬉しくなるもの。
この幸せを一人占めしようとせず、
常に分け与える。
幸せはどこへでも
動いていくのだから、
その道をつくってあげる。
そんな人生もいいものだ。
(今日のコトバ)
大きな声は聞こえない。
小さな声だから聞こえる。
人の耳はあまのじゃくです。
小声で、ささよくように、
それこそ、つぶやくような声が、
耳に残ることがある。
小さくても耳に残るということは、
声の言葉が心に刺さるということ。
真意をついていたり、
耳の痛いことだったり、
小さいけど強いメッセージだったり。
日頃は、大きな声に主導権を握られ、
大きな声に導かれて生きているのに、
その日、その時の言葉は、
小さくても心に刺さる。
人には心がある。
そこにめがけてくる言葉は、
決して大きな声ではなく、
いまの自分が、
いまの心が欲しているものを
聞き分ける。
だからこそ、
小さな声を大切にしよう。
意識して聞くことができれば、
この先の人生にとって、
とても示唆に富む言葉が聞こえる。
大切な声に耳を傾けるのだ。
(今日のコトバ)
人間は、
「ほどほど」という最高を知っている。
何を最高と思うか。
それば人それぞれだろう。
誰もがうらやむ栄光を最高とする。
誰も体験できない楽しさを満喫する。
とにかく頂点になることで、
最高な気持ちになる。
それも最高の一つだろう。
だが、「そうでもないよ」
という人もいるはずだ。
最高という言葉に踊らされるのではなく、
自分にとって本当に心地よい最高。
たとえば、ほどほどに気持ちいいこと。
ほどほどに結果を出せていること。
光り輝くものではないが、
プレッシャーや責任感を必要としない
気楽さが、
最高という人もいるだろう。
そう思うと、
「最高は人によって違う」
といえる。
人生は人によって、
まったく違う舞台を用意されている。
何が最高かは、
その置かれた状況で決めればいい。
長く生きていると、
最高の考え方が
広がっていく気がする。
(今日のコトバ)
出会う人、
一人一人を運命の人と思ってごらん。
一人一人が運命を持って現れる。
出会う人というのは、
何かしらの用件があって
会ってる。
仕事だけでなく、デートでも、
遊びでも、用件がある。
偶然に道端であった人でさえ、
その後、「もう一度会おう」とか、
何かを考えるきっかけに
なったとしたら、
用件があったといえる。
そして、その用件だが、
どんなに小さい用件でも、
人生を変える案件になる。
出会って得た情報で、
未来の生き方が変わる。
場合によっては、
気づかないほどかもしれないが
変わっていく。
そう思うと、
出会いは運命であるといっても
過言ではない。
運命は大きく劇的に
変わるものばかりではない。
小さく変わるものもある。
むしろ、小さく変わるものがほとんどだ。
だとしたら、
出会いを運命と考えていい。
「今日、あの人に会ったことが、
人生を少し変えていく」
そう思うだけで、
運命が自分にとって、
とても身近なものになるはずだ。
(今日のコトバ)
練習で超えた限界だけが、
本番で無限の力に変わる。
人生には避けて通れない
本番という舞台がある。
役者でなくても、
自分が主人公になった舞台が
やってくる。
自分以外の誰もできない。
自分がやるしかない。
誰もがそんな本番の経験があるはずだ。
だが、
その本番で期待通りの結果を出す人と、
望んだ結果にはならない人がいる。
その原因解明するのは簡単ではない。
そもそも身に余る
本番だったかもしれないし、
途中で全力を発揮できない状況に
なってしまったかもしれない。
あるいは、
絶対に結果が出るはずだったのに、
本番でミスをして
上手くいかなかったということも
あるだろう。
だから、絶対に本番で
結果を出す方法はわからない。
ただ、これだけはいえる。
準備の段階で
ベストを尽くしていれば、
本番でベストを尽くす
調整をすればいい。
もっというと、
準備の段階でベストの出し方を
わかっていれば、
本番でベストを超えた
結果を出すこともできる。
あるテニスプレーヤーが
「練習は本番のように。
本番は練習のように」といった。
とにかく、練習準備の段階で
ベストを尽くす。
そして、ベストの出し方を知る。
その積み重ねが
本番で結果を出せる確率を上げる。
人生の本番は、
それほど回数は多くない場合が多い。
だからこそ、
結果を出せる準備をする。
そのために、
常にベストを尽くすのだ。
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