コンテンツへスキップ
(今日のコトバ)
結果をほめてくれた人は
忘れない。
だけど、過程をほめてくれた人は、
もっと忘れない。
一生懸命がんばって、
結果が出た。
その時、称賛をしてくれた人がいる。
まわりにいた人は
みんな称賛してくれたかもしれない。
称賛してくれた人は、
最初はみんな覚えているが、
時間の経過と共に、
忘れてしまう人もいる。
だが、結果ではなく、
途中の経過をほめてくれたり、
途中で叱咤激励してくれた人は、
絶対に忘れない。
何者でもない自分が不安の時、
「それでいい、がんばれ」と
いってくれた人は、
忘れることができない。
結果は大事だが、
それ以上に過程が
大事なことが心に残る。
世知辛い世の中で、
結果ばかり追う人生だが、
だからこそ、
過程がもっと大切になる。
そんな気がするのだ。
(今日のコトバ)
敏感がいい。
危機をいち早く察知できる。
鈍感もいい。
穏やかに最後までいられる。
敏感、鈍感、どちらがいいか。
状況にもよるが、
考えれば考えるほど、
どちらも大切という答えになる。
敏感は、
察知能力に長け、
常に状況判断ができる。
だから、危機にも強さを発揮する。
では、鈍感はどうだろう。
一つ一つの行為は鈍そうだが、
ある程度の状況では右往左往せず、
平然としていられる。
それも世の中の荒波を生き抜く上で、
魅力的な能力だ。
人は、たいがい敏感か鈍感かに
分けられる。
そう考えると、
どちらの能力を持っていても
人生にはありがたい。
敏感には敏感の良さ。
鈍感には鈍感の良さ。
そう信じて生きる。
どちらか自分の持っている能力を
うまく解釈して生きていこう。
(今日のコトバ)
努力するなら、
まず、人に愛される努力をしよう。
人の縁。人の恩。人の力。
年齢を重ねると、
自分以外の人の支えによって、
自分が生きていけるとつくづく思う。
何か行うためには、
誰かの支えがなければ解決しない。
そのことが若い時より
理解できるようになる。
そう考えると、
人に嫌われていては、
しんどい状況になってしまう。
人に愛されて、
「〇〇のためなら」と思ってくれる人を
一人で多くつくっていくことが
幸せの礎となる。
だとしたら、
まず、人に愛される努力を
していくことが大切。
では、人に愛される努力とは何か。
それは、人の役に立って生きること。
人に支えられる前に人を支える。
人は、人と支えあって生きている。
その幸せの礎を忘れずに生きるのだ。
(今日のコトバ)
「最低」といわれるその人も、
誰かが「最高」と思って愛している。
まわりいる評価の低い人。
人柄というか、優しさの欠如というか、
機嫌のワルさというか、、。
とにかく評判が良くない。
ただ、そんな人でも、夫や妻がいたり、
恋人がいたり、親友がいたりする。
「我々との付き合いは最低だけど、
あんな人でも愛してる人がいるんだな」と
時々、思うこともある。
人は人に支えられて生きている。
誰かを支え、
誰かに支えられて生きている。
そう考えると、
自分において最低な人も、
他の誰かにとって最高かもしれない。
自分に見せる顔と
違った顔を持っているかもしれない。
その顔はとてもいい人に
なのかもしれない。
だからこそ、人は面白い。
同じ人でも、いくつかの顔がある。
そして、そのうちの一つは、
誰かに「最高」といわれる顔になる。
人は誰かに支えてもらうために、
最高の顔を一つは持っているのだ。
(今日のコトバ)
問題は論理的に話せるうちに解決しろ。
感情的になってしまった瞬間、
問題は応用問題になる。
冷静に話せるうちはいい。
笑いながら、冗談を混ぜ、
和気あいあいと話せるのもいい。
だが、コミュニケーションがうまくいかず、
感情むき出しになったりすると、
まとまる話もまとまらなくなる。
相手の話を聞いてもダメ、
相手の話に黙ってもダメ、
相手の話にアドバイスなどしたらなおダメ。
何をしてもまとまらなくなってしまう。
どう対処すればいいかもわかなくなる。
感情に火がついた以上、
すべてがダメかもしれない。
解決法があるとすれば時間だけ。
そんなことを考えてしまう。
だからこそ、
話をまとめようとする時は、
感情的になる前に終わらせる。
一度、感情的になってしまったら、
話をまとめるのが応用問題になる。
そのことを忘れてはいけない。
(今日のコトバ)
加害者意識が低すぎる。
被害者意識が高すぎる。
だが、一番問題なのは当事者意識が無いこと。
人は自分の都合いいように考える。
「自分が正しい」
「自分が損している」
「自分には関係ない、、。」
ただ、こと第三者からみると、
「お前が加害者でしょ」とか、
「被害者はあなただ」とか、
「なんで当事者意識がないんだ?」と
思うことは多々ある。
自分の都合だけで考えていると、
まったく違う眼で
他人から見られているのだ。
だからこそ、
何か出来事が起こった時、
一度、自分の立ち位置を考えてみる。
自分が得する立ち位置でなく、
相手の立場から自分を見る意識をつける。
その視点があれば、
それほど間違った
意識を持たずにすむ気がする。
ましてや、当事者か、
そうでないかは
難しい問題かもしれない。
まず、設定として、
「自分が当事者だったら」と考えて
出来事と対峙する。
そんな気持ちで生きていきたい。
(今日のコトバ)
夢から贅肉を落としたものが目標である。
人が描く夢は、
最終的には一つでも、
その方法は漠然としていることが多い。
あの方法もある。この方法もある。
否、もう一度やり直してみる、、。
イメージだの夢だと
到達するまでの方法に迷う。
だからこそ、
少しずつでも夢に近づくために、
目標をつくる。
目標だと夢より具体的になり、
行程がはっきりする。
行程をはっきりさせることが、
夢到達への時間と距離を縮める。
大きい小さいにかかわらず
夢ができたら、
行程表のある目標をつくる。
それだけで、夢への時間と距離が
短くなる。
夢到達のために
目標を有効活用しよう。
(今日のコトバ)
人は心をブランドにしている。
言葉も、表情も、ファッションも、
心のコスプレである。
自分とは、
心の使者といっていいかもしれない。
すべて心の命ずるままに動いている。
言葉も、表情も、ファッションも、
心の指示を切り取って表現している。
反対にいえば、
言葉も、表情も、ファッションも、
心の一部なのだから、
第一印象も心につくられている。
「第一印象で判断するな」とか
いわれることがあるが、
まったく第一印象がその人を
現していないとはいえないのだ。
そう思うと、
自分の第一印象も大切。
生きていく上で
コミュニケーションが
上手にとれるにこしたことはない。
だとすれば、
心に指示された
第一印象に気を使って
自分をわかりやすく表現する。
生き抜く上で大切なことだ。
(今日のコトバ)
「いつか」の反対語は、
「今日」である。
「いつかやるよ」と
誰もが答えたことがあると思う。
ただ、「いつか」といってしまうと、
その「いつか」を決めていないから、
いつまでもやらない。
結局、やらないということになる。
「いつか」という言葉は、
約束を果たさないまま終わる。
そんなことがたくさんあった。
誰もが忘れる冗談のような状況なら、
それでもいい。
だが、何かの期限を切らなければ
いけないことで、
「いつか」といってしまうと、
やらないかもしれないという
意味を持ってしまう。
だからこそ、
「いつか」を使うならに、
「〇月〇日までにやる」と期限をつける。
あるいは、今日、今、すぐ始める。
いちばんいいのは、
今日、今、すぐ始める。
そう考えてれば、
いいかげんな「いつか」は
使わせくなっていく。
「いつか」の反対語は、
「今日」なのだ。
(今日のコトバ)
心の視力は、
二十歳より五十歳の方が
はっきり見える。
年齢を重ねることによって
何が進化するか。
たいがいは、
若き日より低下していき、
「あの頃ならできた」と
過去を懐かしむ。
たしかに、体力まわりは、
年齢と共に下り坂になるものが多い。
ただ、例えば、
人を見る眼とかはどうだろう。
二十歳ぐらいの時より、
五十歳の方が人間観察眼は
良くなっている人が多いのではないか。
二十歳よりたくさんの人間と出会い、
別れて、人間のことを考える時間が増える。
仕事をしていれば、
いやがおうでも人間観察は必要だ。
だとすれば、
体力ではないキャリアが
ものをいうものは、
年齢を重ねるたびに
進化していくといってもいい。
その進化していくものを
希望にしていくのも
一つの生き方。
いい年齢を重ねていくために
必要なことだ。
Scroll Up