コンテンツへスキップ
(今日のコトバ)
あなたという生きものは、
あなたがこの世から
いなくなったら、
絶滅してしまいます。
あなたという生きもの、
そして、わたしという生きものも、
命が果ててしまえば絶滅してしまう。
どんな生きものそうかもしれないが、
人間ほど、歴史を残し、記憶に刻まれ、
データで再生できる生きものはいない。
一人がこの世から去ることは、
一つの生きものが絶滅するに等しい。
だからこそ、
ちゃんと生きた証をつくるべきだ。
何も偉業をつくらなくてもいい。
一生懸命生きて、
夢や目標を叶えて生きていく。
この世から姿を消しても、
歴史、記憶、録画などで、
人生を永久のものにする。
人間の素晴らしい一生を
残して生きていこう。
(今日のコトバ)
努力を夢中に変えた人から、
夢を叶える。
ただ努力というと、
しんどいとか、
きついとか、重いとか、
人として前向きになれない
気持ちを内包している。
努力すれば、
夢や希望が叶えられる
かもしれないのだから、
あたりまえかもしれない。
だが、前向きになれないものを
長く続けるのは至難の業だ。
なんとか前向きになれる方法はないか。
そう考えると、
ひとつの言葉が思い浮かぶ。
夢中という言葉。
夢中になるということは、
なにもかも忘れて一つのことに
集中すること。
没頭といってもいい。
自分が夢中になれば、
努力の負の気持ちも
払拭できる。
もっというと
忘れてしまっている。
そうなればしめたもの。
負の気持ちどころか、
時間も忘れて集中できる。
とにかく夢中の状態をつくるのだ。
そうなれば、
努力も前向きになれる。
夢や目標も前向きに
叶えようと思える。
夢中になること。
そこに気持ちが進めていこう。
(今日のコトバ)
笑顔の裏にある悲しい顔も
笑顔にしてあげよう。
いつも笑顔でいる人。
いつも優しい人。
いつも気を遣ってくれる人、、。
そんな人がまわりには何人かいる。
ただ、そんな人がどんな気持ちで
生きているかはわからない。
いつも支えてもらってばかりいるが、
ほんとうに笑顔や優しさで
対応できる状況なのか。
実は、
心の底で泣いているのではないか。
後々、
「とても笑っている場合ではなかった。
悲しいことが続いていた」等と
聞くこともある。
笑顔の裏に悲しい気持ちでいる人も
いるのだ。
できれば、そんな人の悲しみに
気づいてあげて、
優しさを伝えられる生き方をしたい。
自分が苦しい時、辛い時、
笑顔や優しさで支えてもらったのだ。
お返しに笑顔と優しさを届ける。
人間という生きものができる
優れた能力の一つだと思う。
(今日のコトバ)
大きなお世話は勘弁。
小さなお世話は歓迎。
調子のいい時、
ワルい時がある。
人には見せないが
不調であることもある。
まわりの人に大きく気を
遣ってほしくはないが、
少しぐらい
気を遣ってほししい時もある。
また、ほっておいてほしいのに、
やたらとおせっかいをしてくる人がいる。
「お願いだから
そっとしてくれ」といいたくなる。
つまり、大きなお世話は
勘弁してほしいと思っている。
ただ、人間は複雑な生きもので、
まったく相手にされないと、
それはそれで悲しくなる。
小さな気遣いなら、
ありがたかったりする。
大きくなく、小さく気を遣ってほしい。
それが真意。
だからこそ、
自分のまわりの人は、
小さく気遣ってあげる。
もちろん、本当に困ってる時は、
大きく気遣ってあげていい。
ただ、普通に生きている場面では、
小さく気遣う。
生きるためのマナーだと思う。
(今日のコトバ)
生きることは、
命と伴走する希望を持つこと。
自分自身だけの統計によれば、
間違いないデータがある。
それは、どんな状況でも
希望があるということ。
大負けをした時も、
大失敗をした時も、
大手術をした時も、
心のどこかに
「この先、生き抜けばいいことがある」
と思っていた。
いいこととは、
「勝つことができるかもしれない」
だったり、
「成功するかもしれない」だったり、
「復活できるかもしれない」
だったり、
結果と反対の前向きな気持ちがあった。
人生も長く生きていて、
若くなくても希望のようなものが
いつもあるということは、
一生あるのかもしれないと思っている。
命のある限り希望はあると思っている。
自分以外の人はわからないが、
自分の人生は希望と一緒に生きている。
もしかすると、
自分以外の人もそうであれば、
人には命と伴走する希望があるのだ。
明日が命果てるまであるように
希望も最期まである。
そう信じられれば人生は素敵だ。
(今日のコトバ)
「あきらめない」は、
特技といっていい。
何事も、
ほんとうに何事も、
あきらめない人には勝てない。
どれだけ不器用でも、
結局、あきらめない人が
最後はいちばん高いところまでいく。
名言などで「あきらめるな」的な
言葉は意志のようにいわれるが、
ほんとうは特技や長所に
属するもののような気もする。
あきらめない人は、
何事もしつこく愚直に前進する。
そのあきらめない力を
自分の夢や目標に向けた人は、
人生を自分のコントロール下に置ける。
そして人生を自分にとって有利で
有意義なものにしている。
あきらめないという気持ちを
持って生きることは大切なのだ。
もし、あきらめないことを
特技にできれば、
素晴らしい人生が待っている。
だとしたら、
あきらめないことを強引にでも
特技にしてしまえばいい。
矛盾しているようだが、
あきらめないことは
向き不向きがあっても、
あきらめないと宣言し
実行することは
誰でもできる。
あきらめないという意識を
常に持って、
自分の特技のように生きてみる。
そこからはじめて継続していければ、
あきらめない人に
なれるかもしれない。
あせらず、ゆっくり、
あきらめない人になる。
特技として、
あきらめないを持つ生き方を
意識しよう。
(今日のコトバ)
孤独は定住させるものではない。
滞在させるだけでいい。
孤独は誰にでもある。
寂しくて、
時につらくなることもある。
反対に、
頭が心が
一度リセットされることもある。
一つだけいえるのは、
長く孤独でいることは、
あまりいい効能はないということ。
だんだん心と体が硬直してしまう。
生きる節々がおかしくなる。
動かなくなっていく。
ただ、反対に短期間なら、
心と体も休息をとり
リフレッシュして
いい動きになることもある。
そう考えると、
孤独は大切だけど
長く浸るものではない。
短期間で孤独と別れて、
元の生活のリズムに戻す。
それが孤独との付き合い方だと
思うのだ。
(今日のコトバ)
成長という奇跡を起こせば、
夢に手がとどく。
個人個人その進捗度合いは違うが、
成長するのが人間という生きもの。
簡単に成長というが、
成長するということは
想像を越えた進化でもある。
できなかったことが、
少しずつでもできるようになる。
過去の自分が持たなかった能力を持つ。
その能力が著しく進化すれば、
天才とか、怪物とかいわれる。
人間なのに神様と呼ばれることもある。
その礎はすべて成長から始まる。
成長。
誰にでも起こることだが、
そう簡単ではないもの。
老いてくる年齢になると、
なかなか簡単ではなくなる能力。
いま、成長期だとか、
成長しているだとか、
進化しているとかいわれている人は、
その能力を大切に伸ばしていくべき。
成長は、神様に与えられた
人間の奇跡。
自分の人生を有意義にするためにも
成長する時間を伸ばして、
最高の自分に近づくのだ。
(今日のコトバ)
人間は、
強さを捨てることができても、
弱さを一生捨てることができない。
だから、弱さに強くなろう。
どんなに強そうなポーズをとっても、
どんなに強がっても、
人はどこかに弱さがある。
見方にもよるが、
弱さは標準装備で、
強さはオプションのような気もする。
それは、その弱さを責められると、
人はすぐに弱くなる生きものだからだ。
まわりの人を見ればわかる。
強さ一辺倒な人はいないはずだ。
そう考えると、
人は弱い生きものなのかもれない。
それを人生という強化時間の中で、
なんとか生きるための強さを
身に着けている。
だとすれば、
少し気が楽になる。
人はみな弱い生きもの。
生きる分だけ
強くなろうとしている。
生きる分を決めただけ、
強くなろうとしている。
生きる目的によって、
どこまで強くなるかも決まる。
身につけたい強さがあれば、
そこに向けて切磋琢磨する。
人生とはそういうものなのだ。
(今日のコトバ)
チャンスにスケジュールはない。
だからこそ、
いつ来てもいいように
準備しておくのだ。
いつ人生のチャンスが訪れるか、
わかる人はいない。
チャンスを求めても、
いいタイミング来るとは限らない。
待っていなくても、
突然訪れることもある。
ただ、一言いえるのは、
誰にでもチャンスは訪れている。
平等とはいえないが
訪れている。
そのチャンスを逃さない人と
逃してしまう人がいるだけだ。
では、
どういう人が逃さないかというと、
それは、
いつも準備を怠らない人になる。
いつ来てもいいように
準備している。
つまり、
いつも切磋琢磨している人。
だとすれば、
常に自分が手にしたい
チャンスを意識して、
自分を磨いておく。
チャンスは、
ある日、突然来る。
その時、あせらず、
あわてず、自分のものにする。
いつ来てもいいように
準備をしておくのだ。
Scroll Up