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(今日のコトバ)
気づかせることはできる。
だが、わからせることは
至難の業だ。
何とかわかってもらいたい。
だから、いろいろな手を使って
相手に伝えようとする。
すぐにわかってもらえることもあるが、
それは稀で、
たいがいは、
わかってそうなふりをされたり、
生返事するだけだったり、
まったくわかっていなかったりする。
まったく違う人が
コミュニケーションをとるのだから、
一瞬ですべてをわかれというのも
無理な話だが、
思っているより、わかってもらえない。
だからこそ、
わからせるより、
気づかせることを大切にして
伝える。
気づきさえうまくいけば、
その後は本人の問題が大きく、
わかる人はわかる。
わかろうとする。
そこを抜いて考えると、
コミュニケーションに苦労する。
まず、気づかせることから始めよう。
(今日のコトバ)
転ぶと痛みを覚えるが、
立ち上がると喜びを覚える。
まっすぐな道などなかった。
舗装されてない道があり、
凸凹道があり、
汚れた道があり、
曲り道、坂道、、などもあった。
そんな道を人生は、
なんとか乗り切ってきた。
転ぶこともあったが、
必ず立ち上がって、
また、歩いてきた。
歩いてきたから
今がある。
そして、立ち上がると、
何かしらの喜びを感じた。
回復した喜び。
また歩ける喜び。
転んだことが経験になった喜び、、。
だいたい喜びになっている。
人生は何度も転ぶ。
その時は痛みを感じる。
しんどい思いもする。
だが、そこから立ち上がれれば
喜びが待っている。
そう思えば、
人生も有意義に過ごせる。
転んだら立ち上がった後の喜びを
イメージして生きてみよう。
(今日のコトバ)
ヒーローが
有給休暇のとれる時代をつくろう。
「なにもかも人の頑張りで」
そんな時代は終わっている。
一部、いまだに
コンプライアンス違反の企業など
残っているが、
それでも仕事時間は
守られようになってきた。
ただ、その中でもリーダーと呼ばれる人で、
サービス残業に近い、
サービス労働をしている人が多い。
取締役など社員ではないので、
どこからどこまでが
仕事かわからないが、
まだまだ仕事の時間が多い気がする。
トップやリーダーが上手に時間を
管理できなければ、
現場絶対に仕事に無理が出る。
だからこそ、
トップやリーダーこそ、
しっかり休める状況をつくる。
そして、
現場にも休める状況をつくる。
あたりまえのことを
あたりまえにする。
いいパフォーマンスをするには
大切なことだ。
(今日のコトバ)
1%の可能性を信じるものは、
99%の成功を信じている。
「1%でも可能性があれば挑戦する」
そんな言葉を聞く。
スポーツ、でも、受験でも、
ビジネスでも、
強い気持ちを現す時に使う。
確かに強い意志は感じられるが、
本来、1%の可能性ではほぼ無理。
可能性ともいえないはず。
でも、1%の可能性という。
そういう人は、
可能性は1%かもしれないが、
成功するイメージは
99%できている人のような気がする。
否、100%成功すると思っている。
「可能性の1%なんて関係ない。
絶対成功するに決まっている」
そう思っているような気がする。
そして、それでいいのだ。
気持ちで負けない。
気持ちで勝つ。
それが大事。
「1%の可能性」とは
自分への意識を鼓舞するための
キーワード。
誰もが大切にしていい言葉だ。
(今日のコトバ)
人間は、
喜劇と悲劇の間を
茶番劇で行ったり来たり。
人生を劇で表現すると、
喜劇だったり、悲劇だったりする。
面白いことが満載の日々は喜劇。
悲しいことが続く日々は悲劇。
だが、当然、そんな日ばかりではない。
無風といっていい日もあるし、
嵐の日もある。
どんな劇だろうかと考えると、
それは茶番劇といっていいのでは
ないだろうか。
結末がわかっている
予定調和の日もあるし、
見え透いた生き方をする日もある。
仕事の場では、本人は本気でも
他人からは
バカバカしく映ることもある。
少し軽く扱いになるが茶番劇は
それほど間違っていないと思う。
だからこそ、
茶番劇といえども本気で生きる。
茶番劇という劇が、
世の中を、人生を、
上手くまわしてくれている。
そのことを忘れてはいけない。
(今日のコトバ)
「じぶん」とは、
捜しても、探しても、
最後まで見つからない宝物。
自分探しの旅をするという。
若き日、
そんな気持ちになったことも
あるだろう。
「自分とは何者?」
「自分は何ができる?」
そんな気持ちになったりした。
ただ、その自分探しの旅も、
子供から大人になって、
学生から社会人になって、
いつしか忘れてしまう。
自分はどこへ行ったのだろう。
そして、ふと思うのが、
自分は探しても
見つからないのではないか。
人生がどのような状況になるかも
わかりはしない。
わかない未来だから面白いともいえる。
そして、きっと、
最後の最後までわからないことを
わかろうとして生きる。
その途中で出会ったものが
想い出になり、人生の宝物になる。
自分という唯一の生きものの
唯一の生き方。
誰にも似ていない自分は
唯一無二の人生を歩んでいくのだ。
(今日のコトバ)
確実・完璧・絶対という言葉は、
人生の中で何度も嘘をつく。
揺るぎない言葉がある。
確実とか、完璧とか、絶対とか。
自分でも使ったことがあるし、
世の中でも聞くことがある。
ただ、この揺るぎない言葉ほど、
どこかで必ず揺れてしまうことはない。
確実が確実ではない。
完璧が完璧ではない。
絶対が絶対ではない。
人生の中で何度も経験してきたことだ。
だからこそ、揺るぎない言葉が
本当に揺るぎないように生きる。
漠然としたものや大きなもので、
揺るぎない言葉を使うのは難しいが、
具体的なもの、小さいものなら
揺るぎない言葉を使える。
そして、あえて揺るぎない言葉を
使うのではなく、必要な時だけ使う。
あまり誇大妄想にならず生きるために
意識していいことだと思う。
(今日のコトバ)
「根拠なき自信」から伸ばした手が
つかんだものを可能性という。
人は根拠なき自信という言葉を使う。
何者でもないが
成功や勝利のイメージだけは持っている。
絶対、夢は叶うと思っている。
確かに実績のない段階では、
根拠なき自信ともいえる。
だが、ほんとうにそうだろうか。
少なくとも自信があるということは、
自分の得意とする分野や
圧倒的にやりたいという分野に
自信を持っているはずだ。
そこには情熱や意欲が、
沸騰点になっているのではないか。
人生で情熱や意欲が満々の時は、
それぼとないだろう。
もちろん、いつも情熱的、
意欲的という人もいるが、
少数だと思う。
だとすれば、
才能やキャリアはともかく、
情熱と意欲は自信の源泉になる。
そう思えば、
根拠なき自信は
根拠ある自信といえる。
もし、いま、自分に根拠なき自信が
あるものがあれば、
根拠はある。
情熱と意欲がある。
そのことを信じて、
一歩を踏み出していいと思う。
(今日のコトバ)
劣等感を持っている人は、
すぐに他人の劣っているところを
探しにいく。
「自分には劣等感がある」
そう思っている人はたくさんいるだろう。
自分の短所・弱点を拡大解釈し、
他人より劣っていると思ってしまう。
仕方ない気もする。
だが、劣等感の困ったところは、
自分の劣等感でとどまらず、
他人の劣等感も探してしまうこと。
「あいつはダメなところは、、」と
つい粗探しをしてしまう。
それも仕方ないかもしれない。
自分と他人を比較したら、
いろいろ思うところもある。
ただ、いけないのは、
他人の劣等感を口にして、
広くアピールすること。
ワル口にもなるし、
面と向かっていっても、
よいコミュニケーションは
つくれない。
あえて他人の劣等感をいうことは、
自分は他人より勝ってるということを
伝えたいに他ならない。
口にして広めるものではない。
そのことを忘れてはいけない。
(今日のコトバ)
余白は、想像力を持っている。
どんな作品にもほぼ余白がある。
スッキリするために、
綺麗に見せるために、
あえて余白をつくる。
アーティストでも、
そうでない人も余白をつくる。
ただ、この余白は意外と雄弁だ。
どんな余白があるかで
作品の運命を決めてしまう。
もっというと、
優れた作品は余白が語り出す。
もちろん、なぜこの余白?と
思うこともある
余白。
作品もさることながら、
人生も余白が大切なことが多い。
休んでいる時、
何もしない時、
沈黙している時、、。
そこに人生のホワイトスペースが
大きな意味を持つ。
だからこそ、
自分における人生の余白を
大切にしよう。
そこが意味を持って
人生を創っていく。
余白ある人生は素晴らしいと思う。
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