人間の休息に必要な場所

 

(今日のコトバ)

 

人は帰れない道を歩いている。

だからこそ、

帰れる場所が必要なんだ。

 

 

 

人生は、

戻ることのできない

一方通行の道を歩いている。

戻りたくても、

もう二度と同じ時間という道には戻れない。

ただ、戻れない道ばかりでも、

帰れる場所はつくることができる。

否、どんな人も

帰れる場所をつくっている。

それは、

戻れない時間を生きていても、

どこかで休まる場所がないと、

心をいやすことが

できないから。

人間として生きていく上で、

どうしても帰れないものがある。

帰れないだけで生きていたら、

孤独感は大きくなり、

強く生きることができなくなる。

だからこそ、

帰れる場所は必要。

戦士の休息ならぬ

人間の休息に必要な場所。

その場所があるからこそ、

明日、また生きてく意欲がわくのだ。

 

 

幸せな時間をどれだけ積み上げてきたか

 

(今日のコトバ)

 

別れたことが悲しいのは、

出会ったことが幸せだったからです。

 

 

人と別れる。

自分に身近であればあるほど、

悲しいものになる。

特に、愛していた人は特別に悲しい。

反対に、自分から遠い人、

付き合いのない人は、

悲しみからも距離ができる。

悲しみを感じるのは

距離感も一つだが、

出会ったことで

幸せになった時間があるかないかが

大きい。

幸せな時間を

どれだけ積み上げてきたか。

その時間の長さと悲しさは比例する。

人と別れる。

それはとても寂しいこと。

だが、それと同時に

その人がどれだけ自分に

幸せな時間をくれたかを

確認することでもあるのだ。

目標達成のために選んだ人

 

(今日のコトバ)

 

 

選んだ道には、

選ばれた人が現れる。

 

 

 

人は、道を選んで生きている。

意識無意識問わず、

道を選んで生きている。

その中で出会う人がいる。

偶然必然問わず、

出会う人がいる。

この出会った人達は、

みな出会うべくして

出会ったのだと思う。

道を選ぶのは、

目的を達成するため。

大きい小さいあるにせよ

目的を達成することが

人生をつくり上げる。

その時、

自分だけでは、

目的を達成できないことは

たくさんある。

誰か自分以外の知恵が

必要だと思う。

その考え方の延長線上で出会うのは、

目的達成のために選んだ人なのだ。

いま、人生の目的達成が難しいと

悩んでいるなら、

達成に必要な人に会いにいこう。

出会いを待とうが、

出会いに行こうが、

いつかその人が必要になる。

だとしたら、

ムダな時間をつくらないためにも

自分から会いにいく。

そこが目的達成への最短の道になる。

謝罪は早目に

 

(今日のコトバ)

 

謝罪には、有効期限があります。

 

 

自分がワルい。

どこかで謝らなければならない。

ただ、素直になれなくて、

謝るタイミングを逸している。

そんなことは誰にでもあるはずだ。

謝りたいけど、謝れない。

元通りの付き合いをしたいけど、

できないから困ってしまう。

ただ、そんな時は、

すぐに謝ってしまうのが

一番の解決法。

事と次第によるが、

たいがいのことは謝れば、

許してもらえる。

一度でダメなら、

二度、三度と謝ればいい。

もっというと、

謝らずにモヤモヤした気持ちを

続けているのは、

謝罪とストレスの二つの悩みを抱える。

だからこそ、

謝罪は早目にする。

そして、相手との関係を修復する。

時間が経つと、

不快感ばかりが募り、

相手も自分も嫌な気持ちが続く。

早目に謝って、

相手に誠意をみせよう。

悩みがあってあたりまえ

 

(今日のコトバ)

 

今日はみんなにとって

初めての日なんだ。

悩まず生きている人なんて

いやしない。

 

 

最新の自分とは、

今日の今という瞬間を

生きている自分。

どれだけ生きていても、

新しい状況と対峙している。

そこに悩みがあるのは

あたりまえ。

未知のものを体験している以上、

不安があることもある。

だから、

今日が不安だとか、

どうしていいかわからないだとか、

ちょっと怖いとか、

前進できないこともある。

何もない方がおかしいと思っていい。

人生は短くても、

いろいろなことがある。

そこに初体験もたくさんある。

悩みがあってありまえなのだ。

現在できることで生きる

 

(今日のコトバ)

 

過去にできることは、

もうない。

未来にできることは、

まだない。

現在できることしか、

今はない。

 

 

 

過去、現在、未来とあるけれど、

何かをできるのは現在しかない。

ただ、人は過去に

すがりついてみたり、

未来にばかり気をとられたりする。

どちらも生きるために

大切なことではある。

ただ、

現在が抜け落ちているということは、

現在がいけていないということ。

本当に充実した人生をおくっていたら、

現在何をしているかが

いちばん重要になる。

もし、自分が現在のことで

生きていないなら、

どこかに充実していない

ところがある。

そのことを

チェックポイントとして生きる。

生きるためのの基準に

なるはずだ。

 

「みんな」は、「みんな」以外の人を責めてないか

 

(今日のコトバ)

 

「みんな」とは、

殴りもせず、蹴りもせず、正体も見せず、

人を傷つける生きものです。

 

 

 

「みんなって、どこにいるんだ?」

ある芸人が叫んでいた。

ほんとうにそう思う。

「みんながいっている」と、

まわりの人がいう。

自分もいっている時がある。

だが、その実態を知っていることは、

まずない。

「みんな」といってしまうと、

世の中はとか、常識的にはとか、

あなた以外の総意はとかの

意味を持ってしまう。

実態の検証はされていない。

冗談で話している分にはいい。

ただ、「みんな」という言葉が

凶器になることがある。

「みんな」という言葉で誰かを責めて、

誰かを追い込んでしまう時がある。

そうなると「みんな」という言葉は

罪になる。

だかこそ、「みんな」という言葉を

慎重に使いたい。

「みんな」といった時、

「みんな」ではない誰かを

責めていないか。

そこ忘れて「みんな」を使うのは、

間違っていると思う。

自分という人間の判断

 

(今日のコトバ)

 

大好きな人が、

私の優れたところを教えてくれた。

大嫌いな人が、

私の欠けたところを教えてくれた。

 

 

人はいろいろな側面を持っている。

ある人に聞くと、

「素晴らしい人だ」といわれるが、

別のある人に聞くと、

「何を考えているかわからない」と

いわれてしまう。

人によって評価が違う。

たいがいは概ね同じような評価だが、

100%みんなが同じ評価の人もいない。

考えてみると、

自分の好きな人は、

たいがい自分に

いいことをいってくれる。

反対に、

自分の嫌いな人は、

たいがい自分に

嫌なことをいってくる。

だからこそ、

好きな人であり、

嫌いな人なのだが。

ただ、忘れていけないのは、

いいことばかりいう人を信じて、

嫌なことばかりいう人を信じないと、

自分という人間の判断を間違える。

いいことをいってくれる人も

ひとつの正解。

嫌なことをいってくる人も

ひとつの正解。

そのどちらも肝に銘じて生きる。

バランスをとっているために

大切なことだ。

人生の現在地を知るために

 

(今日のコトバ)

 

人生の現在地がわかるのは、

人という道標に出会うからです。

 

 

自分がいま、

人生のどの場所にいるのだろう。

そう考えることがある。

学校や会社のポジションで

確認することもある。

仕事がフリーランスになると、

なかなか確認するのも

難しいかもしれない。

ただ、一つだけ

確認できるものがある。

それは、人との出会い。

会っている人がどんな人か、

仕事でも、プライベートでも、

人生の場面で変わってくる。

どうしても行動を

共にしなければならない人がいる。

会わなければいけない人がいる。

会いに来る人もいる。

その人たちを見渡した風景が

人生の現在地をつくる。

いま、生きるべき場所が

わからない人は、

まわりに誰がいるか

見渡してみよう。

そこに答えがある。

自分の現在地を確認できるはずだ。

 

何でもない日に、小さな喜びを届ける

 

(今日のコトバ)

 

ほめ言葉は、贅沢に。

 

 

人からほめられることは、

年をとればとるほど少なくなる。

あたりまえといえばあたりまえ。

それは、ほめられるより、

ほめることが多くなるからだ。

年長者の役目としてもそうだし、

年功からしても

若手をほめることが必要となる。

ただ、年を重ねたからといって

ほめてほしくないわけではない。

否、むしろ、ほめられる機会が

少なくなった分、

ほめてほしいと思うことが

増えてきている気もする。

だから、できるだけ

年長者もほめてあげる。

大人だから意味もなく

ほめるのは逆効果。

ちゃんと意味のあることで

ほめてあげる。

しっかりと自分だけでなく、

まわりの人も気づくように

ほめてあげる。

照れはあっても、

本心はみんな嬉しいもの。

ほめることは、

その人に小さな喜びかもしれない。

だが、嬉しいことには違いない。

何でもない一日に、

小さな喜びを届ける。

そのために

ほめることは大切なことだ。