憎むより喜ぶ

 

(今日のコトバ)

 

人を憎んでいる時間だけ、

自分を喜ばせる時間が減っている。

 

 

憎むことと喜ぶこと。

この二つの気持ちを同時に

続けることはできない。

誰かを憎んでいれば、

憎しみでいっぱいになるし、

喜びにあふれていれば、

人を憎むすき間はない。

憎んでいる時間は、

憎しみで占拠されてしまう。

人生で憎んでいる時間が

長いというのは、

どう考えて楽しくはない。

いい時間の使い方だとも思わない。

できるだけ喜んでいる時間を

増やす方が楽しいと思う。

選択は、自由だ。

憎む時間を増やすか、

喜ぶ時間を増やすか。

ただ、できれば人生にとって

有意義な時間を

長くしたいものだ。

 

明日に向かって「いま」を撃て

 

(今日のコトバ)

 

明日に嫌われるな。

希望に裏切られるな。

努力に嘘をつかれるな。

そのために、

「いま」はお前と

一緒に生きている。

 

 

 

人が生きているのは、

「いま」だけ。

過去にも、未来にも生きられない。

だからこそ、

何かを成就したいとか、

何かを達成したいとか

目標を持った時、

「いま」に全力を傾け、

頑張り続けるしかない。

「いま」は、

頑張る人の味方であり、

頑張らないと敵にもなりうる。

ただ、どうせ一生「いま」と

生きていくなら、

味方にした方がいい。

「いま」が味方になってくれたら、

どれだけ人生は楽しいものか。

そのために、「いま」という瞬間に

努力を続ける。

目標に向かって「いま」を大切に使う。

目標だけでなく、

夢や希望も、

「いま」の延長線上にある。

そう信じて生きていいと思う。

 

自分が自分らしく生きる

 

(今日のコトバ)

 

人の靴を履いて

トップにはなれない。

一番はじめにゴールを切るなら、

自分の靴で走らなければならない。

 

 

 

自分が自分らしく生きる。

人生にとって、

いちばん

大切なことかもしれない。

簡単なことのようだが、

これが結構難しい。

憧れた誰かがいると、

人生すべてが

憧れた人に影響を受けて、

自分ではなくなることがある。

必要に迫られて、

上司や先輩を

お手本にしなければならな時もある。

もちろん、

何も考えない人もたくさんいる。

それらすべてを除いて、

自分が自分らしく生きている人は、

少数派かもしれない。

だが、考えてみると、

自分のいい部分を活かして

生きなければ、

最高の自分になるのは難しい。

もし、誰よりも自分にとって

有意義な人生を

おくりたいなら、

自分の得手で生きる。

自分らしく生きる。

そこを忘れない。

たった一度きりの人生、

最高の人生を過ごすために

大切なことだ。

 

自分の好きな方向で生きる

 

(今日のコトバ)

 

人間は、

誰にも想像できない

一生という傑作を仕上げる。

 

 

誰一人、同じ人生はない。

人の数だけ人生がある。

だからこそ、面白いと思う。

人生というストーリーは、

必ず唯一無二に出来上がる。

そして、人生の主役は、

絶対、自分。

だとしたら、

思いっきり

自分の好きなように

ストーリーを

描いていいのではないか。

自分の生きたい方向へ

進んでいかないと、

好きなようにはならない。

誰かの影響が多き過ぎると、

なかなか

いいストーリーにならない。

あくまでも、

人生という傑作をつくるために、

自分な好きな方向で生きる。

そのために、

毎日の時間を費やしていく。

有意義に生きるために

大切なことだ。

悲しみには、忙しさ

 

(今日のコトバ)

 

楽しい時間が

立ち止まりはしないが、

悲しい時間も

立ち止まりはしない。

忙しければ

全速力で去っていく。

 

 

 

「こんな時間は早く去って欲しい」

悲しいことがあると、

時を進めたくなる。

悲しいことがあると、

なんとか時が進んで、

悲しい思いを

忘れられないかと思う。

特効薬は、

本来はないのかもしれない。

ただ、効き目のあるものはある。

それは、「忙しさ」。

やることが次から次にあると、

そこに意識がいく。

悲しいことも頭から消さないと

前へ進めない。

無意識のうちに悲しいことを

忘れてしまうことになる。

反対に、何もすることがなく、

一日中悲しいことと対峙していると、

時は進まないばかりか気も滅入る。

だからこそ、

悲しみを乗り越えるには

忙しさをつくる。

もちろん、体を壊すまで

忙しくすることはない。

悲しみを忘れる時間を

つくることを考える。

生きるために大切だと思う。

一生を懸けて人生という名の作品をつくろう

 

(今日のコトバ)

 

人生とは、

締め切りのない

作品づくりである。

 

 

 

生きていると、

命果てるまでが途中経過。

勝った、負けた。

成功した、失敗した。

希望を叶えた、失望した、、。

それらどれもこれも

途中経過。

通過儀式に過ぎない。

そう思うと、

日々起こる様々な出来事も

途中経過。

一喜一憂しなくていい、

右往左往しなくてもいいと思う。

ただ、人間は感情の生きもの。

そこで人生が終わらないと

わかっていても、

平然とばかりはしていられない。

だとすれば、

こう考えるのはどうだろう。

人生は一生かけて制作する作品だと。

締め切りはない。

あえていえば、

命が燃え尽きる時が締め切り。

そう考えると、

少しだけ冷静に人生を生きていける。

あせることはない。

そして、あきらめることはない。

一生を懸けて人生という名の

傑作をつくっていこう。

止まらず、動く

 

(今日のコトバ)

 

前進していくと、

「不可能」という言葉は

剥がれ落ちいていく。

 

 

「できそうもない」と思った時、

そこで止まってしまうと、

ほんとうにできなくなる。

すべてがそこで

終わってしまう場合もある。

だが、反対にできそうになくても、

行動していれば、

前進していれば、

何かできるきっかけを

つかめることもある。

止まってしまうか、

動いていくか。

その差ができることの領域を

大きく変えていく。

だからこそ、

できないとか、

不可能だとか思った時は、

動きを止めずに前進する。

無鉄砲でもいい。

力まかせでもいい。

とにかく前進する。

そこに不可能を

可能にする力が生まれる。

それだけは間違いない

人生の法則だ。

 

時間は自分オリジナルなもの

 

(今日のコトバ)

 

喜んでも、悲しんでも、

人生で使う時間は、

同じ一秒、同じ一分、

同じ一週、同じ一年、、。

ただ、誰一人、同じ一生はない。

 

 

「時間は、誰にも平等に時を刻む」

と思っている。

一秒、一分、一週、一年、、。

平等に過ぎているはずだ。

ただ、その時間の中で

誰一人として

同じスピードでは生きていない。

自分のスピードで生きている。

例えば、一年。

何かを習得するために

努力に努力を重ねた人と、

何もせず自堕落に生きた人の

スピードでは、

圧倒的に差ができてしまう。

また、

喜びや悲しみで

同じような体験をしても、

まったく記憶として

違うものになることもある。

時間。

それは自分個人のもの。

活かして生きるも、

過ぎていくのを見送るだけでも、

時は刻まれる。

その時間を

どう自分のものにしていくか。

自分のものにした人から、

人生が有意義なものになっていく。

そんな気がするのだ。

 

真実は人の数だけ

 

(今日のコトバ)

 

真実に諸説あり。

 

 

ほんとうは、

真実は一つしかないのだろう。

ただ、真実は人の生きる方向によって

変わることがある。

もっというと、人は信じたいものを

信じる傾向にある。

自分が正しいとおもったら、

それが真実だと

思ってしまうこともある。

そして、真実は人の数だけ

生れてしまうものでもある。

だからこそ、嘘が生まれる土壌もある。

人の数だけ真実があれば、

どれかは嘘になる。

さらに、知るべき真実と

知らなくていい真実もある。

真実。

それは答えのない答え。

自分の解釈で

いくらでも変わっていく答え。

そのことを忘れてはいけない。

 

「好き」の延長線上を行け

 

(今日のコトバ)

 

好きならば、

どんなに遠くても届く距離。

嫌いならば、

どんなに近くても届かぬ距離。

 

 

「好き」という気持ちは、

自分の能力を大きく開花させる。

才能と呼ばれたり、

得意といわれたり、

もっというと努力もそう、

「好き」という気持ちから

始まっている。

「好き」だから、楽しめる。

「好き」だから、頑張れる。

「好き」だから、続けられる。

そう考えると、

「好き」だと思えるものの

延長戦上に目標を立てれば、

目標を達成することが

しやすくなる。

能力が欠けていたり、

不得手だったりするより、

よっぽどスピーディに目標を

達成できる。

だからこそ、

「好き」を大切にしたい。

「好き」の延長線上は、

楽しみながら

人生を大きく広げていく。

「好き」は、

大切にしたい自分の能力なのだ。