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(今日のコトバ)
努力を売り物にしている
ということは、
まだ何も売り物がない
ということ。
難しい「努力」という概念。
誰が見ても
たいしたことをしていないのに、
本人が「努力」しているという。
反対に、
「彼はあんなに努力している」と
いわれているが、
本人はまだまだだと思っている。
こうもいわれる。
「努力が成功を約束しないが、
成功した者はすべて努力している」と。
どこからが「努力」していて、
どこからが「努力」していないのか。
基準はないのかもしれない。
だが、一ついえることがある。
それは、「努力」を
売り物にしているうちは、
まだ何も自分の売り物がない
ということ。
「努力」したんだけど。
「努力」してるんだけど。
という状況はまだ何事も途中の状態。
結果も出ていないし、
発展途上といっていい。
そう考えると、
「努力」は結果に付随する言葉。
「努力」の先の目標が
達成していないということ。
そのことを忘れはいけない。
(今日のコトバ)
孤独は、
自分の心と
いちばん会話がはずむ。
一人なって、寂しくなって、
良いことがあるとしたら何だろう。
時々考える。
いちばん感じるのは、
普段、聞かなかった自分の声を、
じっくり聞けることかもしれないと思う。
忙しい毎日、
生きる循環が上手くいっている時、
人は自分の声を聞いたりしない。
だが、何かをきっかけに、
孤独で寂しくなったり、
何もしない時間が長く続くと、
自分の声を聞くようになる。
その声は、ほとんどが弱音か本音。
自分の声だから飾ることもなく
真摯に聞く。
本来は、自分にとって大切な声だ。
だが、孤独でなくなると、
忙しくなると、
忘れてしまうこともある。
だからこそ、
孤独の時間の声は
大切にしなければならない。
自分の弱音や本音は、
人生への不安が含まれている。
これから生きていく上で、
注意しなければならないことが
含まれている。
人生への良い警告。
そう思って
孤独な時間の声を肝に銘じるのだ。
(今日のコトバ)
不可能に挑戦している人なんて
ほんとうはいない。
可能だと思ったからこそ
挑戦したんだ。
可能と思うものを探せ。
「不可能に挑戦する」
言葉づらはかっこいい。
まだ見ぬ夢へ全力で挑む感じがする。
だが、とも思う。
「ほんとうに不可能と思っていることに
挑戦するだろうか」と。
他の人から見て
不可能であっても、
挑戦する本人が、
まったく不可能だと思うものに
挑むだろうか。
「高い壁ではある。
だが、努力をすればなんとかなる」
と思っていることに
挑んでいるのではないか。
手を伸ばせば
届くかもしれないという気持ちが、
挑戦させているのではないか。
そう思ってしまうのだ。
だとしたら、
「なんとかなる、
簡単ではないが可能だというものに
挑戦している人」
でいいのではないか。
人は、目標がないと前進できない。
その目標が漠然としたものより、
具体的な方が達成する確率も高い。
だからこそ、
可能だと思う目標を探す。
生きるために大切なことだ。
(今日のコトバ)
「出来ない」と降りてくれた人は、
人生の席を空けてくれたのだ。
「出来る」といって
座ってしまおう。
チャンスは、
そうそうやってこない。
準備ができた時に
やってくる保証はないし、
準備ができない時に
やってくることもある。
さらにいえば、
誰かが降りてくれたから
チャンスが巡ってくることもある。
自分の準備状況はともかく、
チャンスが目の前にある。
そんな時は、
迷わずチャンスに飛び乗ろう。
人生、チャンスの回数の保証などない。
この先、いつ来るかもわかない。
それが、誰かが降りたというだけで
自分の目の前にある。
上手くいけばラッキーだし、
上手くいかなくても
経験が蓄積される。
そもそも無くて当たり前の
チャンスなのだから、
逃したところで
傷つく必要もない。
とにかく、
空いたチャンスを自分のものにする。
その意識で生きれば、
チャンスを捉える確率は上がるはずだ。
(今日のコトバ)
不安でエネルギーを
消耗するなら、
感謝でエネルギーを
補給しよう。
何か先のことを考えて、
不安になる。
起きてもいないことを
想像して、
エネルギーを消耗する。
そんなことは、
生きていると何度もあった。
このエネルギーの消耗ほど
ムダなことはなかった。
起きてもいないことに
不安になる。
不安で放出するエネルギーで
疲れてしまう。
では、エネルギーを
消耗しないための
方法はあるだろうか。
誰でもできることが一つある。
それは、感謝すること。
「ありがとう」という気持ちを
伝える。
自分のまわりの人が、
自分のためにしてくれたことに
感謝する。
できれば、声に出して伝えるといい。
言葉を発すると同時に
エネルギーが出る。
このエネルギーは
自分の力になる。
感謝の気持ちがあると、
前向きになるし、
パワフルにもなれる。
気持ちの循環も良くなる。
だからこそ、
感謝を忘れず生きる。
エネルギーある生き方をするために
大切なことだと思う。
(今日のコトバ)
あきらめるということは、
運の停止ボタンを
押してしまうことである。
目標に向かって行動する。
だが、遅々として達成しない。
もうダメだと思って、
あきらめてしまう。
誰にでも、
そんなことの一つや二つあるはずだ。
ただ、人生を思い返すと、
あきらめたことで
後悔することがあまりにも多い。
「やり続けていれば、、、」
そう思ってしまうことが
たくさんあるのだ。
では、なぜ、後悔するのか。
それはあきめず続けていれば
手に入ったであろう運が、
手に入らなかったから。
もし、続けていたらと思ってしまう。
だとしたら、
あきめることをあきめて
続けていく。
自分が納得するまで続けてみる。
ちょっとやそっとの困難で
あきらめない。
それが、運を手に入れるための
大事な方法。
大変だが誰にでもできることだ。
(今日のコトバ)
先延ばしすることは、
「いま」のムダ遣いである。
「やりたくないな」と思うと、
先送りしてしまう。
手をつけなかったり、
あえて知らんぷりしたり、
触れないようにする。
その結果、どうなるか。
必ずどこかで
その問題を
処理しなければならなくなる。
だとしたら、
思い立ったら吉日、
すぐにやってしまう。
その結果、未来に問題を残さず、
未来に新しい取り組みができる。
未来という時間を有効に使える。
だからこそ、
「いまの問題は、いま解決する」
その意識を持つと、
時間が有効に使える。
いまより自由に使える時間はない。
そう思っていまを大切に使おう。
(今日のコトバ)
「始めるのに遅いことはない」
とは思わないけど、
いま始めることが
一番早いことは確かだ。
何かを始めようと思う。
でも、なかなか決断できない。
ぐずぐすして、
スタートが
のびのびになっている。
そんなことは、
誰の人生にもあるだろう。
だが、絶対いえるのは、
いま、この場が始めることが
一番早いスタートになる。
何かの目標を達成したい時、
一番長い時間がつくれる。
人生の時間は有限だ。
目標に向かうなら、
有限の時間の中で、
より長く時間が使えることも、
達成への一つメリットになる。
そう考えると、
スタートをいち早く始める。
できることなら、
いま、この場所から始めるのは、
理にかなっている。
やり方は自由だ。
ただ、目標のために時間を
長く使いたいなら、
一刻も早くスタートを切ることだ。
(今日のコトバ)
幸せな人は、
不幸も幸せの一つにしてしまう。
不幸な人は、
幸せも不幸の一つにしてしまう。
ものの考え方だが、
幸せに思える人は、
何でも幸せに考える。
前向きに考える。
ちょっとやそっとの悲しいことでは、
落ち込んだりしない。
一つの教訓ぐらいに考えて、
むしろ、「この悲しいことは、
これからの糧になる」ぐらいに
考えている。
反対に、不幸だな思う人は、
不幸のネタを自分で集めてしまっている。
何かのネガティブ情報に
惑わされ不安になっている。
いいことがあっても、
「どうせ、この後、、、」と
ワルい予感を感じている。
人は大別すると、
この二タイプに限られる。
どちらで生きるか。
生まれつきの思考もあるだろう。
ただ、ほとんどの人は
幸せに生きていたいと
思っているはずだ。
だとすれば、幸せに、
前向きにものを考えて
いいのではないか。
その方が、より幸せに包まれる。
人生、ものの考え方一つだ。
(今日のコトバ)
学校とは、
「人生で大切なことは
教科書で教えてくれない」と
教えてくれるところでした。
学校は、おもしろい。
学校は、つまらない。
学校に対して、
いろいろな気持ちを人は持つだろう。
学校ではたくさんの科目を
教育される。
知識をつけるといってもいい。
人として生きていくために
大切なものを
教えてもらうのだろうと思う。
ただ、その中で
人生にとって必要なもの、
あるいは、世の中に出て
必要なものがどれほどあるだろうか。
読み書き計算ぐらいは大切だと思う。
歴史も必要かもしれない。
だが、その中に「生きるための業」が
ほとんど教えられない。
人と人とのコミュニケーションだったり、
財産づくり運用だったり、
ITの教養だったり、
性に対しての基礎だったり、、。
見事なまでに、
「そういうことは
世の中に出てから勉強しなさい」
といっているようだ。
もしかすると、
その昔の教育カリキュラムは、
それでも良かったのかもしれない。
でも、いまはそうはいかない。
一年一年ごとに、
世の中が変わっているのに、
教育は何十年も前のままで
いいわけがない。
そこが教育の弱点だとわかっているのに、
なかなか教育は追いつていかない。
そのスピードが国力が低下しているのと
連鎖しているような気もする。
だからこそ、学校の教育は
「人生で大切なこと」にフォーカスした
ことを教えてあげて欲しい。
これからを生きる若者にとって、
大切なこと。
それは生きることが難しくなった
人生の生き方なのだ。
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