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(今日のコトバ)
あなたの心の傷口は、
人の傷みがわかるための入口です。
傷つけることが多い人がいる。
傷つくことが少ない
生き方をする人もいる。
そして、傷つくことが多い人もいる。
その中で傷つくことが多い人は、
割と人が傷つくことも察知する。
できるだけ、傷つけないように、
もっというと、
優しく対応することも多くなる。
傷つくことはムダではなく、
傷つけられたら
どう思うかを考えるようになる。
そこに、優しさが生まれる。
自分の負っている傷は
優しさの源になる。
もちろん、自分が壊れるぐらいの
傷を負うことは避けるべきだ。
ただ、傷も誰かのために役に立つことを
忘れてはいけない。
(今日のコトバ)
小さなことで
幸福になれるということは、
大きな財産を得たに
等しいということ。
まわりにもいる。
ちょっとしたこと、
小さなことですごく喜ぶ人。
そんなに喜ばなくてもと思うほど
喜ぶ人。
幸せなんだろうな、と思う。
ただ、こうも考える。
ちょっとしたことで喜べる人は、
人生が喜びでいっぱいなんだろうな、と。
生きている時間の中で
喜んでいる時間が長く、大きい。
ということは、
幸せでいる時間も長い。
ということは、
大きな財産を持っていると
いっていい。
人生の時間を喜びや幸せで
彩れることは、大きな財産。
そう思うと、
自分の人生も、ちょっとしたこと、
小さなことに喜んでみる。
人生の幸せな時間を長くする方法だ。
(今日のコトバ)
「忙しい」とは、
希望がいっぱいあるということの
照れ隠しです。
忙しい、という。
本当に忙しい人も、
そうでない人も口にする。
少なくとも、
他人からみて
忙しい人に見てもらいたい人が大半だ。
それはなぜか考える。
忙しいとできるように見えるから?
忙しいとかっこいいように見えるから?
忙しいと成功したように見えるから?
みな正解なんだろうと思う。
まとめて一言でいうと、
忙しいと希望がたくさんあるように
見えるからといえるからかもしれない。
「希望がたくさんある」
それを説明するとかっこワルいから、
忙しいの一言で伝える。
できれば、
「忙しい」といえる人生にしたいものだ。
(今日のコトバ)
人生とは、
明日の自分を夢見ること。
人生。
ふと考えることがある。
一言、人生といってしまうと、
なんでもかんでも詰め込んだ
生きた時間。
そう考えても間違いではない。
かといって正解と必ずしもいえない。
ただ、生まれて物心がついて人生の舞台に
長い時間立てた理由だけは
はっきりしている。
明日という希望があったからだ。
「明日がある」
「きっと、明日はいい日になる」
「明日になれば状況は変わる」
「明日がなんとかしてくれる」など。
過去も大きいし、
現在も大きい。
だが、期待度でいえば明日の比ではない。
そう思うと、
人生は明日の自分を夢見ることで
できているともいえる。
人間は
最期まで明日を追いかけていく。
だからこそ、
人生は素晴らしいものになる。
そして、
人間は素晴らしいものになるのだ。
(今日のコトバ)
魂を安売りした道では、すぐ転ぶ。
どうしても譲れないものがある。
誰もが大切にするもの。
絶対手放したくないもの。
一つや二つあると思う。
ただ、いとも簡単に譲れないものを
譲ってしまう人もいる。
何でもかんでもといって
いいかもしれない。
「それだけは大切にしろよ」と
いいたくなるものも譲ってしまう。
結果、いい方向へ人生は進まない。
むしろ、ワルい方向へ進む。
難しい問題だ。
あまりに頑固に、
譲らないものをつくり過ぎても
生きることが辛くなる。
だが、これだけはいえる。
本当に譲ってはいけないものを
譲ると、
その先の人生が苦しくなる。
だからこそ、
生きるために
譲ってはいけないものを
大切にする。
いつも忘れてず生きて、
人生をまっすぐ歩きたいものだ。
(今日のコトバ)
足りないもので
不安になるより、
あるもので安心した方が
いいじゃないか。
何かが足りないと、
途轍もなく不安になる。
特に、未来のために
必要なものがないと、
どうしようもなく不安になる。
ただ、不安になるということは、
すべて未来に足りないものが
あるから。
つまり、自分が未来に生きていくために、
必要なものを探して
前進しているともいえる。
不安もポジティブに捉えていい。
もっといえば、
どうしても不安でしかたないなら、
いまあるもので安心してもいい。
「いまばこれがあるから大丈夫。
あとは何とかなるさ」
それぐらい開き直って生きていい。
人生は短い。
だとすれば、
不安に大きく時間を
割いていられない。
ないものを恐れるのではなく、
あるもので笑って生きていく。
そんな気持ちでいよう。
(今日のコトバ)
「ありがとう」という一言は、
無数のありがとうを背負っている。
「ごめん」という一言は、
無数のごめんを抱えている。
たった一言、「ありがとう」
たった一言、「ごめん」
言葉は一言だけれど、
その一言は様々な気持ちを
束ねたもの。
人に対して、行動に対して、
全体の状況に対して、
考えればきりがない。
ただ、その束ねた気持ちを
伝えるには、
はっきりと伝えないと意味がない。
以心伝心で
わかるはずと思ってはダメで、
一言でいいから、
ありがとうを、こめんを、
ちゃんと伝える。
忙しいとか、時間がないとか、
照れくさいとか、
いっていてはいけない。
ありがとうは、
ごめんは、
たくさんの気持ちを束ねている。
その一つ一つの気持ちのためにも、
ちゃんと言葉を伝えよう。
(今日のコトバ)
もう二度と今日には出会えない。
いま、ここに、
一生一度の風景が広がっている。
いつものような時間が流れる今日。
だが、いま、この瞬間は
一生ではじめて出会う時間ばかり。
毎日のいまという一瞬は
一期一会。
大袈裟にいえば、
二度と出会うことのない風景でもある。
それをあたりまえと思うか、
奇跡と思うか。
人それぞれの考え方次第。
ただ、いまこの瞬間が奇跡だと思えば、
人生がもっと愛しくなる。
生きることに意欲的になる。
もし、今日を貴重に思えれば、
人生を大きく変えることが
できるかもしれない。
いま、この一瞬の風景が奇跡。
人生が素晴らしいものであることを
感じながら生きよう。
(今日のコトバ)
「はじめの一歩」で
目標の半分が達成され、
「あと一歩」を踏み出すことで
達成が現実のものとなる。
何かをはじめる時、
大切なのははじめの一歩。
一歩を踏み出すまで
様々な要件があり、
踏み出すことが困難だったり、
躊躇したりする。
とにかく一歩を踏み出せば、
まずは目標に向かって
大きく前進できる。
たかが一歩ではなく、
何万歩以上の価値がある一歩になる。
そして、行けるとこまで
歩を進めていく。
その後、山場がある。
乗り越えなればいけない壁を
乗り越える一歩。
その一歩も
はじめの一歩と同じぐらい
大切なものになる。
同じ一歩だけれど、
価値の違う一歩。
その一歩の意味を知る人は、
勝負勘がいいといえるかもしれない。
人生にとって一歩は大きい。
その一歩一歩を踏みしめ
前進していこう。
(今日のコトバ)
誇りとは、
誰も見ていないところでも
手を抜かないことである。
人には、誇りがある。
大きさはともかく、
自分が守り抜くべき誇りがある。
その誇りが
人生という道を貫いていく。
良いワルいではない。
誰にでも貫くものがあるのだ。
では、貫くものとは何か?
それは、どんな時も手を抜かず
やり続けるものかもしれない。
決して、凄いことだけではない。
こだわって貫くものもある。
癖として貫くものもある。
もちろん、
自分のアイデンティティとして
貫くものもある。
そして、その誇りは
人間性そのものだったりする。
いま、自分がわからなくて
迷っている人は、
自分が貫ているものを見つめてみよう。
きっと、その貫いているものに
誇りが宿っているはずだ。
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