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(今日のコトバ)
夢実現に必要なものは、
才能、努力、運命。
その中で飛躍的に成長できるのは努力だ。
何かを成し遂げようとする。
その成し遂げようとすべきものを
人は夢という。
その夢を実現するために
大切なものは何か。
大きく分けて三つある。
一つは才能。
はじめから成し遂げるための能力を
持って生まれたり、センスが抜群に良かったり、
夢をつかむのに
圧倒的有利になる能力を保持している。
次に努力。
継続しながら力をつけるもの。
コツコツと積み上げる経験は、
自分の力を大幅に
進化させることができる。
そして、運命。
ここ一番で夢実現の方向へ運んでいく力。
持って生まれた人もいるだろう。
そうでない人もいる。
ただ、ギャンブル性があって、
つかみきれないこともある。
その三つの中で、
一つだけ飛躍的に
夢に近づけてくれるものがある。
それは、努力。
努力はすればするほど、
力はついてくる。
やり方次第では無限に力がついていく。
ついた力は夢を実現することを
確実にすることもできる。
もちろん、才能、努力、運命。
三つ揃うことに越したことはない。
ただ、夢を実現させるために、
一番大きな力、
一番大きな役割をはたすのが努力。
人が信じて間違いない力が
努力といっていいと思う。
(今日のコトバ)
過去や未来に散らかっている力を、
「いま」に集中させろ。
人生の扉を開くために。
過去の記憶から逃れられない。
未来を思うと不安になる。
なかなか生きるためのバランスが取れない。
そんな気持ちで生きることがある。
ただ、過去も、未来も、
もうどうにもできない。
何かをできるとすれば、
「いま」しかないのだ。
そう考えると、
自分の持っている力を
「いま」に集中するべき。
夢や目標があるなら、
尚更、「いま」が大事。
「いま」しか何もできない。
そこで精一杯やれることをやる。
その意識と行動が新しい扉を開く。
夢や目標を叶える原動力となる。
「いま」を大事にして生きていく。
すべての力を発揮するのは
そこから始まるのだ。
(今日のコトバ)
子供たちに教えてあげよう。
大人はみんな「勉強すれば良かった」と
後悔していることを。
社会に出て、
大人といわれるようになって久しい。
何も成長していないのに、
年をとるたけで
大人のカテゴリーに入れられる。
その時、思うことがある。
「子供の頃、もっと勉強しておけば
良かったな」と。
反省しても遅すぎる。
大人になってからでは、
時間も、体力も低下してきて、
若い頃のように成長は期待できない。
「はじめるのに遅いことはない」というが、
それは、一部しか正しくない。
ほんとうにやりたいことがあれば、
子供のうちから
はじめるに越したことはない。
だからこそ、
大人になってはじめたいものがあれば、
すぐにはじめる。
一日はやければ、
時間も、体力も、一日分多い。
少しだけ早くはじめるから、
少しだけ身に着く可能性が高い。
それぐらいの気持ちで、
何かを学んでみる。
年そうに生き方を考えてみたいものだ。
(今日のコトバ)
人間にとって
希望は標準装備されているが、
絶望はオプション。
使わなければいいだけの話だ。
長く生きているとわかることがある。
生きている間、
いつでも希望がついていると。
希望の大きい小さいはあるが、
生きているどこかに希望がある。
誰もが振り返ってみればわかる。
何でもない普通の日でさえ、
おいしいものを食べたいとか、
どこかへ遊びに行きたいとか願う。
風邪などの病気の時でさえ、
「早く治りたい」と願う。
もっと大きな夢のような希望だってある。
愛を成就したいという気持ちだってある。
生きていて希望がなかった日などはない。
反対に、絶望を感じるのは、
まれにしかない。
不幸になって苦しくて、
絶望を感ることはある。
ただ、絶望を長く感じるかというと、
どこかで何かの目標ができた瞬間、
一気に消えていってしまうもの。
もっというと、
絶望と思える状況でも、
意識して絶望だと思わなければ、
絶望という気持ちを
回避することもできる。
そして大切なのは、
絶望という気持ち、
絶望という状況にあっても、
希望は失われない。
絶望の裏、
絶望の横、
絶望の片隅などのどこかに
希望がある。
そう考えると
希望は、人間に
標準装備されている。
人生は希望と生きているといっていい。
自分の人生を希望が支えてくれる。
人間は希望の化身なのだ。
(今日のコトバ)
誰かの指示の下で
行進するのではなく、
自分の意志の下で
冒険しようじゃないか。
自分の意志がないと、
世の中の仕組みに流される。
それは、誰かの指示によって、
自分の人生を
動かされてしまうことといっていい。
「誰かの指示」
そこに自分の気持ちはない。
極端にいえば、
誰かの人生の付属品になって
生きることになる。
もちろん、
誰かの、世の中の付属品になって
生きることを良しとする人もいるだろう。
だが、自分の一生は一度だけ。
誰かに決められたレールを
走り続けるだけでは、
面白くないのも本音だろう。
人生を面白くしたいと思ったら、
やっぱり自分の意志で
道をつくることが大切だ。
いま、自分の人生を面白くしたいなら、
自分の意志を、もう一度、
見つめ直してみよう。
自分の意志で生きているのなら、
その世界を深堀りする。
もし、面白くないと思っているなら、
新しい扉を開けてみる。
誰かつくった環境でも、
付属品にならないで
自分を活かして生きる方法もある。
自分の意志の下で生きることは、
後悔しない人生を
生きるということに通じる。
いままでの人生で後悔が多いと思ったら、
自分の意志を尊重して、
自分の選択を意識して生きていく。
冒険になるかもしれないが、
面白い人生にするためには
挑戦してもいいと思う。
(今日のコトバ)
お気遣いは、
お小遣いのように使おう。
「気を使うこと」
人生のさまざまな場面で必要だ。
ただ、
ある時期だけ一気にたくさん使ったり、
たまにちょろっと
使っても効果は出ない。
日々の暮らしの中で、
小出しでもいいから、
気を使っていく。
気づいたら、
気を使うでいい。
気を使う人ということが、
認知されていると、
自分にとって一つの評価になる。
そして、気を使うことは、
人への優しさ、親切にもつながる。
相手が不快になることは、
ほぼない。
それでコミュニケーションが上手くいくなら、
使えるものは使えばいい。
もしかすると、
何もなくても使える自分の武器に
なるかもしれない。
少しずつでいいから
継続的に気を使う。
生きるために大切なことだ。
(今日のコトバ)
言葉を人から借りてばかりいると、
自分も人の借り物になってしまう。
誰かのまねをする。
何事もはじめはそこからスタートする。
時間が経っていくうちに
自分オリジナルのものができあがっていく。
そして、自分という一人の人間が確立する。
ただ、その過程において、
あまりにも誰かのまねだけで生きる人がいる。
言葉、生き方スタイル、ファッション、、。
お手本にした誰かには似るかもしれないが、
自分オリジナルなものは薄まってしまう。
誰かに憧れてしまって、
その人と同化するように生きてしまう。
それも一つの生き方だとは思う。
だが、人生は一度きりだ。
自分オリジナルの生き方をしないと、
人生の最後に
寂しい思いをするかもしれない。
だとすれば、
自分オリジナルを極めて生きることを
考えるべきだ。
長く自分オリジナルを求めて、
生き方が確立していけば、
自分の思い描いたスタイルにいきつく。
そのために必要なことは、
自分を磨いて成長していくこと。
目標を決めて前進することを
忘れないこと。
いつも目標に向かっていくことが
自分を極めることになる。
たった一つの自分の人生をつくる。
オリジナルを極めて、
他の誰もまねできない自分の人生を
生きていこう。
(今日のコトバ)
奇跡は、
歩いてきた軌跡を
外れたところでは起こらない。
人生が大きく変わるような何か。
言葉にすると奇跡とでもいおうか。
夢などの大きな目標に立ち向かう時、
神頼みもあるが、奇跡待ちの気持ちもある。
もちろん、簡単に奇跡は起こらない。
何かをすれば都合よく起こるものでもない。
だが、どこかで奇跡を待っている。
ここで大切なのは、
待っているだけでは
奇跡は起こらないということ。
そして、自分の切磋琢磨していることの
延長線上でなければ起こらないということ。
天から特別な力が働いて
奇跡が起こるものではない。
必ず努力の延長線上に奇跡は起こる。
そこを忘れてはいけない。
一瞬ではなく、コツコツと。
パフォーマンスではなく、地道に。
その先で奇跡は起こる。
後は、あきらめず、あせらず、
愚直に、継続していくことが大切なのだ。
(今日のコトバ)
夢を見る眼も、
現実を見る眼も、
同じ星を見ている人生にしよう。
夢と現実。
それは別の分類ではなく、
地続きであると人生は活気づいてくる。
現実で活動していることが
夢に近づいていくと、
日々生きることが楽しくなるはずだ。
ただ、生き方によっては、
「夢は夢。現実は現実」と、
まったく別の分類にしてしまう人が多い。
夢は願望だから、
叶えば幸運ぐらいに考えている。
だが、現実は生活にも関わってくる。
リアルな問題を解決しなければならない。
そう思うと、
一本の道に夢と現実を置けないのもわかる。
それでも一生一度の人生だ。
夢を叶えて生きていきたい。
だとすれば、
現実の延長線上に夢があるように
人生を設計する。
できるだけ、夢から近い場所に現実を置く。
例えば、仕事を選ぶ時、
夢が叶う仕事に付く。
例えば、夢で稼ぐことを生業にする。
例えば、仲間と夢実現のため起業する等。
人生を有意義にするために大切なことだと思う。
(今日のコトバ)
人間には、ルール通りに生きる者、
ルールを無視して生きる者、
そして、自分のルールをつくる者の
三通りの生き方がある。
人には個性がある。
人の数だけ個性があるといっていい。
だが、生き方について分類すると、
大きく三通りに集約されていく。
ルール通り生きる人、
ルールを無視して生きる人、
ルールをつくる人。
このタイプに分類される。
自分が生きていく上で、
この三通りのどこに当てはまるか。
それを理解して生きると、
生き方がわかりやすくなる。
ルールがあれば、
ルールを順守し波風立てず生きていく。
ルールにあっても、
その通り生きるのはゴメン被る。
縛られずに生きていこうとしている。
ルールがあってもなくても、
自分で新しくつくって生きていきたい。
想像力を駆使していきたいと考えている。
もちろん、自分のおかれている状況で、
ルールに対する考え方が変わることはある。
ただ、基本的に自分の生き方が
どこに属するかはわかるはず。
そこを意識して生きると、
自分の道が見えてくる。
もっというと、
仕事をする時に、
自分はどういうやり方で
望めばいいかわかるはず。
だからこそ、
自分はルールに対してどう生きるかを
見極めて生きることが大切だと思う。
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