一瞬は、「いま」という未来

 

(今日のコトバ)

 

未来は、「いま」産声をあげるもの。

 

 

「いま」は一瞬で過ぎていく。

1秒先、1分先が未来だとすると、

あっという間に未来が来てしまう。

もちろん、何十年も先の未来もある。

ただ、遠い未来は、それこそ予測不可能。

予測しても、その通りにはならない。

だからこそ、未来ともいえる。

だが、未来であっても、

自分の人生なら、ある程度、

自分の予想の範囲で進んでいってほしい。

だとすれば、

「いま」も未来とカウントする。

一番人生を自在に使える「いま」も

未来だと考える。

「いま」は、未来だ。

そう思って生きていけば、

自分はいつも未来の人。

少し先行く人とも思える。

なんだか希望も持ててくる。

人生は一瞬一瞬の連続。

その一瞬は、「いま」という未来。

いつだって、自分が手にできる希望。

そんな気持ちで生きていきたい。

 

楽しいことも、苦しいことも、全部大切

 

(今日のコトバ)

 

楽しいから人生は大きく花が咲き、

苦しいから人生は深く根を張る。

 

 

人生は、楽しいことも、

苦しいこともある。

楽しいことばかりがいいと思うけれど、

そうはいかない。

かといって、苦しいことばかりでもない。

そして、楽しいこと、苦しいことは、

着実に人生の役に立っている。

楽しかったことは、

生きていくことを

素晴らしいものに仕立ててくれる。

苦しかったことは、

生きていくことに

強くなれる礎をつくってくれる。

どちらも必要なことなのだ。

いま、

誰もが様々な状況の中で生きている。

そのどれもが人生とって役立つと思えば、

生きる意欲がわいてくる。

楽しいことも大切、苦しいことも大切。

そう意識して、

全部まとめて自分のものにしよう。

「つづく」が、すべて

 

(今日のコトバ)

 

「つづく」は、永久不変のスローガンです。

 

 

「続けてきたものだけが生き残る」

人類の進化は、これに尽きる。

年をとるとそう感じることが多くなった。

反対にいうと、あたりまえだが

続けられなくなったものが終わっていく。

そして、何かの格言ではないが、

変化に対応したものだけが

生きの残るのだ。

もちろん、

技術革新で絶えてしまうものもある。

だが、何かの変革があって、

変化すれば

生き残ったものばかりのような気がする。

年をとると、

その変化についていけなくなる。

だからこそ、

変化についていくためにも、

続けていくことを大切にする。

特に、自分の勝負するべき分野のものは

続けていく。

ドラマのラストシーンも描いている。

「つづく」と。

「つづく」によって、

世界のすべてが動いていくのだ。

 

枕詞を大切に

 

(今日のコトバ)

 

言葉を絶対に忘れて欲しくなかったら、

「誰にもいうなよ」といえばいい。

 

 

「誰にもいうなよ」とか、

「お前だけにいう」とか。

自分だけ特別に秘密を明かしてもらうと、

その話しは、

その言葉は、なかなか忘れない。

なぜかと考えてみると、

その一言を前につけられるだけで、

自分は信頼されていると思える。

思った瞬間、集中力が増し、

話しや言葉を記憶しようとする。

いいか、ワルいかはわからない。

ただ、この作用を使って、

自分の伝えたいことを

相手の記憶にとどめさせることは

できそうだ。

普段の話しではなく、

とても大切な話しをする時、

枕詞として、

「誰にもいうなよ」という。

それだけで、相手の記憶に刻めるなら、

自分としても本望だろう。

話しや言葉は、

常に伝言ゲームになり、

微妙に伝わり方が変わってしまう。

自分から正しい情報を発信したい時、

枕詞は武器になる。

意識していい武器だと思う。

チャンスは勇者に降臨する

 

(今日のコトバ)

 

チャンスの前に、

安全第一の看板はかかっていない。

 

 

チャンスが訪れる時を、

確実に把握することはできない。

突然来ることもあるし、

偶然来ることもある。

もちろん、

必然としてやって来ることもある。

ただ、一言いえるのは、

チャンスが来る時に

安全な状態で来ることはないということ。

危険な状況だったり、

困難な状況だったり、

未来がわかない状況だったり、、。

「ラッキー!」と呼べるような

簡単で軽い状況はほぼない。

それでも、向こう見ずに

挑める者だけがチャンスを捉えられる。

人生を変えるほどのチャンスは、

それほどやってこない。

その中でチャンスを

しっかり捉えるには、

勇気があることが絶対条件。

チャンスは勇者に降臨する。

そのことを忘れてならない。

 

 

 

 

人生、夢と共に行けるところまで行ってみよう

 

(今日のコトバ)

 

可能性は無限大だから、

100点なんて小さな数字は

大きく超えていこう。

 

 

 

人の可能性はわからない。

どんな可能性も、

やってみて初めてわかることが多い。

「想像よりできた」

「思ったほどの力がなかった」等

絶対に誤差がある。

だとすれば、

限界点を勝手に決めて、

終わりにする必要はない。

できるだけやってみる。

行けるだけ行ってみる。

自分があきらめない限り限界はない。

そう思うと、

何も100点縛られることなく、

できるところまで極めればいい。

できることを大きく伸ばせば、

それは自分の能力になり、戦力になる。

他の誰かより秀でる力になるはずだ。

人生は一度きり。

自分の能力が優れている世界で

生きた方が楽しい。

そのために、限界を決めないで生てみる。

人生、夢と共に行けるところまで

行ってみよう。

 

楽しみを明日に初期設定しよう

 

(今日のコトバ)

 

遠足の日の前夜のように、

朝が来るのが待ち遠しい人を

幸せ者という。

 

 

「明日が来るのが待ち遠しい」

そう思って生きられるほど、

人生が楽しいことはない。

苦しかった、辛かったりすると、

明日が来るのが待ち遠しいとは

思えない。

もっといえば、

今日の問題が何も解決していないと、

明日が来なければいいとさえ思う。

そう考えると、

明日が待ち遠しい人生をつくることが、

人生を楽しくする基本。

大人になると、

そうそう簡単に

明日が楽しくなることはない。

ただ、その中でも楽しくなることを探す。

何でもいい。自分が楽しいと思うものを

毎日設定する。趣味でもいい。

運動でもいい。食事でもいい。

そして、できれば仕事がいい。

仕事が楽しければ、

楽しい人生が約束されたようなもの。

一つ一つ見渡すと、

必ず楽しいことがあるはず。

その楽しみを

明日に初期設定しよう。

 

同じ目標を持った人は、人生の宝物

 

(今日のコトバ)

 

めざす星が同じなら、

きっと、どこかで交差する場所がある。

 

 

大きな目標をつくる。

達成に向かって突き進む。

簡単ではない。

険しい道が続く。

あきらめようとすることも

一度や二度ではない。

そんな時、

歩みを止めずに挑めるのは、

ライバルの存在だったり、

仲間の存在だったりの人の力。

同じ目標を持った人は、

同じ場所に集まってくる。

それが敵であっても、味方であっても、

自分を鼓舞することには違いない。

そして、同じ場所に集まった時、

人は途轍もない親近感を感じる。

同じ達成感、同じ苦しみ、

同じ喜び、同じ涙を知っている。

同じものを共有できる人は、

人生でそれほどたくさん

出会うことはない。

敵あっても、味方であっても、

強い絆が生まれていく。

自分の人生にとって、

これほど大切な人もいない。

だからこそ、

同じ目標を持った人は、

人生の宝物になる。

心の底から大切にしたいものだ。

 

攻めのきっかけ

 

(今日のコトバ)

 

あたりまえの注文を、

特別仕上げにして生きていこう。

 

 

 

2022年が始まった。

コロナ禍になって、

守備一辺倒の状況が続いていた

約二年が終わる。

この新年にあたって、

攻めに転じたいと思っている

人も多いと思う。

では、どう攻めていくか。

それは目の前にあるものを、

一つ一つ丁寧に取り組むこと。

あたりまえと思うことを、

特別に考えてみる。

そこから始めることが、

新しいことにつながっていく気がする。

あたりまえが、希望に。

あたりまえが、奇跡に。

あたりまえが、幸せに、、。

そう考えると、

生きることすら特別に思える。

新しい年、

人それぞれの思いがあるはず。

その一つ一つを

特別の思いで生きてみる。

攻めのきっかけは、そこから生まれる。

 

 

人は、前進する生きもの

 

(今日のコトバ)

 

人生は、

今日を前向きに生きた証として、

昨日という想い出を

傑作に仕上げてくれる。

 

 

人は、

戻ることのできない時間と生きている。

時間は過去になると記憶となって

頭の中にとどまる。

また、人は、

前を向いて生きいる。

どれだけ後ろ向きな気持ちでも、

生きることは前向きになること。

今から未来への予定に基づき前進する。

つまり、人は前進する生きものなのだ。

そして、その前進する生きものに、

過去は想い出となって人生を支える。

いいことばかりではない人生でも、

想い出になると、

楽しかったり、美しかったり、

笑い話になったりで、

つらかった部分は消えている。

だからこそ、

前向きに生きていけるともいえる。

そう思うと、

記憶が想い出になるということは、

前向きに生きろという

天からのメッセージのような気もする。

想い出という誰もが持つ記憶。

人生を前向きに生きるために

必要な機能だ。