恋、時代が変わっても変わらない感情

 

(今日のコトバ)

 

 

恋とは、

普通の人の美しいところを

拡大して見ることのできる

季節のことである。

 

 

 

人を好きになってしまうと、

良いところばかりが目についてしまう。

恋する気持ちは、

好きになった

特定の人にだけかかる魔法のようだ。

良いところは拡大して見えるし、

ワルいところもかわいく見える。

恋とは、特別な時間・季節なのだ。

だとしたら、

恋する時間、恋する気持ちを

思いっきり楽しめばいい。

どれだけAIが発達しても、

どれだけスマホにコントロールされても、

恋する感情は変わらない。

時代が変わっても変わらない感情を

大切にして生きていく。

恋は、その筆頭かもしれない。

心と言葉の誤差

 

(今日のコトバ)

 

ココロとコトバには、

いつも誤差がある。

 

 

心が決めたことを

言葉にする。

たいがいは、

心が決めた通りに言葉を発する。

だが、ほんとうにそうだろうか。

まったく、心と言葉が一致しているだろうか。

答えは、一致しているとはいいがたい。

心の使者として発した言葉も、

意味が違ってまともに

伝わらないこともある。

あえて心を隠した言葉、

あえて心と反対の言葉、

あえて心を騙した言葉等。

言葉が心の正しい使者でないこともある。

かといって、言葉を

無視することもできない。

だからこそ、心と言葉には誤差がある、

人の言葉も、自分の言葉も誤差がある。

そう意識すると、

言葉だけで右往左往することが

少なくなる。

考えておいてもいいことだと思う。

 

 

人として感謝は伝える

 

(今日のコトバ)

 

「ありがとう」といえる距離に、

あなたがいてくれて「ありがとう」。

 

 

人は助けられて生きている。

どんな人でも感謝すべき人はいる。

その人にちゃんと感謝を伝えているだろうか。

「思っていても伝えていない」と

答える人も多い。

自分もそうだと思う。

ただ、感謝はいくらしてもいいものだ。

相手の人が自分のために、

何か助けてくれる。

人生の大切な時間を使って、

自分を支えてくれる。

そんな行為に対して、

感謝しないのはよくない。

礼儀もあるが、

人として感謝は伝えるべき。

もっというと、

自分のために何かをしてくれる距離に

相手の人がいてくれたことは、

ほんとうにありがたいこと。

その気持ちは、

ちゃんと態度で表す。

感謝は人としていちばん大切。

生きていく上で、

忘れてはならないものなのだ。

努力家は、天才を凌駕する

 

(今日のコトバ)

 

天才が圧倒するのは、最初だけだ。

後は、無数の努力家に

追いつき追い越される運命にある。

まわりを見てごらん。

生き残っているのは努力家ばかりだ。

 

 

 

天才。

若き日には憧れ、

自分もどこか天才ではないかと、

才能を見つめたこともある。

ただ、天才というには程遠い能力ばかりが

現実を突きつける。

「普通の人間なんだ、否、

普通にも満たない人間かもしれない」

そう思いながら、年齢を重ねていく。

だが、ふと思うことがある。

まわり見渡して、

有名人を見て、

天才が生き残っているだろうか、と。

もちろん、才能という意味で、

人より秀でている人はいるが、

長く結果を出している人を見ると、

不断の努力を怠らなかった人ばかりが、

トップランナーを続けている。

若い頃、才能だけで飛び出してきた人は、

人生の中盤になると、

ほとんどが失速している。

消えた天才という人もたくさんいる。

天才の勢いだけで進めるのは、

人生の序盤だけ。

結局、天才は努力する者に抜かれていく。

だからこそ、人生は面白い。

才能あるなしにかかわらず、

努力することで、

実現できる夢もある。

そして、努力は年齢を重ねても

結果を出してくれる。

努力をする人を、努力家という。

〇〇家とつく称号は、

どの分野でも卓越した才能のある人。

柔道家、写真家、落語家、、、、。

そういう意味で、

努力家は天才より

優れた才能のある人といえるかもしれない。

暗い気持ちは、人と寄り添うことで消えていく

 

(今日のコトバ)

 

気持ちが暗くなったら、

人に会いに行こう。

人はみんな光を持っている。

その光で明るく照らしてくれる。

 

 

生きていると、

気持ちが暗くなることがある。

悲しいことがあったり、

不愉快なことがあったり、

痛い思いをしたり、、、、。

落ち込んで暗くなる。

そんな時、

なんとかして暗い気持ちから

解放されたいと思う。

では、どんな方法があるか。

一番簡単で一番確実な方法は、

人に会う、人と話すこと。

誰かと一緒にいられるだけで安心できる。

誰かと話しをするだけでリラックスできる。

ちょっとしたことだが、

大きな効果を発揮する。

自分が暗くなる時は、

どこかで孤立していることが多い。

まずは、孤立する状況を改善する。

それだけで、

気持ちの暗さから逃れられる確率が上がる。

暗さは人と寄り添うことで消えていくのだ。

時間より体験

 

(今日のコトバ)

 

笑いあって近くなり、

泣きあって深くなり、

抱きあって忘れられなくなる。

 

 

 

人と人との絆が強くなるのは、

どういう時だろう。

長い時間を一緒に過ごすことも、

大切なことかもしれない。

だが、それより一緒に、

笑った、泣いた、

楽しんだ、悲しんだという

体験が多ければ多いほど、

絆というものを感じてくる。

時間より体験。

その体験がいかに濃密だったか。

濃密であればあるほど

絆は深まる。

もちろん、深まり過ぎて、

人間関係にひびが入ることもある。

絆を強めることは、

傷つくことと紙一重かもしれない。

ただ、人間は

その紙一重のところで生きている。

そして、紙一重のところで、

人間関係を醸成していく。

いま、絆を感じないという人は、

同じ体験をして、

笑ったり、泣いたりする時間を

つくるようにしよう。

そこで絆が強まっていく。

絆が強い人がいればいるほど、

素晴らしい人生になっていく。

絆を大切にして生きたいものだ。

 

地球を舞台にした自分が主役の物語

 

(今日のコトバ)

 

地球という劇場は、

人間すべてに主役を用意している。

 

 

 

他人にはなれないけれど、

自分という人生はまっとうできる。

この地球上に二人といない生きもの。

どうあっても、人生の主役は自分だ。

だとしたら、

主役であるべく生きていい。

人生が光り輝いているように、

自分にスポットがあたっているように、

やりたいことをやり抜けばいい。

ただ、人生は人間関係の中で、

後ろ向きなこと、余計なこと等を

たくさん考えてしまう。

そして、バランスが保てなくなり、

主役ではなく、

脇役にまわってしまうこともある。

ただ、人生は一度きり。

やりたいことをやらずして、

何が人生なのかとも思う。

人生は、

地球を舞台にした自分が主役の物語。

そう信じて生きていく。

気持ち良く生きるていくために

大切なことだ。

 

やさしい人にも、やさしさを

 

(今日のコトバ)

 

 

やさしい人に足りなかったのは、

自分へのやさしさでした。

 

 

 

誰のまわりに必ずいる、

やさしい人。

気を使ってくれて、

困っている時に、

助けてくれたり、

サポートしてくれたりする。

ありがたい人だ。

ただ、いつも思うことがある。

やさしくしてくれる人は、

自分にあまりやさしくしていない、と。

人にやさしくするあまり、

自分のことが疎かになっている。

時々、しんどそうに見える時もある。

そんにな時でも、

サポートを求めている人から

相談されると、

笑いながらやさしくしている。

サービス精神が強い人かもしれない。

根っからのいい人なのかもしれない。

だが、人にやさしくするのも

力仕事だ。

エネルギーを使う。

だから、やさしい人に

やさしくされた記憶のある人は、

時々でいいから、

こちらからもやさしくしてあげる。

やさしさは、

もらって困るものではない。

やさしくされると、

嬉しいものでもある。

それは、やさしい人にとっても、

同じことなのだ。

 

そばで支えてくれる人を大切に

 

(今日のコトバ)

 

一万人の喝采より、

たった一人でもアイ・ラブ・ユー。

 

 

何も芸能人でなくても、

たくさんの人から人気がある。

面白かったり、

特出する能力があったり、

リーダーシップがあったり、、。

人から注目を集める人はいる。

それはそれで、素晴らしいことだ。

ただ、ほんとうは、人気より、

少数でも、一人でもいいから、

信頼してくれて、

そばにいてくれる人がいることの方が、

生きるために大切。

人は弱い生きもの。

自分がより添えれる、

自分を守ってくれ人がいて欲しいと

願っている。

遠目で声援を送ってくれる人より

近くで支えてくれる人が、

人生が厳しい状況になればなるほど

必要になる。

いま、そばで自分を支えてくれる人が

いるだろうか。

もし、いなければ、

そうなってくれそうな人をつくる。

もし、いるなら、

その人を大事にする。

生きていく上でとても大切なことだ。

人間には、言葉という能力と知恵がある

 

(今日のコトバ)

 

政治家が戦争を起こして、

国民が戦う。

政治家が儲けて、

国民が支払う。

政治家が嘘をついて、

国民が信じる。

政治家が笑って、

国民が泣く。

映画なら、

とっくに国民の復讐が始まっている。

 

 

ロシアの侵攻でウクライナが窮地に立っている。

テレビでは毎日、悲惨な場面が流れている。

SNSの時代になって、

リアルな戦況を国民も撮影できて、

世界中に配信されている。

その数々のシーンを見て

思うことがある。

攻め込んだロシア軍も、

ウクライナの国民も、

政治の意図に関係なく、

攻めて、攻められている。

ウクライナに攻め込んで捕まった

ロシア兵が、ウクライナの国民に

パンとスープをもらって泣いている。

ロシア兵、ウクライナの国民も

戦争なんてしたくない。

そう思っているはずだ。

政治家が国のリーダーというなら、

リーダーが舵取りを間違えると、

国家が怒涛に巻き込まれていく。

そして、怒涛から生まれるものは、

悲劇ばかりだ。

戦争を止めて、

まず話し合いを。

人間は、言葉を持っている。

その言葉を重ねて、

お互いの着地点を見つけていく。

全世界も力をあわせていく。

どんな時代の、

どんな状況になっても、

人間の持つ能力と知恵で、

危機を乗り越えなくてはいけない。