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(今日のコトバ)
星だって傷だらけなのに、
あんなにキレイに輝いている。
表舞台はキレイに輝いている。
だからといって、
楽屋裏も輝いているわけではない。
汚なかったり、
散らかっていたり、
薄暗らかったり、、、、。
キレイでもなく、
輝いてもいない。
人は、表の顔しか見ずに、
評価したり、憧れたり、模範にしたりする。
だが、ほんとうはどんな人にも
表ではない顔がある。
人に見せられないもの、
人が見なくていいものがあるのだ。
だから、表の顔だけで
何もかもわかったふりをしないで、
裏表、全体で人を理解しよう。
いい、ワルいではなく、
輝いていたら、それには理由がある。
ほんとうの人を知って、
ほんとうに好きになる。
生きていく上で大切なことだ。
(今日のコトバ)
鈍感は、勇敢になる。
「鈍感だな」といわれる。
気がづかない人で、
のろまでな人だと思われる。
もう少し世の中のスピードに合わせて
生きてみては、と思われることもある。
ただ、鈍感にもいい効果がある。
気がつかない能力は、
いいことも気がつかないが、
ワルいことも気がつかない。
普通の人が一喜一憂する状況でも、
平然としていられる。
また、のんびりしているから、
まわりの人もゆっとりとした気分になる。
鈍感いい、敏感がいいという問題ではない。
どちらにも良さがある。
ただ、鈍感には鈍感の良さがあることを
意識していると、
人生をもっとタフに生きられる。
人生に鈍感も大切だ。
(今日のコトバ)
思慮もいい。考慮もいい。配慮もいい。
だが、遠慮だけはするな。
人生の岐路に立つと、
いろいろな思いがある。
思いがあるだけに、
一歩前へ進めないこともある。
なんとかして歩を進めたい。
そのために必要なことは何だろう。
それは、意志があるなら、
絶対、遠慮してはいけないということ。
遠慮をすることは、
みすみすチャンスを逃すことにつながる。
人生の岐路に立って、
歩を進めなければいけない時に、
「どうぞ、どうぞ」と遠慮していては、
つかめるチャンスもつかめない。
人生の岐路に立って前進したい時は、
遠慮はしないと肝に銘じる。
そして、貪欲にチャンスをつかんでいく。
生きていく上で大切なことだ。
(今日のコトバ)
愛情は、
大盛を無料にすることである。
人の愛情を感じられるところは、
ちょっとしたところ。
ちょっとしたところで、
優しさや気配りがあると、
「この人、愛情があるな」と思う。
最初から愛情とは思わなくても、
情は感じられる。
言葉にすると、
人の気持ちのはみ出た情とでもいおうか。
その情を感じられる人が
まわりにいるとありがたいと思う。
もっというと幸せだとも思う。
それは、相手も同じこと。
ちょっとした優しさや気配りを
相手に届ける。
それだけで、相手も情を感じる。
幸せになれる。
ほんのささいなことだけど、
これが日常いつでもとなると、
どれだけあたたかい気持ちになれるか。
優しさや気配りを、
ちょっとはみ出して届ける。
それだけでいい。
そんな環境で生きられることを
大切にしよう。
(今日のコトバ)
人間は、
裸だと傷つくから着飾るのだ。
服を着て生きる生きものは、
人間だけだ。
裸で生きる人は、
ほとんどいない。
では、なぜ、服を着るのだろう。
それは、傷つくのが嫌だからだと思う。
裸でいれば、
もちろん、体は傷つきやすい。
だが、そんなことを
いっているわけではない。
すべてを見せてしまうのは、
心が傷ついてしまうからだと思うのだ。
人間は、進化の過程で羞恥心を身に着け
傷つく生きものになった。
せめて、その表面の体だけでも
傷つかないように服を着る。
裸の王様という言葉もある。
自分だけが真実が
見えなくなっている人のこと
とでもいおうか。
反対にいえば、
服を着ている王様は、
真実が見えているといえるのか。
すくなくても裸を揶揄している。
服を着る。
着飾る。
そのことで、人間は人間になる。
傷つかない予防になる。
進化していく人間の証明であり、
弱さでもあるのだ。
(今日のコトバ)
相談するなら、忙しい人に。
何かを頼む時、
しっかりやってくれる人を選びたい。
時間を割いくれて、
自分と向き合ってくれて、
丁寧な仕事をしてくれる人。
普通にそう思う。
ただ、この条件をのめるとなると、
忙しい人は難しくなる。
時間の余裕のある人、
つまり、暇な人になる可能性がある。
実は、そこが問題。
暇な人には理由がある。
いいかげんである。
むらがある。
物足りない。
信頼がおけない等の何かの理由がある。
反対に、やってもらえるかわからないが、
忙しい人にも理由がある。
それは、
いい仕事をし続けているということ。
いい仕事をするから、
評判になって依頼が殺到する。
必然的に忙しくなる。
誰もが思う。
忙しくてもいいから、
いい仕事をしてもらいたい。
だから、
忙しいとわかっていても、
いい仕事をしてくれる人を選ぶ。
「相談するなら、忙しい人に」
いい仕事をしてもらうための
わかりやすい判断基準だ。
(今日のコトバ)
人生には、
希望が無限に用意されている。
生きていると、
いろいろなことがある。
いいことばかりではない。
時に失望、
時に絶望も、ある。
だが、思うことがある。
どんなに失望しても、
どんなに絶望しても、
希望は失われないと。
どんなメンタルの状態になっても、
どこかに希望がある。
それが、夢になったり、
幸せになったり、欲になったりするけど、
希望が完全に失われることはない。
長く生きてきて、
しんどいことは多々あった。
それでも、生きていると、
どこかに小さくても希望がある。
おそらく、
命が果てるその日まで、
希望はあるような気がする。
つまり、今日を生きている人には、
必ず希望がある。
それだけで、
ちょっと強く生きていける。
もう少し頑張ってみようと思える。
希望は人生についていてくれるのだ。
(今日のコトバ)
行きたいは、きっと、生きたいなんだ。
どこかへ行きたいと思う。
遠くであろうが、近くであろうが、
行きたいと思う。
それは、実は、生きたいと
思っているのではないだろうか。
行くという目標があって、
そこに向けて前進していく。
まさしく、生きることにつながらないか、
そう思うのだ。
若くて、忙しいと、
どこかへ行くことは、
ルーティンワークで
処理する出来事かもしれない。
だが、年をとって、
どこかへ行くことは、
すべて生きるための
目標であることに気づく。
だからこそ、
「行きたいは、生きたい」になる。
いま、生きたいと思うテーマがなかったら、
まず、行きたいと思う場所を
決めることからはじめてみよう。
きっと、生きたいという気持ちが
強くなってくる。
人生、行きたい場所があれば、
生きていけるはずだ。
(今日のコトバ)
愛する人に出会うたびに、
また、人生がはじまる。
人を愛すると、
常に気持ちが新鮮になる。
他のどんな気持ちも、
何度も経験すると、
こんなもんだろうと予測して
熱くなれなかったり、
経験値から
気持ちが後ろ向きになることがある。
だが、愛するという気持ちだけは、
一瞬であっても新鮮になる。
愛することだって、
何度も経験していれば、
上手くいかない愛のややこしさ、
相手との気持ちの掛け違いなど、
痛い目にあった記憶があるはず。
だが、愛だけは別物。
「愛すると人は新鮮になる」と
初期設定されているようだ。
もし、いま、
人生が新鮮でないと思うなら、
愛する人を見つければいい。
愛する人がいるという幸せと、
自分が新鮮な気持ちになれるという
大きなギフトを手にできる。
2月14日、そんなことを思った。
(今日のコトバ)
劣等感は、
進化しようとしない人には
起こらない感情です。
劣等感。
自分と他人を比較して劣っている部分。
そこを考え始めると、
気持ちが落ち込んでしまう。
決して、いい状態とはいえない。
だが、なぜ劣等感が起こるのかを
考えると、
それほどワルいことではない気もする。
誰かと比較して
劣っていると考えるということは、
自分が成長しようと
考えているからに他ならない。
どうでもいいと思っていたら、
劣等感など起こらない。
そう思うと、
劣等感が起こることは、
成長への一歩。
その劣等感をどう考えて、
どこへ向けていくか。
上手く成長に結びつけられれば、
人生を生きるための
大きなエネルギーになる。
そのことを忘れてはいけない。
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