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(今日のコトバ)
人生だって、
山もあれば谷もあるから
絶景になる。
いつもいい時間ばかりではない。
かとっいて、
いつもワルい時間ばかりでもない。
いい時間、ワルい時間を行ったり来たり。
人は、できるだけいい時間を
長くしようとする。
それを努力と呼ぶのかもしれない。
努力することがいい時間を
約束するものではない。
ただ、普通の時間は増えていく。
いい時間と普通の時間を足すと、
人生は、結構、ステキな時間に包まれる。
努力することによって、
ワルい時間を減らすことにもなる。
そして、ワルい時間を減らしただけ
普通の時間が増えていく。
いい時間と普通の時間が多い人生を
幸せな人生と名づけるとしっくりする。
人生を幸せにするために、
いい時間と普通の時間を増やしていこう。
(今日のコトバ)
努力をやめてしまうと、
未来からの光を奪われてしまう。
人は、努力する生きものだ。
何か目標を持った時、
努力は加速する。
人によって、
厳しい道を選ぶ努力もあれば、
合理的でムダのない努力もある。
努力の仕方は、
人によって違う。
では、なぜ努力をするのだろう。
本来はしんどいことが多いので、
できるだけ避けて通りたいものだ。
簡単に努力せずできるなら、
それに越したことはないと思う。
ただ、何かを夢中にやった、
何かを一生懸命やったという
自分の心の中の記憶は、
自信につながる。
そのために、「努力した」という
経験は大きく働く。
その心の経験値とでもいうべきものを
積み上げるために努力は必要になる。
そして、努力こそが
人生をより有意義な舞台に
引き上げていく。
だからこそ、
努力という心の経験値を増やして
生きていことが大切になるのだ。
(今日のコトバ)
みんなが賛成している状態を
思考停止という。
物事を進めるために、
みんなが賛成していることは
大事なことだ。
意思が統一され、
推進力が増すことがある。
ただ、考えなければいけないのは、
みんなが賛成が考えものだということ。
例えば、本当は賛成ではないのだが、
まわりが賛成だから賛成している。
あるいは、反対だと思うが、
わざわざ主張することもないと
声を上げないこと等、
本当はみんなが賛成していない場合がある。
さらにいえば、
みんなが賛成というのも、
推進力はあるのだが、
全員が間違ってしまっていることもある。
だからこそ、みんなが賛成の時こそ、
慎重に方向性を考えたい。
進行する時は、
常々チェックを忘れず
方向性を確認する。
少数派の意見も取り入れるべき時は、
取り入れる。
物事の進行が遅れても、
間違いを回避することができる。
そんな気持ちで判断を忘れず
行動していきたい。
(今日のコトバ)
一度負けると立ち上がれない人がいる。
負けてばかりで勝とうとしない人がいる。
だから、勝ちにいけ。
そして、負けたことを悔しがれ。
もう一度、挑戦することがいちばん大切なのだ。
何度でも、何度でも、何度でも、、。
もう一度、もう一丁、もう一回、、。
負けようが、失敗しようが、
駆け上がってくる人が
最終的には頂点に立つ。
言葉にすると、「あきらめない人」。
どどの分野でも、
あきらめない人は高い位置にいる。
人によっては
センスがあって、
成功し続けたり、
勝ち続けたりする人もいるが、
そういう人に限って、
一度失敗したり、
一度負けたりすると、
すぐにあきらめてしまう。
また、一度も成功しない、
一度も勝てない人も、腐って、
牙を向くことをやめてしまう。
ただ、どんな状況であれ
あきらめないという意志があると、
状況より意志が
先行して人生を動かしていく。
できれば、そんな人生を歩みたい。
そして、人生の高みに登りたいものだ。
(今日のコトバ)
敵を友とした者こそ、
ほんとうの勝者である。
人より勝ろうと思えば、
必ずライバルが現れる。
どうしても勝たなければ、
どうしても乗り越えなければ、
自分の目標にたどり着けない。
そんなライバルが
誰の人生でもいるはずだ。
ただ、長く生きていると、
このライバルと呼べる人が
ほんとうに切磋琢磨できる人だと、
自分自身が成長でき、
そのライバルに感謝をすることすらある。
そうなると、敵としてではなく、
素晴らしい友、最強の味方になったりもする。
究極のライバルは、親友になる。
そう思うのだ。
もし、いま、自分の人生にライバルがいて、
ほんとうにしのぎを削っているなら、
必ずその人は真の友になる。
同じ夢、同じ希望、同じ痛み、
同じ苦しみを知っている人など、
そうそう世の中にはいない。
だからこそ、
ライバルは大切にしよう。
きっと、自分の人生の大きな宝物となって、
輝かせてくれるはずだ。
(今日のコトバ)
自信は、勇気の背中を押してくれる。
そして、勇気は、いつも自信の隣りにいる。
人が自信を持つ。
その証明はどんな時にできるか。
プライドを吹聴したり、
眼光で威圧したり、
派手なパフォーマンスをする時だったり、
少し勘違いした自信がたくさんある。
ただ、本当に自信を証明できるのは、
その場その場で勇気を出せること。
勇気によってアクションできることだと思う。
自信といっても、
カタチがあるものではないので、
証明するのは難しい。
もっというと、
一言で、一瞬で、
自信は失われることもある。
本当にある時、
勇気が自然に出てくる。
自信と勇気はセットなのだ。
だからこそ、
勇気が出ない時は、
自信がないと思っていい。
その時は、
何かが自分に足りないと思って、
足りないものを補う努力をしていく。
そんな意識を持って生きていきたい。
(今日のコトバ)
オマエが困っている時は助けるから、
オレが困っている時は助けてくれ、友よ。
自分が本当に困っている時は、
一人で解決できない課題が多い。
誰かに助けてほしいと、
何度も思ったことがある。
その時、解決のために助けてくれた人、
サポートしてくれた人は、
まさに人生のヒーロー。
いつまでもありがたいと感じるし、
人間の親友と思える。
反対に、誰かが困っている時に、
自分が解決できたら、
その課題の大きさにもよるが、
本当に困っていたら、
その誰もが人生の親友と考えるだろう。
ただただ楽しい時間を過ごしただけでは、
太い人間関係は結べない。
友人と思っても、
困ったことがあると逃げてしまう人もいる。
知らん顔をする人もいる。
だからこそ、まず、
困った時に自分が役に立つように生きる。
できる限りでいい。
その行動力が人間関係の根っ子になる。
誰かが助けてくれると思って
生きられることは、
大きな安心感になることを
忘れてはいけない。
(今日のコトバ)
「いないと寂しい」といわれる人になろう。
どこにでもいる「いないと寂しい人」。
何も面白いだけではなく、
ただただ明るかったり、
すごく頼りになったり、
よく話しを聞いてくれたり、
いつも同じ場所に
ドシッとしていてくれたり、、。
いないと寂しい人にも、
いろいろなタイプがある。
そんな中の一人に自分もなれたら、と思う。
ほんとうは、自分の属するところで、
すべての人がいないと寂しい人なはずだ。
ただ、その人の個性からなる存在感がないと、
寂しいと思われないこともある。
そして、寂しいと思われる人は、
やっぱり組織の中で、
大きな役割を持っている。
できれば、自分もそんな人になりたい。
それには、
自分の得意なものを組織の中で
披露するだけでいい。
それが時間を積み重ねると、
いないと寂しい人になる。
どうせ一度の人生。
寂しがられる人になるのは
幸せなことだと思う。
(今日のコトバ)
あたりまえは、
忘れた頃に
「あたりまえをあたりまえと思うな」と
牙をむく。
今日一日、あたりまえの日が過ぎていく。
少しのストレスと、足りない刺激、
楽しみもそこそこだが、悲しみもない。
平凡なあたりまえの日だ。
ただ、そんなあたりまえの日だけど、
あたりまえにするまでに、
どれだけ習慣化する努力をしただろう。
あたりまえにするために、
どれだけ環境を整えただろう。
あたりまえにするために、
どれだけまわりの人に助けられただろう。
どれだけ、どれだけ、どれだけ。
ちゃんと考えてみると、
あたまえになるまでに、
自分が動いている。
まわりの人が動いている。
世の中が動いている。
もっというと、特別だったことを
人間が知恵を絞って、
あたりまえにしている。
だからこそ、
あたりまえであることを
大切にしなくてはいけない
あたりまえは、
もともと特別だったこと。
そのことを忘れず生きる。
あたりまえは、
あたりまえではないのだ。
(今日のコトバ)
人のふり見て我がふり微調整。
「あんな人になりたい」
「あんな人になりたくない」
時に、自分のこれからの姿を
具現化した人がいる。
自分がこれからどんなふうに生きるか。
向かうべき方向で生きている人は、
目標にする。
そうでない方向で生きている人は、
反面教師にする。
「人のふり見て我がふり直せ」
という格言があるが、
直すというまでではなく、
微調整して生きる。
なりたい人は何人にも現れる。
なりたくない人も何人も現れる。
そんな人に指導されないまでも、
自分で意識して磨いていく。
だからこそ、
「人のふり見て我がふり微調整」
そんな気持ちで生きていきたい。
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