目標とする人を見て微調整

 

(今日のコトバ)

 

人のふり見て我がふり微調整。

 

 

「あんな人になりたい」

「あんな人になりたくない」

時に、自分のこれからの姿を

具現化した人がいる。

自分がこれからどんなふうに生きるか。

向かうべき方向で生きている人は、

目標にする。

そうでない方向で生きている人は、

反面教師にする。

「人のふり見て我がふり直せ」

という格言があるが、

直すというまでではなく、

微調整して生きる。

なりたい人は何人にも現れる。

なりたくない人も何人も現れる。

そんな人に指導されないまでも、

自分で意識して磨いていく。

だからこそ、

「人のふり見て我がふり微調整」

そんな気持ちで生きていきたい。

 

 

 

 

他人のためでなく、自分のために

 

(今日のコトバ)

 

たまには、

大きなお世話を

自分にしてあげよう。

 

 

 

今日は勤労感謝の日。

働いている人、

すべてが感謝されていい日。

仕事で疲れている人は、

みんな感謝してほしいと

思っているだろう。

ほんとうに、この二年ほど、

仕事だけではなく、

コロナとの戦いもあったので、

疲れが二倍、三倍という人もいるだろう。

そんな人は、

自分に癒しを与えよう。

いつも通りでなく、

思いっきり癒される状況をつくって

いい気持ちになる。

他人のためでなく、自分のために、

疲れが消えるぐらいいい思いをしていい。

人にはそれぞれの癒し方があるから、

自分がいちばん癒されるものを選ぶ。

お疲れ様を、自分のためにカタチにする。

ありがとうを、自分のためにカタチにする。

今日は、そんな一日にしたい。

 

優しさには余裕が必要

 

(今日のコトバ)

 

優しさは持っているうちに、

困っている人に届けよう。

無くなってしまってからでは、

困っている人に届けられない。

 

 

 

優しいといわれる人がいる。

割と、分けへだてなく

優しさで包んでくれる。

まわりにいる人も、

ついついその人の優しさに甘えてしまう。

だが、その優しい人も、

自分の身が厳しい状況に置かれると、

優しさをいつも通り届けられなくなる。

あたりまえのことだが、

意外とその人の優しさに甘えている人は、

冷たくなったとか、人が変わったとか、

コソコソ陰口をたたく。

ただ、冷静に考えてみると、

なぜ、優しいかというと、

自分に優しさを分け与える余裕があるから

優しいのだ。

自分がいっぱいいっぱいでは、

人への優しさなど考えられるはずもない。

人によっては、

どんな時も優しい人がいるかもしれない。

だが、そんな人は稀だ。

少なくとも、まわりでは見たことはない。

だからこそ、優しさは自分に余裕があって、

人に届けられる時に、しっかり届ける。

自分が厳しい状況になって、

優しさは与えられないと思っていい。

人生とは、厳しいことと、

優しいことが何度も交錯する時間。

自分が優しさが欲しいと思った時、

優しさが届くように生きるために、

自分が優しくできる余裕がある時、

優しさを届ける。

そんなことを意識して生きても

いいと思う。

やると決めたら、すぐに始める

 

(今日のコトバ)

 

自信も、誇りも、後でいい。

まずは、飛び込むことだ。

 

 

いつまでも待っていたり、

いつまでも遠慮したり、

いつまでも考えてたり、、、、、。

とにかく、行動を起こさないでいる。

誰もが挑戦をするとき、

なかなか動けないことがある。

ただ、経験上思うことは、

動かなければ始まらないということ。

慎重になることも、

情報を集めることも大切だ。

だが、完璧な状況で

スタートをきれることはありえない。

どこかで見切り発車するしかない。

では、どこで発車するか。

それは、やると決めたら、

すぐに始めるべき。

やってみないとわからないことが

たくさんある。

やらないでただ気をもんでも、

目標にはたどり着かない。

自信は後でつければいい。

まず、行動を起こしてみる。

それが、挑戦成功への大前提。

そう信じて生きていこう。

 

決断は、究極の自分の考え

 

(今日のコトバ)

 

決断には、有効期限がある。

 

 

人は、人生の場面場面で

決断を迫られる。

大きな決断、小さな決断あるだろうが、

どうしてもしなければならなくことがある。

ただ、決断のタイミングを逃すと、

まったく意味のないことに

なってしまうことも多い。

「その時でないと意味がない」

その時だからこそ、成功した。

反対に、その時だからこそ、失敗した。

ただ、もったいないのは、

その時を延ばしたから、

意味のないものになってしまうこと。

もちろん、決断が成功する方が

いいに決まっている。

ただ、決断を延ばしたから、

前へ進めなかった後悔は、

いつまでも引きずってしまう。

決断は、究極の自分の考えだ。

決断して、結果を求めるのもいい。

決断しないで、終わることもいい。

ただ、人生に悔いを残さないという意味では、

決断は必要。

そして、決断こそが自分の運命を

大きく変えていく

パスポートになる。

そう思うのだ。

 

地球の、誰かの役に立っている

 

(今日のコトバ)

 

生まれたということは、

神様から地球の役割を

与えられたということ。

 

 

この地球に生を受けた人。

自分も含めて、

生まれた人の数だけ

生きものとしての意味がある。

まずは、生まれたこと。

親となる人々たちの喜びになる。

それから、成長していく間に

人々の助けを受けながらも、

スポーツや学業などで

人の力になる。

さらには、就職をして世の中を動かす

原動力になるなど。

一人一人の力は小さくても、

必ずどこかで地球の役に、

誰かの役にたっているのだ。

そう思うと、

自分の人生も満更でもない。

地球の、誰かの役に立っている自分の力。

そのことを忘れずに生きれば、

人生は素晴らしいものと思えるはずなのだ。

生まれたことの価値を知ろう。

生きることは、世界を目指すこと

 

(今日のコトバ)

 

世界とは、

あなたしか歩めない地図のことです。

 

 

人がイメージする「世界」は、

人によりさまざまだ。

広くみんなが思っている「世界」を

口にする人もいるし、

自分だけの「世界」を語る人もいる。

「世界」というよりは、

世界観を主張する人だっている。

「世界」の意味は、広い。

ただ、どんな人も「世界」を語る時、

漠然としていても地図のようなものを

描いているのではないか。

細かくはない。

ラフな設計図のようなもの。

そして、本気で「世界」を考えた時、

自分しか歩めない地図を

描いていることが多い。

人生は、自分がどうやって生きていくかに

かかっている。

その時地図は、絶対に必要。

「世界」という考え方は、

その先端ある。

生きることは、

「世界」目指していくことなのだ。

 

噂は、自分で確かめる

 

(今日のコトバ)

 

噂は、広まれば広まるほど、

真実の顔をするのが上手くなる。

 

 

一つの噂が広まると、

おひれはひれがつき、

さも真実のような話になっていく。

場合によっては、

真実と真逆の話が真実のふりをして

まかり通る。

「噂」だとか、「嘘」だとか、

「誰かの意見」とか、

理解していればいいのだが、

たいがいは噂は広まるうちに、

真実の顔をする。

そんなことは、

自分の人生で何度も経験して

わかっているのだが、

噂が流れると、

また信じてしまう自分もいる。

その噂が自分において、

大事なことであると

たちがワルい。

噂によって

人生を右往左往してしまう。

だからこそ、噂が耳に入ったら、

自分で真実かを確かめる。

自分が信じるべきものなのか。

調べてみて、考えてみて、

自問自答してみる。

もちろん、それだけでは

わからない噂もある。

だが、初期行動として

自分で確かめること忘れない。

間違った噂に惑わされないための

一つの方法になるはずだ。

神様は、自分の隣りにいてくれる

 

(今日のコトバ)

 

神様は、神様のせいにする者を嫌う。

そして、神様のおかげという者を好む。

神様を「人間」と置き換えてもいい。

 

 

 

常々、神様は、人間になって、

自分のまわりにいると思っている。

人生でとても厳しい状況に立った時、

助けてくれた誰かを神様と思うことがある。

人生の師で、

よりよい道に導いてくれた人を

神様と思うこともあるだろう。

また、特別に愛した人を

神様と思えることもあるはずだ。

自分の人生に素晴らしいことを起こしてくれた人、

それが神様。

結局、人間は自分以外の人生を生きられない。

自分以外の生きものは、

何者かわからないといっていい。

とりあえず人間とカテゴライズしているが、

もしかすると、宇宙人。

もしかすると、怪獣。

もしかすると、神様かもしれないのだ。

そう思うと、

人生で出会う人間だけを考えても

奇跡のような確率。

さらに、その中で自分にとって

大切な役目を果たしてくれる人を

神様と思うことは、

何の不思議もない。

神様は、人間の姿をして

自分の側に存在する。

隣りにいるあの人が神様かもしれない。

そう信じて生きることも

正しい生き方の一つ。

神様が自分の側にいてくれると思うと、

生きることに、もっと強くなれる。

そんなことを感じるのだ。

仕事と夢を連結させる

 

(今日のコトバ)

 

夢見ることが、

昼間の仕事の延長戦でありたい。

 

 

それこそ何を夢みたいなことを

いっているんだといわれそうだが、

夢が仕事と連結していると、

人生は楽しく幸せになる。

学校を卒業して就職する頃は、

仕事と夢を重ね合わせて、

前途洋々な気持ちになれた。

だが、就職して、一年が経ち、

五年が経ち、十年が経つと、

仕事がつらいものになり、

夢とはかけ離れたものになる。

仕事は仕事。夢は夢。

そう割り切る生き方をしてしまう。

仕事には、現実と収入がついてまわるから

仕方ないこともある。

ただ、できれば、

仕事の中に夢がある状況をつくりたい。

そう考えると、

仕事に自分の好きな部分を

意識的に大きくしていく。

達成すべきものを夢に変える。

あるいは、自分のやりたいことに転職する。

副業OKなら副業を大きくしてみる。

ただただ仕事に追い込まれるのではなく、

どこかに夢をつくる。

その気持ちを持って

生きることが大切だと思う。