遅刻は、まわりの人の未来を奪っている

 

(今日のコトバ)

 

遅れる者は、未来泥棒である。

 

 

 

時間に遅れる人がいる。

交通関係の遅延などの不測の事態ではなく、

いつもいつも遅れてくる人がいる。

なんとなく、

「あの人は、いつも遅れるから」と、

認知されている人もいる。

だが、そういう人は、

まわりの人の未来の時間を

奪っているといっていい。

遅れなければ、予定通りに進行でき、

作業はスムーズに進んでいく。

遅れれば、それだけ作業も後ろ倒しになる。

だからこそ、

どうしてもという理由がない限り、

遅れないように生きていきたい。

昔、毎度毎度遅れてくる人に

予定の1時間前を教えたら、

ちゃんと予定時間に

着席していたことがあった。

遅刻をしない。

そのために自分に合った手で

時間を調整する。

そんな気持ちを持って

生きていく。

遅刻は、

まわりの人の未来を奪っているのだ。

 

失敗を失敗で終わらせないために

 

(今日のコトバ)

 

失敗とは、

成功の通り道にある道標である。

 

 

誰もが一度で成功するとは思っていない。

失敗という道を通過しないと、

成功へたどり着けないことを知っている。

だが、失敗が続くと、あるいは、

とんでもない失敗をすると、

成功へのモチベーションが萎えてしまう。

失敗続きだとあきらめてしまうこともある。

ただ、何度も失敗をし、

成功したことも少なからずあると

わかることがある。

失敗は決して終わりではないし、

後退でもない、と。

たいがいが前進、進歩であることが多い。

失敗を失敗に終わらせるか、

失敗を成功への過程と考えるかだけの

差のような気がする。

あきらめない者、続ける者にとって、

失敗は失敗ではなく、

成功への過程と名前が変わる。

人生の考え方は、

人それぞれだ。

ただ、失敗を失敗で

終わらせたくなかったら、

あきらめず続ける。

その気持ちを持てるかどうかで、

成功が決まってくると思う。

 

自分の力を信じよう

 

(今日のコトバ)

 

すべての人は非力。

だけど、誰一人として無力の人はいない。

 

 

 

一人一人の力は、

たいしたものではない。

非力といっていい。

もちろん、人間離れした能力を持った

人もいるが、

ほとんどの人は、

小さな力しか持っていない。

ただ、こうもいえる。

一人一人の力は決して無力ではない、と。

誰もが生きるために、

さまざまなスキルをつけていく。

その中で、

自分だけではなく、

人の役に立つ力を身に着ける。

その力は、世の中のどこかで役立っている。

そのことを忘れてはいけない。

人間は、誰かの役に立つことで、

生きがいを感じる。

モチベーションが上がっていく。

それが夢や希望の実現につながる。

だからこそ、自分の力を信じよう。

非力だけど、決して無力ではない力を、

この世の中で発揮していきていくのだ。

人生は、小さなもので支えられている

 

(今日のコトバ)

 

小さなことを大切にすると、

小さなことが肩寄せあって、

少しずつ積み上がって、

人生の大きな支えになる。

 

 

 

幸せとか、夢や希望も、

最初はみんな小さいものから育つ。

一つが大きくなったり、

いくつものものが

集まって大きくなったりもする。

また、小さくても充分幸せなどを

感じさせてくれるものもある。

つまりは、大きな一つなものではなく、

小さなものが、

自分の人生を

大きく支えてくれているのだ。

そう考えると、

幸せも、夢や希望も、

身近で愛しいものになる。

小さな目に見えない素晴らしいものが、

自分の人生を包んでくれている。

ちょっと気分が良くない日も、

そう思って生きると、

前向きに歩いていける。

人生は、小さなもので支えられているのだ。

涙は、幸せな時間があったことの証

 

(今日のコトバ)

 

涙を流しているということは、

それまでに、

かけがえのないものがあったということ。

とても幸せだったということ。

 

 

 

悲しくて涙を流す。

なぜ、涙が流れるのだろう。

それは、それまでの時間が、

とても愛しいものだったから、

とてもかけがえのないものだったらに

他ならない。

つまり、

とても幸せな時間があったということ。

何んでないこと、まったく関係のない人のことで

涙は出ない。

涙は、幸せの時間があったことの証。

悲しい涙は、感謝の涙にもなる。

だからこそ、

涙が流れるということは、

人生の時間を前向きに

リセットさせると考える。

一生は短いようで長い。

リセットが必要な場面もたくさんある。

涙は、その時、

とてもいい役割を果たすのだ。

 

 

いい想い出と生きる

 

(今日のコトバ)

 

想い出は、治外法権である。

 

 

人には、想い出がある。

自分自身の記憶の中から再現される。

大半が、いい想い出となり、

また、辛かった、苦しかった記憶も、

笑い話という想い出に変換される。

想い出は、自分の記憶に守られている。

たとえ、その記憶が間違っていても、

同じ状況にいた人間から、

違うと指摘されても

記憶はいうことを聞かない。

その場では、

「そうだっけ?」とはいうものの、

自分の記憶はアップデートしない。

一度、自分の記憶が想い出になると、

治外法権のように、

誰かがいじることができないのだ。

だからこそ、

いい想い出をたくさんつくって

生きていきたい。

それこそが、人生を有意義にする要素。

年をとればとるほど、

いい想い出に囲まれて生きていきたい。

そのために、いい想い出を。

 

限界は人生のテスト

 

(今日のコトバ)

 

限界は、

進化の一歩手前でテストする。

 

 

 

限界は、ある。限界は、ない。

人それぞれ考え方があるだろう。

ただ、限界は個人差があるし、

口にした瞬間できるものでもある。

ほんとうに限界?

という問いも自分や他人が思うこともある。

そう考えると、

限界という気持ちは、

テストのような気もする。

できるのか?

できないのか?

できないとあきらめたら、

そこが限界点。

できるとのり越えれば、

限界はさらに延びる。

自分がさらに成長できる。

限界という気持ちの手前か、

その先かが、

その後の人生を決める。

のり越えた人は、

もっと人生を大きなものにできる。

限界。

無限とはいわないでも、

トライし続ければ

越える可能性のあるもの。

だからこそ、

限界は人生のテストだと思うのだ。

 

昔話が多いのは、イケてない証拠

 

(今日のコトバ)

 

想い出を眺めているうちは、

いまある幸福を見ることができない。

 

 

 

人は、想い出話をする。

楽しく、愉快に、人生を振り返る。

同窓生と会ったり、

昔の仕事仲間と会って話す。

そういった会の時はいい。

だが、会の時ではなく、

話しの中心が

いつもいつも想い出話ばかりになると、

楽しいではすまない。

自分がイケてない時期に

入っているということだと思っていい。

「昔はよかったな」と

話してしまう。

では、「いまはどうなの?」

と聞かれると、答えられない。

ただ、いい状況ではないが、

自分がイケてない一つの指標として、

役目は果たてくれる。

もし、いま自分が昔話が多くなっていたら、

ちょっと気をつけた方がいい。

何かイケてない状況にあるのだ。

反対に、いま現在の話がたくさんあって、

盛り上っていけるなら、

自分はイケていると思っていい。

人生は、

イケてる時もイケてない時もある。

その基準を知る時に、

昔話の多さで決める。

一つの自己確認の方法なるはずだ。

相手のことを考えて付き合う

 

(今日のコトバ)

 

大嫌いなあいつにも、

大好きな誰かがいることを忘れるな。

 

 

どうしても好きになれない人がいる。

意見が合わない、

気持ちが合わない、

生理的に合わない等、、。

会うだびに衝突したり、

嫌味や皮肉をいってしまう。

場合によっては、

人間性にかかわることも、、。

だが、それは自分の思い。

まわりの人からみれば、

自分の方がワルいと思われてたり、

どっちもどっちと思われることもある。

「好きになれない」

仕方ないことだ。

ただ、好きになれない相手にも、

好きだと思っている人はいる。

その人を愛している人がいる。

その人が救いになっている人がいる。

そう思うと、

好きになれないからといって、

攻撃の対象にしてはいけない。

ちゃんと向き合っていく。

誰でも好きになれるなれないで

差別してはいけないのだが、

意識しないと

相手を不愉快にしてしまう。

相手を敬うために。

相手のことを愛する人のために。

人と人の付き合い方をしよう。

 

その思いは、自分一人ではない

 

(今日のコトバ)

 

誰一人として、

重荷を背負っていない人はいない。

 

 

ほとんどの人は、

平凡な顔をして生きている。

楽しいこと、

あたりまえのことばかりではなく、

悲しいこと、苦しいことだって

かかえて生きているのに、

平気なように見える。

ただ、誰一人として、

人生の課題を持たずに

生きている人はいないはず。

だが、自分がしんどいと、

自分一人がつらい目にあっていると

考えがちになる。。

そして、自分ばかりを

どんどん追い込んでしまう。

その時、どう解決すればいいかというと、

やっぱり、自分だけが悩んでいるのではないと

思うことからはじまる気がする。

一人ではないと思うと、少し落ち着ける。

たとえば、病気やケガをした時、

自分のまわりに同じ状況にある人、

あるいは、経験した人の話を聞くと

ホッとする。安心することもある。

「あの人も同じ痛みを知っているんだ」と。

もちろん、つらさや痛みは人それぞれ違う。

だが、「みんなも悩んでいる」と思うと、

救われることも多い。

だからこそ、

同じ悩みをかかえている人が

いることを知る。

そして、大前提として、

悩んでるのは

自分一人ではないと思うようにする。

そう思うことで、

救われることが多々あることを

忘れてはいけないのだ。