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(今日のコトバ)
遠足の日の前夜のように、
朝が来るのが待ち遠しい人を
幸せ者という。
「明日が来るのが待ち遠しい」
そう思って生きられるほど、
人生が楽しいことはない。
苦しかった、辛かったりすると、
明日が来るのが待ち遠しいとは
思えない。
もっといえば、
今日の問題が何も解決していないと、
明日が来なければいいとさえ思う。
そう考えると、
明日が待ち遠しい人生をつくることが、
人生を楽しくする基本。
大人になると、
そうそう簡単に
明日が楽しくなることはない。
ただ、その中でも楽しくなることを探す。
何でもいい。自分が楽しいと思うものを
毎日設定する。趣味でもいい。
運動でもいい。食事でもいい。
そして、できれば仕事がいい。
仕事が楽しければ、
楽しい人生が約束されたようなもの。
一つ一つ見渡すと、
必ず楽しいことがあるはず。
その楽しみを
明日に初期設定しよう。
(今日のコトバ)
めざす星が同じなら、
きっと、どこかで交差する場所がある。
大きな目標をつくる。
達成に向かって突き進む。
簡単ではない。
険しい道が続く。
あきらめようとすることも
一度や二度ではない。
そんな時、
歩みを止めずに挑めるのは、
ライバルの存在だったり、
仲間の存在だったりの人の力。
同じ目標を持った人は、
同じ場所に集まってくる。
それが敵であっても、味方であっても、
自分を鼓舞することには違いない。
そして、同じ場所に集まった時、
人は途轍もない親近感を感じる。
同じ達成感、同じ苦しみ、
同じ喜び、同じ涙を知っている。
同じものを共有できる人は、
人生でそれほどたくさん
出会うことはない。
敵あっても、味方であっても、
強い絆が生まれていく。
自分の人生にとって、
これほど大切な人もいない。
だからこそ、
同じ目標を持った人は、
人生の宝物になる。
心の底から大切にしたいものだ。
(今日のコトバ)
あたりまえの注文を、
特別仕上げにして生きていこう。
2022年が始まった。
コロナ禍になって、
守備一辺倒の状況が続いていた
約二年が終わる。
この新年にあたって、
攻めに転じたいと思っている
人も多いと思う。
では、どう攻めていくか。
それは目の前にあるものを、
一つ一つ丁寧に取り組むこと。
あたりまえと思うことを、
特別に考えてみる。
そこから始めることが、
新しいことにつながっていく気がする。
あたりまえが、希望に。
あたりまえが、奇跡に。
あたりまえが、幸せに、、。
そう考えると、
生きることすら特別に思える。
新しい年、
人それぞれの思いがあるはず。
その一つ一つを
特別の思いで生きてみる。
攻めのきっかけは、そこから生まれる。
(今日のコトバ)
人生は、
今日を前向きに生きた証として、
昨日という想い出を
傑作に仕上げてくれる。
人は、
戻ることのできない時間と生きている。
時間は過去になると記憶となって
頭の中にとどまる。
また、人は、
前を向いて生きいる。
どれだけ後ろ向きな気持ちでも、
生きることは前向きになること。
今から未来への予定に基づき前進する。
つまり、人は前進する生きものなのだ。
そして、その前進する生きものに、
過去は想い出となって人生を支える。
いいことばかりではない人生でも、
想い出になると、
楽しかったり、美しかったり、
笑い話になったりで、
つらかった部分は消えている。
だからこそ、
前向きに生きていけるともいえる。
そう思うと、
記憶が想い出になるということは、
前向きに生きろという
天からのメッセージのような気もする。
想い出という誰もが持つ記憶。
人生を前向きに生きるために
必要な機能だ。
(今日のコトバ)
失ったものばかり数えるな。
手にないものばかり数えるな。
いまあるものだけ、
それだけで幸せになれる。
何かが欲しいと思うと、
欲しいものが手に入ることが
幸せになれると勘違いする。
手に入ればうれしいが、
それは一過性のもの。
何か手に入った後の気持ちを
考えればわかるだろう。
何日かすると、
もううれしくはない。
手に入れたものも、
ほったらかしにする。
もちろん、それでも手に入れたいと思い、
手に入れることは大切だ。
だが、考えてみると、
いま自分のまわりにあるものが、
どれだけ自分を幸せにしてくれているかを
忘れている気がする。
幸せに生きるために
自分を支えてくれるものがあるなら、
ほんとうはそれで充分なのだ。
もっといえば、
いまを支えてくれるものが
自分を幸せにしてくれているのだから、
大切にしなければいけないのは、
いま、ここにあるものなのだ。
そのことを忘れてはいけない。
(今日のコトバ)
大きな目標を持った時、
自分も大きくなっていることを
忘れてはいけない。
何もその瞬間に
能力が伸びるということではなく、
目標を大きくしたことで意識が変わる。
自分の中に挑んでみるという
初期設定が行われる。
それだけで、
それまでの自分より、
大きな気持ちの自分が生まれる。
その段階で限界はないし、
自分の伸びしろを最大限に使おうとする。
あきらかに、
自分が変わっている。
「大きな目標によって自分が変わる」
つまり、もうそこで成長しているのだ。
まだ、実績はない。
ただ、意識は完全に成長している。
そのことを忘れてはいけない。
後は、経験値と実績をつくり上げればいい。
人は、大きな目標を持つだけで成長する。
その力を信じていいのだ。
(今日のコトバ)
昨日と明日には時間がないが、
今日には時間があふれている。
時間を使えるのは今日しかない。
もっといえば、今しかないのだ。
昨日という過去も、
明日という未来も、
どうすることもできない。
昨日は経験として、
明日は計画として、
時間の使い方を考えられるだけだ。
そこにいくら全力を投入しても、
結果は得られない。
過去を思い返して涙しても、
未来に思い描いて不安になっても、
時間を使えるわけではないのだ。
そう思うと、
今日という今の時間が
どれだけ大切かわかる。
今日という時間を有効に使って、
自分の目標に近づいていく。
結局、今日を使いきれないと、
目標には達成できない。
だからこそ、
今日という今を上手に使う。
それこそが人生を有意義にする
いちばん大切なことだと思う。
(今日のコトバ)
困難は、
成長を速めてくれる。
人生の節目節目で、
困難と向かい合ってきた。
途轍もなく厳しい状況で、
どうにもならないと思うこともあった。
苦しくて、
あきらめたくなってしまうこともあった。
ただ、こうして生きている以上、
すべて乗り越えてきたといえる。
違った言い方をすれば、
逃げてきたこともあるし、
さけてきたこともある。
ぶち壊したこともあれば、
時間が解決したこともあるだろう。
ただ、一言いえるのは、
困難に立ち向かうだび、
人として成長したということ。
経験をして賢くなった、
強くなったともいえる。
困難。
言葉にすると、
とっつきにくい感じがするが、
生きるために
大切なことを教えてくれる言葉。
困難の後の自分をイメージしてみれば、
どれだけ成長したかわかるはず。
困難に立ち向かうことは、
人生にとってとても
役立っているのだ。
(今日のコトバ)
世界一の楽園は、
愛した人のぬくもりの中にある。
息苦しい世の中に生きていると、
楽園に行きたいと思うことがある。
どこか遠くの快適な島。
そんなところで、
のんびりと過ごしたい。
コロナ禍だから、
さらに思うのかもしれない。
だが、
遠くの島へ行くのさえ夢のまた夢。
簡単ではない。
では、楽園はどこにあるのだろう?
それは、愛する人かもしれない。
愛する人が隣りにいれば、
それこそ世界一の楽園になるのではないか。
心から癒される場所は、
やっぱり人であることが多い。
その筆頭が愛する人だと思う。
年末になると、
せわしないのと同時に孤独を感じる。
その孤独を解消し、
あたたかい気持ちになるのは、
人といること。
できれば、愛する人がいい。
そう思うのだ。
(今日のコトバ)
幸せとは、
小さな希望が暮らしに
なじんでいくこと。
日々、生きていくには、
何か希望があるはずだ。
朝起きて、
「こんなことがあったら嬉しい」
という気持ちがどこかにある。
それは、何かを食べたいとか、
何かがしたいとかでもいい。
小さな小さな希望があって、
それを叶えていく中で、
人は幸せになっていく。
何も絶対に叶えられなくてもいい。
希望を叶えていこうとすれば、
人は幸せになれる。
小さなことでいい。
意識しなくらいのことでいい。
あたりまえだと思っていることが
幸せを構築している。
そのことを把握していくと、
自分がいかに幸せに
包まれているかわかる。
自分がどれだけ幸せか
見回してみよう。
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