魔法のコトバ

 

(今日のコトバ)

 

「ひとりじゃないよ」って、

誰でも使える魔法のコトバ。

 

 

 

孤独を感じることがある。

どんなにまわりに人がいても、

一人ぼっちという気持ちになるこもある。

人間は、誰かとつながっていたい生きもの。

つねにどこかで一人ではないことを

確認して生きていたいのだ。

避けられていても、

イジメられても、

一人ではないと思いたい。

とすれば、

一人ではないということを

伝えてあげることは、

効き目のあるコトバだ。

「ひとりじゃないよ」

そういってもらえれば、

途轍もなく勇気づけられる。

孤独や寂しさも忘れられる。

魔法のコトバといっていいかもしれない。

自分に置き換えてもわかる。

誰かが「ひとりじゃない」と

いってくれる人がいれば、

安心していきていける。

だからこそ、この魔法のコトバを

いつも心に持っていたい。

誰かが孤独を感じている時、

そっとささやいてあげよう。

「ひとりじゃないよ」と。

絆という財産

 

(今日のコトバ)

 

一緒に勝ってくれた人から

夢をもらって、

一緒に負けてくれた人から

愛をもらった。

 

 

 

何か目標に向かう時、

決して、一人では達成できない。

強力な味方、

献身的なパートナーがいるはずだ。

それは、目標に対する結果はどうあれ、

人生にとって途轍もない財産を生む。

勝ったり、成功したりして、

一緒に喜ぶことでできる絆という財産。

負けたり、失敗したりして、

一緒に泣くことのできる絆という財産。

とにかく、一緒に何かを成したということが

人間と人間の間に強い絆をつくる。

そう考えると、

目標に向かっていい結果はでなくても、

トライすることで計り知れない財産を得る。

目標に向かって生きるだけで、

人間の絆は深まっていく。

自分がいま、

人間との絆を深めたいのであれば、

目標をつくって行動しよう。

そこから、人間と人間の絆が生まれる。

人生に大切な信頼が生まれるのだ。

今日、夢中に生きよう

 

(今日のコトバ)

 

昨日は昨日にまかせろ。

明日は明日にまかせろ。

今日はオレにまかせろ。

 

 

 

昨日も、明日も、

リアルな時間ではない。

過去には戻れないし、

未来にも行けない。

今日だけが自分の意志で

コントロールできる。

そう考えると、

今日を精一杯生きることは、

人生において大切。

今日を精一杯生きれば、

充実した人生になる。

反対に、今日を惰性で生きてしまうと、

つまらない人生になる。

そんなことはわかっているが、

意外に今日を充実させていくことが

できないこともある。

ただ、誰もが夢や希望を持っている。

大きくなくていい。

小さな夢や希望を、

人生に費やせばいい。

それだけで、人生は充実してくる。

少しずつ成長していける。

そのためにも、

今日という日はとても大事なのだ。

失敗して成長していく

 

(今日のコトバ)

 

失敗とは、

秀でた記録であり、

優れた記憶である。

 

 

人は、失敗をしたくない。

頑張った人も、

頑張らなかった人も、

できれば失敗を避けたいと思っている。

ただ、人生は失敗をせずにはいられない。

特に、夢や目標が大きくなればなるほど、

失敗はついてまわる。

「失敗」

失うという字と、

敗れるという字だから、

決して、ポジティブにはなれない。

だが、失敗ほど人間を成長させ、

成功への道筋をつくるものもない。

失敗という経験、

失敗というデータがあるから、

成功に近づける。

もっといえば、成功できる。

また、失敗という経験も、

時が過ぎれば、

笑い話になって、

人生のいい想い出にもなる。

失敗の数が多いほど、

面白い人生になるといえるかもしれない。

そう思うと、

失敗することもワルくない。

人生で失敗を肯定的に受け止める。

そこから、成長する人生が始まる。

そう思って生きていこう。

 

生きるためのかっこワルさ

 

(今日のコトバ)

 

人生はもう一度通る道なんてない。

少しぐらい恥をかいても

覚えている人なんていない。

 

 

人生は、片道切符を持って生きていく。

人生が時間で管理されている以上、

二度と戻ることができない。

日々、時間が経過すると

過去になっていく。

いい部分もあり、

ワルい部分もある。

ただ、いい部分を考えれば、

過去として通り過ぎていくのだから、

失敗も、敗北も、恥も、

かっこワルいことがいくらあっても、

いずれ過去になり風化する。

犯罪にならないのであれば、

いくらかっこワルいことをしても、

きっと、人は忘れていく。

そう思うと、

一度きりの人生、

どうしても叶えたい目標があるなら、

どれだけかっこワルいことをしてもいい。

今が、未来が、

かっこよくなっていくなら、

尚更、かっこのワルさもいい。

「生きるためのかっこワルさ」

人生が時間で過ぎていくなら、

どうってことない出来事なのだ。

 

世の中、すべて数字に動かされている

 

(今日のコトバ)

 

神様は世界を無秩序にしないために、

一つだけ秩序をつくった。

それが数字である。

 

 

 

特に、会社にいるとよくわかる。

数字がすべてだと。

いい過ぎたかもしれない。

数字が大半を占めていると。

そして、数字こそが正義であると。

いずれにせよ、会社は数字に追われて

動いている。

どんな綺麗事をいっても、

赤字という数字では会社は存続できない。

どんな問題があったとしても、

黒字という数字であれば会社は存続してしまう。

もちろん、犯罪等にかかわれば話は別だが。

そして、赤字か黒字という数字の分岐点で、

会社は右往左往する。

そこにいる社員も一喜一憂する。

それ以外は、極めてアバウトで済む場合が多い。

会社もコミュニティだから、

人間関係の問題も多々ある。

そこを簡単にスパッと切ることはできない。

だが、数字に関することは、

簡単にスパッと切られてしまう。

そう思って世の中を見渡してみると、

数字のような役目を

するものがないことに気づく。

もうそれは神様がつくり出したとしか

思えない秩序といおうか。

もっといえば、世の中のあらゆるものが、

数字で動かされている。

だからこそ、あらゆる数字に立ち向かい、

あらゆる数字を大切にする。

それこそが、

人生を有意義にする秘訣なのかもしれない。

 

自分のつくった道で、自分の行きたいところへ

 

(今日のコトバ)

 

 

歩きやすいのは、

誰かのつくった道を歩いているから。

ただし、自分の行きたい場所には

たどり着かない。

 

 

スムーズに進むことがある。

わかりきっている状況、

マニュアルがある、

道標が所々にある等。

ただ、これらすべては先人が

つくった道を踏襲しているもの。

前にいる人のマネをすれば解決できる。

ただ、まったく新しい世界で、

誰もお手本がないとなると、

たちまち足が止まる。

どうしていいかわからなくなる。

真価はそこで問われる。

まったくお手本がない道を

どう進んでいくか。

発想、想像力、熟考などで、

新しい道を考える。

考えた末、

歩き出した一歩は、

誰かのつくった道を歩くより、

圧倒的に自分の力を発揮できる。

考え方次第だが、

同じ人生なら

自分で道をつくるのもワルくない。

誰かのつくった道は、

誰かの行きたいところへ続いている。

そして、自分のつくった道は、

自分の行きたいところへ続いている。

そのことを理解して生きていきたい。

 

あたりまえは、幸せの使者

 

(今日のコトバ)

 

 

あたりまえとは、

幸せが平凡を装っていること。

 

 

 

あたりまえだと思うことがある。

日々の暮らしの大半は、

そうかもしれない。

だが、一つ一つ見ていくと、

昔からあたりまえではないものも多い。

時間をかけて、慣れて、

大変だったものが、

あたりまえになっていることもある。

何かを習得してしまって、

あたりまえにできることもある。

一つ一つがあたりまえになったといっていい。

そう思うと、

あたりまえは平凡になって、

自分の暮らしを支えてくれる。

幸せの使者といってもいいのではないか。

人は幸せを求めて生きている。

もし、いま自分のまわりに

あたりまえなことが多ければ、

それは幸せな人生といっていい。

あたりまえを

もっと大切に考えていいと思う。

現実から夢まで

 

(今日のコトバ)

 

夢は、現実と陸続きである。

 

 

遠く、遠くに夢がある。

簡単には手が届かない場所。

そこへ向かって歩いていく。

長い時間がかかりそうだ。

ただ、だからといって、

歩いていって、

たどり着かないことはない。

必ず、歩いていくとゴールできる。

この道の先にある。

それが、夢。

いま、この場所から

一生懸命進んでいけばいい。

夢によっては、

年単位でも達成できないほど

厳しいものもある。

発想を変えなければならないこともある。

それでも、夢は現実の先、

陸続きにある。

そのことを忘れてはいけない。

自分にもいい顔を

 

(今日のコトバ)

 

他人に従順な人ほど、

自分に従順になれない。

 

 

 

人の話はよく聞く。

よく動いてくれる。

巷では、いい人といわれている。

ただ、そんな人に限って、

自分のことは後回し。

自分の体と心を酷使して、

バランスの良くない生き方をしている。

もったいないとも、

大丈夫だろうか?とも思う。

よくよく考えてみると、

いい人も人間。

いい顔ばかりはしていられないはず。

そこを、人一倍いい顔をしているのだから、

どこかで歪みがくる。

人にいい顔をすることもいいが、

自分にもいい顔をしてあげる。

バランスがとれてこそ、

気持ちのいい生き方ができる。

バランスを意識して生きていこう。