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(今日のコトバ)
生きている限り、
一人ぼっちということはない。
少しだけ、人を捜す努力が足りないだけだ。
孤独を感じることがある。
人とのつながりがなく、
寂しい気持ちになってしまう。
孤独を感じることがある。
たくさんの人と交流しているのだが、
寂しさは募ってしまう。
人は、どこかで孤独を感じるもの。
人から距離があって、
孤独になる。
人のぬくもりが感じられなくて、
孤独になる。
生きていくどこかに孤独がある。
ただ、孤独を感じる時、
人は自らまわりの人と
距離を置いていることが多い。
人は人とつながって
生きていく生きもの。
距離があっては、
寂しいに決まっている。
では、どう距離を置かず
孤独にならないようにするか。
それは、一にも二にも人とつながる
努力を自らすること。
ちゃんと話したり、コミュニケーションを
とることで、かなりの部分が解消できる。
さらに、できれば、
まわりの気持ちになるべく寄り添う。
自分が寄り添うことで、
相手も寄り添ってくる。
寄り添えば距離は縮まる。
距離が縮まれば、
寂しさは解消されていく。
人生は、
人によってつくられていく。
人と距離が人生をつくるともいえる。
だからこそ、
寄り添いながら生きていく。
孤独にならないために大切なことだ。
(今日のコトバ)
「助けてあげた」と思っていたのに、
「助けてもらった」のは、いつも私でした。
誰かを助けてあげる。
助けたいから、何かをする。
その後の気持ちは、いつも爽快だ。
何もなくても気持ちいい。
自分の行動に満足できる。
御礼や感謝をされると、
さらに気持ちいい。
そして、
そのことから自分を
あたたかい気持ちで迎えてくれたりすると、
それはもう、
助けたとか、救ったとか以上に、
相手からあたたかい気持ちを
もらっているのだ。
あたたい気持ち。
見えるものではないし、
具体的に形あるものでもない。
だが、その気持ちは、
自分の人生を助けてくれる。
小さいかもしれないが
自信をつけてくれる。
人を助けることは、
たったひとつの行動かもしれない。
ただ、自分の人生を
あたたかいものにするには
大切なことだ。
(今日のコトバ)
成功とは、
今日、ここに生きていることだ。
人生には、成功という言葉がある。
何を持って成功かというと、
それこそ人それぞれの価値だったりする。
「そんな小さなことを成功というか?」
「それだけやっても、まだ、成功といわない?」
人のものさしでだいぶ違ってくる。
ただ、生きれば生きるほど思うことがある。
それは、今日、生きていることは、
すべて成功ではないかと。
生きているといっても、
みんな人生を背負っている。
ただ楽しいことばかりできはない。
苦しいことも、辛いことも、
悲しいこともある。
それでも、一歩外へ出れば、
笑顔で前向きに頑張っている。
それだけで、充分、人生成功だと思うのだ。
年齢によって、
成功の意味合いも違ってくるかもしれない。
だが、生きているだけで、
人生成功と思えることは、
間違いではないと思う。
(今日のコトバ)
臆病者は勇気を大切に使う。
決して、勇気のムダ遣いはしない。
臆病者がいる。
タイプは様々だが、
慎重だったり、恐れやすい人たちをさす。
この臆病者は、
なかなか勇気を持って
挑もうとしないときもある。
まわりからするとイライラすることもある。
ただ、考え方によっては、
勇気を大切にしているともいえる。
簡単に勇気を出さない。
慎重になって勇気を考える。
人生には勇気を出さなければ
いけないときがある。
だが、いつもいつも必要かというと
そうでもない。
ここぞというときに勇気を出せれば、
勇者と呼ばれることもある。
臆病者は、
ここぞという時のために、
勇気をあたためているのかもしれない。
そう思うと、
臆病者の挑戦こそ、
本当の勇気の出番といえる。
だからこそ、
臆病者は、決して勇気を
ムダ遣いしない人達だと
思うこともあるのだ。
(今日のコトバ)
人間として欠けているところを、
人生を懸けて埋めていくんだ。
人間は、何か欠けてい生きている。
非の打ち所がないという言葉があるが、
完璧な人となんて出会ったことがない。
誰もが必ず欠点を持っている。
その欠点を人生の時間を懸けて
直していく。
そして、欠点を直すことで人間として
少しずつ進歩し、
少しずつバランスのとれた人間になる。
つまり、生まれた時から持つ欠点によって、
人間は成長する。
成長するために欠点を持っているともいえる。
だからこそ、欠点と対峙しよう。
日々、欠点を直していくよう努力しよう。
その行動が成長につながる。
そのことを忘れないで生きていこう。
(今日のコトバ)
何のために転んだんだ?
地上に咲いている希望を摘むためさ。
生きていれば、
転ぶこともある。
ほんとうに転ぶこともあれば、
仕事でミスしたり、
失恋したり、
心が転ぶこともある。
ただ、転ぶということは、
前へ進んだということ。
何かを求めて踏み出した結果ということ。
ということは、
自分にとっての進化への一歩ともいえる。
そう思うと、
転ぶことも自分の成長になる。
転んだ後に自分が何を考えるか。
前向きに考えれば、
成長への礎となる。
もっと考えれば、
前向きに転んだということは、
希望が前にあると思っていい。
希望をつかむために転んだのだ。
転ぶことも
人生にとって大切な役目を
果たしているのだ。
(今日のコトバ)
前へ進むだけが前進ではない。
横へ進むことも、
後ろに進むことも前進である。
生きる領域は、踏み出した数だけ広がる。
夢や目標を持つと、
前へ前へ進んでいこうと考える。
間違いではない。
意欲とか勢いを考えたら正しいといえる。
だが、長い人生を考えると、
前へばかり進むことだけが前進でないと
思える時がある。
たまには、立ち止まって休む。
英気を養うから、また、がんばれる。
横にいる仲間を確認するから、
安心して生きていこうと思える。
後ろを振り返って、
経験の中で「止めろ」という指令が出れば、
止めることも前進かもしれない。
人生には、前へ進むだけではない前進がある。
そのことを意識して生きていきたい。
その時、その瞬間で正しい選択をする。
そのために正しい前進をするのだ。
(今日のコトバ)
地道は、上り坂だけど、
すべて近道でした。
いちばん早く目標を達成したい。
誰もがそう思って目標に向かう。
できるだけ、簡単に、
できるだけ、近道で、
できるだけ、早く。
だが、目標へはなかなか到達しない。
ミスもあれば、
不測の事態もある。
想定外のことだって、
立ちふさがることもある。
そもそも目標設定に
無理があることさえある。
その時、思うことがある。
地道こそが目標到達の最短距離である、と。
遠まわりのようで、
めんどうくさくて、
しんどいことも多いが、
それでも、地道に着実に課題をクリアした者が
いちばん早く目標に到達する。
そして、地道が正攻法ならば、
誰でもその方法で挑戦できる。
奇策でも、魔法でも、飛び道具でもない、
地道という方法。
その方法を信じて目標に挑戦する。
地道は、人に与えられた最高の正攻法なのだ。
(今日のコトバ)
誰かを踏みつけた足は、
自分の背中を踏みつけていた。
人と争っている時、
フェアーではない戦い、
反則技などを使って、
相手を踏みつぶそうとする。
なにがなんでも勝ちたい意識が、
どんな手を使ってもいいと
勝手な基準をつくってしまう。
気持ち的にわからなくもない。
だが、汚い手を使うと必ず自分に返ってくる。
罰が当たるではないが、
汚い手は、決して、自分を幸せにしない。
めぐりめぐって、痛い目にあう。
だからこそ、
やっぱり正々堂々と全力を尽くす。
汚い手で結果を急いだりしない。
仮に、汚い手で結果が出たと思っても、
必ずその後に痛い目が待っている。
正々堂々と全力を尽くし、
自分が納得する形の戦いをする。
そのことを忘れてはいけない。
(今日のコトバ)
魂は、
飢えていないと燃えない生きもの。
「満足すること」
人生では大切なことだ。
できるだけ満足しながら
生きていきたいと思う。
ただ、こうもいえる。
満足してしまうと、
そこから進歩しなくなる。
成功した、勝った、達成した等。
その瞬間は嬉しいのだが、
そこから先のことを考えなくなる。
特に大きな取り組みが終わって、
結果が出てしまうと、
燃え尽きてしまうこともある。
そうすると、
なかなか次の目標に気持ちが動かない。
満足は、人生にとって大切だ。
だが、その先に目標をつくっていないと、
進歩しなくなることがある。
そこを忘れてはいけない。
人は、飢えがあるから
がんばれる。
満足は飢えの対局にある。
満足してもいい。
その時、
次の目標を持っている生き方をすることが、
人生には大切なことだと思う。
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