幸せの王道とは、あたりまえの生活にある

 

(今日のコトバ)

 

となりにいる人が特別な人。

あたりまえが特別な出来事。

そう思えたら幸せになりました。

 

 

 

昨夜、東北地方で大きな地震があった。

コロナ禍、寒さの上、地震があると、

辛い気持ちになる。

なんとか、

あたりまえの日常に戻したい。

普通に生活がしたい。

自分のまわりの人が

いつも通りでいてほしいと思う。

そう思えば思うほど、

幸せとは、

あたりまえの中にあると確信するのだ。

いつも通りでいられる生活・時間。

そこに幸せがある。

そう実感してくるのだ。

だからこそ、

いまあるあたりまえの生活を

大事にしてしたい。

大きなトピックはなくても、

平和に時間が流れている。

自分が自分でいられる。

まわりの人が

まわりの人のままでいられる。

そんな生活・時間こそが大切。

幸せの王道とは、

あたりまえの生活にあるのだ。

「現在」を全力で生きる

 

(今日のコトバ)

 

「現在」は、

「過去」と「未来」を

ジャッジするレフリーです。

 

 

 

「過去」を自分の知恵の財産として、

「現在」を最高のものにする。

「未来」を自分の描く理想のために、

「現在」を最高のものにする。

考えてみれば、

人生はその繰り返し。

そして、いろいろ考えても、

何かアクションを起こせるのは、

「現在」というこの瞬間だけなのだ。

だからこそ、

「過去」と「未来」を活かすために

「現在」を使う。

全力を尽くして最高の行動で、

最高の成果を出す。

仮に、最高の成果が出なくても、

「現在」のアクションが、

またやってくる「現在」のために

プラスになる。

そう信じて一歩一歩生きることが

前進すること。

地道だが忘れてはいけないことだ。

足を引っ張らず、自分が前進する

 

(今日のコトバ)

 

他人を中傷する口は、

自分を上昇させる足を止める。

 

 

 

誰かの足を引っ張っている。

ということは、

当然、自分の足も止まっている。

誰かの足を引っ張って

足を止めることで、

自分が前へ進めるわけではない。

そんなことはわかっているれけど、

自分が追い込まれると、

時に、足を引っ張てしまう。

ただ、この時、

覚えておきたいのが、

自分は前進してないということ。

ワルい意味で相手に集中して、

粗を探して、自分の力を傾ける。

当然、自分の研鑽の時間は減る。

人生にとって、

自分の進化にとって、

何のプラスにもならないのだ。

だからこそ、

誰かにライバル感情が芽生えたら、

その時こそ、自分の力を向上させるために

研鑽する。

その意識を持つことで、

誰かがいい目標になり

自分も進化する。

まずは、

人の足を引っ張らないことを

意識して生きていこう。

今、そして未来に時間を割く

 

(今日のコトバ)

 

未来に生きていこうとするのに、

過去ばかりに時間を使うのは、

もったいないじゃないか。

 

 

後悔したり、

昔のことでイジイジしたり、

過去のことにとらわれていることがある。

なんともいえず嫌な気分になる。

誰でもそういう時間はある。

ただ、そんな時間は、

人生にとってどれだけ有益かと考えると

あまり有益とは思えない。

時間の無駄といってもいいかもしれない。

だからこそ、

過去を振り返って悔いることは、

思い切ってやめてしまう。

過去は過去。

今日を生き、明日を生きるのだから、

そこに時間を割く。

今に全集中する。

未来のことを考える。

そのほうが、

よっぽど時間が有益に使える。

時間は同じリズムで進んでいく。

限りある時間を大切にするためにも、

今、そして未来に時間を使う。

生きるために大切なことだと思う。

 

どんなに絶望に追い込まれても、人間には希望がある

 

(今日のコトバ)

 

人間は圧倒的な数の希望と生きている。

絶望なんて希望に比べれば、

ほんの一握り。

相手にしなければいい。

 

 

 

人生で絶望に襲われることがある。

不幸なことが起こって、

右も左も、前も後ろも見えなくなって、

気持ちが落ち込んでしまう。

生きることがどうしようもなく辛くなる。

明日とか、未来とか、夢とか、未来とか、

生きるために

モチベーションが上がるものが

見えなくなる。

「絶望」

ただ、良く考えてみると、

絶望を感じることは、

そうそうあるものではない。

一つ一つがダメージがあるので、

大きく感じることはあっても数は少ない。

たいがい人生の中で起こる絶望は

数えるほどだ。

もっといえば、ほんとうに絶望ばかりの

人生なら生きていくことが困難になる。

反対に、希望はどうだろう。

物心ついてから、

いくつの希望を感じて生きてきただろう。

きっと、数えることはできない。

そして、どんな状況になっても、

どこかに希望は感じられる。

それこそ、絶望している時でさえ、

心のどこで希望を見つけている。

そう思えば、

「どんな絶望に追い込まれても、

人間には希望がある」

といえるのだ。

絶望に追い込まれている人も、

悲しい思いをしている人も、

この先に希望があると思って生きる。

希望を探しさえすればいい。

必ず心のどこかに希望がある。

そして、その希望が人生を

素晴らしい方向へ導いてくれる。

人間には、一生希望があるのだ。

 

 

負けて幸せになることもある

 

(今日のコトバ)

 

負けて得るものがある。

勝って失うものがある。

 

 

勝つことばかりを考えていた時期がある。

いまでも、若干、

そういう気持ちがないでもない。

ただ、勝つということがすべての幸せに

つながるかというと、

そうでもないことを年を重なるたびに知る。

たとえば、勝って手にしたポジションが

途轍もなく重いことがある。

出世争いに勝って

人より早く本部長になったけれど、

プレッシャーに押しつぶされて、

そのポジションが務まらない人を

たくさん見てきた。

出世争いという意味では、

勝ち勝ちを続けたのに、

「こんなはずとじゃなかった」と

苦しむことがあったのだ。

反対に、負けたけれどトータルで見ると

負けて良かったと思えることもある。

「あの時、負けたから、

あのポジションにならなかった。

ならなかったから、

意外に幸せに生きてこれた」

そんなことを思うこともある。

勝った時のようなプレッシャーの中で

生きなくてすみ、

幸せを満喫する人生になったのだ。

人には人生設計がある。

どんな人生を生きたいか。

そして、どうやって幸せになりたいか。

その方法は十人十色。

いろいろな考えがあると思う。

だが、いえることは、

勝つことだけがすべてではない。

負けることで、後々、

幸せになることもある。

だから、人生は難しい。

そして、人生は面白いのだ。

 

努力していいことは、かなりある

 

(今日のコトバ)

 

努力は、実力経由で魅力になる。

 

 

人は、努力する生きものだ。

では、なぜ努力するか。

それは、夢や目標を達成したいから。

そのために努力する。

努力はやがて自らの血肉になって、

実力となる。

しっかり身に着けば、

その実力は人生の武器になる。

努力をたくさんすれば、

たくさんの武器を持つことにもなる。

人生という戦場で生きるために

役立つ武器を数多く持てる。

人生が素晴らしいものになる。

もちろん、努力という言葉だけで

くくっていいことばかりではない。

「努力したけれど、結果が出なかった」

ということも無限にある。

努力した時間は

どうなるのかと思うこともある。

だが、しかし、それでも、

夢や目標を達成するための着実な方法は、

努力すること。

そして、

努力を続けて実力を身に着けた人は、

魅力も出てくる。

努力していいことは、かなりある。

あきらめずに努力する。

正攻法だが、

何事においても大切なことだ。

 

 

奇跡と共に生きている

 

(今日のコトバ)

 

あなたは奇跡を起こすために

生まれてきた。

そして、その一つ目の奇跡は

あなたが生まれてきたことだ。

 

 

 

何を奇跡と思うか。

人生であるかなしかの偉業を奇跡と思うか。

生きているすべてのことを奇跡と思うか。

どちらが正しいということではない。

ただ、年を重ねるたびに

生きていることが

奇跡ではないかと思うようになる。

普通に生きること。

目覚めること。

食事をすること。

働くこと。

遊ぶこと。

恋をすること。

スポーツをすること、、、。

あたりまえのようにできていることが、

奇跡の一つに思えてくる。

まして、コロナ禍で普通の生活が

できなくなってくると、

より一層普通の生活があたりまえでなくなる。

そう考えると、

いま、ここに生きていることは、

すべて奇跡といっていい。

奇跡と共に生きている。

だからこそ、

この普通の一日を、

あたりまえの一日を大事にして

生きていきたい。

そう思うのだ。

 

何度も失敗することで強くなる

 

(今日のコトバ)

 

 

路地で何度もころんだ者は、

坂道をころばずに

駆け上がることができる。

 

 

 

「何度も失敗を繰り返したことがある」

その経験は、

どんな分野でも基礎として役立つ。

生きていれば、

誰でもわかっていること。

ただ、長く生きていると、

失敗という経験をカットして、

楽して生きていきたいと思う。

年齢もある。知恵もある。

同じような失敗は、

避けられるだろうと思うのだが、

避けられる部分はほんの少し。

特に、新しく挑戦する分野は、

失敗を何度も

繰り返さなければならない。

反対にいえば、

失敗を繰り返せば、

どんな分野でも力を発揮できる

可能性が高くなる。

だからこそ、

何度も失敗することを恐れず

生きていく。

失敗は成功の礎。

必ず成功に近づいていくと信じること。

そのことを忘れてはいけない。

 

自分のつくったレールをの上を走れ!

 

(今日のコトバ)

 

バカげたことを

夢中にやった者だけが、

とんでもない高みに到達できる。

 

 

 

「バカみたいなことをやっている」

何か新しい挑戦をする人は、

そういわれることが多々ある。

その裏には、

「できるわけがない」という

まわりの人たちの気持ちがあったりする。

無謀な挑戦。

常道を逸した戦い。

無限な遊び心、、、、。

大雑把にいうと

「バカ」といってしまいたいことに

挑んでいる。

ただ、その「バカ」といってしまいたいことに

本気で挑んでいる一部の人間が必ずいる。

その人間こそが、

時代や歴史を変えてしまうエネルギーを

もっているのだ。

小さな世界でも、

常識やルール通り生きているより、

はみ出したことを

一生懸命やり続けた人が

新しい世界をつくることがある。

そう思うと、

バカげたことを夢中でやることも

人生を大きく変える一つの方法。

他人が見てバカげていても、

自分が信じられるなら、

トコトンやってみる。

徹底的にやってみる。

そこから誰にも似ていない

自分の世界が構築できるかもしれない。

人生は一度きり。

誰かのつくったレールの上を走るのか。

自分でつくったレールの上を走るのか。

どちらも正解はあるが、

おもしろいのは自分のつくったレールを

走ることではないだろうか。