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(今日のコトバ)
人間は圧倒的な数の希望と生きている。
絶望なんて希望に比べれば、
ほんの一握り。
相手にしなければいい。
人生で絶望に襲われることがある。
不幸なことが起こって、
右も左も、前も後ろも見えなくなって、
気持ちが落ち込んでしまう。
生きることがどうしようもなく辛くなる。
明日とか、未来とか、夢とか、未来とか、
生きるために
モチベーションが上がるものが
見えなくなる。
「絶望」
ただ、良く考えてみると、
絶望を感じることは、
そうそうあるものではない。
一つ一つがダメージがあるので、
大きく感じることはあっても数は少ない。
たいがい人生の中で起こる絶望は
数えるほどだ。
もっといえば、ほんとうに絶望ばかりの
人生なら生きていくことが困難になる。
反対に、希望はどうだろう。
物心ついてから、
いくつの希望を感じて生きてきただろう。
きっと、数えることはできない。
そして、どんな状況になっても、
どこかに希望は感じられる。
それこそ、絶望している時でさえ、
心のどこで希望を見つけている。
そう思えば、
「どんな絶望に追い込まれても、
人間には希望がある」
といえるのだ。
絶望に追い込まれている人も、
悲しい思いをしている人も、
この先に希望があると思って生きる。
希望を探しさえすればいい。
必ず心のどこかに希望がある。
そして、その希望が人生を
素晴らしい方向へ導いてくれる。
人間には、一生希望があるのだ。
(今日のコトバ)
負けて得るものがある。
勝って失うものがある。
勝つことばかりを考えていた時期がある。
いまでも、若干、
そういう気持ちがないでもない。
ただ、勝つということがすべての幸せに
つながるかというと、
そうでもないことを年を重なるたびに知る。
たとえば、勝って手にしたポジションが
途轍もなく重いことがある。
出世争いに勝って
人より早く本部長になったけれど、
プレッシャーに押しつぶされて、
そのポジションが務まらない人を
たくさん見てきた。
出世争いという意味では、
勝ち勝ちを続けたのに、
「こんなはずとじゃなかった」と
苦しむことがあったのだ。
反対に、負けたけれどトータルで見ると
負けて良かったと思えることもある。
「あの時、負けたから、
あのポジションにならなかった。
ならなかったから、
意外に幸せに生きてこれた」
そんなことを思うこともある。
勝った時のようなプレッシャーの中で
生きなくてすみ、
幸せを満喫する人生になったのだ。
人には人生設計がある。
どんな人生を生きたいか。
そして、どうやって幸せになりたいか。
その方法は十人十色。
いろいろな考えがあると思う。
だが、いえることは、
勝つことだけがすべてではない。
負けることで、後々、
幸せになることもある。
だから、人生は難しい。
そして、人生は面白いのだ。
(今日のコトバ)
努力は、実力経由で魅力になる。
人は、努力する生きものだ。
では、なぜ努力するか。
それは、夢や目標を達成したいから。
そのために努力する。
努力はやがて自らの血肉になって、
実力となる。
しっかり身に着けば、
その実力は人生の武器になる。
努力をたくさんすれば、
たくさんの武器を持つことにもなる。
人生という戦場で生きるために
役立つ武器を数多く持てる。
人生が素晴らしいものになる。
もちろん、努力という言葉だけで
くくっていいことばかりではない。
「努力したけれど、結果が出なかった」
ということも無限にある。
努力した時間は
どうなるのかと思うこともある。
だが、しかし、それでも、
夢や目標を達成するための着実な方法は、
努力すること。
そして、
努力を続けて実力を身に着けた人は、
魅力も出てくる。
努力していいことは、かなりある。
あきらめずに努力する。
正攻法だが、
何事においても大切なことだ。
(今日のコトバ)
あなたは奇跡を起こすために
生まれてきた。
そして、その一つ目の奇跡は
あなたが生まれてきたことだ。
何を奇跡と思うか。
人生であるかなしかの偉業を奇跡と思うか。
生きているすべてのことを奇跡と思うか。
どちらが正しいということではない。
ただ、年を重ねるたびに
生きていることが
奇跡ではないかと思うようになる。
普通に生きること。
目覚めること。
食事をすること。
働くこと。
遊ぶこと。
恋をすること。
スポーツをすること、、、。
あたりまえのようにできていることが、
奇跡の一つに思えてくる。
まして、コロナ禍で普通の生活が
できなくなってくると、
より一層普通の生活があたりまえでなくなる。
そう考えると、
いま、ここに生きていることは、
すべて奇跡といっていい。
奇跡と共に生きている。
だからこそ、
この普通の一日を、
あたりまえの一日を大事にして
生きていきたい。
そう思うのだ。
(今日のコトバ)
路地で何度もころんだ者は、
坂道をころばずに
駆け上がることができる。
「何度も失敗を繰り返したことがある」
その経験は、
どんな分野でも基礎として役立つ。
生きていれば、
誰でもわかっていること。
ただ、長く生きていると、
失敗という経験をカットして、
楽して生きていきたいと思う。
年齢もある。知恵もある。
同じような失敗は、
避けられるだろうと思うのだが、
避けられる部分はほんの少し。
特に、新しく挑戦する分野は、
失敗を何度も
繰り返さなければならない。
反対にいえば、
失敗を繰り返せば、
どんな分野でも力を発揮できる
可能性が高くなる。
だからこそ、
何度も失敗することを恐れず
生きていく。
失敗は成功の礎。
必ず成功に近づいていくと信じること。
そのことを忘れてはいけない。
(今日のコトバ)
バカげたことを
夢中にやった者だけが、
とんでもない高みに到達できる。
「バカみたいなことをやっている」
何か新しい挑戦をする人は、
そういわれることが多々ある。
その裏には、
「できるわけがない」という
まわりの人たちの気持ちがあったりする。
無謀な挑戦。
常道を逸した戦い。
無限な遊び心、、、、。
大雑把にいうと
「バカ」といってしまいたいことに
挑んでいる。
ただ、その「バカ」といってしまいたいことに
本気で挑んでいる一部の人間が必ずいる。
その人間こそが、
時代や歴史を変えてしまうエネルギーを
もっているのだ。
小さな世界でも、
常識やルール通り生きているより、
はみ出したことを
一生懸命やり続けた人が
新しい世界をつくることがある。
そう思うと、
バカげたことを夢中でやることも
人生を大きく変える一つの方法。
他人が見てバカげていても、
自分が信じられるなら、
トコトンやってみる。
徹底的にやってみる。
そこから誰にも似ていない
自分の世界が構築できるかもしれない。
人生は一度きり。
誰かのつくったレールの上を走るのか。
自分でつくったレールの上を走るのか。
どちらも正解はあるが、
おもしろいのは自分のつくったレールを
走ることではないだろうか。
(今日のコトバ)
世の中を一瞬で
変えることはできないが、
あなたが進む一歩は
一瞬で変えることができる。
壮大な夢だったり、
果てしない理想を叶えたいと思う。
簡単ではない。
何十年もかかるかもしれない。
強い意志を持ち続けることも
必要になるだろう。
いずれにしろ人生を懸けた大事業だ。
ただ、その人生を懸けた大事業に
挑むことは、今日からでも、
今すぐにでもできる。
一歩を踏み出せばいいのだ。
目標を決めて、
方向性を決めて、
ゴールを決めて踏み出す一歩は、
ただの一歩ではない。
人生を変える
大きな一歩になるかもしれない。
そして、その一歩が壮大な夢や
果てしない理想を
叶えるための一歩になるかもしれない。
だからこそ、
いま、自分に夢や理想があるなら、
いま、ここからでいいから
一歩を踏み出そう。
夢に近づく一歩は、
常に、次に踏み出す一歩になるのだ。
(今日のコトバ)
出会って良かったと思える人を、
一人一人大切に。
出会って良かったと思ってくれる人を、
一人でも多く。
人生、すべて出会いから始まる。
いい出会いであれば、
その後の人生を有意義なものにしてくれる。
ワルい出会いであれば、
その後の人生がやっかいなものになる。
ただ、どんな出会いも、
人生をドラマチックにしていく
スパイスになる。
そう思うと、
いろいろな出会いが
人生には必要なのだ。
そして、出会いからはじまる出来事は、
人が大半のドラマをつくる。
いい人に出会えば出会うほど
幸せを感じる。
また、自分がまわりの人にとって
いい人になれば、
まわりの人は幸せを感じるはずだ。
「いい人に出会う」
「誰かのいい人になる」
この単純な二つのことが、
人生の幸せを大きくつくり出す。
そのことを忘れてはいけない。
(今日のコトバ)
なにはなくても、
笑顔で世界を渡れ。
笑顔。
生きていく上でとても大切なもの。
そんなことはわかっているが、
日々の暮らしの中で、
笑顔の素晴らしさを
忘れてしまうことがある。
だからこそ、
いつも笑顔を意識して
生きることが大切だ。
初対面の時、
相手が笑顔で迎えてくれると、
それだけで落ち着ける。
仕事が立て込んで
ピリピリしている時、
つくってでも笑顔でいると、
緊張が和らぐこともある。
好きな相手が笑顔でいてくれると、
ちょっと幸せを感じる。
もちろん、
笑顔が似合わない場面もある。
だが、
それでも人生の様々な場面で
笑顔が大切な場面は多い。
そう思うと、
人生にとって笑顔が大切。
笑顔になる場面が
多ければ多いほど、
人生は好転していく。
「笑顔」
誰もが持つ人間の能力。
この笑顔力を
充分に使って、
人生を生きていきたいものだ。
(今日のコトバ)
勇気は、本気がつれてくる相棒である。
どうしても勇気を
振り絞らなければならない時がある。
人生の大勝負を賭ける時など、
誰もが何度もあったはずだ。
その時、自分がどんな状態かと考えると、
本気になっている時だったといえる。
本気に取り組む時。
それは、試合、試験、ケンカ、
恋愛もそうかもしれない。
本気で何か状況を好転させようという時、
必ず勇気が必要になってくる。
反対にいえば、
勇気を出すためには
本気でなければならない。
つまり、勇気という気持ちと
本気という気持ちは
つながっている。
そう考えると、
「勇気を出せ」といわれた時、
自分が本気かどうかを
考えてみればいい。
本気だといえるなら、
必ず勇気を出すことができる。
仮りに、本気になれないのなら、
勇気を出すことは難しい状態なのだ。
勇気と本気。
この二つの気持ちはタッグを組んだ相棒。
そして、人生の重要局面で
必ず必要になる気持ち。
そのことを忘れてはいけない。
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