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(今日のコトバ)
命は、愛と愛から生まれた。
だからこそ、命ある限り、
愛を求め続けるのだ。
ひとつの命は、
愛と愛の出会いから始まった。
キレイ事のようだが、
間違いではない。
愛と愛が結ばれて、
愛の落とし子として、
子どもが生まれる。
その子どもが生きていく過程で、
いつもなくてはならないもの、
それも愛だ。
つまり、愛から生まれて、
一生、愛と生きていく。
それが人間なのだ。
考えてみれば、
物心つくまではわからないが、
赤ん坊を見れば、
愛なくては生きていけない。
その動作、その行為で愛を求めている。
そして、命果てるその時まで、
誰かの愛を求めている。
愛が必要な人間。
自分も愛が必要だが、
誰もがみな愛が必要。
そのことを忘れずに
生きたいものだ。
(今日のコトバ)
夢を不戦敗で終わらせるな。
世の中は敗者復活戦まで用意して、
お前の登場を待っている。
夢を描く。
夢に向かう。
夢を叶える。
夢が破れる、、、、。
人は夢に挑戦しながら
成長していく。
どんなカタチであれ、
夢を持って生きることは、
自分の向上に役立っている。
だとすると、
夢がない。
夢が見えない。
夢を持ちたくない。
夢が嫌い、、、、。
そう思ってしまうと、
自分の生きる道標がなくなる。
成長していこうという意欲もなくなる。
一生を生きるには、
もったいない生き方になる。
だからこそ、
夢を明解に持って生きることは大切。
何もワルいことはなく、
自分の成長につなげられる。
生きるために夢を持っていこう。
(今日のコトバ)
過去というむかし話に
花を咲かせるより、
未来というおとぎ話に
花を咲かそうよ。
昔話で盛り上がる。
楽しいひとときだ。
決して、ワルいことではない。
ただ、過去の話ばかりする人は、
たいてい今がイケてない。
上手くいっていない。
あるいは、更新していく何かがない。
つまり、成長とは縁遠い状況にある。
老人であれば、
それもいいだろう。
だが、人生がまだまだ続く人は、
昔話だけでは寂しい。
できるなら、
未来に向けた夢やプランを
話す方がいい。
生きてる証明をしている。
人生をより楽しんでいることが、
話一つでわかる。
昔話もいいが、
未来への物語も大切。
そして、未来への物語がたくさん
語れるほど、
人生はイケている。
そう思うのだ。
(今日のコトバ)
上に立っている人が、
あなたを守ってくれるのではない。
ほんとうに守ってくれるのは、
あなたの前に立ってくれる人だ。
「守ってくれる人」
生きていく上で、
とても大事な人だ。
一人でも二人でもいいし、
できれば大勢いてくれると
ありがたい。
ただ、守ってくれる人も、
心から守ってくれる人と、
立場で守ってくれる人がいる。
心から守ってくれる人は、
利害ではなく、
いつだって困った時は、
味方について親身になってくれる。
だが、立場で守ってくれる人は、
あくまでも立場だ。
立場が変われば、守ってはくれない。
敵になることさえある。
そのことを理解しておきたい。
もちろん、立場で守ってくれる人も大事。
守ってくれる間は、
これほど心強いものもない。
それも理解しておく。
人は一人では生きていけない。
自分を守ってくれる人は、
人生おいて大きな力になる。
忘れてはいけないことだ。
(今日のコトバ)
ありがとうの
世界一の収集家でありたい。
「ありがとう」と
いってもらうのでもいい。
「ありがとう」と
いうのでもいい。
とにかく、自分の人生に、
自分の今日一日に、
「ありがとう」がたくさん飛び交う
暮らしをしたいと思う。
人が日々使う言葉で、
「ありがとう」ほど心地いい言葉はない。
そして、「ありがとう」ほど
罪のない言葉もない。
いって嬉しい言葉、いわれて嬉しい言葉、
それが「ありがとう」
「ありがとう」という言葉は、
その中にいろいろな要素を含む。
悲しみや苦しみを
解消した後の言葉として、
楽しみや喜びを
導いた後の言葉として、
感謝の意味で「ありがとう」という
言葉は飛び交う。
そして、「ありがとう」の言葉が
飛び交うとき、争いはない。
だからこそ、この先の人生、
できるだけたくさんの
「ありがとう」と出会いたい。
そう思うのだ。
(今日のコトバ)
全力で走っていると、
みんな導かれて走ってくる。
その中に勝利の女神もいるんだ。
がんばっている。
誰に見せるでもなく、
がんばっている。
だが、誰かは必ず見ている。
がんばればがんばるほど、
その数は増えていく。
どんな状況でも、
誰かが気づいて、
がんばりは評判を呼ぶ。
いずれ、
そのがんばりに賛同者が現れて、
がんばる方向にアシストしてくれる。
世の中は、そう意味で理解しやすい。
だからこそ、
自分のやりたい方向があるなら、
がんばりを続ける。
懸命に手を抜かずやり遂げる。
成功は、一人ではできない。
必ず、誰かを巻き込むことになる。
その時、「この人はがんばる」と
評価されれば、
アシストしてくれる人も増える。
自分のがんばりをとにかく続けるのだ。
(今日のコトバ)
運命なんて無限にある。
一つ一つの運命に落ちこむことはない。
また、運命をつくればいいのだ。
人は、運命に左右される。
幸運に喜び、不運に悲しむ。
人生では何度も繰り返してきた事だ。
ただ、運命という言葉が
一人歩きすると、
人生に一度きり、人生の数回、
そう何度もあるものではないと
思ってしまう。
大きな運命はそうかもしれない。
だが、運命なんて、
人生に何度も訪れる。
否、人生に何度も運命を
つくればいいのだ。
不運があれば、幸運をになるような
運命をつくればいい。
また、運命づくりに挑戦してもいい。
一つの運命だけで終わってしまう生き方を
しなければいい。
ほんとうに人生はいろいろな事が起こる。
想定しない運命もある。
とはいっても、運命は自分の描いた道の
延長線上にあることが多い。
だからこそ、運命は自分でつくれる。
いくつもいくつも運命をつくって、
人生を自分の行きたい方向へ進める。
それこそが有意義な生き方なのだ。
(今日のコトバ)
探しているものは、
いつも、ここ、
自分の足元にある。
何か新しいものを見つけたい。
新しいものを見つけて、
人生も新しい世界に展開させたい。
そう思う時がある。
何かを見つけようと、
新しいことにトライしたり、
自分の不得意なものに
チャレンジしたりする。
人生にとって大切なことだ。
ただ、長く生きているとわかる。
何かを見つけたいと思った時、
たいがいは自分の身のまわりを
見渡すと、どこかに隠れている。
否、自分の身のまわりに
あるものなのだ。
それはなぜか。
日々、生きることで、
知らず知らずのうちに、
自分の探しものを探している。
少しずつ、少しずつ、
自分が近づいていて、
ふと気づくと、
自分の足元にあったりするのだ。
もちろん、自分の身のまわりにあるもの
ばかりとは限らない。
ただ、ほとんどの場合、
自分の身のまわりにある。
そういう気持ちで、
もう一度、自分のまわりを見渡してみよう。
きっと、探しているものはあるはずだ。
(今日のコトバ)
真実によって不幸になるなら、
真実を知らせないでおくのも
人間の役割だ。
一昔前、不治の病の告知は、
みんなで口裏を合わせて、
別の病名で患者に伝えた。
治らないとわかったら、
本人はどんなにつらいだろう。
希望を失ってしまう。
判断として、
正しい告知をしないという選択をした。
いまは医学の進歩もあり、
何でも告知するようになったが、
ほんの数十年前までは、
告知という真実を避けて通っていた。
例として、不治の病をあげたが、
生きていると、似たようなことが
たくさんある。
真実を言わない方が
本人が重荷をかかえずに生きられる。
そう思うと、
真実を知らせないで、
本人の重荷にならないよう
気を使うことは、
人間の一つのインテリジェンス。
心の傷を大きくしない。
そのために、
必要な嘘をつく。
真実が不幸をつくるなら、
真実を伝えない。
人間のつくり出した
最大の知恵かもしれない。
(今日のコトバ)
あの人の優しさに気づく
優しさを持とう。
自分から誰かを優しくする。
優しくしているわけだから、
当然、自分の行為はわかっている。
ただ、優しさがわかってくれる人は
いいが、
わかってくれない人もいる。
わかってくれないと、
少々、落ち込むこともある。
もっとも、優しさは見返りを
求めるものではないので、
わかってくれなくても
仕方ないとも思う。
問題は、自分が優しさを受けた時。
まずは、人から優しくして
もらったことに気づいているか。
特に、忙しかったり、
何か問題をかかえたりすると、
優しさに気づかないこともある気がする。
否、絶対にある。
また、優しさとわかっていても、
その優しさに感謝しているか。
感謝はしているが、
言葉にあらわしているか。
言葉にらしていないことはある。
つまり、自分がもらっている優しさに、
気づく自分の優しさがあるか。
優しさに感謝しているか。
きちんと感謝しているかといわれると、
100%返せているともいえない。
だからこそ、
優しさをもらった時の意識を高めて、
必ず感謝を言葉にする。
その気持ちを忘れないで生きる。
優しさに救われたことがある人なら、
感謝の気持ちをしっかりと伝えよう。
人として大切なことだ。
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