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(今日のコトバ)
優しさは、日常に起こる奇跡です。
誰かに優しくされることがある。
生きていてとても
嬉しいことの一つだ。
こんな世知辛い世の中で、
優しくされことなど
数えるほどしかない。
あまり関係の深くない人から
優しくされると、想像以上に嬉しい。
もちろん、
関係の深い人に優しくされるのも
嬉しい。
ただ、優しさのどれもこれも
生きる上でのあたりまえでなく、
ギフトだと思えるのだ。
優しくされなければ
それだけのこと。
嬉しい気持ちにはならないが、
人生は進んでいく。
生きるのがしんどくて、
優しくされたい時はあるが、
それも期待通り
優しくされる保証はない。
だとすれば、
人から優しくされるのも
一つの奇跡。
与えれた奇跡は
大事にしなくてはいけない。
もし、誰かに優しくされたら、
奇跡を一つもらったと
思って生きる。
その人への感謝の気持ちが
大きくなるはずだ。
(今日のコトバ)
スランプとは、
未来の土壌を耕すこと。
スランプに陥ることがある。
自分でスランプと思う時もあるし、
人からいわれて
スランプと感じることもある。
頑張っているが記録が伸びない。
成長の兆しがない。
停滞している。否、むしろ
退化しているのではないかと
思ってしまう。
そんな気持ちになることは
誰にもある。
ただ、冷静に考えてみると、
スランプが
ワルいことといえない気もする。
いままで順調だったものが、
順調にいかない。だから、
違った方法を探る。探っている間は
成長している気がしないが、
新しい視点に着目し、行動している。
当然、結果が出るまで時間がかかる。
「新しい視点のために行動している」
スランプをそう仮定すると、
決して、停滞や退化ではなく、
成長や前進のためのアクションなのだ。
だとすれば、
スランプもウエルカム。
スランプになったことで
新しい自分に会える。
そう思って生きても
いいのではないか。
(今日のコトバ)
人生には、
限界線というスタートラインがある。
もう限界だと思うことがある。
ここまでが実力の頂点。
これ以上はいけない。
そう思う。
だが、時間が経ったり、
状況が変わったりすると、
その限界を超えて、
もっと先へ行けることもある。
限界はとっくに超えている。
成長というか、
進化というか、
人生があきらかに
限界を超えたことがあるのだ。
限界だと思ったところが、
限界ではなく、
ただの過程、経過になっている。
限界線をまた
スタートラインにしたのだ。
人生は成長するたびに、
見える景色が変わってくる。
「限界は何度でも超えられる」
そう思って生きると、
人生そのものの地力がついてくる。
限界は人生を高みに上げるための
スタートラインなるのだ。
(今日のコトバ)
「キミには無理」を
「キミに任せる」に変えたら、
最高の復讐劇になる。
実力が無いと、
「お前には無理」と門前払いのように
吐き捨てられることがある。
悔しい思いもするが、
実力が無いだけに「仕方ない」と
思うこともある。
ただ、「このままでは終わりたくない。
必ず見返したい」と思う気持ちもある。
そんな気持ちの時は、
不貞腐れたり、切れたりするのではなく、
じっと実力を蓄える。
多少、時間がかかってもいい。
門前払いされたら、
門の遠くへ行っていい。
そこで実力を蓄えて、
自信が持てるまで切磋琢磨して、
自分の実力を磨く。
そして、自分の中で実力がついたら、
堂々と門をたたく。
そして、その時、こういわせたら勝ち。
「キミに任せよう」と。
相手にされなかった人間が、
相手にされて大事なことを任せられる。
それこそが、人生の醍醐味。
最高の復讐劇になるのだ。
(今日のコトバ)
足が足を感じるのは、
足が疲れた時。
腕が腕を感じるのは、
腕が疲れた時、
そして、心が心を感じるのは、
心が疲れた時。
人間、疲れた時に
「そのもの」感じる。
健康であれば、
人は体と心において
何も感じることはない。
足が痛いから足を感じる。
頭が痛いから頭を感じる。
腕が疲れたから腕を感じる。
もっといえば、心が折れたから
心を感じる。
つまり、体と心の部位に異変があると、
「そのもの」を感じる。
元気で、疲れも、痛みもない時、
体と心の部位を感じることはない。
そう考えると、
痛みや疲れがあることも、
人間としての部位を
感じられる大切な機会。
普段は忘れている部位も
大切な機能だと認識できる。
だとすれば、
体の疲れ、痛み、
心の疲れ、痛みも、
生きていく上で大切なこと。
大切だとわかるから、
「そのもの」のために生きていける。
「そのもの」という機能があることを
忘れずに生きていこう。
(今日のコトバ)
時間制限の中で夢中になり、
時間制限の中で成長し、
時間制限の中で天才になる。
人は時間の制限の中で生きている。
社会の中に組み込まれて生きれば、
時間はスケジュールに管理されながら
制限される。
「ほんとは、
もっともっと時間をかけたい」
「のんびりやりたい」等、
自分の気持ちは置いておいて、
社会のタイムスケジュールで
動かなくてはならない。
ただ、この時間制限は人間にとって
ワルいことだけではない。
時間制限があるから、
時間内に全力を尽くせる。
時間制限があるから、
気持ちを切り替えられる。
時間制限があるから、
予定を消化できる。
時間制限とは、
人が時間を
コントロールする有効な
手段なのだ。
だからこそ、
時間制限を上手に使って人生を
有意義なものにする。
人生を時間制限の中で
コントロールできれば、
人生が行きたい方向へ
行きやすくなる。
時間制限を上手に使おう。
(今日のコトバ)
「いまがその時」を初期設定せよ。
チャンスは、
いつやってくるかわからない。
ボーッとしていると、
あっという間に過ぎ去っていく。
また、チャンスが目の前にあるのに
遠慮していると、
つかむことができずに
終わってしまうこともある。
チャンスとあらば、
とにかく乗ってみることが大切。
チャンスが何度もくる保証はない。
一度きりかもしれない。
そのチャンスを逃したら、
人生の大きな勝機を
失うことにもなりかねない。
だからこそ、
「チャンスには絶対乗る」
という気持ちを常に持つ。
飛び乗るつもりでいい。
少々未熟でもいい。
チャンスはつかまえてから考える。
それぐらいの気持ちでいないと、
チャンスはとらえられない。
人生を有意義にするために
チャンスには乗ろう。
(今日のコトバ)
記録に残る人は少ないが、
記憶に残る人は人類すべてだ。
ほとんどの人が無名で人生を終わる。
有名になれる人なんてほんの一握り。
有名になりたいと思いながら、
あるいは、無名で十分と思いながら、
人生は進んでいく。
無名であれ、有名であれ、
そんなことは
どうでもいいかもしれない。
記録に残るようなことを
できなかった無名の人生がある。
だが、その人生は記憶に
残らなかった人生ではない。
あなたのまわりの人の記憶に、
しっかり刻まれている。
いつも思い出されることもあるし、
時々、思い出されることもある。
無名であっても
記憶に残るのが人生なのだ。
そう人生捨てたものじゃない。
あなたは誰かの人生の
記憶として生きる。
そう思うだけで、
生きる意欲が湧いてくる。
生きる価値を確認できる。
生きていくことは、
最高に素晴らしいことなのだ。
(今日のコトバ)
気づかせることはできる。
だが、わからせることは
至難の業だ。
何とかわかってもらいたい。
だから、いろいろな手を使って
相手に伝えようとする。
すぐにわかってもらえることもあるが、
それは稀で、
たいがいは、
わかってそうなふりをされたり、
生返事するだけだったり、
まったくわかっていなかったりする。
まったく違う人が
コミュニケーションをとるのだから、
一瞬ですべてをわかれというのも
無理な話だが、
思っているより、わかってもらえない。
だからこそ、
わからせるより、
気づかせることを大切にして
伝える。
気づきさえうまくいけば、
その後は本人の問題が大きく、
わかる人はわかる。
わかろうとする。
そこを抜いて考えると、
コミュニケーションに苦労する。
まず、気づかせることから始めよう。
(今日のコトバ)
転ぶと痛みを覚えるが、
立ち上がると喜びを覚える。
まっすぐな道などなかった。
舗装されてない道があり、
凸凹道があり、
汚れた道があり、
曲り道、坂道、、などもあった。
そんな道を人生は、
なんとか乗り切ってきた。
転ぶこともあったが、
必ず立ち上がって、
また、歩いてきた。
歩いてきたから
今がある。
そして、立ち上がると、
何かしらの喜びを感じた。
回復した喜び。
また歩ける喜び。
転んだことが経験になった喜び、、。
だいたい喜びになっている。
人生は何度も転ぶ。
その時は痛みを感じる。
しんどい思いもする。
だが、そこから立ち上がれれば
喜びが待っている。
そう思えば、
人生も有意義に過ごせる。
転んだら立ち上がった後の喜びを
イメージして生きてみよう。
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