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(今日のコトバ)
マニュアルがない人生だからこそ、
臆病という地図を持った人だけが
生き残る。
臆病者。
そういわれると、
少しバカにされたようにも聞こえる。
ただ、長く生きていると、
臆病であることで
救われたことがたくさんある。
ビビるから慎重になる。
危ない橋は渡らない。
怖いから逃げる。
いろいろあった。
ただ、臆病で失敗したということより、
臆病で助かったと
思えることの方が多い気もする。
人は生きるためにしんどいことを
乗り越えなければならない。
臆病である部分がないと、
しんどさを倍増してしまう危険もある。
だからこそ、
臆病者と呼ばれる人は、
喜んでいい。
生きるために良い地図を持った。
そう思っていいのだ。
(今日のコトバ)
「口では何とでもいえる」
その何とでもいえることを
頑張ってみるのも、
人生の目標設定になります。
他人がいとも簡単に
「これぐらいできるだろう」という。
上司だったり、
先輩だったりすることが多いが、
口では何とでもいえる。
そう思うことは、
誰も経験のあることだ。
本来は「口では何とでもいえる」と
吐き捨てることが多い。
ただ、「口では何とでもいえる」は、
大概、何とかしなくてはならない。
だとしら、その何とでもいえるを
目標にしてがんばってみる。
むしろ、前向きに挑戦する気持ちで
取り組んでみる。
人は目標があってこそ、
人生が躍動してくる。
その目標の一つに、
「口では何とでもいえる」も
取り組む。
それだけで
人生がより意欲的になっていくはずだ。
(今日のコトバ)
毎日一歩一歩。
それが一番の偉業。
誰に誇ってもいい人生だ。
日々、同じようなことをしている。
変わり映えのない
あたりまえのことかもしれない。
ただ、あたりまえのことを
毎日やることは、
決してあたりまえのことではない。
それは特別なこと。
さらに、
コツコツ進んでいくものであれば、
それは人生にとっての
偉業といっていい。
成功者と呼ばれる人が
評価されるように、
あたりまえのことを
あたりまえにできたら、
自分で自分を評価してあげていい。
特に大人になると、
世知辛い世の中は、
あまり評価してくれない。
だからこそ、
自分で自分を評価する。
今日を生きるために
前向きになれる一つのヒントだ。
(今日のコトバ)
大きなお世話を
してくれる人がいる。
余計なおせっかいを
してくれる人がいる。
それも、
面倒くさいという名を借りた幸せである。
少し迷惑ぐらい世話を
焼こうとしてくる人がいる。
ちょっとうるさくて、
少々、面倒くさいこともある。
ただ、そんな人に限って、
自分のまわりからいなくなると
寂しくなる。
去られてしまうと、
意外と大切な人の一人だと気づく。
誰にでも一人位はいるはずだ。
その人をよくよく考えてみると、
わずらわしさはあったものの
決して嫌いだったわけではない。
その人もこちらに世話を焼くぐらいだから、
きっと、嫌いではないはず。
そう考えると、
世話を焼いてくれるその人は、
幸せを届けてくれる人ともいえる。
まっすぐではないが、
変化球で幸せを届けてくれる人。
そんな気持ちで付き合うと、
大きなお世話を焼いてくれる人も
感謝すべき人だと思えるのだ。
(今日のコトバ)
人間は、
自信と不安が背中合わせになって
決闘しながら生きている。
どこかに自信があって、
どこかに不安がある。
人はそんな気持ちで
生きているのかもしれない。
得意分野では自信。
不得意分野では不安。
そして、日々の出来事によって、
自信と不安が交互に顔を出す。
そう考えると、
自信と不安は生きるための
両輪ともいえる。
自信ある時ばかりではなく、
不安な時もあたりまえにある。
自信と不安。
できれば自信が多いに
越したことはないが、
不安だって生きるために必要。
そんな気持ちを感じながら、
自分の道を歩いていく。
それが人生になるのだ。
(今日のコトバ)
行く場所には地図がいるが、
帰る場所には地図がいらない。
そして、地図のいらない場所を
ホームと呼ぶ。
新しく行くべき場所には
地図がいる。
まったくはじめての場所は
地図がなければたどり着けない。
反対に、行く道を知れば
帰り道はわかる。
帰り道は行く道より不安にはならない。
どこか落ち着く。
その気持ちは、自分が帰る家にも通じる。
そこへ行くから落ち着ける。
自分の居場所がある。
そう思える場所は、
きっと、ホームといっていいのだ。
ホームに帰る。
自分の家でなくても、
スポーツチームがアウェーから
ホームに帰る場合も、
ホームはあたたかく迎えてくれる。
だからこそ、落ち着いていられる
ホームを大切にする。
ホームがあるから生きていける。
そんな気持ちを大切にしよう。
(今日のコトバ)
他人を目指していては、
他人に勝てない。
自分の最高を目指して、
他人に勝つのだ。
憧れる誰かになりたい。
誰もが目標とする人の一人や二人は
いるはずだ。
その人のマネをして、
その人に近づきたいと思う。
ただ、その人のマネだけでは、
その人のマネで終わってしまう。
だからこそ、自分の目指すところを
改めてつくるべきだ。
その設定は、「最高の自分」に置く。
どうすれば、自分史上最高になれるか。
入り口はマネであってもいいが、
切磋琢磨するうちに
自分の最高峰を目指す。
そのためには、
常に達成可能な目標を持つ。
日々の暮らしで継続できるものを探す。
「目標と継続」
両輪が自分を最高のものに磨いていく。
他人になるのではなく、
自分の最高になる。
その気持ちを忘れてはいけない。
(今日のコトバ)
人は決断をくり返しながら、
自分という彫刻を完成に近づけるのだ。
決断。
言葉にすると重くなるが、
人は大なり小なり、
日々の暮らしの中で
決断を下している。
何かを行動するということは、
決断抜きにはできない。
「やる」という気持ちも
決断の現れ。
そして、その決断する方向が
自分の人生をカタチづける。
だからこそ、日々の決断は大切。
いい方に決断すれば、
幸せな人生が待っている。
さらに、
ひとつひとつの決断が人生になり、
人格と呼ばれるものにもなる。
人生は決断によってつくられていく。
そのことを肝に銘じて生きていきたい。
(今日のコトバ)
好きを大好きにするのは簡単。
好きを嫌いにするのも簡単。
だが、好きを
好きのままでいるのは難しく、
この好きこそ本物の「好き」なのだ。
好きという感情がある。
簡単に好きと思うものもあれば、
時間がかかって好きと思うものもある。
人・動物等からモノまで含めると、
たくさんの好きなものがある。
ただ、その中で本当に好きと
いえるものはどういうものだろう。
直感的な好きか。
そのことを思うと
ワクワクしてしまう大好きか。
好きにもいろいろあると思う。
その中で本当の好きが
何かと考えると、
それは、
長く続く好きではないかと思う。
長い間好きであることは、
好きに対する状況が様々変わり、
自分の気持ちも変わったけれど、
それでも好きは変わらないもの。
好きの意志が変わらないもの。
それが本物の好きだと思う。
だからこそ、
長く好きなものは大切にすべき。
人生を幸せにしてくれる
大切なアイテムなのだ。
(今日のコトバ)
言葉は、
自分をちぎって飛ばした分身です。
言葉は、自分の分身である。
そういわれて、そうだと答える人もいるし、
うーんと考えてしまう人もいるだろう。
自分が発した言葉なのだから、
まぎれもなく自分の心からの言葉。
だけど、状況によって、
本心で話せない時もある。
あえて嘘をつくこともある。
圧力に負けて言葉を選ぶこともある。
なかなか自分の思いのままに
言葉を伝えられない。
だが、だからこそ、
言葉は大切になっていく。
仮に本心でなくても、
本心に近い言葉、
あるいは本心を気づかせる言葉を
使って自分を現す。
言葉と自分の距離が
近ければ近いほど、
素直に生きられる。
簡単そうで簡単ではない。
ただ、素直に生きようと思ったら、
言葉と自分の距離を近くする。
大切なことだと思う。
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