「誰かのために」は、「自分のために」

 

(今日のコトバ)

 

「誰かのために」は、

ほとんど「自分のために」で

出来ている。

 

 

「あの人のために何とかしよう」

そう思うことがある。

「あの人が困っているから、

自分の力で何とかしてあげたい」

普通の感情だ。

だが、

「あの人のために」だけが、

すべての感情とはいいきれない。

それ以外の感情が何かある。

それは何か?

冷静に考えると、

一つの答えにたどり着く。

「自分のため」という感情。

間違いなく

誰かのために何かをするのだが、

そこに自分が好かれたい、

自分が良く見られたい

という気持ちも含まれる。

ワルいことではない。

人間ならあたりまえのことだ。

だとしたら、

誰かのためには、

自分のためにであると思って

行動する。

誰かのためにが

自分のためになるなら

一石二鳥だ。

反対に、誰かのためにだけの

感情が強くなると、

恩着せがましくなったり、

嫌味になったりする。

「誰かのためには、

自分のために」

そう思って生きていこう。

負けだって自信や誇りになる

 

(今日のコトバ)

 

負けない人生など

ありえない。

だから、

せめて汗と涙の分だけ

胸を張れ。

 

 

「負け」と訊くと、

あまりいい気持ちはしない。

だが、人生では

負けを受け入れなくては、

前へ進めないことも多い。

負けた分だけ

卑屈になったら大変だ。

負けたにしても、

努力したり、

頑張ったりしたら、

卑屈になる必要はない。

もっといえば、

堂々と胸を張って生きるべきだ。

だが、負けてしまうと

下を向いてしまうこともある。

だからこそ、

意識して胸を張る。

努力した気持ちに

嘘がないなら、

結果だけがすべてではない

何かあるはず。

その何かは自信や誇りになる。

そう信じて胸を張る。

生きるために大切なことだ。

困った時は、お互い様

 

(今日のコトバ)

 

時に、

無関心は、

最強の暴力になる。

 

 

関わりたくないと、

避けてしまう。

自分にとって不都合なことが

起きていると、

知らん顔する。

避けたことで、

知らん顔したことで、

自分には被害がなかった。

否、現時点では被害がなかった。

だが、それで人として

いいのだろうか。

自分は困っていないが、

他の人は苦しんでいる。

自分に被害はないが、

他の人は傷ついている。

そんなことが世界には

たくさんある。

その時、

手をさし伸ばさなかったことを

後悔している。

そんなことがないように、

何事も関心を持つようにする。

世界情勢も、気候による被害も、

迷惑で困っている近所の人も、

無関心でいることは、

ひとつの暴力になる。

だから、

自分のできることでいい。

少しでもいいから、

困っている人に寄り添って

何かをしてあげる。

日本にあるいい言葉、

「困った時はお互い様」のように、

支えあう気持ちを持って

生きていきたい。

人生の敗北を帳消しにする

 

(今日のコトバ)

 

人生には、

すべての敗北を帳消しにできる

一勝がある。

 

 

生きていれば、

勝ち続けることは不可能だ。

人生の一時期、

連戦連勝のような時もある。

すべてが上手くいく時もある。

だが、絶対に負けないことは

ありえない。

勝ち負けは、

人生についてまわる。

そして、長く生きていると、

人生に特別な一勝が

あることを知る。

ここで勝てば、

いままでの敗北などまったく

関係なくなってしまう

一勝があることを。

人によっては受験だったり、

就職試験だったり、

昇進試験だったり、

ライセンスだったり、、。

もちろん、

大切な試合で勝利することも

かけがえのない一勝だ。

人生が続く以上、

その一勝で終わりではないが、

そこで勝ったからこそ、

いまの自分がある

といっていい勝利。

そんな一勝が誰にでもあるはずだ。

だとすれば、

その一勝のために人生を

切磋琢磨するのもいい。

人生の敗北を帳消しにできる

一勝のために自分を磨く。

一つの生き方だと思う。

忙しさをつくる

 

(今日のコトバ)

 

暇になってわかる、

「忙しさ」が至福の時間で

あったことを。

 

 

どんな時間が至福の時間か。

迷う時がある。

勝負に勝った時、

成功した時、

感動した時、

いろいろな時間が思い浮かぶ。

ただ、いちばん身近な

至福の時間は、

「忙しい時」だと思う。

忙しいということは、

その仕事・出来事の中心として

行動している。

時間を顧みないほど

働いていることもある。

そんな時間は充実している。

もちろん、

忙しさのまっただ中にいる時は、

しんどいこともある。

ただ、過ぎてしまえば、

そのしんどいことも含めて

素晴らしい時を

過ごしたと思える。

だとしたら、

「忙しい時間」を

たくさんつくれば、

人生丸ごと至福になるといえる。

もし、いま、

至福の時間がないと

思っているなら、

忙しさをつくろう。

その時間が過去になる時、

至福の時間に変わる。

人生にとって素晴らしい歴史を

刻むことにもなるはずだ。

人生という道の上に希望は敷かれている

 

(今日のコトバ)

 

あなたが希望を失っても、

希望があなたを失わない。

 

 

どんにことがあっても、

希望は失われない。

そう思う。

たとえ、

絶望に打ちひしがれても、

希望まで失われることはない。

絶望の淵にいるのに、

何か手はないかと

思うのも希望。

未来のことを

少しでも考えることだって希望。

人のやさしさに触れても希望を持つ。

もっといえば、

お腹がすくことだって、

体が希望を持っている。

つまり、人生という道の上に

希望が敷かれている

といっていい。

だからこそ、

どんな時も希望があることを

忘れてはいけない。

常に心のどこかで

「希望はどこにある?」

そう信じて生きていこう。

未来が間近にある

 

(今日のコトバ)

 

青春とは、

手の届くところに

未来があるということ。

 

 

3月、卒業シーズン。

新しい世界へ飛び込むために

希望と不安が入り混じる時期。

ただ、こうも考えられる。

4月以降、

新しい環境へ向かうのが

わかっているなら、

それは未来が

約束されているということ。

未来が間近にあるということ。

そんな季節は、

青春の時期しかない。

そして、青春の時期は、

何度も未来を間近にできる。

その間近にできる状況を

幸運といわずして何という。

人は未来がたくさんあると

思える時ほど

幸せなことはない。

未来が間近にある青春は、

幸せがたくさんある。

そう信じて生きていこう。

 

希望の伝言

 

(今日のコトバ)

 

「また会おう」と

いってくれる人は、

あなたに希望を持っている。

 

 

別れ際に、

「また会おう」と

何気なく使ってしまう

言葉だが、そこには

大きな意味が込められている。

それは、言葉を送った人に

希望を持っているということ。

「また、、、」ということは、

次の約束を緩く決めている。

嫌いな人なら、

「また、、」という言葉は使わない。

さらに、「会おう」ということは、

約束していること。

未来に再びつながろう

という意志表示。

少し大袈裟かもしれないが、

「また会おう」は、

「好きな人だから、

約束を決めて、

未来に、また、つながりたい」と

メッセージを送っているのだ。

そう考えると、

たかが「また会おう」も、

大きな意味を持つ。

一言でいうと希望の伝言

ともいえる。

だからこそ、

「また会おう」という言葉を

大切にしよう。

未来に必要な大切なものを

背負って、

送られてきた言葉なのだ。

ちょうどいいを探している

 

(今日のコトバ)

 

「最高」ばかり

追いかけてきたと思ったのに、

いつの間にか

「ちょうどいい」を探してた。

それが大人になったこと

かもしれない。

 

 

常に勝つ。

常に成功する。

目指すは一番、、。

結果はどうあれ、

そんな気持ちで

生きていた若い日もある。

だが、勝負すればするほど、

勝つことは難しいし、

成功と自信を持っていえる

成果など、

人生すべてを見渡しても、

ほんの一握り。

生きれば生きるほど、

自分の能力の限界を

突きつけられる。

だが、それが世の中だとも思う。

たいがいの人が世の中に出ると、

負けだったり、

失敗だったりを受け入れながら

生きなければならない。

そして、

あまり勝率の良くないのが

人生だと理解した時、

ちょうどいい塩梅は

何かを探し始めている。

ちょうどいい塩梅とは、

傷つかない負け方とか、

痛みのない失敗の仕方とかを

自己流で編み出し、

平気な顔をして生きること。

そして、勝とうが、負けようが、

成功しようが、失敗しようが、

自分の身の丈にあった、

ちょうどいい状況に落ち着くこと。

若さだけでは突破できなくなった

人生で、世の中という世界と

自分という力のバランスを計って、

ちょうどいいを見つけ、

そこにポジション取りをする。

そんな気持ちで

生きているのかもしれない。

継続できるものは強み

 

(今日のコトバ)

 

継続の道の上に、

夢も、希望も、

幸せも落ちている。

 

 

何事も習慣化すれば、

自分のものになる。

習慣化するということは、

継続すること。

つまり、人生において

継続できることは、

自分の武器になる。

そして、

継続するものの先に

何があるか。

夢、希望、幸せ、、。

人生の欲しいもの

全部あるといっていい。

もちろん、

夢破れたり、

希望が叶わなかったり、

幸せではないことも、

継続の上にあるかもしれない。

ただ、継続しているということは、

それら求めていない状況の

先へも行ける。

結果的に、夢、希望、幸せに

たどり着くのだ。

だからこそ、

人生において

継続できるものを一つ持つ。

その継続できるものが

人生を切り開いてくれる。

人生を素晴らしいものに

してくれるはずだ。