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(今日のコトバ)
特別でない私を、
特別な心で支えてくれたあなたは、
特別な人です。
長く続く関係の人で、
特別な人に認定できる人は
何人かいるだろう。
人間として大きくもなく、
何者でもない自分に、
特別な対応をしてくれる。
愛というだけでなく、
献身を捧げてくれる。
自分にとっての特別な人。
そんな存在を持つことは、
人生を有意義にする
大きなポイント。
「特別な人がいる」
そういえる人は、
人生がとても素晴らしいものに
なっている。
反対に、そう呼べる人がいないと、
人生に寂しさがつきまとう。
そう思うと、できれば、
特別な人がいる人生にしたい。
そのために、
自分も献身を捧げることが大切。
「この人だ」と思う人に
自分から献身を捧げる。
そして、自分が
相手にとっての特別な存在になる。
生きるために必要なことだ。
(今日のコトバ)
とにかく、
はじめの目標は、でっかく。
どんなに遠くても
見失わないぐらい、
でっかく。
どうしても叶えたい夢や目標は、
大きいものでいいと思う。
簡単には見失わないように、
どこにいて見つけられるように、
大きくあるべきだと思う。
小さすぎたり、
軽いものだったりすると、
どこかで忘れてしまう。
自分の夢や目標を
心に刻んで前進するために、
やっぱり夢や目標は大きくありたい。
人生は、
夢や目標をクリアしながら
進化していく。
人としても成長していく。
そのために、
夢や希望は絶対に
忘れないぐらいのサイズにしよう。
(今日のコトバ)
陰口にほめ言葉を。
ほんとうは陰口に
ならないかもしれない。
本人がいないところで本人の話を
する時、ワル口ではなく、
いいところをほめる。
「あの人は、こんなところが
素晴らしい」といって、
ほめる理由を述べる。
その行為には、
途轍もなく大きな効能がある。
ほめられた本人は評価が上がる。
自分ではなく第三者がほめている。
一つの正当な評価にもなる。
また、ほめた本人も
人のいいところを捉える人だと
評価が上がる。
本来の陰口だと、
そこにいない人は欠席裁判のように
良くない部分をあぶり出される。
さらには、陰口をいっている人も、
信用のおけない奴と評価を下げる。
陰でほめるか。
陰でワル口をいうか。
たったそれだけのことで、
評価が大きく変わる。
いいコミュニケーションをして
生きたいのなら、
陰でほめる。
そこを意識するだけで、
いいコミュニケーションを
築けるはずだ。
(今日のコトバ)
「あいつが成功した」
その「あいつ」に
自分がなりたかったと思うほど、
悔しいことはない。
何がいちばん悔しいか。
悔しさにはいろいろあるが、
中でも、自分がやりたかったことを
他の誰かにやられてしまった時ほど
悔しいことはない。
「本当は自分がやるはずだった」
「本当は自分が成功するはずだった」
「本当は自分が勝つはずだった」
「本当は自分が一番のはずだった」
だが、自分ではなかった時ほど
悔しい思いをすることはないと思う。
「悔しい」
そう思うなら、
どうすればいいか。
答えは簡単。
自分がやりたかったことを
全力でやればいい。
切磋琢磨して、
全力を尽くすせばいいのだ。
仮に、全力を発揮しても
叶わない時がある。
ただ、全力を発揮すれば、
納得できることもある。
いちばんいけないのは、
何もやらずに悔しがること。
何もしていないのだから、
結果がついてこないのは
あたりまえのことだ。
それなのに悔しがる。
後の祭りにしかならない。
大切にすべきは、
やるべきことに全力を尽くこと。
この気持ちを忘れずに生きていけば、
良い結果が出る確率も上がるし、
そうでない場合も納得がいく。
とにかく目標を立てたものに
全力を尽くす。
その気持ちを忘れず
前進していくことが大切なのだ。
(今日のコトバ)
否定することは、
あらゆるチャンスを
迎撃してしまう。
否定だったり、
拒否だったり。
とにかく「NO!」を
つきつけてしまう。
自分の意志と反するから、、、、
自分が納得しないから、、、など、
さまざまな要因はあるだろう。
ただ、「NO!」といってしまうと、
そこから話が続かなくなる。
断絶してしまうこともある。
仮に、チャンスがやってきても、
拒否してしまえば、
話は終わりになってしまう。
人生において大きな損失だ。
反対に、どんなことでも肯定していくと、
チャンスは捉えやすく、
幸運に恵まれていることもある。
人の人生は、
チャンスを捉えて上昇気流に乗る。
もし、人生でのチャンスの回数を
増やしたいなら、
あらゆる出来事を
肯定的に捉えた方がいい。
間違いなくチャンスは増える。
肯定して生きるか。
否定して生きるか。
意志だけでチャンスを
増やしていける生き方を
選ぶのは自分だ。
(今日のコトバ)
困難は、
目標が出題したテストです。
目標には困難がつきまとう。
大きな目標になればなるほど、
より難しい問題、困難が待ち受ける。
ただ、会社に長く務めると、
何度も何度も目標を設定し、
目標を達成する。
その繰り返しの中で、
目標と困難はセットのような気が
するのだ。
たまに、簡単な目標で
困難がない時もあるが、
それこそ拍子抜けしてしまう。
そう考えると、
困難は、
目標達成のためのテストともいえる。
困難を解決すれば、
目標は達成される。
だからこそ、
目標のために困難に遭遇したら、
よりモチベーションを上げて
取り組んでみよう.。
難しいことがたくさんあっても、
乗り切れば財産になる。
評価になる。
気持ちもよくなる。
困難は、
人を成長させ、
目標達成させるための
テストなのだ。
(今日のコトバ)
目標には「事実」が必要。
行動には「真実」が必要。
何かを達成するためには
目標が必要だ。
できれば、具体的でわかりやすい
目標が設定できると、尚、いい。
スローガンよりは数字であるように、
誰が想像してもブレないものがいい。
ただ、そのために
行動を起こすとなると、
具体的なことだけがいいとは
いえない。
行動のためにモチベーションを
上げるには、
真実は何なのか?
目先だけではない
自分の気持ちを維持するための
本心を知っておきたいと思う。
例えばだが、
負けるとわかっていても
戦わなければいけないこともある。
自分にとっての
真実があるから、
そのために戦う。
目標のように勝利から
逆算するのではなく、
真実のためにまっすぐ戦う。
難しい問題だ。
誰でも人生の出来事で
突き当たったことがあるはず。
事実と真実の使い分け。
だが、それを分けて使うことも
生きる知恵といえる。
どちらが正解ではない。
どちらも必要なのだ。
(今日のコトバ)
人生の計算には、
つねに誤算がついてまわる。
ただし、
大成功、大勝利という誤算もある。
はっきりいえば、
誤算のない人生なんてない。
どれだけ良くても、
どれだけワルくても、
誤算はついてまわる。
誤算というと、
失敗したり、
負けたり、
下回ったり、
上手くいかなかった状況を
表すような気がする。
だが、人生を長くやっていると、
良い誤算もたくさんあった。
想像より大きな成功、大勝利、
大きな幸せ、大きな奇跡、
さらには、ちっぽけだけど
偶然のラッキーなど、
良い誤算が誰にもあったはずだ。
その良い誤算を
きちんとカウントすると、
人生は捨てたものではない。
そこそこいい人生だと思えるのでは
ないだろうか。
いま、あまり人生がツイていないと
思っている人は、
人生の良い誤算をカウントしてみよう。
きっと、そこそこな人生だと思える。
恵まれた人生だと思えるはずだ。
(今日のコトバ)
心に強さをつくるのは、
継続しかないのかもしれない。
強さ。
それも心の強さは、
なかなかつくれるものではない。
基準もわからないし、
どこからが強さの領域かも
わからない。
ただ、まわりにいる人で、
「心が強い」と思う人がいる。
その人たちの共通点は何だろう。
考えてみると、
みな長く継続しているものがある
ということに気づく。
一つのことを地道に突きつめる。
まっすぐ頑張り続ける。
その継続する力が強さになっているのだ。
もちろん、天然で心の強い人もいるだろう。
だが、その強さとは違う強さが、
一つのことを継続した強さはあると思う。
心の強さ。
簡単につくれるものではない。
基準も、領域もわからない。
だが、一つのことを継続していける
力には、心の強さが宿る。
そういっていいのではないだろうか。
(今日のコトバ)
人間は、
敗者から復活するたびに、
美しく感動的な生きものになる。
勝ち続けることもかっこいいが、
人がいちばん感動するのは、
一度負けた者が紆余曲折あって、
勝者になること。
敗北の軌跡を知っている。
もう一度、勝つために
どれだけ努力したかを
知っていると、
尚更、応援したくなる。
そして、その再び戦う姿に感動する。
日本には、
柔道にあるように
敗者復活戦という言葉がある。
考えてみれば、
人生はすべて敗者復活戦。
勝ってから負けることもある。
負けてから勝つこともある。
勝ったり、負けたりしながら、
自分が進化していく。
そこに努力の軌跡があると、
人は気持ちが動く。
エールをおくりたいと
気持ちが動くのだ。
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