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(今日のコトバ)
その人が大切な人なら、
まず、つたえる言葉から大切にしよう。
簡単なことだけれど、
できないことがある。
大切な人を
ちゃんと大切にできないこと。
大切ということは、
近い関係にあるから
コミュニケーションが良くなる。
否、良くなりすぎる。
そこで、言葉が足らなくなったり、
甘えができてしまう。
そうなると、
まず、言葉から乱れて、
相手を軽視してしまう。
本人は軽視しているつもりは
ないのだが、
はたから見ると、
明らかに軽視している。
大切と反対の行動をとっている。
誰でも思い当たるふしはあるはずだ。
では、どうしたら大切な人を
大切にできるだろうか。
やっぱり言葉からではないだろうか。
相手に伝える一言一言の言葉を
大切にする。
そこを大切にすれば、
気持ちの大切さは必ず伝わる。
人が生きていくために、
支えになる大切な人がいる。
その人がいつまでも
自分の味方でいてくれためにも、
言葉から大切にする。
大切なことだ。
(今日のコトバ)
言い訳ばかりを翻訳すると、
人生を誤訳してしまう。
言い訳の多い人がいる。
あるいは、追いつめられると
言い訳が多くなる人がいる。
自分を正当化するために、
正しいことだけではなく、
正しくないことも
言い訳の材料にしてまう。
まわりの人間は
その言い訳を聞いて、
人間を判断する。
言い訳が多いと
うっとおしく思われる。
あきらかに正しくない言い訳や
保身だけの言い訳も
いい顔はされない。
自然にまわりの人も
距離を置き始める。
そうなるといいコミュニケーションは
とれなくなる。
自分のポジションが
想像と違う方へ追いやられてしまう。
そうならないために、
言い訳は考えてする。
できれば、言い訳をしなくてすむ
状況をつくるのが望ましい。
どうしても言い訳する場合は、
正しい言い訳をする。
それも最低限で。
そこを意識して生きる。
言い訳は人生を変な方向へ
導いていく。
忘れてはいけない。
(今日のコトバ)
出会いは、想像力の更新である。
人生でどれだけの人と出会うだろう。
どんなにコミュニケーションのない人も
数万人以上の人と出会っている。
生きるために必要な人もいれば、
相手に必要とされる場合もある。
そして、出会いがあるたびに
人生に新しい展開が生まれる。
場合によっては、
生きるべき道を
決めてしまうほどの出会いもある。
たかが出会い。
されど出会い。
この出会いこそが、
人生の背骨をつくっていく。
そう思うと、
出会いは人生の財産。
出会いを大切にすると、
人生がより有益なものになる。
自分が生きたい方向へ
進んでいく。
出会いは、
人生の扉を開いていくのだ。
(今日のコトバ)
世界は、
あなたの失敗を探していない。
探しているのは、
あなたの成果だ。
人生で何度となく失敗をする。
失敗は、恥ずかしいし、
カッコわるいし、
落ち込むこともある。
できれば、
ないことにしたいこともある。
だが、人の失敗など世の中は
それほど注目はしていない。
もちろん、嫌われキャラの有名人や
勝ち続けている人など、
失敗を期待される人はいる。
それは限られた人だ。
一般人の失敗を
期待している人などいない。
一般人の中で期待されるのは、
成功もしくは成果だ。
「あの人は、〇〇をやってくれる」
「あの人は、〇〇ができる」など
能力を知りたいのだ。
そう考えると、
失敗など何度してもいい。
失敗の先でどんな成果を生み出すか。
そこからが勝負なのだ。
いま、失敗に気をとられて、
自分を見失っている人は、
気にしなくていい。
まわりの人は、
自分が思うほど失敗に
注目している人はいない。
注目にされるのは成果なのだ。
(今日のコトバ)
自分より弱い者を見た時、
人は心の形をあらわす。
人は
自分より明らかに弱いと
思われる相手を見ると、
本性をあらわす。
「弱いからバカにしてやろう」と、
突然、横暴になり相手を
追いつめる。
飲食店などのサービス業で
下手に出てくる人に、
異様に強く出る。
また、腕力の弱そうな者、
下請け業者の人など、
弱い人や弱いポジションの人を
虐める。
そういう状況に出会った時
思うことがある。
「人の本性が見えた」と。
それまでどんなにいい対応を
していても、
本性は人を見下す人だと
思ってしまう。
まさに、心の形が見えてしまったと
思えるのだ。
人はいろいろなバランスで
生きている。
さまざまな意味で、
強い弱いがある。
だが、その違いで
人を見下すと、
人間性がとても
嫌なものに思える。
自分でも考えてみよう。
人の弱さにつけこんでいないか。
つけこんでいたら、
そこに醜い本性が出ている。
そのことを忘れてはいけない。
(今日のコトバ)
人生は朽ち果てるまでの舞台。
今日の出来事はクライマックスへの
伏線でしかない。
結末はまだまだ先の話だ。
生きている。
さまざまな出来事と遭遇しながら
生きている。
いいこと、わるいこと、
ふつうのことがたくさんあって、
喜んだり、悲しんだりしながら
生きている。
ただ、そのすべてが結末ではない。
これからの人生、もっと大きな
クライマックスが
やってくるかもしれない。
想像を超えた人生になるかもしれない。
未来のことは、
ほんとうにわからない。
だからこそ、
ここで良くなかったからといって
悲しむことはない。
良かったらといって
有頂天になる必要もない。
結末はまだ先にある。
そう思いながら未来を想像すれば
楽しいじゃないか。
楽しいと思える未来へ
踏み出していく。
そんな人生にしたいものだ。
(今日のコトバ)
人の数だけキレイな色が
用意されている。
誰もが目標にゴールした時、
そのキレイな色は自分の色になる。
人には、唯一無二の個性がある。
その個性を知って生きる人と
知らずに生きる人がいる。
知っている人は、
才能を武器に人生を渡っていける。
反対に、知らずに生きていくと、
せっかくの才能も武器にならずに
生きることになる。
人生という長い道のりを考えた場合、
どっちが自分にとって
有意義なものになるか。
才能を武器にした方が、
きっと、有意義になるはずだ。
そう思うと、
自分の個性である才能を見つける。
見つけるだけではなく、
その才能を磨いていく。
自分が誇れる武器になるまで磨く。
それが自分の色になる。
光り輝く自分の色になれば、
人生も同じように光り輝いていくはずだ。
(今日のコトバ)
なんでもない日が
大きな顔をする時、
ほんとうの幸せが
どこにあるかを知る。
体調を壊すとよくわかる。
健康で普通に暮らしていたことが、
いかに幸せであるかということを。
何でもない普通の一日。
ただ時が流れているような一日が
自分とってどれほど幸せであるか。
そして、そのなんでもない時間が
なにかが起こると、
幸せの正体であることを知る。
人生は、さまざさまな出来事がある。
紆余曲折、山あり谷ありある。
その中で、
感動すること、
成功すること、
勝利すること、
成就することだけが
幸せだと思っていたが、
それ以上に、
普通に暮らす普通の時間は、
幸せがたくさん生息しているのだ。
いま、普通の時間が
つまらないと思っている人も、
普通の時間がどれだけ自分を
幸せにしてくれているかを考えてみよう。
数えてみると、
普通の時間は、
たくさんの幸せの複合体で
成立していることがわかる。
幸せに生きるための
礎になっていることがわかるはずだ。
(今日のコトバ)
夢を叶えて栄光を手にした場所と、
泥だらけになって泣き叫んだ場所は
同じ場所だった。
勝利と敗北は背中合わせ。
成功と失敗は紙一重。
そして、その夢を叶える場所も、
失意に崩れ落ちる場所も、
実は、ほとんど同じ場所。
試合であれば、
スタジアムで、フィールドで、
勝利も、敗北もある。
プレゼンも、発表も、
舞台は同じで、
成功も、失敗もある。
つまり、勝負する場所は
同じ場所ということ。
だとすると、
勝負も大切だが、
勝負する場所を愛しているかが
大切になる。
思い入れもなく、
ただ、そこに導かれた人より、
その場所を愛して、
どうしても勝負したい、
勝ちたい、成功したいと思った人の方が
いい結果になる可能性が高いはずだ。
人生は、短い。
本当の勝負も無限にあるわけではない。
その中で大切な勝負をする場所は、
自分にとってひとつの故郷になる。
そこで、結果を出すために、
勝負の場所を愛そう。
(今日のコトバ)
言葉は、人を殺す力がある。
言葉は、人を救う力がある。
それは、言葉が
人の命のいちばん近くにいるからだ。
最初に、言葉。
最後に、言葉。
なんやかやいっても、
言葉は人が生きるための
主導権を握っている。
ただの言葉なのに、
人を殺す力を持ち、
ただの言葉なのに、
人を救う力を持つ。
人生を振り返ってみても、
言葉に傷ついて
立ち上がれないこともあれば、
言葉に勇気づけられ、
強い気持ちになったこともある。
言葉は、人生を、命を左右するほどの
力を持つ。
言葉は命の化身といってもいい。
少々おおげさでも、
文字通り心の命ずるままに
言葉は発せられる。
嘘をつく時でさえ、
心の命ずるままに言葉を発している。
だからこそ、
簡単に扱ってはいけない言葉。
言葉は命の化身だと思えば、
大事に扱える。
言葉を大事にすること。
それは人生を大事にすることなのだ。
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