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(今日のコトバ)
どんなに年をとっても、
全盛期はまだ先にある(と思っている)。
口に出すのが恥ずかしいから、
黙っているのが大人です。
年をとれば、
すべてが枯れてくる。
特に、体力は自然に落ちていく。
体を鍛えるという抵抗をしないと、
加速度的に衰えていく。
人はみなしかたないと思っている。
だが、年を重ねてみて
わかったことがある。
この先の人生に
「まだいいことが起こる」という
希望は若いころと変わらず
持ち続けるということを。
個人差はあると思うが、
誰もが年をとっても
この先の人生に希望を持ってる。
きっと、命果てるまで
人生の希望を持つ。
まさに人間は、
希望の化身。
一生という長い時間、
常に、人生のどこかに希望がある。
大人は、「希望、希望」というと
恥ずかしいから、
少しひかえめになるが、
それでも希望を持っている。
それが、
人間のもっとも素晴らしいことの
ひとつだと思う。
(今日のコトバ)
気持ちは、
口にした言葉に支配されていく。
人の心はわからない。
気持ちなんて、尚更わからない。
ただ、その手掛かりはわかる。
言葉だ。
その人が口にした言葉は、
心の使者であり、
気持ちのメッセンジャーだ。
まわりの人は、
言葉をたよりにその人を知る。
もちろん、心や気持ちと言葉が
一致していないこともある。
だが、言葉は人を判断する最高の材料。
もっというと、
人はその人の発した言葉に支配されていく。
そう考えると、
たかが言葉だが、されど言葉。
言葉は本人を想像させてしまう。
言葉は本人をつくってしまう。
そのことを理解して生きていかないと、
誤解を生む。
誤解を生まず、
自分を正しく理解されたいなら、
言葉を大切に使う。
自分の心や気持ちと
ブレない言葉を使う。
そう生きるべきだ。
(今日のコトバ)
準備に完成はない。
準備は日々更新されるものである。
チャンスは準備をしている者に
降臨するという。
しっかりと準備をした者が
チャンスを捉える。
たしかに、
準備という名の用意だったり、
スキルアップだったりができた人は
チャンスを上手に捉えている。
ただ、この準備に終わりはない。
どこかで、「これでいい」と思ってしまうと、
準備が遅れてしまう。
極端にいえば、
昨日まで準備が完了していても、
今日は、また準備を
し直さなければならない。
準備は更新していかなければ
ならないのだ。
だから、
準備する意識を持って
切磋琢磨する。
そこを忘れてはいけない。
準備は生き物。
止めたとたん、
準備は未完成に終ってしまうのだ。
(今日のコトバ)
幸せって、
大切なあの人が
幸せそうな顔をした時、
自分の中に一気に生まれるもの。
幸せって、
どういう時に感じるだろう。
目に見えないものだから、
一概にいえないこともある。
人から評価された時、
人から愛された時、
感動した時、
子供が誕生した時等。
いろいろな場面で感じるだろう。
では、
普通の生活で幸せを感じるのは、
どんな時かと考えると、
自分のまわりにいる人が
それこそ幸せそうな顔をしている時が、
いちばん感じるのではないか。
嬉しそうな人、喜んでる人、
勝った人、成功した人、
夢を見ている人等、、、。
自分の大切なあの人たちが
幸せそうな顔をしている。
その時、自分の中に幸せが
生まれている気がする。
だとすると、
自分のまわりの大切な人たちを
幸せにするために、
自分がアクションを起こしても
いいのではないか。
自分が幸せになるには
何が必要か。
大きな答えが、
大切な人が幸せになること。
そう思うのだ。
(今日のコトバ)
「いつか、きっと」には、
スケジュールがないという
致命的な欠陥がある。
悔しさをはらしたい時に、
夢を叶えたい時に、
人は「いつか、きっと」
という。
気持ちは、それでいい。
ただ、本気で悔しさをはらしたい時、
本気で夢を叶えたい時、
「いつか、きっと」では
足りないものがある。
それは、スケジュール。
気持ちばかりが先行して
忘れがちだが、
どうしてもやり遂げたいものがあるなら、
スケジュール表が必要なのだ。
「いつか」ではなく、「いつ」
「きっと」ではなく、「必ず」
その具体的目標ができてこそ、
本気で前進できる。
いま、自分の中の目指すべきテーマが
前進しない人は、
スケジュールをつくってみればいい。
気持ちはあせってばかりいるが、
実は、具体的に前進していないことが
明快になる。
人生の目標を達成するためには、
気持ちも大切だが、
それ以上にスケジュールが大切なのだ。
(今日のコトバ)
才能は、
人生の予算を高く獲得することができる。
自分の能力を最大限に
発揮できる場所に
たどり着けたら、
あたりまえだが、
自分のスタイルで仕事ができる。
モチベーションもあがり、
やりがいも生まれ、
仕事に余裕も生まれる。
さらにいえば、
所得というか収入も、
不得手な分野で働くより
高いものになる可能性が大きくなる。
まず、自分の才能、能力を見極める。
世の中で売り物になる才能は、何か。
時間をかけていいから、
探し出す必要がある。
誰もが目で理解できる才能はわかりやすい。
だが、やってみなければわからないものや
まわりの人が先に気づく才能もある。
例えば、絵がうまいということは、
才能の方向性がわかりやすいが、
気働きができるというのは、
一緒に仕事をしてみないと
わからなかったりする。
ただ、気働きができる人は、
大きな才能という武器を
持っているといっていい。
そして、その気働きは、
誰もが持ちうる才能ではない。
また、身についたものだから、
いつでもできるし、
自然にできる。
これほどの凄い才能もない。
だからこそ、
どこにあるかわからない
才能もあるから探し出せ。
人生を有意義にするために。
人生を素晴らしいものにするために。
才能を使うのだ。
(今日のコトバ)
その人が大切な人なら、
まず、つたえる言葉から大切にしよう。
簡単なことだけれど、
できないことがある。
大切な人を
ちゃんと大切にできないこと。
大切ということは、
近い関係にあるから
コミュニケーションが良くなる。
否、良くなりすぎる。
そこで、言葉が足らなくなったり、
甘えができてしまう。
そうなると、
まず、言葉から乱れて、
相手を軽視してしまう。
本人は軽視しているつもりは
ないのだが、
はたから見ると、
明らかに軽視している。
大切と反対の行動をとっている。
誰でも思い当たるふしはあるはずだ。
では、どうしたら大切な人を
大切にできるだろうか。
やっぱり言葉からではないだろうか。
相手に伝える一言一言の言葉を
大切にする。
そこを大切にすれば、
気持ちの大切さは必ず伝わる。
人が生きていくために、
支えになる大切な人がいる。
その人がいつまでも
自分の味方でいてくれためにも、
言葉から大切にする。
大切なことだ。
(今日のコトバ)
言い訳ばかりを翻訳すると、
人生を誤訳してしまう。
言い訳の多い人がいる。
あるいは、追いつめられると
言い訳が多くなる人がいる。
自分を正当化するために、
正しいことだけではなく、
正しくないことも
言い訳の材料にしてまう。
まわりの人間は
その言い訳を聞いて、
人間を判断する。
言い訳が多いと
うっとおしく思われる。
あきらかに正しくない言い訳や
保身だけの言い訳も
いい顔はされない。
自然にまわりの人も
距離を置き始める。
そうなるといいコミュニケーションは
とれなくなる。
自分のポジションが
想像と違う方へ追いやられてしまう。
そうならないために、
言い訳は考えてする。
できれば、言い訳をしなくてすむ
状況をつくるのが望ましい。
どうしても言い訳する場合は、
正しい言い訳をする。
それも最低限で。
そこを意識して生きる。
言い訳は人生を変な方向へ
導いていく。
忘れてはいけない。
(今日のコトバ)
出会いは、想像力の更新である。
人生でどれだけの人と出会うだろう。
どんなにコミュニケーションのない人も
数万人以上の人と出会っている。
生きるために必要な人もいれば、
相手に必要とされる場合もある。
そして、出会いがあるたびに
人生に新しい展開が生まれる。
場合によっては、
生きるべき道を
決めてしまうほどの出会いもある。
たかが出会い。
されど出会い。
この出会いこそが、
人生の背骨をつくっていく。
そう思うと、
出会いは人生の財産。
出会いを大切にすると、
人生がより有益なものになる。
自分が生きたい方向へ
進んでいく。
出会いは、
人生の扉を開いていくのだ。
(今日のコトバ)
世界は、
あなたの失敗を探していない。
探しているのは、
あなたの成果だ。
人生で何度となく失敗をする。
失敗は、恥ずかしいし、
カッコわるいし、
落ち込むこともある。
できれば、
ないことにしたいこともある。
だが、人の失敗など世の中は
それほど注目はしていない。
もちろん、嫌われキャラの有名人や
勝ち続けている人など、
失敗を期待される人はいる。
それは限られた人だ。
一般人の失敗を
期待している人などいない。
一般人の中で期待されるのは、
成功もしくは成果だ。
「あの人は、〇〇をやってくれる」
「あの人は、〇〇ができる」など
能力を知りたいのだ。
そう考えると、
失敗など何度してもいい。
失敗の先でどんな成果を生み出すか。
そこからが勝負なのだ。
いま、失敗に気をとられて、
自分を見失っている人は、
気にしなくていい。
まわりの人は、
自分が思うほど失敗に
注目している人はいない。
注目にされるのは成果なのだ。
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