もっとの気持ちは人間の燃料

(今日のコトバ)

 

「もっと」なき人生に終止符を打て。

 

 

 

欲。

人には様々な欲がある。

何かが欲しいなという優しい願望に近い欲から、

野望、欲望のように清濁併せのんだ欲もある。

「もっと欲しい」という人間の欲求。

その気持ちがあるということは、

人間の生きる燃料があるということ。

未来に向けて、環境を進化した自分をイメージして、

前進していける。

気力にあふれ、力強く、歩を進めていける。

反対に、もっとの気持ちがないときは、

自分の気持ちが萎えているといっていい。

心の問題か、体の問題か、

何かに問題がある。

もっとがない時は、

自分に注意信号がともっていると思ってもいい。

人生は、いい時ばかりではない。

もっとの気持ちになれない時もある。

その時、なぜ、もっとの気持ちになれないのか。

なぜ、欲がわいてこないのか。

そこを診断する。

そのために診断しやすいのは、

目標をつくってみること。

そこに合わせてアクションを起こせればいい。

起こせなければ、その原因を考え克服する。

充実した人生を送るために、

もっと気持ちを持つ状態をつくる。

大切なことだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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新しいは、人生の素晴らしいことを積み込んでいる

(今日のコトバ)

 

新しいという言葉のどこかに、

自由が手を広げている。

 

 

 

言葉自体、使い古されているけど、

新しいという言葉を聞くと、

どこかにワクワク感がある。

何かいままでにないことがある。

何かいままでにないことがはじまる。

そんな気持ちを届けてくれる。

さらに、新しいという気持ちには、

自由という気持ちも多く含んでいる。

ここから新しいことがはじまると思うと、

自由な気持ちになるだろう。

何かの扉を開いて一歩を踏み出せる。

おおげさにいえば、未来を手にできると思える。

新しいという言葉には、

生きる上の素晴らしいことを積み込んでいるのだ。

そう思うと、新しいことをつくる、

新しいことを探すことは

人生においてもっとも出会いたいことの一つになる。

新しいという言葉の中にあることを考えると、

もっともっと人生に新しいことがあっていいと思うのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

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終わりと共に始まりが

(今日のコトバ)

 

終着駅に着くと、始発時間のアナウンスが流れていた。

 

 

 

 

一つの出来事が終わる。

エンドマークがつく、一つの物語の終わり。

人は、そこで達成感だったり、

虚脱感だったり、喪失感のようなものを感じる。

たいがいおいて、自分をゆるめてしまう。

当分、動かない。否、動けなくなることもあるだろう。

ただ、一つの終わりがあると、

必ずどこかに新しい始まりが起こっている。

それが、大きなものか、小さなものかわからない。

扉であるか、道であるかわからない。

だが、確実に新しい何かが始まっている。

そのことを忘れてはいけない。

もしかすると終わった瞬間に、

人生で最大のチャンスが到来しているかもしれない。

そこで自分が休んでいると、チャンスが

通り過ぎていってしまうかもしれない。

だから、一つの終わりがある時、

また、そこには始まりもあることを肝に銘じよう。

人生は死ぬまで続いていく。

終わりには、必ず始まりがついている。

生きるために終わりがあれば始まりがあるのだ。

 

 

 

 

 

 

 

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成長期は若者だけのものではない

(今日のコトバ)

 

成長期は、夢を追い続ける限り終わらない。

 

 

 

 

人生の成長期って、いつだろう。

どんな分野でも、

若い人の方が成長度が大きいことは間違えない。

日に日にステップアップを感じることもあるだろう。

ただ、人生におけるほぼ何事も、

はじめて要領を覚えた後、

一気に能力が上がることがある。

いい方によっては、それを成長期ともいえる。

その事を考えると、

成長期は何も若者だけのものではない。

いくつになっても、

何かを習得しようと思って、

研鑽すれば成長期がはじまる。

そう思えば、成長期ははじまる。

もちろん、どうにもなにない目標もある。

60歳を過ぎて100M走で世界新記録をつくるのは、

きっと、無理だろう。

否、何百年後かはスポーツ医学も発達して、

不可能でなくなることもあるかもしれない。

ただ、現状を考えたら無理だ。

だが、それでも年齢を重ねてからスタートして

できることはたくさんある。

はじめるのに遅い事はない。

成長はまだまだできる事を信じて

生きていけばいい。

人生で成長を感じて生きるほど楽しいことはないのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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忙殺しよう

(今日のコトバ)

 

悲しみの届かない場所まで、心を持って走ろう。

 

 

 

止まっていると、悲しみもとどまってしまう。

じっとしていては、何も解決しない。

少々、強引でもいいから動き出す。

その時、目的がなくてもいい。

とにかく、動いてみる。

悲しみを考えない時間をつくる。

忙しいと、人は文字通り忙殺される。

考えない時間が多いということは、

忘れる時間が多いということ。

そうなれば、だんだん悲しみは消えていく。

反対に、何もせずにいれば、

悲しみが何度も襲ってくる。

わるいイメージも湧いてくる。

考える時間がたくさんあるから、

忘れない時間もふえてしまう。

人は忘れていく生き物。

去年のことでも、たくさん忘れている。

昨日のことさえ、たいしたことでなければ忘れている。

そして、忘れるためには、常に行動して、

忙殺状態でいること。

そこに、悲しみを忘れる解決法がある。

悲しみから抜け出したい時は、

とかく忙しく行動するのだ。

 

 

 

 

 

 

 

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いまの自分を間違えない

(今日のコトバ)

 

いまの自分が、人生の答えだ。

 

 

 

状況によっては、いい訳もある。

いい時にも、わるい時にも、

「これが自分ではない。もっと、○○な自分がいる」と。

ただ、自分の心の中以外は、

いま、ここに立っている自分がすべてだ。

これからどうなるかは、わからない。

これまでどうかも、あてにならない。

人生は常に現在進行形。

いまこそが、正解なのだ。

だが、特に、自分がいけていないと、

「こんなもんじゃない」といい訳したくなる。

この先の人生で、

もっともっと進化した自分がいるはずだといい訳したくなる。

その気持ちは大切なことだ。

でも、いまの自分が、いまの実力だ。

そのことを理解しないと、

目標設定を間違えてしまう。

だから、いまの自分を理解して、

もっと進化するための目標を設ける。

そこが人生にとって大切になるのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

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帰る場所がある

(今日のコトバ)

 

人間は帰る場所があるから、

人間に帰れるのだ。

 

 

 

生きている人には、

皆、帰る場所がある。

家族だろうが、一人だろうが、

帰っていく場所がある。

そこで心身を休め、

英気を養い、また、やってくる明日へ

向かっていくのだ。

帰る場所がある。

だからこそ、生きていけるともいえる。

その帰る場所が、

最高であれば問題はない。

だが、最高とはいえない場合もある。

その時も、少しでいい、

安らげる場所にするように環境をつくる。

人は行動ばかりでは生きていけない。

休息がなければガタがくる。

できるだけ、

心身ともに安らげる場所をつくる。

そういった意味を含めて帰る場所をつくる。

長い人生において、

いい帰る場所を持つことは大切なことなのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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目標を乗り越えるための厳しさ

(今日のコトバ)

 

厳しさから逃げたら、厳しさはもう何も教えてくれない。

 

 

 

厳しかったり、辛かったりすると、

その状況から逃げ出したくなる。

逃げられるものなら、逃げて楽になりたい。

ただ、その状況にいるということは、

逃げきれない何かがあるということ。

また、逃げてしまったら大切な何かを失ってしまうということ。

習得すべき能力だったり、金銭だったり、

厳しくても頑張るのには理由がある。

厳しさを続けるのは大変なことだが、

乗り越えた後、自分に何かを残す。

財産とよべるものになることもある。

そして、その厳しさが教えてくれるものが、

生きていくための支柱になることもある。

もちろん、人生を崩壊させてしまう厳しさは、

受け入れる必要はない。

だが、簡単にあきらめることは、

人生にとって一利もない。

自分で目標を決めて、

そこを乗り越えてみる。

そのための厳しさは人生の大きな財産になるのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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一人だけで完結する物語はない

(今日のコトバ)

 

じっと見つめてくれる人がいたから、

寂しさはどこかへ去って行きました。

 

 

 

誰かが見ていてくれる。

その力は途轍もないものだ。

仮に自分が何かの大会で優勝したとしよう。

自分自身の嬉しさはあるだろうが、

その時、誰も喜んでくれなかったらどうだろう。

達成感はあるだろうか。感動は大きくなるだろうか。

もっといえば、優勝した後、どうなるだろう。

また頑張って、優勝しよう、あるいは、

もっと高い場所へ行こうとするだろうか。

少なくとも強いモチベーションではのぞめない気がする。

誰かが喜んでくれる。

一緒に喜んでくれる。

だからこそ頑張れるのが人間。

そこを忘れてしまって、

手柄だけ自分が総取りすると、

ほんとうに一人ぼっちになってしまう。

人は、誰かを喜ばせて前進していくもの。

一人だけでは最後に寂しさしか残らない。

人は寄り添って生きていく。

一人だけで完結する物語はないのだ。

 

 

 

 

 

 

 

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「なんとか」をやり続けよう

(今日のコトバ)

 

不可能は、戦いから逃亡した者のいい訳である。

 

 

 

できない!

そういってしまって、

思考、行動を一切シャットダウンしてしまうと、

そこで終わってしまう。

できることだけやっていては進歩しない。

できないと思うことに挑戦するからこそ、

進歩するのだ。

だから、できないという考えは、

なるべく遠ざける。

少なくとも口にしない。

できそうもなくても、

違う方法を考えて、

なんとかしようとする。

そう、なんとかしようとする気持ちを大切にする。

あきらめず、めげず、

とにかく、なんとかしようとする。

あがいてもいい。カッコわるくてもいい。

なんとかしようとする。

そこに鉱脈がある。

「なんとか」をやり続けるうちに、

不可能を可能にすることができる。

だからこそ、できない!とはいわない。

なんとかすることを考えていく。

そこから始まるのだ。

 

 

 

 

 

 

 

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