グチをチャカして

(今日のコトバ)

 

グチは、陽気に捨てろ。

 

 

 

人は、どうしてもグチを吐きたくなる。

嫌なことがあった時、怒られた時、苦しい時など、

ついついグチを吐いてしまう。

悪いことではない。

グチを吐くことによって、

スッキリすることもあるし、

リセットすることもある。

ただ、グチは誰かに吐くからグチになる。

その誰かにあまりにも迷惑をかけると、

グチも悪影響を及ぼす。

誰かの気分も悪くするし、

度が過ぎれば、誰かが落ち込む要因にもなる。

グチをいいタイミングで、

いい場所で吐くのは難しい。

だが、できるだけ誰かに負担をかけないように吐く。

できれば、陽気に吐く。

グチをチャカして、笑いをとる。

グチを狂言まわしにしてもいい。

陽気にグチを吐けば、

誰かの中でも、

笑いと共に消えていく。

人はグチを吐くもの。

その時、グチをできるだけ他人に負担をかけないことを

忘れてはいけない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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自信のある眼

(今日のコトバ)

 

自信とは、逃げない眼だ。

 

 

 

人は、自信を持つとどうなるだろう。

自信に満ち溢れてとか、

自信満々とか、

言葉では表現できる。

ただ、どこに自信が見えるかというと、

具体的には難しい。

雰囲気があるとか、

堂々としているとか、

なんとなくわかることはある。

その中でこれだけはいえるのが、

眼が違ってくるということ。

自信のある眼は逃げない。

しっかり対人を見つめる。

しっかり対象物を見つめる。

自信があると、すべてを把握している眼をする。

その眼を持った人が現れると、

敵にまわせば手強いし、

味方にすれば安心できる。

そして、この自信のある眼をした人が

自分の目標の延長線上にいると、

自分も落ち着いて物事に取り組める。

そして、自分がその自信のある眼になるには経験が必要。

さらには、実績も必要。

この二つを積み上げた時、

自分も自信のある眼になる。

人生では様々な状況が日々起こる。

その時、自分が自信を持って前進できる、

まわりに自信のある人がいることが、

状況を好転させていく。

自信のある眼を大切にするのだ。

 

 

 

 

 

 

 

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素顔は太い気持ち

(今日のコトバ)

 

人の素顔は、案外、厚顔無恥だ。

 

 

 

「素顔は、いい人だ」

「素顔は、わるい人だ」

心底いい人を素顔はいいというし、

心底わるい人を素顔はわるい人という。

どちらも正しいといえるし、

意味はよくわかる。

さらに考えると、

素顔って、どういうものなのか。

そのことを考えると、

弱さ強さはともかく、素顔は厚いものだと思ってしまう。

素顔の自分になると、少々のことは突破できる。

少々のことでは傷つかない。

素顔=本音とも解釈すると、

本音はいい、本音はわるいということより、

本音は太い気持ちといえる。

つまり、素顔は太い気持ちでもある。

素顔に立ち返って自分を見つめてみると、

自分の意志が明解になり、

どう生きればいいか素直に考えられる。

人生に迷ったり、スランプに陥って苦しんでいる時、

時々、自分の素顔を考えてみるといい。

案外、太い気持ちの自分を思い出せる。

こんなもんじゃないという自分に

気づくこともあるかもしれないのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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もう少しを埋めていく

(今日のコトバ)

 

勇気が少し足りなかっただけで

奪えなかった栄光が、

どれだけ悲しんでいるかを知るべきだ。

 

 

 

ほんの少しの差だった。

後、一歩だった。

自分が勝っていてもおかしくなかった等々。

惜しいところで結果が出なかった時、

人はいい訳をする。

まさに、負け惜しみとでもいおうか。

ただ、この負け惜しみがいえるくらいなら、

ほんとうに惜しかったともいえる。

「もう少し頑張れば、自分が勝っていた」と、

思っているのだ。

だとすれば、

もう少し頑張ればよかったじゃないか、となる。

また、もう少し頑張るという新しい目標設定もできる。

でも、この時点では、もう少しが足りなかった。

能力不足、経験不足、運不足?であった。

昨日、稀勢の里が初優勝した。

近年は、いつ優勝してもいい。

いつ横綱になってもいいといわれながら、

時間がかかった。

彼の惜しいという気持ち、悔しさは、

計り知れないものがある。

だが、結果を出すためのもう少しが足らなかったのだと思う。

そして、能力、経験、運の

もう少しだ埋まったのが、

今場所ではなかっのではないだろうか。

人生は、どこにチャンスがあるかわからない。

どこが絶頂期かもわからない。

ただ、その時を目指して、もう少しを埋めていく。

この作業をした者が、結果を出す。

稀勢の里の優勝を観戦して、

そう思えてならない。

 

 

 

 

 

 

 

 

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ミスは、人の能力MAXにする

(今日のコトバ)

 

ミスは、人生を全速力にするエンジンになる。

 

 

 

 

特に仕事において、

ミスをすると、クレームがきたり、

怒られたらり、冷たい眼でみられたり、

追いつめられる。

気分的に良いものではない。

ミスの大きさによっては、

人生まるごと打ちひしがれた気分にもなる。

ただ、ミスした時を思い出してみると、

追いつめられて、打ちひしがれるが、

その瞬間から全力で、

ミスを取り返そうと頭を巡らせる。

最小限にミスを抑えるには、

否、ミスを帳消しにするには、、。

さらには、これからの新しいやり方も考える。

頭、そして、体も高速で回転する。

となると、

ミスは良くないことだが、

必然的に自分の能力がMAXになる。

自分がどれぐらい能力があるのかわからなかったのが、

これほどまでに能力があるのかという驚きもある。

ミスは良いことではないのだが、

自分の能力の凄さを知るのも、

ミスをした時。

そのことを理解しておいてもいいと思う。

 

 

 

 

 

 

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新しい道を探す

(今日のコトバ)

 

誰かがつくった席は、

誰かが絶対譲らない。

 

 

 

 

昔、あるベンチャー企業に入った仲間が、

「40歳になっても若手といわれる」といっていた。

特に、誰かがつくったものは、

つくった人たちが、いつまでも上のポジションを死守し続ける。

起業などをするとわかりやすいが、

その第一人者である社長及び幹部は創業者のまわりの人が、

その地位をキープし続ける。

劇団などもそうだと訊く。

わかっているのだが、

その現場にいってみないと、

自分でも上のポジションになれると思う。

何年だってもポジションは変わらない。

それでもいいと思う人もいるだろう。

ただ、いいと思えないと、

ストレスが重くのしかかる。

だとすれば、自分の位置を変える必要がある。

一つは自分で新しい行動を起こす。

簡単ではないが、自分につくりあげれば、

理想のポジションにつける。

もう一つは、能力で上がっていける場所をみつける。

特別に人と差がある能力がもつなら、

能力で生きてみる。

簡単ではないことだが、

ときどき社会のポジションのことを考えると、

新しい道を探してみたいと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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チャンスを捉えるために

(今日のコトバ)

 

立ち上がれば、星に近づける。

 

 

 

下を向いていては、

目の前のチャンスは捉えられない。

座ったままでは、

時代の動きに飛び乗れない。

いつ出番がきてもいいように、

立ち上がって足を動かしている。

頭を回転させている。

人生を浮上させるには、

そんな意識が大切だ。

もちろん、チャンスは誰にも平等にあるとはいえない。

ただ、自分の前にチャンスがきた時に、

捉えれる状況になければ話にならない。

状況が完璧に揃っていることもほぼないが、

それでも動き出せる状況にあることは大切だ。

立ち上がっていること。

動き出せること。

忘れてはいけない、やる気があること。

まずは、そこを大事する。

チャンスは、ある日、突然やってくる。

その日のために、意識を高めて準備しておくのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

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負けた財産を次の挑戦に

(今日のコトバ)

 

負けが素晴らしいのは、

ちゃんと自分の弱点を教えてくれること。

 

 

 

 

負けることは、悔しい。

これまで積み上げたものが、

一気に失われたように喪失感がある。

ゼロもしくはマイナスになってしまった気持ちになる。

ただ、ほんとうにそうだろうか。

負けた結果は結果として受け止める必要がある。

気持ちがいいわけがない。

だが、それまで積み上げたものまで、

一気に失うわけでもないのだ。

むしろ、積み上げたものは、次の挑戦に使うこともできる。

また、全力を尽くして負けたのなら、

どこが足りなかったがよくわかる。

夢中で頑張っているときはわからなかった自分に足りないもの。

それが、明快になる。

積み上げたものと、自分に足りないものがわかれば、

次の挑戦への道筋ははっきりわかる。

そう思うと、どんな挑戦も全力を尽くすべきだと思う。

全力を尽くした財産は、人生に生きてくる。

負けることは、悔しいが、

そこから得る自分の財産は大きい。

そのことを忘れてはいけない。

 

 

 

 

 

 

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人という絶景

(今日のコトバ)

 

見たこともない絶景、それはあなたでした。

 

 

 

人との出会いが人生を変える。

間違いなく、人生を変えられてきた。

正しくいうと、変えてもらったともいうべきか。

いい人とのめぐり合い、わるい人とのめぐり合い、

自分でも線引きするようなことがあるだろう。

自分をいい方向へ引っ張ってくれた人は、

いい人という。もっというと、命の恩人としいう人もいる。

自分をわるい方向へ引っ張った人は、

わるい人という。もっというと、悪魔に導かれたという人もいる。

ただ、それらは、すべて、人に出会ったからこそ思えること。

たとえは、いい人だと思った人が、

とんでもないサギ師で、のちのち最低の人物になることもある。

たとえば、もう二度と会いたくない人でも、

その人がいたから危機管理ができるようになった、

反面教師として自分を律することができるようになった

ということもある。

いい、わるいではない。

すべての出会いが自分の人生に意味をあたえてくれたのだ。

そう思うと、人生で人と出会うほど、

身近で、大きく気持ちを変える風景もないと思う。

建物や自然で、意思のないものと違い、

いろいろな表情や心を見せる。

人という風景。

それば人生で最高の絶景なのだ。

 

 

 

 

 

 

 

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余裕がない自分も少しだけ余裕が

(今日のコトバ)

 

余裕だって、

背中のどこかで冷や汗を流している。

 

 

 

一点の曇りもなく、

余裕をもっている。

優雅で、自信があって、

見ていても穏やかな気持ちになれる。

そんな人に、

たまに出会ったりする。

容姿や雰囲気が良くて、

余裕に見える人もいる。

ほんとうに気持ちに余裕があるから、

まわりを穏やかな気持ちにする人もあるだろう。

ただ、自分も含めて、

まわりの人を見ている限り、

完全に余裕のある人を見たことがない。

いちばん多いのは、

余裕のあるふりをしている人。

自分の状況が厳しいから、

余裕があるふりをする。

もう一つは、余裕があるように見える人。

真実はわからないが、

余裕があるように見える人がいる。

つまり完全に余裕があるかわからない人がいる。

また、まったく状況を把握できず、

余裕のように見える人もいる。

鈍感力というべきか、

性格というべきか。

余裕がある人がいないといっているわけではない。

ただ、ほんとうに余裕がある人など、

ほんの一握りしかいない。

特に、仕事をしている人は、

余裕からは遠ざかっている人が多い。

だから、自分が余裕がないと考えている人も、

自分を追い込まなくていい。

余裕のあるふりだけで生きている人はたくさんいる。

そう思うと、余裕のない自分も、

少しだけ余裕が生まれるはずだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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