いいかげんは返ってくる

 

(今日のコトバ)

 

いいかげんをやめない限り、

いいかげんに扱われる。

 

 

 

いいかげん。

適当にやり過ごし、

心無い対応をする。

いいかげんな行いをするのは、

根っからいいかげんである場合と、

その行いにつきいいかげんな場合とある。

ただ、どちらの場合も、

いいかげんは自分に返ってくる。

いつもいつもいいかげんでいると、

「あいつはいいかげんだから、

ちゃんとはやらない。こちらも、

いいかげんな対応でいい」となる。

また、その行いにつき

いいかげんな行いをしても、

「いいかげんなことするな?」と

思われて、どこかでいいかげんな

扱いで返ってくる。

言葉だけだと

緩んだ感じだが、

たいがいにおいて、

いいかげんな行いは、

人生において強烈なしっぺ返しをくう。

誰もが経験しているはずだ。

痛い目にあった行いの

どこに問題があったか。

大なり小なり、いいかげんな行いが

あったはず。

だからこそ、いいかげんは要注意。

必ず自分に返ってくることを

忘れてはいけない。

 

 

内より外で強くなる

 

(今日のコトバ)

 

内向きでは、見える景色が決まってしまう。

 

 

 

外に目を向けていない。

内向きで、いつも同じ場所ばかり見ている。

同じものだから、

安心感はある。

考えなくても、

環境はわかる。

人生のペースをつくるには、

わるくない。

だが、自分を強化するには、

あまり役が立たないかもしれない。

同じ=慣れ

あたりまえの時間が過ぎていく。

反対に、外に目を向ける、

外に行動していくとどうだろう。

新しい発見があるが、

新しい環境のため

自分が学ばなければならないことが

生まれる。

簡単に理解できることも

あるかもしれないが、

難しくて慣れることに

時間がかかることもある。

その難しさに挑むたび

人は強くなれる、進化できる。

内と外。

その見ている方向、

行動する方向で、

人が大きく変わっていく。

強く生きたいなら、

外に出ていけばいい。

大変だが自分が進化していくことが

実感できるはずだ。

声を上げられる世界へ

 

(今日のコトバ)

 

間違えていることに、

間違えていると声をあげられない世界は

絶対に間違えている。

間違えるな。

 

 

 

 

 

ハリウッドのセクハラ問題が

大きなニュースになっている。

稀代の名女優も含めて多くの関係者が、

権力のあるプロデューサー・俳優の

セクハラ被害者だった。

ただ、これまでみな受けた被害を

声にできず、

正すことができないでいた。

そのハリウッドも

勇気のある一人の声から

問題が顕在化し、

世界中で襟を正そうとしている。

あのアメリカの、あのハリウッドでも、

こんな問題が起きていたのだ。

権力が持つ問題は、

簡単には正せない。

声を上げるにも大きな勇気がいる。

ただ、このような問題は、

社会の仕組みではたくさんある。

ポジションの上の人に問題があると、

下の人は何もいえなくなる。

特に日本は、その傾向が強い気がする。

だが、何もいえない、

声を上げないということは、

問題は解決しないとイコールだ。

嫌だと思っていることが、

いつまでも続いていく。

それを解決するには、

自分も含めて勇気を持って

声を上げるしかない。

組織にいると大変なことかもしれないが、

それが正しいことであれば、

必ず、賛同者もいるし、

正しい解決法が見つかる。

間違っていることを

間違っていると

声を上げられない世界は、

絶対に間違っている。

間違えてはいけないのだ。

 

 

 

誤算からも正解が生まれる

 

(今日のコトバ)

 

人生は、誤算が正解になることもある。

 

 

 

 

算数だと誤算をすると、

正しい答えにならない。

計算違いが命取りになって、

✕になってしまう。

だが、人生では、

時に誤算が正しかったり、

想像以上にいい答えになることがある。

一石二鳥という言葉のように、

一つのことをこなしたのに、

二つのいいことがあったり、

間違った✕の選択をしたと思ったら、

それが正解と思える状況になることもある。

それが人生の面白いところ。

人生は、数字では割りきれない。

割りきれないからといって、

それがすべて間違いではなく、

大正解だったり、

人生を思いっきり素晴らしい世界に

案内してくれることもある。

だからこそ、生きる張り合いが生まれる。

もっと、もっとという気持ちになれる。

いま、自分の中に数字で

割りきれないものがあったら、

それが生きているということ。

全力で答えを探せばいい。

正しい答えは無限にあるのだ。

 

少しずつ想像力を働かす

 

(今日のコトバ)

 

想像力は、日々、上書きされる。

 

 

 

いろいろなことを考えている。

面白いこと、つまらないこと、

難しいこと、単純なこと、

食欲のこと、恋愛のこと等、、、、、。

それらすべてを、

大げさにいえば想像力ともいえる。

そして、その想像力は、

日々、更新している。

もっと大げさにいうと、

想像力は、日々、

進化しているともいえる。

そう考えると、

誰もが想像力を

働かせているといえる。

その想像力を、

もう少しだけ人生の有益な部分に

活用すると、

人生は少しずつ素晴らしい方へ向かう。

よく「もう少し頭を使えよ」

といわれることを意識的にやってみる。

文字通り、もう少しでいい。

それだけで、人生は少しずつ有益になる。

少しずつを続けていくうちに、

人生は有益で

素晴らしいものになっていくはずだ。

 

相手との距離を縮める

(今日のコトバ)

 

前へ出れば近づける。

後ろへ下がれば遠ざかる。

その距離が人生の差になる。

 

 

 

 

人と人の距離。

近づきたい人に

近づけなかったり。

近づきたくない人に

近づかなければならなかったり。

人生は難しい。

ただ、近づきたい人には、

勇気を持って

近づいていくべきだと思う。

いろいろなケースがある。

仕事関係で。恋愛で。弟子になりたくて。

そう思っていても、

遠くで見つめるだけでは、

やっぱり相手はわからない。

わからせるためには、

自分という存在がいることを

しっかり理解させる。

相手の頭にイメージさせる。

それには、

出会う方法を

考えなければならない。

その方法は、自分の持っているものを

相手に表現する。

玉砕することもあるかもしれない。

だが、自分を認めさせなければ、

距離は永遠に縮まらない。

もちろん、罪なことで近づくのは

論外だが、出会わなければ何もはじまらない。

まずは、相手との距離を縮めるために、

出会うことが大切なのだ。

一歩踏み出せば成長期

 

 

(今日のコトバ)

 

過去に勝てるうちは、成長期。

 

 

 

成長していることを、

どこで感じるか。

本人が確認することが、

いちばん難しい。

目に見えてというのが、

自分ではわからなかったりする。

若いうちは、

習得するべきことがあるから、

自分で成長を確認できることもできる。

だが、年齢を重ねると、

だんだんと成長を感じなくなる。

習得するものが少なくなり、

体力、気力が衰えてきて、

退化を感じてしまう。

ただ、それでも成長していることがある。

例えば、若いころではなく、

年をとってからはじめたものは、

あたりまえだが、

若いころより習得する部分があるだけ

成長する。

また、やる気を起こせば、

若いころを超えることも

できるかもしれない。

そう考えると、

自分の最高を超えることは、

結構あるのだ。

そして、最高を更新している以上は、

まだまだ成長期。

人生は、何度でも成長を迎えられる。

そう、一歩足を踏み出せば、

人生は進化するきっかけに

あふれているのだ。。

現在進行形が生きている

(今日のコトバ)

 

栄光は、過去形では輝きが鈍る。

現在進行形でこそ輝きを放つのだ。

 

 

 

 

武勇伝を話す人がいる。

凄い事だと思うのだが、

あまりにも過去の武勇伝ばかりだと、

引いてしまうことがある。

第三者から訊くならまだしも、

本人から訊くと、

どこか信憑性なく感じることもある。

もっというと、

その人がいま、

武勇伝を築いている人なら、

まだ話を素直に訊くこともできる。

だが、

武勇伝が遠い過去の話だと、

それこそ話半分にしか訊けなくなる。

栄光の歴史を語る人も同じ。

遠い昔の栄光を語られても、

「いま、どうなの」

という気持ちがつきまとう。

老人になって、

これから栄光でもないだろう

という人は別として、

現役の人が、

過去の話ばかりするのは、

どうもいただけない。

どうしても、

「それって、いまがいけてないんじゃない」

と思ってしまうのだ。

では、素直に栄光の話を訊ける時とは、

どんな時だろうか。

それは、現在進行形で結果を出している時。

いまも、

まわりの人が納得する結果を出しているか、

活躍している姿をしっかり見せている時は、

こちらも素直に話が訊ける。

少々、話を盛っても、

ちゃんと訊いてしまう。

それは、現在進行形が生きているからに

他ならない。

栄光なんておこがましいが、

自分で振り返っても、

自分の良かった過去の話をしている時は、

自分がいけてない時の気がする。

「いま話せることがないから、

過去の話をしている」に過ぎない。

だからこそ、

栄光の話、武勇伝を話す時は

気をつけるべきだ、

「いまがどうなの?」と。

転ぶことは、進化のきっかけになる

 

(今日のコトバ)

 

転ぶたびに、着地がうまくなる。

 

 

 

人は、転ぶ。

何度も、何度も、転ぶ。

転ぶだびに立ち上がり、

「もう転ばないようにしよう」と考える。

どこがわるかったのか、

どこが間違ったのか、

どこがもつれたのか、、、。

頭にかすめるぐらいでも

考える。

ちょっと痛みを伴うから、

同じことを繰り返したくないと思う。

そこが進化の源になる。

転ぶことは、どこかで自分が失敗してる。

その失敗を繰り返さないように、

頭で考える。

最高の知恵ではないかもしれないが、

いい知恵が浮かぶこともある。

時間とともに、ただの考えが

いい知恵になることもある。

転ぶこと。

それは、起き上がる力をつけ、

着地がうまくなること。

そして、進化のきっかけをつくることなのだ。

 

 

がむしゃらを忘れない

(今日のコトバ)

 

未熟は、全力疾走してこそ円熟の牙城を崩せる。

 

 

 

何事にも修業期間はある。

技が身についていなくて、

ツボがわからなくて、

動作が不自然で、

上手にできないことが多い。

ただ、その期間でも本番を

要求されることはある。

自分の思い通りでないタイミングで

本番はやってくる。

キャリア不足でも、

超ベテランに

挑まなければならないこともある。

その時、武器になるのは何か。

当然、技では勝てない。

ならば、とにかく前へ進もうという

がむしゃらさではないだろうか。

このがむしゃらさは、

時に勢いを生む。

勢いがつけば、

自分の実力を超えた力が湧いてくる。

圧倒的実力差、絶対的不利な状況も、

想像を超えた力で勝てるかもしれない。

100回やって、1回かもしれない。

善戦健闘で終わるかもしれない。

だが、どうせ格上に胸を借りるなら、

がむしゃらに向かっていく。

当たって砕けろの気持ちで、

全力を尽くす。

その精神をいつも心の先頭に持っていたい。