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(今日のコトバ)
今日、いいことがある日の前日と設定する。
何か大きなイベントがある前日は
ワクワクしてくる。
当日が早く来て、
思いっきり楽しみたい。
遠足の前日だったり。
遊びに行く前日だったり。
人によっては、試合の前日だったり、
試験の前日だったり、、、、。
前日が当日よりワクワクすることもある。
明日起こることの
楽しいイメージが先行するから、
幸せな気分ひたることができる。
もちろん、自信がなくて、
前日が不安で仕方ないこともある。
イベントなど
避けて通りたい気持ちになることもある。
だが、ほんらい自分が望んだイベントなら、
ワクワクしてこなければ嘘だ。
仮に不安があっても、
楽しみが打ち消す。
そんな状況をつくるには、
準備をしっかりして、
自信が持てる状況をつくることが大切。
楽しむために、日々の準備を怠らなければ、
自信も生まれる。
いいことが起こるような気持ちになる。
そのことを忘れてはいけない。
(今日のコトバ)
小さく思える自分でも、
あいつから見れば、立派に大きく見えている。
自分の足りないところ、
自分のよくないところ、
自分の許せないところ等、
劣等感になる部分は、誰にでも
少なからずあるだろう。
人と比べて劣っているから
何とかしたい。
だが、どうにもならないでいる。
ただ、
ほんとうに人より劣っているのだろうか。
それは、あくまでも自分という
一つの視点から見た場合の考え。
自分以外の他人から見ると、
何も劣っていないと
思われていることも多い。
自分が対象とする相手も、
こちらの凄いところを見ていて、
絶対的に勝っているとは
思っていない。
自分が劣っていると
思っていることも多いはずだ。
相手のいいところは、さらによく見えて、
自分のわるいところは、さらにわるく見える。
人間の視野など、そんなものかもしれない。
見えない幻想をつくりあげ、
幻想に勝てないともがいてしまう。
もちろん、もがくことが努力に変わり
成長する場合もある。
ただ、度が過ぎると、
幻想に押しつぶされてしまうこともある。
そういう状況にならないためにも、
相手を大きく見過ぎないようにしよう。
相手も人間。
いいところもあれば、
わるいところもある。
相手のわるいところもしっかり見る。
相手の弱いところもしっかり見る。
そして、自分のいいところも
しっかり見る。
特に、自分のいいところをしっかり
見つめることは大切。
いいところはどこだ、
いいところために精進しているか。
精進していれば、
怖れることはない。
その精進を続けて、
前進していけばいい。
幻想がなくなった相手は、
自分より劣っているところが
たくさんある、ただの人間。
地上に怖れる人間など、
それほどいないのだ。
(今日のコトバ)
未来への足音が聞こえる。
その足音はいつだって自分の足音だ。
2018年1月1日、新しい年が明けた。
たった一日だけなのに、
昨日と違う時代に生きていると感じる。
思いきり未来を感じる日でもある。
そう、まちがいなく未来はやってきた。
ここにいる自分も、
未来を体験した一人でもある。
実際には、未来が今になったのだが、
それでも、未来にやってきた。
そう思うと、生きていることは素晴らしい。
生きていれば、
想像したことはもちろん、
想像しなかったことも体験できる。
そして、憧れた未来に行ける、
もっといえば、憧れた未来になれるのだ。
いま、年が明けた素晴らしい気持ちを
しっかりと自分の心にセットする。
その心がブレなければ、
未来は自分の手のものになる。
初心忘るべからず。
素晴らしい未来と出会うために
心新たにして生きていこう。
(今日のコトバ)
それでも、さまようのをやめないのが人生だ。
今年も一年、いろいろなことがあった。
成功したもの、失敗したもの。
勝ったもの、負けたもの。
手に入れたもの、手に入らなかったもの。
さまざまなことがあった。
自分史の中で素晴らしい一年の人もいるし、
そうでなかった人もいる。
ただ、それでも人は生きていく。
時に有頂天になり、時に反省もしながら、
人は一歩踏み出しいてく。
まっすぐに歩いていきたいけれど、
決してまっすぐにはならずに、
さまよいながら歩を進めていく。
それが人生、
それが人間なのだ。
そして、さまよい続けるからこそ、
人は魅力的になれる。
明日になれば、
また、新しい一年がはじまる。
人は、また、さまよいはじめる。
そして人は、また、
新しい経験という歴史をつくり
魅力的になっていくのだ。
(今日のコトバ)
昨日は帰り道を教えて、遠くへ去っていく。
自分が経験してきたものは、
自分の中の財産となって、
それからの人生に大いに役立つ。
昨日、想い出、そして、過去となって、
人生の生きる道を教えてくれる。
ただ、過去はもう過ぎ去った出来事。
過去のことを
捉えることはできないし、
新しいものは生まれない。
もっといえば、
過去のことを考えている時は、
現在進行形のことや未来のことが
おろそかになっているといっていい。
もちろん、
想い出として大切にすべきものもある。
だが、過去は何も生み出さない。
過去にしがみついている時は、
弱い自分であることを忘れてはいけない。
人生は、現在、過去、未来できている。
そのうち、
自分の手でこれからつくっていけるのは、
現在と未来だ。
現在と未来に何をするか。
そのことに夢中になれることこそ、
人生がうまくいっている証拠。
現在と未来に夢中になる何かを見つけよう。
(今日のコトバ)
言葉は、想像力という個人差がある。
同じ言葉を伝えても、
まったく違う解釈をされてしまう。
また、一つの言葉を伝えていくうちに、
まったく反対の意味に
解釈されてしまうこともある。
誰の人生でも何度か経験があるはずだ。
コミュニケーションの難しいところと
いってしまえばそれまでだが、
ちゃんと言葉が伝わっていないことから、
中傷誹謗や争いに発展することもある。
言葉の解釈には、個人差がある。
もっというと、言葉の想像力を
どこまで理解するかで、
個人差が生まれるのだ。
わかっているようで、
言葉の個人差をわからない人が多い。
そう考えると、
一つの言葉を
同じ意味に捉えてもらうために、
意識して言葉を伝えるべきだ。
人の理解度、人の想像力には個人差がある。
薬が効く人と効かない人がいるのと、
実は何も変わらない。
そのことを忘れてはいけない。
(今日のコトバ)
勝った場所はゴールにしかできないけど、
負けた場所はスタートにできる。
勝利は、一つのゴール。
そこを目標にして
頑張ってきたのだから、
到達点であっていい。
到達したら、
自分を頑張っている自分を解放して、
縛りを解く。
休みを与える。
栄光の時間を満喫する。
そうなっても仕方ない。
自分を解放するために
頑張ってきたともいえるのだから。
ただ、自分を解放をしたままだったり、
解放する時間が長かったりすると、
いつのまにか自分の進化を止めてしまう。
止まるだけでなく、
退化することもある。
反対に、敗者は、
敗れた場所をゴールにすることはではない。
本気で挑んで負けたら、
尚更、そこでやめることはできない。
次の戦いへ歩を進めざるおえない。
そこに、勝者と敗者の逆転劇がはじまる。
自分を解放してゆるんでいる勝者と、
次への戦いという目標を持った敗者では、
モチベーションが違う。
戦うテーマや戦う大きさによっても違うだろう。
勝者の実力と敗者の実力によっても違う。
ただ、敗者は倒れたままではいられない。
どんなことがあっても、
次のテーマを見つけようとする。
そう思うと、
敗者になることは
決してわるいことばかりではない。
目標が必然的にできる。
進化の止まった勝者を標的にできる。
人生が面白くなってくると思わないか。
(今日のコトバ)
誤字脱字だらけのノンフィクションだけど、
一生という本にすると傑作になるのが人生。
振り返ってみると、
人生のデコボコ道を紆余曲折しながら、
それでもなんとか生きてきた。
いいこと、わるいことも、
幸せも、悲しいことも、
のりきって、いまがある。
人に言えることばかりではないが、
人生がそれほどわるいものでないと思っている。
物語にしてしまうと、
脈絡がなく、
起承転結が成立せず、
突然、異なったストーリーが
展開されるのが人生。
だけど、素晴らしい歴史もたくさんある。
人生。一生。
この誰も描けない壮大な大河ドラマ、
この予測不能のミステリーを生きる人間。
そう考えると、
少しだけ人生が楽しいと思える。
もっと生きてみたいと思える。
生きることを試行錯誤して、
日々、新しい出来事と出会う。
だからこそ、人生は面白いのだ。
(今日のコトバ)
救いの手の、一番手であれ。
誰かが困った時に、
一番に駆けつける。
一番に救いに入る。
その一番であることが、
困った人にどれだけ救いになるか
計り知れないものがある。
困ってる時に、
まず相談できる相手が、
隣りにいてくれることは、
問題の解決にならなくても、
心が落ち着く役目は果たせる。
安心材料のひとつにもなる。
また、一人ではない、
孤独ではないと思えると、
なんとかしようという意欲も湧く。
自分だけではないという気持ちが、
前進しようという気持ちを導く。
そう考えると、
救いの一番手になることは、
困っている人にとって、
想像を超えて力を与えることになる。
だから、もし、
自分の知り合いや
助けたい誰かがいるなら、
なるべく一番はじめに救いにいこう。
一番に行くだけで、
多大な価値があり、
多大な効果がある。
困っている人の気持ちを
やわらげるために
最大級の効果を果たせるのだ。
(今日のコトバ)
奇跡は世の中にたくさん落ちている。
その圧倒的多数をしめるのが出会いだ。
出会いが解決する。
自分ではとてもできないようなことを、
ある人物と出会って、
その人に頼むと簡単に解決してしまう。
特に、社会に出て
仕事で困った時に、
各分野のスペシャリストに頼むと、
奇跡、魔法とも思えることが起こる。
つまり、人を知っていると、
社会のあらゆる問題を解決できる。
絶対に無理だと思ったことさえ
解決できる。
生きている奇跡としかいいようがない。
仮に、その人を知らなければ、
絶対に解決できない。
ただ、解決するには、
その人を知っていて、
その人に依頼できる存在になればいい。
そう考えると、
奇跡は人脈にあるともいえる。
困った時に解決する、
勝ちたい時を勝利に導いてくれる、
夢を叶えてくれる、、、、。
もちろん、他力本願の話ではない。
自分の努力で
扉を開いていかなくては、
人も目を向けてくれない。
自分が出会える領域の人は、
自分の実績に比例していく。
より高いポジションにつけば、
必然的に、出会える人も
高いポジションになっていく。
ポジションが低ければ、
低い人になってしまう。
ただ、低いポジションでも、
自分を磨いて輝かせたり、
まだ、世間に認められないが
凄いの能力を持った人と出会えば、
そこに奇跡は起こる。
いま、自分が出会っている人、
これから出会う人、
その人が奇跡だと思うと、
人生は無数の奇跡と出会っている。
そう思うと、
奇跡は案外身近なものなのだ。
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