よくない時に、どんな人が集まるか

(今日のコトバ)

 

花が咲いた時だけ顔を出しても、

信頼はしない。

 

 

 

いい時は、人が集まる。

金メダルを獲れば、人は集まる。

大騒ぎをして、さも友人のごとく近づいてくる。

集まってもらえば自分も嬉しいし、

わるい気はしない。

反対に、メダルが獲れなかった人はどうだろう。

メダルというとオリンピック選手限定になってしまうが、

例えば、負けてしまったり、結果がでなかった時、

人が集まってくるだろうか。

身内と呼ばれる人は、なぐさめてもくれるだろう。

ただ、それ以外の人がどこまで、

心の痛みをいやしてくれるだろうか。

ほとんどは、知らん顔。

距離を縮めることはしない。

距離をおくというか、その段階から忘れてしまうこともある。

敵ではないが、味方でもない。

ここぞという時に、助けてくれる人ではない。

そう思うと、やっぱり信用できる人とできない人は

見極めておくべきだ。

いい時は、人は集まる。

いい人も、わるい人も、ただ騒いでいる人も。

だが、よくない時にどんな人が集まるか。

集まってくれる。助けてくれる。

その人が本当に自分が信頼すべき人だ。

その人をしっかり理解しておく。

忘れてはいけないことだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

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アイデアに種があるか

(今日のコトバ)

 

ふくらまないものは、種がまかれていないもの。

 

 

 

いくら議論しても、アイデアがふくらまない。

アイデアがいい答えに結びつかない。

会議では、考えて、議論をしても、

結局、時間の無駄だったなんてこともある。

そこでいつも思うことが、

なんとなく発想はあるものの、

そこから答えが導き出せないものは、

根本に問題があるということだ。

発想と思ったものが、ただの思いつきだけでなかったのではないか。

種になるものが、なかったのではないか。

そう考えると、意外と中味のなかったアイデアなのがわかったりする。

だから、議論を尽くして、

答えが出ないなら、

違うアイデアを考えてみる。

その方が、よっぽど時間を有効に使えると思う。

新しいアイデアだから、

また、頭がリフレッシュされて回転しはじめる。

そこで、大切なのは、

そのアイデアは新しい発想なのか。

そのアイデアに種はあるか。

漠然とした面白さだけではなく、

納得させるものがあるか。

そのことを意識してアイデアを考えると、

議論が有効になり、

ビッグアイデアにつながっていく。

アイデアに種があるか。

発想には大切なことだ。

 

 

 

 

 

 

 

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最初が肝心

(今日のコトバ)

 

最初に必勝。

 

 

 

何事も、最初が肝心。

最初にいい印象になると、

それを覆されることはなかなかない。

反対に、最初にわるい印象になると、

これもなかなか覆すのが難しい。

ほんとうの実力、ほんとうの人柄はともかく、

最初の印象は、その後の関係を大きく支配する。

だとすれば、最初に最大限の力で、

実力を証明するに限る。

もちろん、時間をかけて、

だんだん良さをわかってもらう戦術もある。

ただ、特に仕事のような状況では、

入札、競合等、一発勝負の状況もある。

その状況で最初に×をもらったら、

その後の関係は続かない。

最初に全力を尽くす。

最初に必勝の覚悟で臨む。

そのことが、人生を有利に進められる。

最初に全力を尽くすのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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いまを超えて、想い出に

(今日のコトバ)

 

心のスクリーンは、

再上映するたびに、美しい名作を上映する。

 

 

 

記憶になると、過去の出来事は美しくなる。

その時は、大変なことがたくさんあったのに、

時間が経つと、みないい思い出になる。

人間の記憶はよくできたもので、

終わってしまったことはノーサイドのように、

きれいになっていく。

トラウマになるような、心の傷として残るような

想い出したくない過去もある。

すべてがいい記憶にならないのはわかっている。

それでも、時間が記憶を美しく変えていく。

と思うと、いま、辛い思いをしても、

時間が経てば美しい記憶に変わると思えばいい。

オリンピックでメダルラッシュが続く日本の選手も、

振り返ると、メダルどころか、出場もできない、

引退も考えた人もいたという。

その人の、その時は、辛く、暗い思いだったに違いない。

ただ、オリンピックで結果を出したということで、

過去は美しい記憶になったのだ。

この時間を越えれば、

目標に達成できるという気持ちになれば、

ただただ辛いということばかりでなく、

前に光が見えている辛さになる。

とにかく、過去になれば、

記憶として美しいものになる。

いまを超えろ。

それが、美しい記憶と出会うための目的なのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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人生を素晴らしくするために

(今日のコトバ)

 

奇跡待ちの人生より、努力決行の人生。

 

 

 

奇跡と呼ばれるような

自分でも信じれないぐらいのサプライズがあると、

人生は素晴らしいものになる。

ただ、人生で奇跡と呼ばれるようなことは、

それほど頻繁にあることではない。

何年、何十年に一回、

人生で一回あるかという人もいるだろう。

奇跡は素晴らしいことだが、

その奇跡を待って生きるほど人生は簡単ではない。

もっと確率の高く人生を素晴らしくしていくもの。

奇跡ではないものの、

人生を楽しくしてくれるものと生きるべきだ。

となると、地道で、地味だが、

努力をしていくことが、

人生の目標を達成させ、楽しくする近道だ。

努力は奇跡ほど派手ではない。

だが、努力の延長上に奇跡があるともいえる。

着実に努力をしていく。

それが人生に楽しく素晴らしいものにする。

生きるための法則なのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

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完全燃焼、そして、再生

(今日のコトバ)

 

ぶつかって、砕け散っても再生する人間に、

限界は降伏する。

 

 

 

完全燃焼という言葉がある。

文字通り燃え尽きてしまうことだ。

ただ、人間にとって完全燃焼というと、

全力を出し切ったということになる。

燃焼してしまうのだから、

本来、燃え尽きてしまう、灰になってしまうはずだが、

人間は違う。

燃焼したことによって、充実感、経験値、

新しいモチベーション等、

様々な要素が心にプラスに働く。

燃え尽きて終わるのではなく、

再生の扉を開くこともある。

もちろん、燃え尽き症候群となって、

目標が見出せないこともある。

だが、人間は燃え尽きても再生できる。

さらに強くなって再生できる。

そのことを忘れずに生きていけば、

もっと強くなれる。

完全燃焼して、

もっと強い人間に再生するのだ。

 

 

 

 

 

 

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弱音を聞いてくれる人

(今日のコトバ)

 

弱音をはける人がいるから、強気で戦う勇気がわく。

 

 

 

人は、それほど強くない。

強気なあの人も、

ポーカーフェイスなあの人も、

明るいあの人だって、

弱音をはかなければ生きていけない。

どこかで自分の中にある毒を流すかのように

弱音をはく必要がある。

だが、人間の凄いところは、

その弱音をはいた後は、

リセットして、また、

元気に復活するところでもある。

もちろん、いつもいつも弱音をはいている人もいる。

だが、たいがいの人の場合、

弱音をはいてしまうと、スッキリして、

前向きに生きていく。

だとすると、弱音をはくのは人にとって

いい効能があるのだ。

ただ、弱音をはくのはほとんどの場合、人であるのも確か。

その弱音を聞いてくれる人がいることが、

大きな環境の違いになってくる。

もし、弱音をはきたい時に、

弱音を聞いてくれる人がいなかったら、

聞いてくれ人をつくろう。

一方的に、こちらの弱音をはくばかりでなく、

時には、相手の弱音・愚痴を聞いてあげる。

その繰り返しで、人間関係が深まるし、

いま置かれている環境をリセットすることもできる。

弱音を聞いてくれる人をつくる。

人生にとって大切なことだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

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心の傷が人生を助ける

(今日のコトバ)

 

心の傷は、誰も持っていない最高のデザインである。

 

 

 

生きていると傷を負う。

体に見える傷ばかりでなく、

心にも傷を負う。

体のように、

傷の状態が目に見えないから、

治っているか、いないかは、

簡単にはわからない。

その時、激痛は走らないが、

いつまでも、気持ちを沈める心の傷もある。

ある記憶が蘇るとフラッシュバックのように

痛む心の傷もある。

ただ、その傷が悪いことばかりではない。

心の傷は、いろいろな痛みの上に出来たことが多い。

その傷は、悲しみも、苦しみも、辛さも、

いっぱい経験している。

痛みがわかる分、情に厚くなることもある。

傷のない人より、人間的に深く、強いともいえる。

傷を負うことを避けて通ることもできる。

生き方次第だ。

ただ、人として信用できるのは、

心から付き合いのできる人だとすると、

傷を負っている人も悪くない。

心の傷。

時に、自分の勲章になることもある。

持っていることも、また、人生を助けるのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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才能をあきめない

(今日のコトバ)

 

才能がないからやめろ、といわれて、

やめてしまうから才能がないのだ。

 

 

 

 

才能。

あるか。ないか。

わかるようで、わからないもの。

自分であると思うこともある。

他人にあると思われることもある。

国家試験があるわけではないので基準などない。

ただ、才能という能力が

何もしないで特出するということは絶対ない。

能力的が優れていても、

磨かないから、たいしたことのなかった人を

いっぱいみてきた。

反対に、ドンくさいなと思っていた人が、

何年か後、キラキラ輝くような能力を

発揮したのも見てきた。

才能も磨かなければ、輝かないのだ。

ましてや他人にやめろといわれて、

簡単に引き下がる位なら、

才能があるなしに限らずやめた方がいい。

才能があると信じたら、

他人がなんといおうと結果が出るまで、

やりきってみる。

あきらめずに、ねばってみる。

才能だって、一人前になるには時間がかかる。

時間をかけて磨いてみね。

そのことを忘れてはいけない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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孤独はあたためて

(今日のコトバ)

 

知らん顔すると、大きな顔する孤独です。

 

 

ほっておけば、ほっておくほど、

孤独は広がっていく。

何もしないで、

孤独を放置するのは危険だ。

孤独は、あたたかさに弱い。

人にあたたかく迎えられたいのだ。

誰とも接触せず、距離をおいてしまうと、

孤独は大きくなる。

寂しさはつのっていく。

普通の状態の自分ができることが、

できなくなることもある。

心が、体が冷たくなって、

元気な力を発揮できないのだ。

時に、頭を冷やすのに、

孤独が必要なこともある。

だが、普通に生きていこうと思うと、

孤独は元気と相反する。

心を、体を、あたためて、

孤独から距離をおく。

そのために、人に近づく。

人にあたためてもらう。

そして、いつもの自分をとり戻すのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

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